2011/11/27

「究極の」人生論、かもしれない


『生きがいの創造』飯田史彦
[17/204]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

経営学の大学教授が、真正面から「死後の世界」「生まれ変わり」に立ち向かいます。死んだあとの「精神」はどうなるのか。欧米の研究事例を中心に、「(肉体が)死を迎えた後の精神世界、そしてその「精神」が再度「物質界」に戻ってくる様を、「科学的に」取り組みます。一見「非科学」的な領域に見える世界観、宗教的か超常世界というか...ここに「科学的な」アプローチを試みるのが本書の内容。
結果として、何か明確なものを提示されるわけではありません。著者自身が繰り返すように、宗教的なものに依存しない(著者自身はどこの宗教にも属さない)し、事例として紹介される「死後の世界」の存在を信じるも信じないも読者次第、強要するおのではない、としています。
個人的には、死後、肉体を離れた精神が存在する、っていうことについて否定はしません。「生まれ変わり」というところまでいくと、ちょっと抵抗はありますが...そんな世界があるかもしれない、もしくはあってもいい、と思っています。自分も無宗教ですが、「神様」の存在を肯定も否定もしていません。
ある意味、信じることによって自分が楽になれるかどうか、っていう非常に都合のよい解釈をしているにすぎないのかもしれません。困難な時には神に祈り、運が向いてくれば神の存在を信じ、運が尽きれば神の存在を否定し、そんな「常」なんですね。考えてみれば、初詣に行き、厄年を憂い、墓参りをして、お盆に休み、そしてクリスマスを祝う。脈略もなんにもないですが、その場面場面が自分の精神にとって「楽」になれるかどうか、信じた方が楽になれるならば信じた方がよい、それだけの理由かもしれない。本書にある「死後の世界」観も、そのひとつなんだと思う。死後の世界が存在する、つまり肉体的に終末が来ても精神は存在を続け、異なる肉体を「選択」する、ということを信じる限り、「楽」なのであればそうすればいいだけのこと。大学教授が科学的アプローチをしているから信じる、のではなくて、自分に合っているのか合っていないのか、その判断だけでよいのかもしれない。
だって、自分で確かめる術はないのだし、いかに強い人間とても、何かに「すがる」時は訪れるはずだし。本書に書かれていることは、大変困難な話だし、ウソ臭い話だし、観念的な話だし、宗教的な話だけれども、いかにたくさんの事例を紹介されて科学的に「正しかろう」というストーリーであっても、判断の基準は「自分」でよいのだと思う。ただ、これらの「考え方」を知っておくことはマイナスではない。必要な時に「信じる」ということでもいいのだから。
事例や感想にあげられているような「賞賛」の気持ちは、今の自分にはまだ湧きあがってきません。でもそんな日がくるのかもしれないね。まだ残り人生は短くはないし、変化も多いはずだから。

【ことば】私たちに課せられているのは、肉体を持って生きていることに感謝し、周囲に迷惑をかけない範囲で、毎日の生活を大いに楽しみながら、創造的に生きていくことです。

意識体の世界(肉体の死後の世界)から、別の肉体に「戻る」時には、それぞれが「過去世(前世を含む過去に生きた存在)」で達し得なかったテーマ等を持って舞い戻ってくる。以前の生ではできなかった壁を乗り越える。「創造」という言葉の意味は深いです。でも、もっとシンプルに「創造=何かを作り出す」ことが人生の目的、というのは、とても前向きで、「あるべき姿」だと。この感覚だけ、で十分かな。

生きがいの創造―“生まれ変わりの科学”が人生を変える (PHP文庫)

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