2011/12/31

この年のラストに読むのにふさわしい1冊でした。


『9つのライフ・レッスン』諸富祥彦②
[19/226]
Amazon
K-amazon ★★★★☆

未来から2011年を語る時、「3.11」を忘れることはないだろうと思う。2011年を、でなくとも日本人として忘れられぬ、忘れてはならぬ出来事である。
衝撃、という言葉では言い表せない、人生観を変えてしまった。まさに本書が書かれた前提にもなっている、「人生には、いつ、何が起こるかわからない」ということを思い知らされた。自然の力の前に、われら人間がいかに非力であるか、そしてその中で「生きていく」ということはどういうことなのか。

けして悲観することなく、けれども、どこかで「絶望感」と闘いながら、どのように生きるべきか、ということを自分なりに考え続けている。何のために、どのように、或いは誰のために。自分の存在の価値とあるべき姿。大人になってから最も「考えた」年になった。

その結論は、来年以降、出していくことになる。行動を以て出していくことになるだろう。まだ「もやもや」している部分もあるんだけど、そんな年の最後、本年226冊目に読む本は、まるで引き合わせたように、この「もやもや」に焦点を当てたものだった。

シンプルすぎる言葉が何度も繰り返されますが、
「日々、一瞬一瞬、心を込めて生きる」
これほど、本質を突いた生き方があるまい、と思えてきます。

たまたま自分がそういうことを「考えて」いたから、なのかもしれませんが、今年の悲壮な出来事は、誰かれ少なからず、「生きる」ことを意識したはずです。なので、この言葉、本書の「9つの教え」の中でも、それらを貫くテーマであることろの、
「今、この瞬間を心を込めて生きること」
これに込められた意味、本質は、伝わるはずです。

これをなすべきために、行動として私たちがやるべきこと、それが残りの「8つ」になります。その中でも「時間」の大事さという概念、これはヒトコトヒトコトが沁み込むように響きました。
お金、名誉...「生きる」ために一番大切なものはなんでしょうか。
「大切な人とふれあう時間」
もう二度と「同じ時間」を手にいれることはできません。そして、その時間を大事に思うこと、その「時間」を作り出すこと、そんな「時間」に対する位置づけと、有限である時間をどのように使うか、ということを教えてくれる。当然にそのような「時間の大切さ」も、「日々、一瞬一瞬を心を込めて生きる」ことにつながってきます。

殊更に「3.11」をハイライトする必要もありませんが、その出来事を「次」につなげるために自分がなすべきこと。それは、「考える」ことであり、これからの自分の生き方を大事にすることだと思います。
ただでさえ、「残り時間」が気になってきた自分が、「人間がはるかに及ばない自然の力」を見て考えたこと。
それを、さらによーく考えながら、行動していく、その場所である、新しい年を、間もなく迎えます。
ずーっとそばに置いておく大事な本に、今年最後に出会いました。

【ことば】したいかしたくないか、自分でもよくわからないことは、「しない」と決めましょう。そんなことのための無駄な時間は、あなたには残されていないのかもしれないのですから。

つい先日、尊敬する人からビジネス上のアドバイスとして「一つ新しいことを始めるときは、従来からあって続けるべきでないことを一つ止めること」というのをいただいた。「時間は有限」という前提で、自分ができることを考えれば、当然のことのようだが、自分でも意外だったが、そういう発想を持っておらずメカラウロコであった。そして本書でも出会うこの考え。「来て」ますね。何かが、自分に。

9つのライフ・レッスン: 3・11で学んだ人生で一番大切なこと

  >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<


大切なものは、目に見えない



2011/12/29

これを「きっかけ」として、「次」がより大事。


『さくっと3行でわかる ビジネスマンとして知らないと恥をかく500人』齋藤孝⑤
[18/225]
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆

40年以上も生きていると、それなりにインプット情報は多くなる。そこで「貯めたもの」をどう整理できているか、で、「できるできない」って変わってくるんだろうなあーって思う。あと数年すれば、「インプットしたこと」自体を忘れてしまう、「引き出し」を開けようとする行為すら面倒になってきてしまうかも...(すでにそんな前兆も...)

そんな人にも便利です、この本。タイトルは「ビジネスマンとして知らないと恥をかく」とあり、当然しっているべき人物の「概要」を分かりやすくシンプルにまとめてくれています。確かに直接のビジネスではんくとも、当然に「相手」との話の中で関係を高めていくのが、ビジネスの基本であり、そのコミュニケーションの中で、こういった「常識」が話題になることも少なくない。「知らないと恥をかく」ことは当然、さらに「しったかぶり」をして取り返しのつかないことにもなりかねない。

自分としては、「ビジネスで役立てるために...」というよりも、「これまでの知識の整理」という観点で読んだ。意外にも知らなかった(忘れていた)事実や、他の誰かの功績と混乱していたことなどが「再発見」できる。その通り「恥をかく」前に整理できてよかったなーって思いです。

ただ、大部分は「前に読んだこと、聞いたこと」がある内容ですから、重点としては「整理」或いは「再発見」です。新たな知識、エピソード、というのはそんなに多くない。なので、本書のような内容は、どちらかといえば、前提として(少なくとも)名前くらいは知っている、くらいの人が向いているかと。

新発見にしても再発見にしても、ここで再び巡り合った偉人に、以前に出会ったときとは違う(自らが変化しているから)感覚を持つことがある。そこで(たとえ以前は興味なくとも)今回でなんらかの興味が出てきたら、「深堀り」のステージにいけばよいのだろうと思う。
自分にとっては、それは「新撰組」や「三国志」に関する人物だった。次の機会にはそれらを読み返してみたい、と思いましたね。あとは「源氏物語」かなあ。

 最初の「基本編」に登場する人物は、一人一ページ。簡潔にまとまっているので、一人ひとり単にでは分かりやすいんだけど、「1冊の本」という単位、流れで見ると、ページがどんどん進む(読むスピードがあがる)というスタイルではありません。それはこういった「雑学」系の本の宿命かもしれないけれど、人物の並び順とか(カテゴリー別の誕生年順、かな?)少し気になったりもしました。逆にいうと、いつもそばに置いておいて、短い時間でもパラパラできる、という利便性かもしれませんね。

もはや500人のエピソードが一度にアタマにはいるような「柔らかさ」は持っていないので、一読した後も取り出せるところに置いて、どこかでその人物に「出会った」時にページをめくり返してみようか、そんな使い方でもいいかも。

【ことば】話の流れに合わせ、会話の端々で偉人の話をする、そうすれば...相手からこの人はちょっと違うなと思われるようになるはずです。

まあ、ちょっとしたテクニックでしょう。けれど、本書の内容(一人につきその特徴を3つに絞っている)レベルでこのテクニックを使うのはちょっと危険かも。やはりなんらか興味を持った人物について、より深く知る「次」のステージへの進出をした後でしょう。薄い知識ではやはり底が知れてます。もちろん何も知らないよりは全然ましですけど。

さくっと3行でわかるビジネスマンとして知らないと恥をかく500人

サンクチュアリ出版 友友会ファンサイト応援中


 >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<

明日を変える読書のすすめ
いいもんはいいんだ

 

2011/12/25

感情、ムード、そんなものが大事なのかもしれない。

復興増税の罠 (小学館101新書)
復興増税の罠 (小学館101新書)
  • 発売日: 2011/12/01

『復興増税の罠』河村たかし
[17/224]
Amazon ★★★☆☆
K-amazon ★★★★☆

以前はよくテレビで見かけた著者。「減税日本」という、単刀直入なネーミングの地域政党の代表として、また「出直し」ばかりが話題になった名古屋市長として、「異端児」のイメージが先行する。
初めてその著作を読んだ。テーマがタイムリーなだけではないだろう、非常に「分かりやすい」。官僚や国会議員の批判はまあ置いておいても、なぜに「増税」ではなく「減税」なのか。著者が主張する論拠が非常に明確である。

著者として、一般の人の目に触れることを想定して、「より」わかりやすく、問題点をシンプルにしているとは思うが、国会議員や役人の「わかりにくさ」とはあまりにも対照的だ。
著者が繰り返すように、増税しないと...というムードを高めているのは、「税金でメシを食っている」センセガタであり、自らの給料である「税金」を減らす=減税という策はよもや考えつかないだろう。ホントに彼らが「自分たちのために」増税やむなし、という空気を作り上げているのかどうかは分からないが、著者の言うところの、

減税→消費ムードの高まり→消費、投資の増加→結果として税収の増加

というのは、数値の試算だけではでてこないスキームかもしれないが、非常に分かりやすい流れである。消費者側から考えれば、税金が減れば、すなわち可処分所得が上がると、特に「サラリーマン」は、気持ちが大きく変わる。もはや明細を見る動機すらなくなっているサラリーマンにとって、「可処分所得の増加」は、前向きなニュースだ。

すべてが「行動」に結びつくかはもちろん言明できないにしても、その「気持ち」が景気を押し上げる可能性は極めて高いと思われる。政治家、官僚の試算では、こういう「気持ち」は試算できないであろうけれど、かつて「ビジネスの世界」に属した著者だからできる視点は、とても大事な点だと思う。
これは、「国民の代表」たる公務員の仕事であれば当然もっているべき視点であろうけれど、現実的には、「職業としての公務員」、「税金が給料である職員」という彼らにその意識はない。

そしてもうひとつ「コロンブスノタマゴ」的な視点の切り替えを得られたのは、「国債」の話。マスメディアはしきりに「借金」という見方一本やりだが、確かにその増え続ける額には驚異を覚えるが、その「債権者」が国民である、というのは...「借金」の側面と逆側の「貸し手」という視点を提示しているメディアは、著者の指摘するように、確かに無い。それに「違和感」を感じなかった自分だけれども、本書の読後は、新たな視点が持てるようになっている。程度の差はあれど、「国債」がすなわち悪という一方的な見方は辞めにしたい。


著者が言うことが全面的に正しいかどうかは分からない。ちょうど、本書を読み終わった日の朝刊には「借金が歳出の半分」「忍び寄る危機」という扇動的な見出し。「増税やむなし」を高める一旦なのか?そういう疑問を以て読むのと、何も考えずに読むのと、社会の見方が変わってくるはずだ。

それから、これも著者が憤りを感じている「背番号制度」。国民を番号で「管理」するシステムの導入である。「番号」で管理することによって、「脱税」を失くす...本当でしょうか?仮に「本当」であったとしても、国民を「番号」で管理統制するのは、つまり感情を持たない「ID」として「管理する」という発想から生まれているのでしょう(その導入に絡む利権の発生等については、もはや興味関心すらありません)。自ら一方では消費者であることを忘れているような「オカミ」の動き、アヤシイですねー。


メディアの報道に対して、疑問を持つこと。言われているけれどできていない自分。本書の内容は、結構刺激的で、そして、身近な問題で、また、連日報道で目にする話題である分、近づきやすいし、また「税」という切実な話題でもある。
自分の身は自分で守る、本当の意味での「幸せ」を見つける。改めてその重要性を思う。

【ことば】財源不足を増税で埋めるなら、だれでもできる。それが「勇気ある決断」というなら、総理大臣なんてだれでもなれる。

実際に、市民税を減税し、それに伴う税収不足を補って余りある行政改革を実施した市長の発言だけに、重みがある。というか、この「市民税10%減税の話」をメディアはもっと取り上げてもいいのではないかと思う。これが国政にも通用するかどうか、という議論があって、その後に「増税」ならまだしも...必要な増税なら逃げるつもりはないけれど、諸々「オープン」にしてほしいのだなあ。

復興増税の罠 (小学館101新書)

大人の選り抜き情報サロンファンサイト応援中


 >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<


(朝日を忘れた小説家)山雨之兎のブログ
おじさんのげんき


2011/12/24

タイトルがうまい!「できそう」な感じがしますねー

知的複眼思考法
知的複眼思考法
  • 発売日: 1996/09/25

『知的複眼思考法』苅谷剛彦
[16/223]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

原文は15年前に書かれたもの。東大教授である著者が、「いまどきの若者」の考え方の貧弱さを例に出していますが、その後「東大生」のレベルは上がったんでしょうか...すでに当時から「考えることをしなくなった」若者がいたようです。おそらくは、今現在、「当時の若者」は、そのまま「若者」ではなくなって、起業や団体のコアな立場になっていると思われます。本書で指摘されるような「考えることをしない」まま、の状態であれば憂うべき事態になってしまっているのでしょうか...

いかにも「東大のセンセ」という書き方、進め方で(こういう考え方自体が「単眼思考」ですが)時々、文章の理解ができない状態になります。こちらの理解力の問題でしょうけれど、全面的に「わかりやすい」、という内容ではないようです。事例での説明が多いので、それが「複眼思考」とは何か、理解するのに助けになります。


「複眼思考」、つまりは、視点を複数持つこと、考えるベースとなる視点を広くもつことが、物事の理解の深さや、本質を見抜く力を養う。正解がない社会での「問い」に対して、「考える」ことを実践すること。これの大事さと、そのためのトレーニング法が書かれています。どうしたら「複眼」発想ができるか、というヒントがちりばめられているのですが、イメージとしては「アカデミック」 の度合いが高くて、少々現実離れが...言われれば「確かに」ということはあります。学生の時代からかなりの時間が経って、それなりの社会経験を経た自分が読んで、なんとか理解、実感できるようなものが多く、現役の学生だとどうヒビくのか分かりませんが、ちょっと難解かもしれません。

むしろ「考える」ことが必要な社会人レベルの方が、ハマる可能性があるような気がします。大人の視点からは「若者は考えることをしない」と見られがちですが、実は「考えている」、もしくは考えようとしている若者は少なくない。自分のまわりにもいます。それこそ「単眼思考」であったりします。自分の客観視して、俯瞰する見方、裏側から見る視点、実行している人は年齢とは無関係かもしれません。

「複眼思考」を身につけるためには、著者が指摘するような勉強法、情報収集、アウトプット手法を実践すること。ですが、おそらくはその前提として、「関心・興味」というのが欠かせないでしょう。これがないと、考えることをしなくなります。そして「押し付け」の考え方は、身につきません。それも含めて、幅広く、凝り固まることなく、自由な「考え方」を維持したい。

年齢を重ねるにつれて、「柔軟」でなくなることに危機感があります。発展、とまではいかなくとも、「複眼思考」を維持する手法、こんなテーマでもおもしろいですね。実は(言葉は違えど)「複眼思考」的なハウツーは、結構存在するので(おそらく本書はその原典に近いものでしょう)、「その先」の登場に期待しています。

【ことば】問いをずらしていく方法を身につけることで...自分なりの視点をもてるようになる...自分の視点をもつとは、自分がどのような立場から問題をとらえているのか、その立場を自覚することでもあるのです。

「問いをずらす」これが「複眼思考」のテーマといってもいいかもしれません。いわゆる「5W1H」的なフレームワーク。これがシンプルで、且つこの思考法を見つける最も重要なものかもしれない、と、アカデミックな文章を「分解」しながら思いました。ある程度「余裕」を以て、課題に取り組む、という環境も必要かもしれません。一歩引いて見ることで見えてくるものもありますしね。

知的複眼思考法

 >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<


わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる
むらちゃんのブックブログ


2011/12/21

かなり「来ました」。これからハマリそうです。

あの日にかえりたい
あの日にかえりたい
  • 発売日: 2010/05/20

『あの日にかえりたい』乾ルカ
[15/222]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★★

短編集ですが、テーマは貫かれています。タイトル通りなのですが、昔-若かったころ、現役だったころ-に何か「忘れ物」をしてきた人物が登場します。その「忘れ物」を胸に抱えたまま年齢を重ねて、体が不自由になってもそれを見つけに行く、という気持ちは捨てきれない。そんなお話が詰まっています。

人間だれにも訪れる、死という問題(それが不慮の事故でも自ら手を下したものであっても)、そして「時」、いずれも人間の力では、どうにもならないものがベースになるストーリー。なにがしかの要因で、過去の自分を俯瞰してみると、そこには「かつては持っていたが今は失くしている」あるものに気づいたりする。

時制を複数もつ物語って、とても読みにくい。同様に「書きにくい」んだろうと思う。けれども、著者はその時制、時空の空間を自由に飛び回る、心地よい文章を読ませてくれている。ものすごい才能だなあ、って思う。

現在の意識のまま過去に戻る、タイムマシン的な展開が多いんだけど、「科学的」にどうこう、という理屈をつける前に、すんなりと沁み込む感じなんですね。小説だから、っていう当然の理由を考える間もなく、先を読みたくてのめり込んでいる自分がいるんです。
小説を読むのを再開した自分には珍しいこと。

さて、自分が過去に置いてきた「忘れ物」はなんだろう。もう一度戻れるとしたら「いつ」に行こうか。過去は変えられないけれど、もしもそれができるのであれば...という気持ちにもなってしまう。本書のテーマはそうではないんですけれどね。むしろ、過去から蓄積された「今」を大事にすること、そして、予測できないからこそ輝いている「未来」へ向けて希望を持とう、というメッセージであるように捉えました。勝手な解釈ですが、ポジティブだから許容してください。

著者が何歳かはしらないけれど、「年を取る」という残酷さ、についての描写はみごとです。見た目、も含めて衰えていくのを自覚するのは悲しいことなのかもしれません。それでも、年をとることの素敵な側面を見据えていかねばならないよね。だって、抗えないし、不可能なものをどうこうしようと考えても無駄。であれば、やはり、「今」を精一杯生きて、「未来」に希望を持つ。これですよ。

著者の本、もっともっと読んでみたい。出会えたことに感謝です。

【ことば】可能性とは未来をしらないからこそ存在するのだ。

時空を超えられないからこそ、「わからない」からこそ、希望があり未来がある。知っていたら可能性ではなくて確定になってしまう。それだと輝かない。悔いないように生きることだ。たとえ途中で「忘れ物」をしても、それでもその先は悔いのない生き方ができるようにしたい。

あの日にかえりたい

  >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<


じゃじゃままブックレビュー
アイフォニアにはこれがいい!


2011/12/20

今のところは「実感」しておりませぬ...


『人生を変える一番シンプルな方法』ヘイル・ドゥオスキン
[14/221]bk1
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

できない、と壁をつくっているのは、つまりは自分である。自分の感情である。行動を支配してしまっている感情を「解放」することで、人生が変わる...それも驚くほど簡単な方法で。これが「セドナメソッド」である。無気力、悲しみ、恐れ、渇望、怒り、誇り、勇気、受容、平安。9つの感情を「解放」することで、人生が充実したものになります。

これで救われた人も少なくないのだろうから、否定はしません。が、自分にとってはこの手の本は難しい。例として書かれている「○○しない」というネガティブな目標は、潜在的なところでそのネガティブな出来事の実現を期待している、という指摘はなんとなくわかるんです。「禁煙」じゃなくて「非喫煙者となった自分を楽しむ」というのは事例としては今一つだと思うんですが、「否定語」を使わない、というのはひとつのポイントであることはわかります。

が、本書で紹介されているメソッドの肝である「解放」という概念がいまひとつ入ってきません。自分への問いかけ、「その感情が存在することを認識しますか」「それを手放すことができますか」「いつ手放しますか」というパターンを繰り返すことによって「解放」するのです。解放の先には、次のステージが待っていて...確かに、「呪縛」という意識がある場合があります。自分以外の何かに、或いは自分の意識、感情に「縛られて」いる、という認識を、少し離れたところから見て始めて気づく、というようなことがあります。半分くらいは理解したつもりですが、今のところはどうもしっくりきません。

個人の感情の話から、組織、最後は世界平和まで広がります。そこまで「最強の」メソッドであれば、なんとか習得したいのですが、その「欲」がそもそも駄目なところなのかもしれません。人間が社会的な動物である以上は、他人、事物とのかかわりの中で生きていくわけなので、 本書のメインではないのかもしれませんが、無私、利他、という精神が、結果幸福をもたらす、という考えでいいのでしょう(多分)。

感情を「解放」し、自由を手に入れる、というのは、「無責任」とは違うんでしょうけれど、ある程度は「気にしない」生き方、または「自然体」でいること、と同義なのかもしれません。翻訳本が苦手な自分としては、言葉を追っているとアタマに入ってこない、という悪循環に見舞われましたが、ポイントだけは押さえておきたいと思います。そして、機会がきたら再読するか...

この類は、本を読む、という行動だけではなかなかアタマに浸透しません。かといって、「セミナー」だと、ちょっとアヤシゲになってしまう可能性もあるし...自分にしっくりする方法を見つければいい、という軽いスタンスでいることが肝要かもしれません。
  
著者が述べているように、「書かれていることを理解して納得するのではなく、実践して実感して信じてください」ことなので、まずはゆるーく意識してみようかと思います。「解放」。正しいことを正しいと信じる、常に自然体でいる。できそうなところから、ですかねー。

【ことば】望み通りの人生を選び、思ったとおりに人生を生きることを妨げているのは、自分で自分の可能性を制限する感情です。私たちは決断力を感情にゆだねてしまうのです。

感情、それの基になる資質、経験値、 人間関係、置かれた環境。それにより「自分で」制限をかけていまっている、というのは、意外に多いものです。社会で生きる以上、完全に「自由」な行動は制限があるものですが、自分の能力に「制限」をかけてしまってはもったいない。その方が「楽だ」という錯覚があるから、なんですが、この制限を「解放」した方が楽、という意識も「あり」かと。

人生を変える一番シンプルな方法―世界のリーダーたちが実践するセドナメソッド

  >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<


水面のさざなみ
多読書評ブロガー石井

2011/12/18

SF(ファンタジー)の楽しさが詰まっています。

宇宙からきたかんづめ
宇宙からきたかんづめ

    『宇宙からきたかんづめ』佐藤さとる
    [13/220]Library
    Amazon ★★★★★
    K-amazon ★★★★☆

    対象は「小学中学年以上」と記載されています。「コロボックル」の佐藤さんです。児童向けの「ファンタジー」ものは、自分の子どものころも、今の自分の子どもたちも、読んでいる「スタンダード」。本書は、その「ファンタジー」の前に「スペース」が付いた、そう「SF」なんですね。

    「ぼく」がスーパーで出会った、不思議なかんづめ。それは宇宙から来た「地球調査」の基地なのです。そして科学の発達したその「宇宙人」は、日本語で「ぼく」の質問に答えてくれます。

    「タイムマシーンはホントにあるの?」
    「宇宙には変わったいきものがいる?」
    「宇宙の『はし』はどうなっているの?」

    子どもらしい質問?いえいえ、宇宙の謎に惹きつけられた大人も同じ質問をするでしょう。子どものころからずーっと、心にある宇宙の謎。考えることがすなわち「夢」、であるようなスケールの大きさ。いない、と誰ひとり証明できない宇宙人の存在。科学がどんなに発達したって届かない宇宙の神秘...

    ここに、「SF」の原点があります。これらの「ぼく」が知りたい話は、地球人誰もが知りたいこと。そしてそれをきっかけに、誰もが知っている「あの話」が、宇宙と結びついたりします...オトナが十分に、いや、子ども以上に楽しめる!あー、温かい。も1回あの話を読みたい、そんな気になっちゃいます。

    どこにでもある日常に、「宇宙」が入り込んでくる。そして怖いけど勇気をもってその扉を開く少年。そう、勇気を持って扉を開く、この「行動」があって「夢」に近づける。そして、心が求めているものは何か、っていうのを見つけ、そして最後は....

    ドラえもんにも、スターウォーズにも負けない「夢」がここにあります。
    そして、その「夢」を実現するのもしないのも、自分次第。追い求めなければ、けして実現できない、これだけは事実。
    児童書を読むだけで「深読み」しすぎ、かもしれませんが、素朴なだけに、その面白さは「深み」があります。長く読む継がれているものには、当然にその「理由」がある。この分野の書も面白いね。機会があれば読んでみようと思う。

    【ことば】おもしろい話は、どこでもころがっています。だれでも、よく気をつけてさえいれば。すぐにみつかります。ただし、つかまえるのは、たいへんです。

    「まえがき」から、ファンタジー全開。存在しないものを扱うのがファンタジーという人がいます。存在するかもしれないものを扱うのがSFだという人がいます。「夢」や「幸せ」は、存在「する」もの。さて、著者の【ことば】の「おもしろい話」を「夢」「しあわせ」に置き換えたら...これが「生きる」ということなのだね。難しいことばを使わなくとも、表せる。佐藤さんってやっぱりすごいな。

    宇宙からきたかんづめ


      >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<




    コトバ屋@えちごゆう
    こだわりのつっこみ




    今では「フツーの」内容になってしまったが...

    週末起業 (ちくま新書)
    週末起業 (ちくま新書)
    • 発売日: 2003/08/06

    『週末起業』藤井孝一②
    [12/219]BookOff
    Amazon ★★★★☆
    K-amazon ★★★☆☆

    2003年に書かれた内容としてはかなり「先がけ」視点だったろうと想像されます。従来の会社勤めを辞めずに、週末(あるいは平日夜間)に別の「ビジネス」をやりましょう、会社は辞めてはいけません、という指南書。「起業」を煽るような扇情的なものではないし、アルバイトとは違う「ビジネス」をしましょう、という軸も「今では」実践的です。

    当時は、「思いきれる」環境にある人は起業し、その他は不本意ながら会社にとどまり...という「二択」がせいぜい考えられる「せいいっぱい」でした、おそらく。本書でも書かれたいた「インターネットの発達により」というのも、当時はまだ「将来性」も含んだような言い方でした。

    著者が本書の中で「奨めて」いたカタチは、今やさらに実現ができる環境が整ってきています。ネットのインフラや法的なものも、後押ししてくれています。あとは当人の「その気」が「本気」になるかどうか、だけの話、になっています。慎重派よりも「とりあえず始めてみる」派の方が、成功の確率が高まっているようです。

    さて、そのような環境の中で、本書を読んだのは当然に「理由」があるわけで、当然「その気」なわけです。著者が指摘するように、時間を切り売りする「アルバイト」をするつもりはなく(「時間」の重要性が、若い人たちとは大きく異なりますから、ね)、「(本気の)ビジネス」でなければならないわけで。本書で指摘される「週末起業」を自分なりにカタチにしていく。いずれにしても「始める」ことなくして、成功も失敗もないわけですからね。

    著者が奨める、「会社を辞めずに」という選択肢は、消極的のようですが、実は積極的な「攻め」ができるシステムだと思われます。やはりある程度の年齢になると、影響が及ぶ範囲が自分一人ではなくなる場合が多いので、「軸」は持っていないとリスクが高すぎます。軸を持ちつつ、新しい事業に...というのは、著者のいうように「会社内の新規事業」と同じ位置づけで考えられます。

    「自分」というひとりの人間にとっての「新規事業」であり、しばらくは「軸となる事業」からの先行投資、と成り立つというフローは当然に考えられますよね。これは「へりくつ」ではなくて、当然の流れとして、「会社」から「個人(自分)」へと主軸が変化していることの表れでもあります。一般的にも、個人的にも、会社に頼る時代ではない、自分を高める以外に幸せはない、というのは日々実感していることでありますし。

    本書の後半は、税制とか法規制とか、法人設立にかかる事務事項について。これについては、すでに「更新」されている可能性が高いので、「こういう手続きがあるんだ」くらいで読めますし、前半の「起業の心得」を、自分のことに置き換えて読む、そして「自分のこと」を現実的に考えて、一歩を踏み出す。これが本書の位置づけです。何度も読み返す、というものではなく、行動の「きっかけ」にしていく本です。「壁」が少しでもみえてきたら、一読するのもいいかと。

     【ことば】新しいことをはじめ、軌道に乗せるには...施行錯誤すること、うまくいくまで続けること、月並みですがこれしかない...

    シンプルですが、その通りだと思います。それを実際にやってきた人がいうのだから間違いないのでしょう。そしてそれができるのは「週末起業」はまさに最適な「システム」かと思います。起業は「会社」を起こすことではなくて「ビジネス」を起こすこと、ですよね。「相手」の満足を実現することで、その対価としてお金をもらう、そんなビジネスの基本中の基本を、地に足をつけてやっていこう。

    週末起業 (ちくま新書)

     >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<


    書評・雑感:がんばれ30代
    僕はこんな本を読んできた

    2011/12/16

    「仕組み」と言ってしまうと、違和感ありだが...


    『35歳からの「脱・頑張り」仕事術』山本真司
    [11/218]bk1
    Amazon ★★★★☆
    K-amazon ★★★☆☆

    「マネージャーとして失格」の烙印を押された著者が、いかにマネジメントを克服していったか、自分を変えていったか、という内容。そしてその自らの「変化」の方法を「仕組み」として汎用なものとして紹介する。かなりの「謙遜」だと思うが、才能も人心掌握力もなく、ただ「自分で最後まで仕事をやり遂げること」のみにプライドを持っていた「現場」の人間が、マネージャーになってもスタイルを変えなかった。プレーヤーであり続けるマネージャー。部下からの「一緒に働きたくない」発言までも出るようになり...

    そこで、施行錯誤しながら、2段階、3段階の「マネージャーとしての」ステップを上がり、今やその道の「成功者」。故に、「駄目な人間でも行動を起こせば、『仕組み』を身につければ、成功する」というストーリーなのだ。著者自身、マネージャーとして認められない時代も、一つだけ貫いていた信念があった。それは「仕事の質を落とさない」ことだった。故に、人(部下)に任せられない。なぜ自分のように努力しないのか分からない...よくいう「名選手は名監督になれない」というフレーズを、そのままあてはめられるようなタイプだった。

    そんな苦悩を変えたのは、やはり「質を落とさない」という信念だったのだと思う。本書では直接それが要因だとは触れていないが、相手(お客様)を大事に思う気持ちが、次第に部下い対する感情にもシフトしていった様子がうかがえる。それを持っていなければ成し遂げられなかったのは事実だと思う。

    その前提があってはじめて、本書で紹介されているような「テクニック」が生きる。ミーティングの仕方や、立ち居振る舞い、部下のやる気に火をつける「演技」、等々。これらはウワベだけではいずれはがれるものである。「仕組み」は、軸があって初めて成り立つ。

    いろいろな会社があれば、部署があれば、そこに属する部下の「考え方」は様々である。大企業だけではなく、少人数の会社でも、「空気」(文化、とは言えない)が人の考え方を支配することも少なくない。これは経験値からも確か。そのすべてに当てはまる「仕組み」だと著者は主張するが...やはり表面的に「ミーティングをこうする」「叱り方、ほめ方はこう」ということを本書から学んで実行しても、「薄い」ものになってしまうだろうね。

    縁あって一緒になったチームのみんなに、自分の経験値やスキル、持っているものすべてを分け与えたい。心からそう思えるかどうか。そしてその結果が、チームとしての「成果」に結びつく。40代半ばになって初めて自分にも芽生えた感情である。自分の持っているものは、すべて伝承したい。それをどう料理するかは、当人が施行錯誤してくれればいい。前時代的で合わないものもあるだろうし。

    「35歳から~」というタイトルですが、40過ぎの自分にも力になる部分はあります。十分重ねられる内容です。これを以て変わった、という著者本人が言うのだから、臨場感、リアル感ありますね。一番の「仕組み」は、「仲間」という意識、ですね。目標を達成して一緒に泣けるかどうか。社内の直接的な部下にも、外部のパートナーにも、同じことが言えます。それには自分の「軸」。これ。

    【ことば】行動、行動。それがマインドを変える。不自然でも良いじゃないか。わざとらしくてもよいじゃないか。

    著者が指摘するように、「マインドを変えよう」っていうのは困難。特に「以前の」著者と同じタイプであった自分のような人間にはかなり困難。よって、「行動」。わざと、敢えて、意識的に動くことで、周りも変わる、自分も変わる、結果、マインドが変わる。分かりやすい。

    35歳からの「脱・頑張(がんば)り」仕事術 (PHPビジネス新書)

    >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<

    Orvalで行こう!
    千早振る日々


    2011/12/14

    日々学ぶ毎日...「知」は力

    人間力を伸ばす珠玉の言葉―箴は鍼なり
    人間力を伸ばす珠玉の言葉―箴は鍼なり
    • 発売日: 2011/12

    『人間力を伸ばす珠玉の言葉』渡部昇一③中山理
    [10/217]
    Amazon
    K-amazon ★★★★☆

    「言葉」の重みってある。古来の人が言うように、言葉は人間の行動を変える力がある。言葉ひとつで人間関係を、人生を変えてしまうこともある。政治家の「失言」は考慮する価値もないが、ひとつの言葉が生きていく上での指針になることがあるのだ。

    ひとつのことに「専門的」になるのが、学者のイメージだが、その「本筋」だけではなく、「周辺」の知識も併せ持つことが、その分野をさらに深める要素になる。何よりもその人本人の厚みが増すのだろう。そういう意味で、「深い」人間性、専門性を持った著者二人。その「言葉」に対する思いはかなり深い。

    英文学者でありながら、儒教の言葉を持って「指針」としている中山先生、大家であり今も現役であられる渡部先生、ともに、「漢文」の重要性を説く。論語など、これに感銘を受けている人が多いんだけど、このお二人の知識、読書量は生半可ではなく、対談形式の本書の中で、中国をはじめ「古典」の本、言葉が次々に登場する。

    確かに、ひとつひとつはその意味もわかると深い、それこそ指針になるようなものだ。またそれが語られた時代の背景を考えると、また、その「言葉」が現代でも通用するスタンダードであることを考えると、やはりそのあたりの「ほんもの」を知らないことには、いかに読書量を増やしたところで、カタテオチであるのだなあ、と感じる。

    そしてお二人に共通するのは、単に本を読んで言葉を知る、という点にとどまらず、そこから「自分ならどうすればいいのか」という流れに持っていっていること。その言葉の意味、意義を理解して、そこから「行動」や「思想」に昇華させているところだ。つまりこれができるできないが、人間としての完成度を左右する、ってこと。当たり前なんだけど、動かないことには何も変わりはしない。

    漢文のみならず、ゲーテや渋沢栄一、各分野で幅広く「人間力を高める」言葉が紹介されています。その言葉に感銘を受けるのはその通りなのですが、自分にとっては、そういった言葉がポンポンと次々に出てくる著者たちの姿勢にこそ憧憬です。そこまでいけるかわからないけれど、読書とはそうあるべき、というひとつの「最終形」がそこにありました(もちろんご本人たちにとっては「最終」ではないと思いますが)。

    自分にもいくつか「指針」にしている言葉があります。それは本で出会ったものもあるし、非常に近い人からいただいた言葉もあります。どんな言葉が自分に合うかはわかりませんし、どこで出会うかも分かりませんが、出会う機会を増やすことと、それを感じ取るアンテナを常に張っておくことはできます。そしてそれをきっかけに行動に軸を持つことも。

    改めて、「ことば」の重みを感じ入りました。

    【ことば】心に残る格言は、国境を越え、言語の壁を越えて、人の心から心へと伝達されていくものですね。

    ゲーテの言葉「急がず、しかし休まず」は、彼を崇拝するイギリス人へ、そのイギリス人の本を読んだ新渡戸稲造へ伝達されていきます。そして本書で紹介されたことで、著者から読者へつながります。国や言語は形式であって、言葉の持つ意味、意義が大事であることが再認識させられます。


    人間力を伸ばす珠玉の言葉―箴は鍼なり


     

    2011/12/13

    ディベート...本質はそこではない。

    武器としての決断思考 (星海社新書)
    武器としての決断思考 (星海社新書)
    • 発売日: 2011/09/22

    『武器としての決断思考』瀧本哲史
    [9/216]bk1
    Amazon ★★★☆☆
    K-amazon ★★★☆☆

    国や会社という「箱」に守ってもらう、それに頼ることがもはや期待できない、期待しちゃいけない時代になってきた。それに対応するして「生きて」いくにはどうしたらよいのか。そんな時代に「あるべき」姿を解説。
    京大での授業を本書で再現!ということらしいです。内容は「ディベート」思考で、ひとつひとつの課題をクリアしていこう、というもの。そもそも「課題」であるのかどうか、という定義から、議論の組み立て、反証、肉付け...そして「決断」。日本では馴染みがないが、ゲーム的な「ディベート」の取り組み方、そこから自分ひとりでも、同様の考え方の組み立てをすれば、「今の最善解」に近づける...

    いわゆるノウハウ、ハウツー本です。 著者が繰り返し述べておられますが、「正解」のない中で、それに近付くにはどうしたらよいのか、「今の」最善解を求める手段として、このような考え方は「あり」なのでしょう。自分という個人がどのような「武装」をしていくのか、が重要であることは、本書を読むまでもなく、理解です。

    否定するようなところはまったくないし、このような「技術」を体得すれば、一段階上がれるだろうなあっていう感覚はあります。ありますが、なんだか「疲れそう」な印象も同時に持ってしまいました。この感覚自体、ダメな証拠、と言われればそれまでですが、「ディベート思考」ですべてを考えることは、自分にはかなり高い壁のような気分です。

    この感覚を持つと、 たとえばダイエット食品の広告に騙されないで済む、という指摘がありました。「飲むだけでやせた!」という体験者は、当然にそのサプリメントだけではなく、その他の努力も併用しているはずであり、そこに因果関係はない、と。

    確かにその通りなのですが(自分がその手の広告の発信側にいるから、というわけではありませんが)、 「メリットだけでデメリットを示さない」というのは、議論の流れからすると「X」なのでしょうが、ある意味そこに「夢」を提供しているわけで、けして「騙そう」ということではないのです。また、それを「信じる」という気持ちになることだって、(ロジカルではないかもしれませんが)大事なことだと思うのですね。「裏」を分かった上でアクションするのか、単に鵜呑みするのか、という違いを指摘されているのだとは思いますが、「信じるものは救われる」っていうのも、無視するものでもないかな、と。

    これは本論ではないのですが、「決断」のための考え方にはもちろん同意です。そして、決断のための知識、そしてそのあとの行動、これらがすべて実行されてはじめて意味をなす、というのも。
    そうなんですね、「ディベート」の考え方を説明してもらっていますが、実はシンプルなところ、「知識・判断・行動」という、すでに何度も言われてきていることなんですね。

    分かっていながらできない、しない。ここに問題があるわけで。その「できない」ボトルネックは何なのか、っていう方が自分には大事だなあ。テクニック的なものは、「自分にあったもの」を選択するしかないからね。それが「ディベート」思考であるならばそうすればいい。シンプルに考えましょう。

    【ことば】自分の人生は、自分で考えて、自分で決めていく

    本書のテーマ。本来はそうあるべきで、いつのまにか「誰かの傘」にいれてもらって満足、という時代が終焉を迎えつつある。本書は若者に向けてのメッセージだけれども、この言葉の重みは、実はある程度「楽」をしていた時代の経験者にこそ響きます。要は「主導権」を握ることだと思う。会社に手綱握られて、という時代と、あきらかにそうではないという未来。過去を知る世代にこそ、必要な考え方ですね。

    武器としての決断思考 (星海社新書)

      >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<


    レイくんの樹海
    活かす読書

    2011/12/11

    家族と社会。これまでもこれからも。


    『卒業ホームラン』重松清
    [8/215]bk1
    Amazon ★★★★☆
    K-amazon ★★★★☆

    なんとなくうまくいかない。気が付いたら何かが足りなかった。そんな環境の中、大事なものに気がつく主人公...すべてに共通するのは、「人間関係」「コミュニケーション」。
    著者が、震災からの復興に役立てるものは...と考えて選んだ短編プラス新作、合計6編から成っています。主人公は小学生、若者。将来への夢を持ちつつ、夢を持たない、という選択肢も持ちつつ...複雑な環境に置かれた主人公たち。両親の離婚、再婚、死別、或いは肉親の入院。さまざまな環境ですが、「複雑な」と考えるのは大人たちの方ばかりのようです。子供の順応性は、「あたりまえ」のこととしてその「複雑な」ものを受け入れているところもあります。

    表題作の「卒業ホームラン」が最も印象深い。自ら監督を務める少年野球チーム。そのチームに入った息子は補欠のままだ。そのチーム最後の試合、あきらかに「野球の能力」が劣る息子を試合に出すのかどうか。息子が入れば誰かが抜ける。監督と父親の間で揺れる感情。
    「がんばれば、何かいいことがあるの?保障できるの?」
    という娘の問いに答えられない父親。「がんばってきた」息子に「いいこと」を見させてあげなくていいのかどうか...
    葛藤の中、「監督」はひとつの決断をする。そしてそれでも「がんばる」ことを続ける息子。
    がんばってもいいことは保障されない。でも、いいことが起きるのは、「がんばる」からそれへの挑戦権が得られる。がんばってもだめかもしれない。でもがんばらなければ何も生まれない。

    そんなことって、これまで生きてきた中で、経験したことかもしれない。すでに会得しているものかもしれない。でも、当然にように、「結果」だけが求められるのが「大人の社会」であるような錯覚に陥りがちで、プロセスを評価しなくなることがある。結果さえよければそれでよし...表面的にはそうなのかもしれないが、結果に至るプロセス、すなわち、「がんばったかどうか」は、大人の社会だろうと大切なことにはかわりない。何もせずに「結果」がでることはない、というのは大人であろうが子どもであろうが同じだから、だ。

    そんな「忘れていた心」「忘れていた思い」が、本書の物語の中にあった。
    そして、物語全編を通して、私たち読者が得られるもの。震災で今でも苦労されている方々、震災以外でも苦しい思いをしている人たち、普段通りの生活ができる環境にある自分たちも、同じ日本人、同じ人間だから...いっしょに頑張りましょう。きっとその先に「夢」や「希望」があるから。

    【ことば】振り向いたパパは、くしゃみをする寸前のような顔で、笑った。

    絶妙な表現です。娘、息子が、自分が思っているよりも「大人」になっている、と気づいた時、特に父親はこんな表情をするのです。子供はいつまでも自分の手の中だけにいるわけではないし、社会との接点も少しずつ広がって、そしていろいろな壁を自ら乗り越えて、成長していく。その「成長」が嬉しくもあり、さびしくもあります。でも、頑張ってる姿はいつも応援しているんだよ。

    卒業ホームラン―自選短編集・男子編 (新潮文庫)

     >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<


    冬天日記ふたたび
    本のブログ ほん☆たす

    2011/12/09

    「希望」。それがつまり「生きる」こと

    希望 命のメッセージ
    希望 命のメッセージ
    • 発売日: 2011/09/01

    『希望 命のメッセージ』鎌田實②佐藤真紀
    [7/214]
    Amazon ★★★★★
    K-amazon ★★★★☆

    言葉が見つからない。「3.11」の衝撃。地震、津波の足跡。原発事故。それでもそこで生きる人たち。そのままの「現実」の写真が、すべてを語っています。自然の脅威に打ちのめされた跡地、そして「人為的な」戦争による悲劇を受けているイラクの写真。著者の文字によるメッセージ同様に写真が語る事実には衝撃で言葉が見つかりません。

    「3.11」からは半年以上が経ちます。原発事故の影響はまだまだこれから続くのでしょうが、被災地の復興は、やや「報道」からは遠ざかりつつあります。幸いにして、たまたま偶然に、被災地でなかっただけの私たちは、何をすべきでしょうか。自分は何をしてきて、何をしていくのでしょう。実際に医療というフィールドを軸にして「協力」している著者のようにはできません。できるのは...少なくとも「あの時」を忘れないことと、被災者の方々と「希望」を持てるような世界をつくっていく、そんな気持ちで生きることでしょう。

    そんなことしかできない自分が歯がゆい。その前の瞬間まで存在した学校がなくなる。町がなくなる。そして自分の周りで愛して愛された人がいなくなる。そんな状態から「希望」を持て、というのは難しいのかもしれませんが、少なくとも、前を向いて歩き始めた人たちは大勢います。自分たちはそれを「応援」することしかできない。それしかできないけれど応援していきたい。

    自然の猛威と、原発という人的な事故。これらを乗り越えるのに必要なのは、タイトルにあるような「希望」です。それは本書を読み進める中で大きな、大切なキーワードとしてアタマにこびりつきました。それは生きるために必要なことでもあります。なぜ生きていくのか。そこに「希望」を見出すからです。どんな状態でも「希望」を持つこと。これが人間にとっていかに大切なことか、心から思います。

    「希望」を持った人の目は顔は、ちゃんと前を向いています。そこに光があるから。進むべき道があるから。信じて進むだけ。被災者の方々にむけて何かメッセージを出せるわけではないし、自分の環境と重ねられるわけではないけれども、自分も(なんとなく失いかけていた)「希望」を、強く意識して生きていこう。本書から、生きる意味を教えられたことは多いです。


    キレイごとでもなんでもなく、今自分がここにいるのは、太古から脈々と続く生命の結果。両親、その両親、そのまた...と考えていくと、ここに存在することが奇跡なのかも。だからこそ、「感謝」という気持ちも生まれる。そして、今度は「次の世代」へ。ここには「希望」が存在する。しなければならない。

    何度も読み返したい。大事なものを忘れそうになった時にはいつでも。

    【ことば】...未来を信じて、なげださない人たちがいた。悲しくても、つらくても、笑顔を忘れず立ちあがろうとする人たちがいる。

    今回の惨劇は、自分の意識を変えるものだった。直接的な貢献ができるわけではないけれども、誰かの笑顔をつくることができるのならば、そんな生き方をしたい。たった一人でもいいから、誰かの笑顔を見たい。自分も笑顔でいたい。「希望」を持っていれば、できる。

    希望 命のメッセージ

    >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<

    畝源 The ブログ 
    誇りを失った豚は、喰われるしかない。

    2011/12/08

    痛快です。笑えました。

    オロロ畑でつかまえて
    オロロ畑でつかまえて
    • 発売日: 1998/01/05

    『オロロ畑でつかまえて』荻原浩
    [6/213]Library
    Amazon ★★★★☆
    K-amazon ★★★★☆

    「日本一の田舎」牛穴村の青年団が、町おこしのために奔走する物語。東京(都会)の洗練された広告代理店の「実情」と、村の素朴な「青年」たちの必死さと、その中で作り上げられる町おこしストーリーは...

    かなり笑えます。「田舎者」と「都会人」のギャップで、というわけではなく、随所にユーモアがちりばめられています。飽きない。感動させる話と同じくらいに、笑わせる話、って難しいと思うのだけれど、スベることなく、テンポよく、タイミングよく、ハマってきます。

    明日も知れないような弱小広告代理店の、社長、ディレクター、デザイナーは、それぞれ個性豊かな集団。そして村側はもっと個性的な集団。彼らのマッチしているようなしてないような微妙なバランスが絶妙に描かれ、そして町おこしプロジェクトが進んでいく。

    その内容はけして「セオリー」ではなく、やや「グレー」な内容なのだが、そこに尽力する関係者の思いもあり、一旦の「成功」を生みます。実はその「成功」の内容はあまり詳細ではなく、そこに至るまでの「人間」が主に書かれていて、あくまでも主人公は村の代理店の「人間」であり、彼らの「心情」です。必死さ故にやや脱線気味になりますが、進んでしまったものは基に戻れない、というか。
     
    「多分、このまま成功のままではいかないだろうな...」と思わせておいて、最後は...オチがある、というか、最後の最後は、「ToBeContinue」的なエンディング。最終的には誰が「勝ち」を得るのか、勝利の神様は存在するのか...余韻を持って終わる演出もニクイ感じ。

    田舎の素朴さと対照的に、都会の汚さ、が誇張されていますが、物語を盛り上げる上では、このあたりの演出も「妙」です。とにかく楽しい。読んでいて楽しい。先が気になる、というよりは、読むこと自体の楽しさをもらえるエンターテイメント。

    著者の本を読むのは初めてですが、「次」も読んでみたい。十分にそう思わせる時間でした。


    【ことば】...名もないプロダクションが八社競合のプレゼンを勝ち抜くには、どんあ方法であれ、まず目立たなくては話にならない。

    その業界に籍を置いていた著者ならではのプレゼン場面。「出来レース」的なコンペで、弱小プロダクションが取った策は...このディレクターは「できる」タイプなのだ。仕事はできて、人間的な面では...含みを持たせながら最後に暴かれたその正体は...ここがまた笑えます。


    オロロ畑でつかまえて

    >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<
     

    本を読む女。改訂版
    私的読書感想備忘録
    早トチリ感想文

    2011/12/07

    「教育者」として、の方が魅力的

    リクルートという奇跡
    リクルートという奇跡
    • 発売日: 2002/09/11

    『リクルートという奇跡』藤原和博③
    [5/212]Library
    Amazon ★★★☆☆
    K-amazon ★★★☆☆

    その後、東京都初の民間人の小学校校長を務めた著者の、リクルート時代の回想録。「リクルート事件」また、ダイエーによる株買収(リ社創業者による譲渡)による騒動を、社内でどう感じ、どうふるまったか、という記録と、そういう環境を通じて、著者がどのように「会社」或いは「仕事」に対しての思いを変化させていったか、が書かれている。

    リクルートの創業から大企業へ「急激に」膨張する中で起きた事件。詳しくはよくわからないが、どこかで読んだ気が....そう、9月に江副さんの著書を読んだのでした。同じ事件の概要を別の視点から見て...というと、まるで「かっこいい読み方」みたいですが、途中で「この本前に読んだかも...」というような疑念が湧いてしまいました...(そんなに「深読み」していない証ですね)

    もちろん、創業者で事件の中心人物であった江副さんの書き方とは異なります。時代の流れの中で、リ社がその創業の軸からはずれた(と思われる)方向へ膨張する中で起きた事件を、社内で対応に追われる一管理職として見ている著者の書き方。真相は(正直自分にとっては)あまり興味がありませんが、その中で、次第にリ社の「空気」が変わっていく中で、著者自身が変わっていく様子が見てとれます。

    これまでは「教育者」になった後の藤原氏の本しか読んでおらず、「革新的な」というよりも「本質的な」教育者であるなあ、と魅力を感じておりました。本書が書かれたのは、まだ校長就任前の話で、リクルートに属している時ですが、その姿は良くも悪くも「教育者」のそれと重なりません。リクルートのマインド、経営層の独断でもなく、社員のモチベーションは、「リクルートマンシップ」にある、という著者の主張。すなわち、自ら籍を置く会社に誇りを持って働いている、という姿です。これを昇華したものが、教育者としての著者の姿なのでしょうが...

    本書の内容そのものは、2つの大きな事件に対し、社員が「誇り」を忘れず、その大切なものを守るためにどのように対処したか、という内容で、「事実」を記した書としては、リクルートという会社の社史(裏ver.)というものにすぎない、のかもしれない。ここから、たとえば「リクルートのように優秀な人材を輩出する会社ってどんな会社なのだろう」とか、「事業として『情報誌』という新しいビジネスモデルを生み出した会社って?」っていう点を読み取るのは困難。

    あるとすれば、「リクルートの資産はそこで働く人のマインド」という「人重視」の視点でしょう。それがあるからこそ、億単位の経費をかけて人材を採用したり、「会社とは本来、夢を実現するために創られたものだ」という考え方がでてくる。この会社が大きくなったのは、ビジネスモデルの成功事例だけではなく、それを実現した「人」が存在していたこと、なんだろうと確信する。

    となると、「教育」というフィールドに軸足を移した著者の思いも理解できる。「人」が最重要であることは、社会で会社で一番のポイントである。けれども、そうとは思えない会社も存在する。それを変えていくには、(回りくどいけど)「教育」である。その志のスケールの大きさ、敬服します。

    【ことば】後日、取締役会の出席率の悪さが問題になり、今後は強制的に参加させようなどという意見が出たそうだ。なぜ出席しようと気にならないかに、頭をもっと使うべきだと思った。

    著者がリ社に、サラリーマンに魅力を感じなくなった時のこと。この「強制的に」という考え方は、「人=従業員を信用していない」上層部の考え方。自分(たち)は正しい。彼らが間違っている、という考えがベースになると「強制」という手段を思いつく。本質ではない。「ピーターの法則」はが当てはまるケースは(リ社に限らず)少なくないのだろう。

    リクルートという奇跡

    >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<

    浅沼ヒロシの書評ブログ
    nozomu.net

    2011/12/06

    「プロ」と「プライド」を感じました。

    おさがしの本は
    おさがしの本は
    • 発売日: 2009/07/18

    『おさがしの本は』門井慶喜
    [4/211]Library
    Amazon ★★★★☆
    K-amazon ★★★★☆

    自分もよく利用している図書館が舞台。N市の図書館で「調査相談課」に従事する主人公。「調査」「相談」という大枠の言葉が示すように、範囲のない「調査依頼」が舞い込む。自分が利用する図書館にあるのかなあ、記憶がないが、さりとて依頼、相談するような事項もないのだけれど...

    前半は、「調査相談課」に属する「事件」をクリアにしていく内容。レポート提出のために訪れた大学生(イメージ通り、本を読まないタイプ)、かつて図書館から借用した本を返したい、という老人の依頼、レファレンスセンター経験を積んだ主人公ならでは、の解決手法で難問を説いて行く。

    そこには、いわゆる「データベース」を超えたものが存在している。キーワードの検索とか、データベースとの照合とか。もちろんそれの開発によって比較にならないくらいに便利になっているのだけれど、ここででてくる「事件」は、もちろんそれだけで解決できる代物ではない。依頼主の背景や、自らの経験値、記憶、そういう「アナログ」と、デジタルの融合によって、解決していく様は、「システム」に頼りがちな時勢に、軽く疑問をぶつけているようでもある。この「二刀流」がこなせるのが、すなわち「プロ」であろうと思う。プロである前提は、その対象(ここでは「本」)に対する情熱、愛情を持っているかどうか、というところ。

    そして後半は、N市の財政状況による図書館の廃止問題にぶつかる。周到な根回しを元に「廃止」を勧める「悪役」の登場で、事態は緊迫する。当然にそれに全う勝負を挑む主人公。それにけして屈しない「プライド」を全面に押し出したり、営利企業ではなく、「公」であるフィールドに属する彼であるが、まさに「プロ」であり、図書館という施設でサービスを提供することに「プライド」を持っていることをひしひしと感じる。

    実際に図書館廃止が議論の対象になっているところも、もしかしたらあるのかもしれない。自分のところはどうだろう?個人的には、「なんとなく好き」な場所である。小学生のころも、今でも利用している。だから、「あってあたりまえ」と考えていた節があるのは事実なんだけど、当然に「経費」がかかるものであるしね、議論の対象にはなり得るんだなあ、とヘンなところで思ったりした。

    どんな目的であっても、そこにある本を利用して、自分が何を得るのか、というのが本質であって、その目的達成のために、「公」のサービスがあるのは、確かなところだと思うけど。市営住宅やごみ処理問題の方が優先、という「廃止派」の主張があったけど、比べてどっちが、という問題でもないような...自分が本好きだからそう思うのかもしれないけれど。

    でも、小学生の時にはじめて「自分の」貸出カードを作ったこと、黄色い鞄で本を借りにいったこと、時々思い出します。今の「本好き」の原点はそこにあったのかもしれない、と思うと、少なくとも自分にとっては大きな存在。

    そんなタイプの人間には、面白く読めます。「存続」派に完全に属して読むことができるから。そして主人公の本への愛情、図書館への愛情、仕事へのプロ意識、強く感じ入りました。

    【ことば】「君は偉いよ...結果が出たのちも執念深く対象を追いかけた」

    難解は「依頼」を解決した主人公に、上司がかけた言葉。ひとつひとつの依頼事項を「解決したらそれまで」にするのか、「自分が納得するまで完遂」するのか。効率を考えれば前者なのかもしれないけれど、後者のカタチになるまで自分を動かせるものがあるのかないのか。それって結構重要かも。

    おさがしの本は

      >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<

    記憶の記録
    ゆっくりと世界が沈む水辺で 

     

    2011/12/04

    B層を動かなさければ本書のメッセージが届かない...矛盾


    『ゲーテの警告』適菜収
    [3/210]bk1
    Amazon ★★★★☆
    K-amazon ★★☆☆☆

    日本を今の状態にしたのは「誰」なのか...改革に賛同する傾向のある、IQの低い層(これを「B層」と称する)が主因でありと主張する。そして彼ら「B層」に迎合する政治をする政治家が日本を駄目にする。逆にいえば、そのような政治家しか生み出さない「B層」主流の社会への警告...「ゲーテ」の時代と酷似した現代の構造、ここでゲーテの言葉が生きる...という内容。

    マスコミ報道に流されやすい「B層」、比較的IQが低い、とされているが、相対的にIQが高い層(=A層)にコントロールされる、という。A層には、政治家、大学教授、財界、マスメディア等が入ってくるのだろう。B層をいかにうまく「活用するか」がA層の力量であり、A層の生きる術である...

    って、なんとなくわかったようなわかんないような感じだったけれど、後半は、民主党政権の非難の繰り返し、だけ。確かにほめられた政権ではないし、リーダー(首相)の力量が合格点に達していないのは事実でしょうけれども、タイトルの「ゲーテ」も存在しなくなり、批判一辺倒。これには閉口です。熱が入りすぎるあまり「死んでしまえばいい」的な発言もでたりして...

    民主主義の限界とか、自分のアタマで「考える」ことをしなくなってしまた「B層」の存在、そしてそれを利用するだけの「A層」による支配、コントロール。これでは日本は滅びてしまう...さて、それを本書によって突き付けられた読者はどの対処しましょうかね...ゲーテの警告を待つまでもなく、たとえ「B層」であっても、危機は感じてはいるんです。そこからどう行動するのか、あるいは見限るのか、変えるのか、あきらめるのか、そんなレベルのことを考えなければならない。

    そもそも「なるようになる」と考えている人は「B層」ではないし、むしろそちらの「考え方」の方が幸せであるのかもしれません。が、やはり、私たち「B層」は考えなければならないのであって、この本を読んで考えるべきは、そこの部分(のみ)。A層が提示してくれる「考え方」を受け入れずに「自分で」考えることだ。
     
    ただ、B層がすなわち「悪い」ということは言えないかと思う。B層が主流であることは、社会がいい方向で成長、成熟した結果であり、ここから予想される「悪い未来」については「修正」をかければいいだけの話であるから。この本の出版だって、B層に支えられている。著者が本書を通じてメッセージを届けたい「ターゲット」も、おそらくB層ではないのかな。ちょっとアイロニックだけど。

    解決策が提示されているわけではなく、現在の「病状」を、ネガティブにネガティブに伝えてあるだけの本なので、ここからどうするか、っていうのは読み手次第。本書だけでは当然に解決しない問題です。こういう考え方も...というレベルであまり重くとらえないことが肝要。B層に属する身としては、ね。

    【ことば】われわれはみな。われわれ以前に存在していた人たち、およびわれわれとともに存在している人たちからも受け入れ、学ぶべきなのだ。

    「独創性」にこだわり、ともすれば勘違いしそうな場面は少なくないだろう。オリジナルは最初からゼロから創出されるわけではなく(そういうケースも皆無ではないだろうが)、これまでの「歴史」から、生み出されてくるものだ。芸術や物質などカタチあるものについても、サービスや考え方など、カタチのないものも。

    ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体 (講談社プラスアルファ新書)


      >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<
     
     長谷川の読書備忘録
    落ちこぼれ大学生の読書感想文

    2011/12/02

    睡眠時間を削りました。


    『チェット、大丈夫か?』サー・クイン
    [2/209]
    Amazon
    K-amazon ★★★★☆

    ミステリーを読むのは、多分10年以上ぶり。加えて、苦手な「洋モノ」。360ページを読み切れるか、不安だったが...
    「語り手」は探偵のパートナーである「チェット」。犬である。基本的な目線は彼を通じて語られる。腕の立つ探偵バーニー(人間です)だが、経済環境はけしてよろしくない。 そんな時に既知の警察関係から依頼される案件。「犬」のボディガードである。高報酬。乗らない手はないわけだが、チェットの「犬」の本能が故に、一度契約がご破算になってしまう...そこから「事件」は大きく展開していく...
    報酬よりも、探偵としての「本能」が、バーニーを動かす。そこに彼自身の「私的な」感情も絡んでくる。事件に登場するのは、金持ち、保安官、そして、「犬」である。舞台は「ドッグショー」だ。その案件に絡むのが、「ドッグショー」とは無縁の「探偵犬」であるところも、ストーリーとして面白い。

    複雑な人間関係がキーとなるのだが、 そこに、「犬間関係」も入ってきたり、とにかくコミカルで軽快で読みやすい。ミステリーとしての組み立てがどう、とか、解決に至るストーリーとか、そのあたりの評価は、ミステリーを読まない(読まなくなった)自分には評価しづらいが、チェットという犬を通してみる人間の動き、これは物理的なものも精神的なものも含まれるが、そこが「深い」。犬ならばこうなのにどうして人間はこうも複雑なんだろう?っていうチェットの声はアイロニックであり、イタイところを突いていたりもする。

    そんな「犬」の視点で読んでいくと、「悪い奴ら」が自然と分かってくるようだ。そこからどう展開するか、はここでは伏せておきますけれど。敬愛するパートナー(平たく言えば「飼い主」)のバーニーの信頼を得て、そしてバーニーが大好き、探偵稼業が大好き。そんな40kgもあるチェットは、単に「かわいい」だけのキャラクターではない。
     
    「事件」とか「解決」とは別のところで楽しめた。読み物としては面白い。読後感も悪くない。プロの探偵犬を自負しているチェットだが、あくまでも「犬」であるところがけして消去されていないのが、微笑を誘う。眠ってしまう、食べ物に弱い、などなど。「笑える」箇所が何度もあるのが、最後まで飽きずに読めた最大の要因だろうと思う。

    全体の大きな流れを崩さない範囲内で、「犬なりに」考えを呟くチェットが愛らしい。この「脱線」がちっともジャマではないのだ。原作はもとより、訳者の力によるとことだろうと思う。


    シリーズの第2作ということで、続編ももう決まって(出ている?)らしい。まずは、「初回」の彼らの「成果」を、機会があれば読んでみたいと思う。苦手な「洋モノ」でも、そう思ってしまうほど、入り込んでしまいましたね。

    【ことば】...滑走路で小さなベーコンビッツめがけて突進したあとの出来事ほど、ぼくを落ち込ませたものはなかった。

    依頼主との初対面の場面で、チェットが「おやつ」を横取りしてしまった場面。これで(一旦)契約が破棄される。「本能」がしでかしたことではあるけれども、それで「落ち込む」場面は、「人間的」。チェットのこういう「犬として」「人間のパートナーとして」の両面が、物語を色づけている。ほほえましい、そして魅力的に光る部分だね。

    チェット、大丈夫か? (名犬チェットと探偵バーニー2) (名犬チェットと探偵バーニー 2)

      >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね << 

     団塊バカ親父の散歩話

    2011/12/01

    かなり付箋がつきました。


    『プロフェッショナルを演じる仕事術』若林計志
    [1/208]
    Amazon ★★★★★
    K-amazon ★★★★☆

    タイトルからまずは想像(「先入観」ともいう)する。自分の環境で考えてみると、かつての上司や、関係者の中で、「この人すごいなっ」って思っている人の口調とか、言葉の使い方とか、なんとなく「マネ」していると自覚することがある。或いは、「敢えて」その人のやり方を自分のもののように演じてみるとか(特に新しい環境で)、実際にあるのだ。そして視点を変えると、後輩が、何かの拍子に、自分の口調や話しの進め方に似てきたなあ...とホクソエむことも、経験がある。なので基本的に「演じる」ことには同意、である。

    本書では「プロをマネる」ことを推奨するが、それは単に「表面的な」模倣ではない、ということがわかってくる。著者は「フレームワーク」の重要性を説くが、それには、段階があるという。「行動」「思考」「精神」のそれぞれフレームワーク。順に、抽象度が高くなり、習得が困難になるという第一段階の「行動フレームワーク」は簡単にいえば、「マニュアル」。これによって、「一般的な」技術は短期的に効率的に身につく。そして「思考」段階に入ると、当然に「知識」や「分析力」を伴う。すなわち一層の自己研鑽が前提だ。当然ですね。マニュアルでは対応しきれない領域になってくる。そして「精神」。その人の考え方、長期的なビジョン、夢、熱...内から湧き上がる「何か」であろうと思う。

    実際に、「マネ」して演じた経験のある自分はどのレベルまで言っていたのだろうか、って考えると甚だ心許ない。物理的な「マニュアル」ではないにしても「行動」レベルを少しでたあたり、だろうか。 何年か社会に出ていれば、「この人は!」と思える人に出会えるはず(多分「出会えない」っていうのは、通り過ぎていくのを見逃しているだけ)で、「マネ」を高いレベルまで高めるためには、その人の「考え方」を学ばなければいけないのだろう。表面的なことだけではなくて。

    幸い、自分はどんな場面においても、「憧れる」人が目の前に現れていると信じている。今アタマに浮かぶだけでも両手くらいはいてくれているし、「メンター」的な方も存在する(こちらが勝手にメンターとして心酔しているだけだが)。その人が発信する「空気」「オーラ」、うまく言えないけれども、そういうものを自分でも身につけたい、と常に思っている。今一度、そんなことを思い出してみる。そうだ、「あの人」のようになるんだった。足踏みしている場合じゃないね。

    著者自身が何度も「留意」するように呼びかけているが、フレームワークは「使い方」だと思っている。それにとらわれてはいけないけれど、知っていて使うのは便利だし、自然とそういう考え方のプロセスが身に着くようになればいいと思っている。今の段階ではまだまだ、だけどね。
    そして、フレームワークだ、精神だ、という話をしつつも、効率「だけ」ではなくて、努力や情熱を前提としているのも、激しく同意である。継続して何かを成し遂げていくこと。自分を高めるのも、日々の積み重ね、これ以外にはないのだから。

    タイトルから受ける印象よりも、読みやすいし、実践的。そして本質的。当たり前のことだけど、忘れがちなこと。そんなことを思い出させてくれるリマインダー。本書はそういう位置づけがいい。

    【ことば】冷静で客観的な見方ができる人はクールで頭がいいと思われがちですが、何かに純粋に感動し、昼夜を忘れるほど没頭してのめり込めることは、実は分析能力以上に重要な学びのスキルなのです。

    その通りでございます!テクニックですべてを乗り切ることはできない。仮にできたとしても「感動」は得られない。自分の向かうべきところへ一歩一歩進んでいくためには、「のめり込」むことが大前提。そしてそれを持ちつつも、表面的には「クール」に振る舞う。これこそが「プロフェッショナル」。

    プロフェッショナルを演じる仕事術 (PHPビジネス新書)

      >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<


    せのび道
    インディペンデントで行ってみよう 

    2011/11/30

    読後の感想は「涼」です

    神様のカルテ (小学館文庫)
    神様のカルテ (小学館文庫)
    • 発売日: 2011/06/07

    『神様のカルテ』夏川草介
    [20/207]bk1
    Amazon ★★★☆☆
    K-amazon ★★★★☆

    かなり話題になった本で、ドラマ(?)にもなったよう。映像は見ていないので先入観なしに読み始める。タイトルから容易に想像できるが「医者」が主人公である。前半中盤にかけては「神様の」という意味合いは出てこない。かなり個性的なキャラクターの主人公である。夏目漱石を敬愛して話し方も古臭い...ってなかなか小説に用いるのに出てくるアイデアではないよなあ、ってヘンなところに感心。

    主人公は、田舎の病院に勤める若い医者。「24時間365日」という崇高なビジョンを掲げた病院で働くが、「理想と現実」はどこにでもある話で、そこで「24時間365日」働く側としては、過酷な環境。その環境に対しては違和感を持ちつつも、また、「もっと楽であろう」大学病院への誘いとの選択に悩みつつも、職場の仲間、住居(集合住宅みたいなもの)の仲間とのやり取りの中で、また当然に「仕事」を通じて、何が本質であるのかを見つけていく、という内容。

    登場人物や背景については、「漱石」流になっていたり、消化器系の専門で、アルコール依存症の患者対応をしつつも、自身も「お酒大好き」なところがあったり、医者という側面と、個人としての側面が、離れているようで一致する方向に進むようで、コミカルに描かれている展開が心地よい。 過酷な勤務をこなし、その環境に必ずしも満足していないように見えつつも、「職務」については真剣であること。その「熱さ」故に、周囲から変人扱いされながらも、「自分のコア部分」を強くもっていて、前を見る視点にぶれがない。その中で、最後には、見つけるんですね。自分にとっての「方向」を。

    小説の中ではあるけれども、こんなキャラクターに好意を抱くのは当然かもしれない。医者を職業にしていてもその中でいろいろな選択肢はある。「医学」を極める人もいるだろうし、目の前の苦しんでいる人を(たとえ自分の専門外でも)助けることに生きがいを感じる人も。それを最後に選択する。悩んだ末、というよりは、諸々の「事件」を経験する中で、自然と選択が固まったのだろうし、そもそも自分の中にあった結論を肉付けして表出しただけのような気もする。

    そして、意外にも(想定していませんでしたが)、泣ける場面がありました。正確にいえば、涙がでてきてしまった場面が。電車の中でしたが耐えきれかなった。それくらいのめり込めるストーリーなのです。
     
    専門的にみれば、地方の医者不足や、医療全体の問題、もっといえば「命の問題」も含めて、結構「重たい」テーマなのかもしれないが、キャラクターの設定もあってか、軽快で読みやすい。ドラマ化されるだろうなあ、っていうノリでもあるが、若い人も、若い「と思っている」人も受け入れられる内容です。

    【ことば】...法は患者を守るための道具であって、法を守って患者を孤立させていては意味がない。そこを判断する裁量くらいは現場の医者にあってしかるべきである。

    重篤患者の「親族ではない」人への情報告知の場面。「決まりだから」親族以外には話さないのが正しいとは限らない。その患者に「命よりも大切なものをもらった」非関係者に告知する場面。当たり前なのかもしれないけれど、法は何のために存在するか、という本質を見失わなければ、答えはでる。


    神様のカルテ (小学館文庫)

      >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<


    Web本の雑誌
    書評:まねき猫の読書日記 



    2011/11/29

    野球の本ではありません。経営学です


    『パリーグがプロ野球を変える』大坪正則
    [19/206]bk1
    Amazon ★★★★★
    K-amazon ★★★☆☆

    思い起こせば、「天邪鬼」的にパリーグが好きだった。山田、福本時代の阪急ブレーブス、清原、工藤時代のライオンズ、その後「横浜大洋」の時代を経て、川崎時代から千葉へ移転した時からマリーンズに入れ込む。今とは比べ物にならないほど「巨人」一色だった時代。「みんなと同じじゃ...」というヒネクレから派生したものかもしれないが、共有できる話題が限られている中でも、自己満足に浸っていた。おそらく(記憶が残っている中で)一番最初に行ったのが、後楽園球場の阪急vs日ハム戦で、阪急の帽子を買ってもらったから、だと思う。当時のチビッコは、「野球帽」に特別の思い入れがあって、多くが持っている「GY」との「差別化」を図っていた(?)のかもしれぬ...
    川崎球場で、もう23年も前になるけれども、近鉄とロッテの試合(ダブルヘッダー。最近はないね)を観戦したことも、「思い入れ」を強くした。当時はどちらのファンでもなかったが、「いい試合」を見ることがこれほどエキサイティングであることを知ったのがこれである。しかしながらそれ以外はたとえ「いい試合」であっても、観客席はガラガラというのが、「パリーグ」の最大の特徴であった。コドモゴコロにも「これでいいんだろうか」って思えるくらいのガラガラ。それを変えていったのは、ヒーローの登場と、そして本書にあるような「経営努力」なのだろう。イチローの登場と、新庄の入団は、「人」の面での革命的な変化であった。それまではスポーツニュースですら、「結果」しか伝えられなかった状況から、場合によっては、「最優先」が約束されていた読売戦を凌いでトップ、ということも出てきたのだ。そして、近鉄の消滅、楽天の登場も含めて、新陳代謝が行われたこと。新しく参入してきた企業は、「今」の時代にあった経営手法で大きくなってきた企業であり、球団の運営にも当然にそのエッセンスを投入する。オリックスが、ダイエー、ロッテが、日本ハムが優勝すると、「地域」という側面が強くでてくるようになった。その本拠地が所属する地域の盛り上がり。これは、1993年のJリーグの開始も影響しているであろう。「地元チーム」を応援することが、ニッチだけれども、自己の満足を満たすことを知ったことは、プロ野球を大きく変えるきっかけになった。
    今でも依然として読売中心で回っていることは事実であり、なんやかや言われつつも、プロスポーツ団体を運営するテクニックは読売がアタマ一つ抜けているのは事実だろうと思う。読売以外の球団が、観客増のために「巨人戦」を望む中、「経営努力を」と言い続けた読売の主張はある意味、正しいのかもしれない。が、時代は変わりつつある。あきらかに。けして遅くない速度で。楽天、日本ハムのような経営努力、本業との位置づけ、相乗効果を生み出す仕組み作り。これを施行錯誤の中から見出したところが「勝つ」のかもしれない。親会社の「広告宣伝」としての位置づけだけでは、球団単体の赤字が許されるような環境ではなくなっている。ローカルな鉄道会社が、その所有するプロ野球球団で「全国宣伝」しても、直接的な意味合いはなくなってきているのかもしれない。
    非常に身近な「プロ野球」ましてや「パリーグ」がテーマなので、面白く読めたが、あくまでも経営の本。プロ野球球団という「ソフト」、しかも非常にお金がかかる「子会社」をどう生かすのか、というのがテーマの経営学です。

    【ことば】親会社依存度が高いために、球団は経営の自主性が薄れてしまうし、何か新しいことを行って事業の活性化を図ろうとする時も必ず親会社のチェックを受け入れざるを得ない...すべての案件が前に進まなくなってしまう。

    プロ野球だけではなく、よくある話なのかもしれない。これを打破するためには、球団が独立した組織として自立し、その利益構造を、生み出していくことなんだろう。これには強力なリーダーと、そして関係者(親会社以外)の意識が「そこ」に向かう必要があるはず。これに果敢に挑戦しているのが、「パリーグ」であるかと思う。そして一球団だけではなく、「パリーグ」の繁栄を視野に入れた努力があれば、間接的に帰ってくるものがあるはず。


    パ・リーグがプロ野球を変える 6球団に学ぶ経営戦略 (朝日新書)

      >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<




    しがなき男の楽天イーグルス応援ブログvol.3
    manachika

    2011/11/27

    世界が違いすぎました...

    リズム (角川文庫)
    リズム (角川文庫)
    • 発売日: 2009/06/25

    『リズム』森絵都②
    [18/205]Library
    Amazon ★★★★☆
    K-amazon ★★★☆☆

    「児童文学賞」を受賞している作品で、著者のデビュー作。以前読んだ『永遠の出口』の世界観が心地良かったので、期待大でしたが...
    13歳の少女が主人公です。けして特徴のある個性の強いキャラではなく、幼いころからの延長線上の「今」と、これから大人へ向かう未来の入り口としての「今」の真ん中にいる年代。いとこの真ちゃんへのあこがれ、幼なじみのいじめられっ子。タイプの異なるお姉ちゃん。真ちゃんは「すぐそば」にいる存在だったのに、それがずーっと変わらないことではない、そんな大人から見れば当たり前のことを知っていきます。これが「大人になる」ってことなのかもしれないけれど、13歳の少女の「新しい」出会い、別れ、気づき...これらがまぶしすぎて人生40年を過ぎたオジサンにはちと世界が違いすぎました...
    児童文学賞を複数もらうほどだから、きっと優れたお話なのだと思います。確かにストレスなく最後まで一気に読めるストーリー展開は、まさに「リズム」のよさ、なのだと思いますが、「もう終わり?」という消化不良を感じてしまいました。感情が中心で、出来事が少ない物語なので、やはり「適応年齢」があるのかもしれません。
    消化不良とはいえ、読後感が心地よいのはなぜか?って考えた時に、ここにでてくる「大人」が少女を始め「子ども」に対して、非常に「大人の対応」をしている点かと思いつく。金髪のフリーターを非難する場面もあれば、自分の愛する子どもを温かく見守る場面あり。もちろん彼らは「脇役」ですから、そんなにキャラクターを立たせる必要はないのかもしれませんが、子どもへの目線が優しくて温かい。そんな中で成長する子どもたち...
    こんな小説の中の世界を、「理想形」のままにしておくのか。言葉は多くなくとも、信じて愛して見守る親でありたい。そんな感情が残りました。
    そして、子どもから大人への階段を上る世代の「素直」な心情と、これまでは通用していたことが、そうはいかなくなる葛藤、大人の世界への怖れ。でも素直な心は失ってほしくない。大人になっても変わらないものはある。

    【ことば】おれのリズム。まわりの音なんて関係ない、おれだけのリズムをとりもどすんだ...そうすると不思議に気持ちが楽になって・・・

    本書のタイトルテーマともなっている場面。周りが気になる時、必要以上に気になる時に、取り戻すのは「自分のリズム」。そもそも自分のリズムに気が付いているのかどうか。でも苦しい時に立ち止まって、「リズム」を確認する作業、それも大事かと思う。


    リズム (角川文庫)


      >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<

    感想日記
    tomokaのROCK!ROCK!Till You Drop!

    「究極の」人生論、かもしれない


    『生きがいの創造』飯田史彦
    [17/204]Library
    Amazon ★★★★☆
    K-amazon ★★★☆☆

    経営学の大学教授が、真正面から「死後の世界」「生まれ変わり」に立ち向かいます。死んだあとの「精神」はどうなるのか。欧米の研究事例を中心に、「(肉体が)死を迎えた後の精神世界、そしてその「精神」が再度「物質界」に戻ってくる様を、「科学的に」取り組みます。一見「非科学」的な領域に見える世界観、宗教的か超常世界というか...ここに「科学的な」アプローチを試みるのが本書の内容。
    結果として、何か明確なものを提示されるわけではありません。著者自身が繰り返すように、宗教的なものに依存しない(著者自身はどこの宗教にも属さない)し、事例として紹介される「死後の世界」の存在を信じるも信じないも読者次第、強要するおのではない、としています。
    個人的には、死後、肉体を離れた精神が存在する、っていうことについて否定はしません。「生まれ変わり」というところまでいくと、ちょっと抵抗はありますが...そんな世界があるかもしれない、もしくはあってもいい、と思っています。自分も無宗教ですが、「神様」の存在を肯定も否定もしていません。
    ある意味、信じることによって自分が楽になれるかどうか、っていう非常に都合のよい解釈をしているにすぎないのかもしれません。困難な時には神に祈り、運が向いてくれば神の存在を信じ、運が尽きれば神の存在を否定し、そんな「常」なんですね。考えてみれば、初詣に行き、厄年を憂い、墓参りをして、お盆に休み、そしてクリスマスを祝う。脈略もなんにもないですが、その場面場面が自分の精神にとって「楽」になれるかどうか、信じた方が楽になれるならば信じた方がよい、それだけの理由かもしれない。本書にある「死後の世界」観も、そのひとつなんだと思う。死後の世界が存在する、つまり肉体的に終末が来ても精神は存在を続け、異なる肉体を「選択」する、ということを信じる限り、「楽」なのであればそうすればいいだけのこと。大学教授が科学的アプローチをしているから信じる、のではなくて、自分に合っているのか合っていないのか、その判断だけでよいのかもしれない。
    だって、自分で確かめる術はないのだし、いかに強い人間とても、何かに「すがる」時は訪れるはずだし。本書に書かれていることは、大変困難な話だし、ウソ臭い話だし、観念的な話だし、宗教的な話だけれども、いかにたくさんの事例を紹介されて科学的に「正しかろう」というストーリーであっても、判断の基準は「自分」でよいのだと思う。ただ、これらの「考え方」を知っておくことはマイナスではない。必要な時に「信じる」ということでもいいのだから。
    事例や感想にあげられているような「賞賛」の気持ちは、今の自分にはまだ湧きあがってきません。でもそんな日がくるのかもしれないね。まだ残り人生は短くはないし、変化も多いはずだから。

    【ことば】私たちに課せられているのは、肉体を持って生きていることに感謝し、周囲に迷惑をかけない範囲で、毎日の生活を大いに楽しみながら、創造的に生きていくことです。

    意識体の世界(肉体の死後の世界)から、別の肉体に「戻る」時には、それぞれが「過去世(前世を含む過去に生きた存在)」で達し得なかったテーマ等を持って舞い戻ってくる。以前の生ではできなかった壁を乗り越える。「創造」という言葉の意味は深いです。でも、もっとシンプルに「創造=何かを作り出す」ことが人生の目的、というのは、とても前向きで、「あるべき姿」だと。この感覚だけ、で十分かな。

    生きがいの創造―“生まれ変わりの科学”が人生を変える (PHP文庫)

     >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<

    ゆーまりんの書評BLOG
    選ばれるプロフェッショナルへの道
     

    2011/11/23

    シンプルだけど、独特の世界観に浸る時間。

    太陽のパスタ、豆のスープ
    太陽のパスタ、豆のスープ
    • 発売日: 2010/01/26

    『太陽のパスタ、豆のスープ』宮下奈都
    [16/203]Library
    Amazon ★★★★☆
    K-amazon ★★★★☆

    ぎりぎりの段階で婚約破棄された主人公・明日羽(あすわ)の、下ばかりを向いている視線が、前を向けるようになるまでの物語。要は失恋からの立ち直りの話で、脇役として登場するのは、家族、友人。これだけ見れば「よくある話」であり、テレビ化されようもないシンプルなストーリーである。
    主人公の気持ちが最優先されていて、脇役たちはあくまでも「あすわ」に絡む場面のみで彼らの描写はない。通常なら抑揚のない展開に飽きちゃいそうだけれど、あすわの心理変化の描写や、そのキャラクターの魅力が読み進めるにつれて増してきて、気がつけばこの小説の世界に浸っていた。ちょっと個性のある友人、伯母が、立ち直りのきっかけを与えてくれる。そこは「言葉」ではなくてツールだったりする(やりたいことのリスト)んだけど、ツールにしても言葉、態度にしても、あくまで「きっかけ」であること、自分を変えられるのは、結局は自分しかないことに気がつく。当たり前のことだけれど、それに気づかないような精神状態に陥った時、「リスト」などのヒントが後押ししてくれる。
    すべてがうまく回っていないような気持ちになる時って、恋が破れた時だけではなく、人には訪れることがある。自分が社会の中で孤立しているような、自分の存在ってなんなのかって思う時が。その時に支えてくれるものに気がつかない、ってこと、あるよね。そしてそれを脱した時にその支えに気づく。そしてそれに対して心からの感謝の気持ちを持つことで、一回り大きくなっている自分に気づいたりする。それが多分「成長」ってことで、子どもも大人も関係なく、こういう体験を積み重ねることが、人としての厚みを増すことなんだろうと思う。
    そこまで大げさな話ではないんだけど、「あすわ」がひとつの試練を乗り越えて、魅力的になっていく姿を見ていくのは、なんだか気持ちのいいものだった。「自分には何も自慢するものがない」「(履歴書に)志望動機は書けるけど、自己PRが書けない」そんな彼女が、「何か」を見つけようと考える。「見つけよう」と考えることで、彼女は大人になっていた。
     そしてさらに「サブ」的に「家族」が登場してきますが、それがまたいい「味付け」になっています。母、父、兄。直接言葉では言わないものの「あすわ」を本当に愛している姿。家族だからこそ「直接言葉」でないところでつながっている温かさを感じます。
    読後には、もっと読んでいたい。もっと「あすわ」を見守りたい。気になってしょがなくなりました。 なんでもないストーリーで温かくなれる。同い年の著者に敬意。「何も自慢できるものがない」自分も、それで終わるつもりはないのだ。

    【ことば】からまって、こんがらがって、がんじがらめになっていた私を縛る糸がゆるゆるとほどけていく感触がある...よく見れば糸の端っこを握りしめていたのは私の手だ。

     周りが見れず、自暴自棄になってしまう時、その原因は実は自分にあったりするのかもしれない。そんなとき一歩引いてみるようにできれば、と思う。「ありのまま」を見るのはそれだけ難しいのkだけれど。自分を変えなければ、自分の目から見られる世界は変わらない。

    太陽のパスタ、豆のスープ


     >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<


    空飛ぶさかな文芸部
    日々の書付


    2011/11/22

    まさに「生きること」の意味、「学ぶこと」の意味がここに。

    生きること学ぶこと (集英社文庫)
    生きること学ぶこと (集英社文庫)
    • 発売日: 2011/05/20

    『生きること学ぶこと』広中平祐
    [15/202]bk1
    Amazon ★★★★☆
    K-amazon ★★★☆☆

    数学のノーベル賞「フィールズ賞」を始め、数々の受賞をされている世界的な権威である著者。数学者って、自分にとっては遠い存在ではあったけれども、本書はその権威をタテにとらず、人間としての広中さんが、生きること、学ぶことを「若者」たちへ送るメッセージであると受け止める。「若者」ではない自分にも教訓として得るものは多数(著者からすればハナタレ程度の「若者」かもしれませんが)。
    何度も出てくる言葉に「創造」というキーワードがある。生きることはすなわち創造=何かを作り出すことであり、学ぶことはそのためのレベルに到達するための前提である。
    著者自身が言うように人間は学んだことを忘れる生き物であるけれど、忘れる前提でも「学ぶこと」は必ずプラスになる。「学んで忘れる」ことと、「学ばない」ことは同義ではないのだ。勇気づけられます。本を読んでも忘れることは多い。というかほとんど忘れてしまう。でも、何かのきっかけに「思いだす」ことは少なくない。きっとアタマのどこかに収納されているのだろう、と思うと、インプットして引き出しを多くしておくことの意味も出てくる。引き出しの整理も時には必要であろうが、幅広い知識、情報を入れておくのはけして無駄ではない、ということが心強い。知識を知恵に変えることが次の段階では重要だけれども、そのレベルに達するには、それまでの蓄積が必要なのだから。
    著者が、前人が到達できなかった理論に達したのは、努力、そしてその原動力となった興味関心だという。これが本書のポイントである。世界的な数学者になれずとも、自分の心の底から湧きあがる興味関心に気づいて、それをカタチにする努力は、自分にもできることだ。ゴールに達するまでは挫折や障害、数々壁があったと思われるが、自分の内から湧き上がるものが原点であれば、それを乗り越える努力を厭わない。そしてその壁をプラスに変える思考。これも幅広い興味、情報、知識を得るような環境に自分を置くことが大事だ。
    受験勉強と異なり、「即答」で正解を出す必要もない。天才が1日かかることを、1週間かけて成し遂げても、マイナスではない。要はその時間をどう使うかであって、最終的にカタチにする、という点では「天才」と同じ場所に立てるのだから。
    著者がすぐれているのは、その原点、努力、とともに、壁にぶち当たった時の対処の仕方だろう。そのような状況に置かれた時、物事を一歩離れて見る、ありのままの姿を見る。壁に当たったとき視野が狭くなりがちで、そこから離れる不安は付きまとうが、そこから先に行こうとする意欲が曲がらないくらい強ければ、まずはその状況を「ありのまま」見つめ直すこともできるのだろう。
    著者の受賞した研究成果は高次元で分からない点もあるけれども、数学者、研究者でも、会社勤めでも同じ人間。どこに向かうのか、自分が何をしたいのか、どうなっていたいのか。そこに向かってどれだけ努力できるのか。そして「素心」をもって物事に取り組めるのか。大前提の「内から湧き上がること」をカタチにする気持ち、努力。これに「素心」を持って進んでいけばよい。シンプルだけれども、非常に強いメッセージだ。

    【ことば】私は、人の二倍は時間をかけることを信条としてきた。そして最後までやり抜く根気を意識的につちかってきた...「努力」とは私においては、人以上に時間をかけることと同義なのである。

    内なる原動力を持って最後まで貫く。自分を高める努力を惜しまない。「生きる」姿勢のお手本である。ますます「個人の能力」がモノをいう時代。1980年代に書かれた本とは思えないほど、現代にヒビく内容。


    生きること学ぶこと (集英社文庫)


    >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<

    陽だまりの図書館 
    雨の日は本を読んで

    2011/11/20

    戦(いくさ)も情報戦だった?

    哄う合戦屋
    哄う合戦屋
    • 発売日: 2009/10/07

    『哄う合戦屋』北沢秋
    [14/201]
    Amazon ★★★★☆
    K-amazon ★★★★☆

    久しぶりの「歴史」もの。武田信玄が頭角を現す時期の、小豪族の日常。そこに現れた軍師。類稀なる軍才を持つ石堂一徹の登場により、遠藤家は勢力を一気に拡大する。それまで夢にも描いたことのないようなスピード、戦略によって、領土を広げていく。拡大途上では全面的にその軍師に信頼を置いていた「殿」も、そもそもが「大大名」になることを想定していなかっただけに、その興味を失い、次第には一徹と相いれなくなり...
    ストーリーは至ってシンプル。はぐれ者の主人公、田舎の豪族、想定される敵、主人公に憧れる美しい娘...わかっちゃいるけど、っていう展開だけれども、ストーリーは素直に「面白い」と思えるものです。普段歴史ものに触れない人でもすんなり受け入れられると思われるほどに。
    とにかく主人公のキャラが際立っています。目の前の戦、領土、論功行賞などに目を向けず、あくまでも「天下」を見据えています。一人きりの身でありながら、その才能に自覚を持ちながら、それに奢ることなく、より「大きな目標」に向けて、すべての行動がなされている。対して、「殿」は短期的な視点であり、また内側に目を向ける(外交よりも内政)傾向があります。これはこれで「正解」と思われますが、最終的なあるべき姿、カタチがイメージできていませんね。当時の領主であれば、それで十分であったであろうし、中長期的なプランなど立てることができないほど「乱世」であったのであろうと思います。
    新参者が組織の中でのし上がり、トップの関心を惹き、それまでのナンバー2が面白くない気持ちになる。その新参者があまりにも急激な変革をもたらそうとしたために、保守的なその組織は徐徐に彼を排除するような流れになる...戦国の世も、現代も、何も変わっちゃいませんね。どこでもおんなじようなことが起こっているようです。「上」の目を気にすること、つまり論考のための戦い方をする者、改革をつぶそうとするもの。もちろん小説である故、意識的なところはあるにせよ、その姿は現代の「旧態依然とした」組織となんら変わりません。
    当時は「間者」と言われたような、いわゆるスパイですが、情報戦の大切さも分かっている者は少なかったようです。が、本書や或いは「真田太平記」などでは、情報の重要性が取りざたされています。手段がなかった当時でも、少なからずこれは真実でしょう。相手の動きをいち早くキャッチすつことのできた者が優位に立つ。これも変わらないことかもしれません。
    戦国の話ですから当然ですが、人がどう考え、どう動いているか、という、人間に関する描写が魅力的で引き込まれました。少々のイロコイも物語に色を添えています。時代モノもたまにはいいなあ、と思いますが、史実モノよりも人物モノの方が、やっぱり魅力的、ですね。

    【ことば】全員が持ち場持ち場でそれぞれの役割を完璧に果たしたからこそ、あの勝利があったのだ。皆の働きに優劣などない。

    敵方の奇襲をいち早く察知し、逆にこちらからの奇襲で蹴散らした戦略。当時は相手方大将の首級をとったものが、そのもののみが論考の対象であったのだろうが、軍略家たる一徹の上の言葉は情報を仕入れた者から、城を守った市民までも対象に考えているものだ。なんとなく「元会社員作家」っぽい感じだけれど、こういうのって理解されなかったんだろうね、現実には。今だって完璧に理解されているわけではないかも。サッカー日本代表とか、くらいかな、数字に表れない評価が明確にされるっていうモデルは。

    哄う合戦屋


      >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<

    outrageous 傍若無人な読書日記
    nori いろいろ感想ブログ

    早トチリ感想文BOOKS 

    タイトル通りの経営哲学。愚直なイメージ


    『おいしいから売れるのではない 売れているのがおいしい料理だ』正垣泰彦
    [13/200]bk1
    Amazon ★★★★☆
    K-amazon ★★★☆☆

    最近目立つなあ、と思っていた「サイゼリア」。駅前、駅ビルを中心に見かける機会が多い。千葉の市川が第一号店らしいけど、そのせいか、千葉のお店が多いような(109件。東京の180についで多い)。急激に目立つようになったけれど、社長とか創業者とか、そういった話に触れる機会はなく、いつか読んでみたいと思っていた本です。
    タイトルが示す通りで、非常にシンプルな経営指標として、「お客様の数」をあげています。価格、味、すべての提示される「サービス」が、お客様の要望と、用途と、満足度の基準に達することによって、再び足を運ぶ、あるいは初めて立ち寄ってみる。「来店するお客様の人数」が統一した、明確な基準であることは、非常に分かりやすいですね。経営層は各店長や、エリアマネージャーに対しては「売り上げ」の目標設定をしないそうです。徹底しています。
    もともと、創業当初はかなり苦戦をされていたようで、「イタリアの味を多くの人に提供したい」という「ミッション」に忠実に行動する、すなわち多くの人に受け入れていただけるであろう価格設定をすることで(つまりは値下げ)集客が軌道に乗った。受け入れられる価格でも、利益がでるような体制を作るために行動を決める、素材の仕入れ、人員、業務管理等々。言われてみれば正しい「順序」だけれども、往々にして「逆」の場合が少なくないと思われる。「これくらい粗利益がでるからこれくらいで売る」という順序になりがちな...もちろん「受け入れられる(低)価格」で販売する、というのも、そもそものミッションである「イタリアの味を多くの人に」という前提が徹底されていることがある。その場その場で短期的に「値下げ」しているわけではない。実際、著者は短期的な(戦略的な)値下げ(キャンペーン)を否定している。一時的なものは求めていないわけだ。
    店長の目標設定は、売り上げ額ではなく、「コスト管理」という側面が強いようだ。そのミッションに基づいた提供価格に対応するコストを管理すること。売り上げ額が目標でない、というのはある意味、うらやましい側面もあるけれども、「コスト管理」がメインであることもなんとなく辛そうな...
    非常に明確な、そして実行力を持った経営哲学を持ったリーダーであると思われるけれど、なんとなく読んでいて感じた違和感は、「人間」を感じる場面が少なかったから、なのかもしれない。「どこの店でも同じ味であること」を達成するためにスタッフたちは努力されていると思うのだが、その努力の描写が少ない(経営者からは「見えない」のかも)ので、悪く言えば「機械」の一部のように思えてしまうのだ。もちろんそうではないと思うが、経営者である著者までが「機械」と考えているんじゃないのか?ってそんなうがった感覚も...同一の味、同一のサービス、これをクリアするのは大変なことだ。その徹底が多店舗展開の軸であろう。ただなあ、実際利用者として見るとサイゼリアのサービスが満点か?といったら...不満が代わりに満足も高くない。リピートするとしたら「価格」が第一ってところか

    【ことば】「種をまいて実るのは50歳を過ぎてから。今やっていることを続ければ、必ず花が咲く。」

    43歳のときに著者が、尊敬する師から励まされた言葉。「続けること」の大切さを自覚し、そして実際に「続ける」ことを成し遂げた先に何かをつかんだ、そんな人の言葉は重い。信じて続けること、本気で続けること、その先に咲く花を見つけに行くために。「種」をまいて育てること。心をこめて。自分の信念に基づいて。

    おいしいから売れるのではない 売れているのがおいしい料理だ

       >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<


    起業家”たけ”の航海日誌
    これ、気にいってます

    2011/11/16

    絶品!最高に面白いっ

    ハッピー・リタイアメント
    ハッピー・リタイアメント
    • 発売日: 2009/11

    『ハッピー・リタイアメント』浅田次郎④
    [12/199]Library
    Amazon ★★★☆☆
    K-amazon ★★★★★

    浅田さんの長編、待ってました!という感じで最初から期待大。「入り」部分は、ご本人登場のエッセイ風から。ここでまずツカまれてしまいます。そこから続く世界に想像が膨らみます。
    テーマは「天下り」。官僚と自衛官が「下った」先の組織は...そこに巣食う「悪」との戦いになるのですが、その主人公たちのパーソナリティ、キャラクターの魅力的なことといったら...そして「悪い奴」は、とことん悪い奴で、読み進める中で、勝手に「声」まで想像してしまうような、個性豊かな(わかりやすい)人たちが登場します。小説なんだけど、本なんだけど「音」を感じてしまうくらい、入り込んでしまった。
    そして、その二人の「仕事」として、いろいろな「成功者」が出てきますが、彼らもまた魅力満載。過去にキズを持つ彼らが、主人公たちと接していく中で、過去を乗り越えていく術を見つけていくような...笑いあり、驚きあり、その中に、人情もあり、なのです。さらには「家族」というテーマも見つけられます。もう何でもあり。詰まってますね。
    著者の独特のコミカルな文調で、ページはどんどん進みます。当初は「GOETHE」に1年間連載されたもの、ということだけれど、もしもこの雑誌を読んでいたら、「次」が気になってしょうがなかっただろうと思います。間違いなくそうなってましたね。
    もちろんよろしくないことで、悪しき慣行たる「天下り」に対して、チクリと刺すようなものが根底にあるんだろうけれど、そんなことなんてどうでもいいほど、面白い。小説がエンターテイメントである、ということが実感できる本です。
    元官僚、元自衛官の行先は、とんでもない組織だったんだけど、そこから何かを見つけて、彼らは「成功者」への道を確実なものにしてきます。もちろん、最後は...がありますけれど。本当にこんな「何も仕事がない」団体が天下り先として存在しているのだろうか?って気になるけれど、現実とそんなにかけ離れているわけではないんじゃないかなって思っちゃたりします。官僚、役人の世界はやはり遠い。「民間」にいると、そこまで「保身」100%になれるものだろうか、って思うけれどね。
    そんな現実の世界と架空の世界、その中間に位置する物語。何かを得ようとか、得られなかったとか気にする必要はありません。楽しんじゃえばいいんです。ドキドキ、ハラハラ、とも違う、「ワクワク」感が味わえます。

    【ことば】「...世の中はそれほど不公平やないで。...一生懸命に生きとる人間を、お天道様は見捨てへん」

    ふるくさーい言葉ですけれど、おじいちゃんしか口にしないような言葉ですけれど、こういうのが一番「力」になるような気がします。理屈じゃなく、悔いないように生きれば...いいことも悪いこともある。悪いことに過度に反応せず、いいことを、きちんと「いいこと」と認識しよう。

    ハッピー・リタイアメント

      >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<

    最近のヒット!
    蛙と蝸牛
    早トチリ感想文BOOKS

    2011/11/15

    「数学」は「壁」がある...けど面白い

    通勤数学1日1題
    通勤数学1日1題
    • 発売日: 2011/08/25

    『通勤数学 1日1題』岡部恒治
    [11/198]RakutenBooks
    Amazon ★★★★★
    K-amazon ★★★☆☆

    数学の面白さ、数学の「考え方」の面白さを教えてくれる本。事前にパラパラとめくった範囲では、「三角錐」だの「歯車の回転」だの、あー苦手...と思わせるものだったけれど、(著者が何度も言うように)アタマの中で分解して考えることで、ハッと気づくものがある。そして気づいたときの爽快感。多分、数学の好きな人は、この「見つけた」瞬間がたまらないのだろうと思う。
    算数から数学に至って、正直苦手な科目のひとつだった。国語や社会のように、「覚える」ことができればなんとかなる、というのは比較的できたと思うのだが、「暗記」で対応できない数学は苦しかった...そして人生で唯一のアカテンは、今でも鮮明に覚えているが、展開図、図形の問題だった。「このうちのどれが立方体になりますか」っていうアレです。アタマの中で折って重ねて、っていうイメージを作るのが苦手なんですよね...未だにこの部分は克服できずにいますけれど。
    本書にでてくる問題も、どこかで「公式」を頭に入れようとしている自分がいて、それに気づくたびに軌道修正。プラレールの線路の面積とか、歯の数が異なる歯車AとBがあって、Aを回したときにBは何回転するか、とか。「こんなもん、実社会で役に立つもんか」っていう拒否反応を極力抑えて、その内容を楽しむことにしたけれど、丸いもの(あるいは立体)を、直線にしたらこうなる、っていう考え方で「解ける」ことは自分にとっては発見でした。三角形の面積、台形の面積、これらも「公式」を覚えているだけでしたが、その意味を知ることは非常に重要なことだと再認識。アタマを柔らかくすること、視点を変えること、目の前にある複雑なことを、自分の知っている世界に分解すること。これらって、実は実社会で役立ちます。要は「考え方」の点が大切ってことですね。
    歯車の応用問題、終盤になると正直ついていけなかったけれど、「数学的な」考え方、というのを学んだ気がします。こういうのを「分からない人に教えてくれる」のはとてもありがたい。また図形特に立体の分解の仕方を、本という紙面で説明するのはかなり困難だと思われますが、そこは「分かりやすく伝える」という著者の思いも相まって、真剣に取り組めば、必ず「わかる」説明になっています。特に数学が苦手、図形が...という人にとっては読んでみる価値は十分あります。
    著者は、有明にあるリスーピア(パナソニックの科学館)を監修しているそうで。もう何度も足を運んでいます。子どもが楽しめるスポットだけど、科学が苦手な大人でもめちゃ楽しいスポット。「へぇ~」「すごいな」が自然と口から出てくる施設です。楽しさを伝えてくれる、こういう科学者に感謝いたします。

    【ことば】...数学は本質的なことがわかれば、複雑な計算を省略できますし、ほとんどのことを覚えなくてもすむ...

    う~ん、ことは数学に限らず、ですね。本質を見失った、「手段と目的の混同」ほど(時間)コストの浪費はありません。最近では中学入試でも、本書のような「パズル」的な問題がでるようです。そう、「暗記」では到底太刀打ちできないようなものが。そして社会でも同じ。「基礎」があれば、その先の「応用」をしなければなりません。その時にこの言葉を思い出します。「本質」を見ること。

    通勤数学1日1題

     >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<


    徹也
    m.o.b(モブ)

    Twitter