- 永遠の出口 (集英社文庫(日本))
- 発売日: 2006/02/17
『永遠の出口』森絵都
[8/195]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆
「児童文学」を書く人らしい。その著者が「大人向け」に初めて書いた本。小学校から中学、高校へと多感な時期を、「大人になった今」という時点から振り返るように、しかしながら微細な心理状況も含めてリアルに綴った物語。
おそらく10代における時間は、人が最も能動的にも受動的にも刺激をうける時期であろうと思う。ここで重ねた経験(酸いも甘いも)が、その後の人間形成に大きな影響を与えるものであろう。と、今でこそ思うけれども、当然ながらその当時は「今」を考えることでせいいっぱい。それこそ「10代」であって、子どもの理屈でも大人の理屈でもない世界を歩いている時期なのだと思う。
本書では、その時代の大きな環境である、学校、友人、家庭、家族の中で、必死にもがいている女性を描く。学校という「社会」に接して、それまでの家庭という世界から広がる行動範囲。自分とは違う環境があることを知る、受け入れる。受け入れられないことに直面した時の心理。出会い、別れ。恋愛。もはや過去のことになって、意図的ではなくとも自分の中に封じ込められた「その時」が、淡くよみがえる。
今の自分の立場からすれば、自らの追憶を重ねるとともに、次の世代、この時期に差し掛かろうとしている子どもたちに思いをはせる。本書の中にも家族の記述が少なからずあるが、幼いころと、10代、そして大人になったときに、「家族」に対する見方は変わってくるのは当たり前。今は、そういう「変わろうとしている」子どもたちに対してどういう親であるべきか、ということまで考えながら読んだ。
もちろん自分の子どもであっても、自分の「所有物」ではなく、一人の人間であり、その存在、立場を尊重することは、自分の信条であることには変わりはない。信じて愛して見守って...それだけしかできないが、それが役目でもあると思っていたりする。
物語の中で、主人公はいくつもの出会い、別れを繰り返し、「大人」になっていく。経験により成長していく、というのは、大人になってから振り返って初めてわかることであるが、本書の構成自体が、「振り返り」という大枠の中で進んでおり、「今」という時制が二つ進行しいる手法が、大人である読み手に心地よい追憶感を与えてくれている。順風満帆なストーリーではなく、小さな「事件」が度々起こるのだが(小説だからね)、そのたびに傷つきながら乗り越えていく若者の姿が爽快に映る。同年代の著者、舞台となる地域も親近感があり、「次は次は」と気になってどんどん読み進められた。「初対面」が大人向けのものであったけれども、次は著者のオリジンである「児童文学」を読んでみたい。
【ことば】どんなにつらい別れでもいつかは乗り切れるとわかっている虚しさ。決して忘れないと約束した相手もいつかは忘れると知っている切なさ。多くの別離を経るごとに、人はその瞬間よりもむしろ遠い未来を見据えて別れを痛むようになる。
「また会おうね」という言葉に含まれる意味が、子どもの頃と今とでは違ってきていることに気がつく。もちろんその言葉に込められる思いは嘘ではないが、「多分...」という「経験則」もそこに含まれていることに。これが大人になるってことなのか。純粋さの喪失?でも、いつまでもその言葉、思いを信じていることも、すごく大事だと思う。
永遠の出口 (集英社文庫(日本))
本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね
空っぽの知識(読書日記)
ほんのにちようび
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