2010/08/30

「メッセージ」があります。


『若き友人たちへ』筑紫哲也
[24/146]BookStore
Amazon ★★★★
K-amazon ★★★★

2008年亡くなった筑紫さん。「若き」ではない自分の世代は、彼のついては「テレビ」が最も印象強く、「朝日ジャーナル」は「経歴」で知っているにすぎない。けれど、なんとなく「同じ学部の先輩」として、憧れていたところも多い(多分両親はもっと憧れていたのだろう。進路の相談の際に著者の名前が出てきたような記憶がある)。テレビでは、たとえば「ニュースステーション」と比べると、「大人」「大人しい」という印象があり、かの番組ほど、センセーショナルでもエンターテイメントでもない。「ジャーナリスト」時代を知らない世代としてはやや物足りない印象が残っているのも事実である。
著者の「最終原稿」(2話分で絶筆)と、社会人講座で持っていた講義録を元に構成した本。そんな、「できた」経緯はどうでもよくなってくるほど、「熱い」し、「正面」だし、筑紫さんの「ジャーナリスト魂」を今更ながらに知ることになる。「今」の日本が抱えている問題とか、小泉政権がもたらした課題、それを著者の考えを持って「斬る」形。当然ながら「それは一方的な見方では?」と感じる箇所もある。が、自分のつたない情報・知識の中で、たとえ「自分の考え」と合わなくても、「そう考えることもできる」という妙な納得感はある。普通、この手の論調だと「結局自分が押しつけの考えじゃん」となって、ネガティブな印象を与えがちだが、この本にはそれがない。著者の「プロ」の一面がそうさせているのか、「熱さ」なのか。
いろいろな環境はある。教育とか自然環境とか。でもそれはそれとして、情報過多の時代において、「考える」ことをしなくなっていることに著者は最後まで危惧しているような。それは自分も(自分の範囲内、という小さな社会ではあるけど)感じるところ。私たち世代は、社会が大きく変わっていく中で、「以前の」ものと「新しい」ものを両方知ることができた貴重な世代なのかもしれない。ここが「古いからダメ」ということではなしに、「本質」を追い続けることが最も重要なのではないか。そんなことを考えた。
この本からは直接なにかを得られた、というよりも、圧倒的に「考えさせられた」ということが多い。それは自分が本を読む上で、最も必要なことではないかと思う。ここに「テクニック」は存在しない。そう、それを身につけたい。

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2010/08/29

何かが通り過ぎた...


『鏡の法則』野口嘉則
[23/145]BookOff
Amazon ★★★★
K-amazon ★★★

帯には「25万部突破のベストセラー」、AMAZONのレビューは200件を超えている。その理由を見出すまもなく読み終わってしまった...一見関係がないようなことでも、「結果」には必ず「原因」がある。ということでよいのか。あるいは、「ヒトを許す」ことの大切さ、を説いているのか。いろいろと読み手によって考えるところがある、という本なのだろう。
自分の子供がいじめにあっているようだが、母親には話しをしてくれない。その結果の「原因」はどこに?母親自身がこどもを、こどもの父である夫を、自らの父を、許していない、そんな「理由」があるのではないか?「ヒトを許す」ことで自分が変わる。それによってこどもも変わる。まあ、確かに「うんうん」という場面もなくはない。主人公とその父親の会話では多少は「うるっ」もある。結果につながる原因という話も理解可能。けども何か「感動」とは頃なるような...
自分がひねくれていることをタナアゲしてみても、この短さ(本編60ページ)で、心に残るような感動、は得られないと思う。後半の「解説」で、「これは実話に基づいている」と言われてもねえ、そんなことは「枝葉」なので。いや、確かに自分の周辺への「感謝」とか、前述の「ヒトを許す」とか、そんなことを思い出させてくれることはある。だから「感動」を得るために読み始めると、よろしくないんじゃないかな。シンプルに先入観なしで臨まないと。自分は「先入観無し」で、BookOffにて105円で買って、★3つです。つまり数日後にはなにもかも忘れてします可能性が...

2010/08/27

「父」として、でなくとも読めますね


『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』G・キングスレイウォード
[22/144]bk1
Amazon ★★★★
K-amazon ★★★

もしかしたらかなり以前に読んだことがあるかもしれない...読んでいたとしたら、その時は「息子」の立場で読んでいただろうと思う。今、改めて読み始めるにあたり、今度は息子を持つ「父」として読むんだろうなあ...さにあらず。最初の方は確かにそんな気持ちだったけど、「息子」が(父親の会社に)就職して仕事に取り組んでいくなかで発生する「障壁」へのアドバイス、という「時間帯」に入ってくると、さすがにまだ幼い息子にイメージを重ねることはできず、自分もどちらかといえば「会社の上司」としての部下に対するアドバイス、というスタンスで読んでいる自分に気付いた(そして「上司」は、「父親」でもあるべし、というどこかの本で書いてあったことがなんとなくハラに落ちる)。
正直、その「手紙」の内容については、そもそも本にする、ということを念頭に置いていなかったこともあり、あまり直接的に響くものはなかった。けれどもそこはさすがに「息子あての手紙」であるだけに、その温かみ、愛情、それらが行間ににじみ出る。ここでは、「ビジネスマンの」という意味づけよりも、やっぱり「父子」という関係が深い。繰り返しになるけれども、親子でも職場関係でも「愛情」が大切、ということ。
レビューに書かれているような「涙する」ところまでは達せなかったけれど、「企業家」としての考え方、「幸せ」の捉え方、など、本質にせまる興味深い内容もなくはない。が、多少、「どっちつかず」という印象もあって、ビジネス関係のアドバイスなのか、親から子へ、なのか、「ど真ん中」というのも受け手による捉え方によって印象は変わるものだなあ、という思い。最高のビジネスの先輩、なのか、押しつけがましい親、なのか。
長く読まれている本は、やはりそれなりに面白い、重い。時間がたって自分の息子が「そういう」年代になったときにもう1回読んでみようかと(今は)思っている。多分捉え方がまた違ってくるだろう。

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2010/08/26

結局何を言いたかったのだろう...?


『貧乏くじ世代』香山リカ②
[21/143]BookOff
Amazon ★★★
K-amazon ★★★

ここ最近、(また)よく耳にするようになった「団塊の世代」。実はこの言葉の定義ってあまり知らないのだけれども、単純に「第一次ベビーブーム」と捉えている。この世代の子供たち、1970年代生まれの人たちは、直前に「バブル崩壊」を目にしており、その直前世代(私が実はそうですが)とのギャップから、「貧乏くじを引いた」という思いが鬱積しているんではないか...世代間の特徴を捉えた?内容。確かにバブル期に就職活動期を迎えた自分たちの代は、今からは考えられないほど「恵まれた」就職活動だった。それなりの学校をでていれば「説明会にいけば内定」というのも大げさではなく、「解禁日」には会社がこぞって「囲い込み」をしたものだ(他社に引き抜かれないように旅行などで囲うという行為)。自分も当日は東京ディズニーランドにシェラトンに泊って...という待遇を受けたことを記憶している。その後社会情勢が一変し、「70年代生まれ」が入ってくると(つまり私よりも3年以上の「後輩」たち)その環境の変化に大いに驚愕し、正直「早く生まれてよかった」と思わなくもなかった。けど、そう思っているのも一瞬で、現実的には、入社時の社会がどうであろうとも、勝負しているのは「今」であり「未来」であるので、「過去」を見てもしょうがないし、ましてやその時の環境や、就職した経緯を考えることはすぐになくなった。これは「いい目を見た」世代だから、なのか?「貧乏くじ」世代は、いつまでその時間を引きずっているんだろう?そもそももう一定の時間が経った今となっては、あまり「年代と就職時の環境」を考慮することもないだろうと思われる(これも勝手ないいぐさなのか?)。だって、大事なのは「今」だからさ。バブル崩壊時の「マイナスのギャップ」とはまた異なるんだろうけど、「今」だって大変な時代。目をむけるべきは「今」「未来」、それしかないよね。
世代間の「評価」ってわりとポピュラーなんじゃないかな、って思う。あと「理由」にしやすい。そりゃあ、10歳以上離れている部下に対して「話があわない」「考え方がわからない」って思うことはある。というかいつも思う。それを「世代間の違い」や「環境」を理由として考えると、確かにしっくりいくんだけど、でもそこから先に何もつながらないんだよね。「就職時の環境が違うから考え方が違う」だからどうしたらいいんだろう?求めるべきは後者の「だから~?」であり、理由なんかどうでもいい。知った上で対処できる「理由」なら見つけるべきかもしれないけれど、「世代間」って埋めようなない「事実」にすぎないし。
...という内容であって、正直面白いテーマではなかったんだけど、精神医の著者の「いい意味での」軽さは助けになって、軽快に読めるのは意外によい読後感。押し付ける口調(文調)でもなく、いい意味で「ゆるい」感じもあり...「読み物」としては「あり」ですね。

本来のテーマとは外れるけど、ひとつヒントを得た部分あり。
視線が下を向くとき、思考や内面も過去に向かっている。この法則を逆にして使う。つまり視線を真正面からやや上方に向ければ、人は自然に、近未来の自分や社会に思いを馳せやすくなる。
これってシンプルで、今できること。やって損がないこと。さすが精神科医だね。この人の本は結構面白いかもだ。

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2010/08/25

なんだ、これ?


『行動力・力』大橋禅太郎
[20/142]bk1
Amazon ★★★★★
K-amazon ★★

「読んで元気が出た」「楽しい!」レビューが並ぶ。実行する=アウトプットの重要性を「ロジカルに偏っている」と自覚している自分としても強く認識しているので、タイトルからの期待も大きい。が...
どうもこうゆう、「勢い」のある本は受け入れられない性格のようだ。以前に読んだ『部下は育てるな』という本を思い出させる、強気な、体育会系の、「元気のでる」文調。ただ以前読んだ本は、そうはいいながら著者はこう思ってるんだろうなあ、ってなんとなく(勝手な解釈かもしれないけど)「行間を読む」行為ができたんだけど、この本からは何も得られない。
多分、「仕事」そのものに対する迷いのある世代、特に若い世代に対しての書き方なんだろうと思う。思いたい。自分が「若い」世代ではない、と認めるようなものだが、本から得られる「元気」は、その文スタイルから、というよりは著者自身や、その本に取り上げられた主人公の生きざま、思い、熱さ、そんなものが伝わってくることにより得られることが多い。
冒頭から「マイ・クレド」の重要性を説き、自分のやりたいこと、楽しいと思うことを挙げてみる、など、自分の再認識をして、未来に希望を持つ、というような流れ、と捉えた。「楽しい」という言葉の解釈は人それぞれだが、自分としては、「自分が主人公で」楽しい、というのは、「仕事」ではないと考えている。著者が(本質的に)どう考えているか読み切れなかったけど、どうもこの点で異なるような気がする。
著者はとてつもない大企業のコンサルをされているようなので、その分野では第一人者であるのであろう。そのことをどうこういうつもりはない。単に「今の自分」に合わなかっただけ。
救いは、短時間で読み終わったことかな。

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2010/08/24

コラム的に楽しむ。


『勝者の思考法』二宮清純
[19/141]BookOff
Amazon ★★★
K-amazon ★★★

テレビでのコメントやコラムなどで見かける著者の本を初めて読む(こーゆーように「知っている人」の本を次々読んでいくのは、結構楽しい)。多少誤解を招くような辛口もあるけど、結構(プロ)スポーツに関しての本質をついていたりするので興味はあった(どこかで「評論家」を嫌うこともある。著者に関してはその域を超えてしまったけど)。
「勝負の世界」であるスポーツにおいて、実際のアスリートのみならず、コーチ、監督にまで言及して、「勝者」とはどうあるのか、なぜ勝者たりえるのか、という内容。書かれたのがもう9年ほど前なので話題としては若干古くなっている(たとえばイチローがまだメジャーデビュー前だったりする)が、さすがに「本質」を捉えるその内容はいささかも古臭くはなっていない。タイミング的には「シドニーオリンピック」ネタが多いけれども、マラソンの高橋選手と小出監督、メジャーに挑戦してその道を切り開いた野茂投手、(当時は)発足してまもないJリーグの理念など、多少「懐古主義的」にも楽しめる。タイトルの「思考法」という点では、正直「何かをこの本で読んで得た」というものは少ないけれども、「コラム」としては「厚み」を感じさせるものであり、おもしろく読める。
よく言われるが、イチローの個性を尊重した仰木監督の例を引き合いにして、「選手を育てる<選手に活躍の場を与える」を説いたり、個性派揃いのメジャーリーグをして、「クセのある選手の個性を消さずに全体をどうデザインしていくか」を説いたり。なかでも(もうそんなに前になるのかあ)阪神時代の新庄選手に「投手」を命じた野村監督を、「投手心理を垣間見せることにより新庄選手を変えた」功績を見出したり。必ずしも著者は「辛口」だけではなく、いいところはいい、と言い切る快さを併せ持つ(Jリーグの理念には傾倒されているようである)のは、読んでいて気持ちのよいものだ。
前述、この本から「思考法」を得ることはなかったけど、読み物としての価値は十分。興味のある野球、サッカーの話が中心だし。さらっと読めちゃいますし、読んだあとにテレビでコメントしている著者を見たら、見方が変わってくるかもしれない。そんなプラスも。

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2010/08/23

「科学的ではない」科学の本。


『科学との正しい付き合い方』内田麻理香
[18/140]bk1
Amazon ★★★★
K-amazon ★★★

科学の「中」にいる著者が、敢えて、その立ち位置に対して疑問を投げかけた本(と解釈)。テレビの「科学」番組にも出演している(見たことはない...)著者が、特に最近の「科学関係者のグループ化」に対して、「科学と社会との溝」に対しての疑問を投じる。自分自身、「科学」については(シンプルな)興味がアタマを持ちあげつつあるが、「専門家」グループの排他的、(いい意味ではないところの)「宗教化」というのは、なんとなく感じていることだけれども、あまりネガティブな感情は持っていない。著者が気にしているところ=科学の発展に対し、国単位で、その「技術」向上が叫ばれている中で、排他的行動がプラスに作用しないのではないか=というのは、「中」にいる人からの勇気ある提言として捉えられる。「気にしていない」のは、おそらく自分の中で、「科学者は自分とはそもそも異なる」という前提条件が既に植えつけられてしまっているから。もはや「科学者」になるようなことも考えにくいし、「マニア」にすらなれるとは思っていない。ただ、「社会に当たり前に存在する」科学に対するシンプルな興味だ。
なので、個人的には、科学に対する「アレルギー」を感じていることはない。一方で「科学者」に対するそれは、やっぱり感じていたりするけれども。「事業仕分け」の際に、科学振興への削減に対する抵抗として、「スパコン世界1位となるべし」主張を不変のものとし、「世界2位ではなぜいけないのか」という質問に対しては、理屈ではなく感情で抵抗した、という件。このあたりが「排他的」であり、「宗教的」である、と著者はいう。
まさしく。どうも「科学者」先生たち(「マニア層」含む)は、「一般の人たちは知識がない」というところでその先(それを「知らせる」)の考えを持たないようだ。逆説的にではあるが、そうだろうなあ、というのがこの本を読んで確信できたかも。ただ、彼らは彼らで、変わらないだろうね。そんな「社会との溝」がそもそも存在する、という前提で、著者の主張する「媒介者」の必要性が増すのかもしれない。
270ページという(意外な)長編のなか、その主張を一貫して貫いている。「科学技術」というよりは、「科学」そのものに対して、偏見を持たないでね、という主張のよう。少なくとも「科学的な思考法」は必要だよ、という主張=つまり「疑う」こと=はある意味、読んでプラスだった。「わからないことをペンディングにする」ことが科学的思考法のひとつ、というところは、わかっていいるけど「文系的発想」ではなかなかハラに落とせないところだけれども。
少なくとも、「科学」に対するイメージが損なわれることはない。著者の「科学」に対する思い、これがストレートに伝わってくる部分は気持ちよい。「中」にいての苦言、提言、これってすごいことだよね。著者自身のファンにはなれそうな。他の本も読んでみたい。

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2010/08/22

期待値が高すぎたかも


『座右のゲーテ』齋藤孝②
[17/139]BookOff
Amazon ★★★★
K-amazon ★★

あらゆる分野で、それぞれの域にまで達している「マルチ」を極めているゲーテを「人間として最高レベルの資質を持つ」と評し、実際に著者が「必要なとき」に引き出している彼の「明言集」。ゲーテ、というと自分としては「哲学者」のイメージが強く、なんとなく「遠い」気がして、これまで「近づく」行動を避けてきたようなところはある。尊敬するあるコンサルタント(彼は、私がよくここで表現するような「表面的な」コンサルではない)が実は以前から「ゲーテ」を読んでいるらしく、アタマノカタスミでは気になっていたのかもしれない。先日彼の話のなかで「ゲーテ」の言葉を引用したものがあり、翌日にはこの本を買っていた。(BookOffで見つけたのでなんらか「引き寄せ」的なものも感じていたのだけど)。
ゲーテに限らず、哲学の初心者として、この手の「ヒトを介した」明言集は悪くないかな、と思っていた。特に著者はベストセラー作家であることも安心、期待の材料だったり。ゲーテの言葉、そしてそれを著者がどのように捉え、実例を踏まえながら「消化」の仕方をアドバイスしていく...こんな流れが大筋なんだけど、どうも「余計なお世話」的なイメージがでてきてしまい、ゲーテの言葉がすんなり頭に残らない。この手の本からは、なんらかヒントになるような、あるいは心に響く言葉がいくつかでも浮かぶものだが、残念ながら目次を見直してみないと思い出せないレベルにとどまる。ゲーテの言葉の印象よりも著者の「解釈」がボリュームとしても大きいからだろうね。あと、これは著者のスタイルなんだろうけれども、文体が「クール」でちょっと「さめた」印象がある。だから「熱く」読めない。実はこれ(バランスではあると思うけど)著者の「熱さ」(その著作に対する)って結構伝わってくるもので、あまりクールだと、少なくともお金と時間を使って(上品でない言い方をすれば)「元を取る」気合で読んでいる方とギャップが生じてしまう。そんなケースでした。ゲーテについては、そのコンサルタントにいい本を紹介してもらおう。



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2010/08/20

う~ん、こんなことがホントに?


『社員をバーベキューに行かせよう!』蓬台浩明
[16/138]bk1
Amazon ★★★★★
K-amazon ★★★

ほんとにこんな会社があるんだろうか?しかも建設会社だぜ...っていう「疑」が消えなかった。いい意味でも悪い意味でも。「社員がひとつになっている」サマを読む進めるにつれ、「ほんまかいな?」というのと「うらやましい」というのとがないまぜになっていき...タイトルにあるのは、実際にこの会社「都田建設」が、社員35名で毎週1回行っている「バーベキュー」。社長の発案で、時間、予算を決めて、毎週ごとにリーダーを決めて実施している。その発想は面白い。多分これはそれを発案することよりも、実行すること、そして、継続することが大事なんだろうなあ、って思う。おそらく最初は「抵抗」や「従ってる」感があったのだと思う。ほんとにこれが今、奏功しているのだとすれば(失礼)、おそらくそれは「実行・継続」という、限りなく高いハードルを発案した社長自身が信念をもってやり遂げているから、なのだろう。
なにも「バーベキュー」にこだわらなくても、そういうことはあると思っていて、実際、「チームのために」と発案したアイデアが、結果として実行されなかったり、数回(受け入れられていない空気に抗えず)で終了したり、ということはある。よくある。ミーティングにしたってそう。これらを「継続」できないのは、貫く「信念」の不足、それから準備不足だろう。あまり目立った書き方はされていないが、この本の中でも、バーベキューを「実行」するまでに、思いついてから数ヶ月かかった、とある。その間の試行錯誤については書かれていないけれども(これは少し残念)、おそらくかなりの葛藤、迷い、思い切り、そんなものがあったんだろう。そんな意味では尊敬に値するアクションだと感じる。
そのほかにも「言葉の強さ」-この会社では「想いはひとつに!」というのを繰り返し「唱えて」いる-というのも印象的。所謂「ミッション」というものは、ある意味、言葉にして、それを刷り込む、というフローが必要だということは実感する。少なからず(会社単位ではなく、チームの)「標語」を、これまでにも何度か考えてきている。どうもしっくりくりものがないのが現実だが、ひとつキーワードが「ハマった」ので、今これを「準備期間」の中に置いているところで...以前読んだ本には『ひとりではなくてみんなで』考えることの重要性が書かれていたが、日々「目先」の取り組みをしている中で、どうもそれが切り出せず...
建設会社という「堅い」「高い」イメージの会社でありながら、その会社としての方向性=ある意味、「社会貢献」に近い=を全員で共有して進んでいる、という姿勢に感嘆。本を読む目的からすれば、これを自分の環境へ置きかえる、少なくとも何らかのヒントにしなければならないんだけど、これの前に読んだ「不戦人間」というキーワードがどうしても頭から離れないので、素直に受け入れられない自分がいる。タイミングなのかな...でも、少なくとも「マインド」は学んだし、こういう「理想的な」会社が実在することも感じた。「理想的なチーム」は(表面的であるかもしれないけど)自分のまわりにも見つけている。「こういうのいいな」と思うだけでも、最初の入り口には立ったかな。あとは実行、継続。いつもこれだけどね。

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2010/08/19

こわい...震えた


『社員を働かせてはいけない』蛭田敬子
[15/137]Library
Amazon ★★★★
K-amazon ★★★

よくある「若者論」で、「コミュニケーションをとりましょう!」的な結論に至る...という枠内のものと、油断して読み始めた。が冒頭に出てきた事例(?)の中の言葉が胸につきささる。

「不戦人間」

イヤなことがあると、戦おうとしないで違うところにいってしまう。『楽しい』を重視して生きる人たち。自分の周りにいる若者たち(全員、ではない)と接していて、どこかしら感じていた違和感が、この言葉を見たときに、「ピースがはまった」ような気がした。いる。増えている。知らぬうちに...
これはつまり、(それこそ前からよく言われているように)「価値観の相違」の変形なのだろう。著者も、この「不戦人間」に対しては、まず彼らの価値観を一旦受け入れること、を説いている。その相違というポイント自体を嘆いても先には進めないと。著者も触れているが、仕事に対する価値観は自分が社会人になり立てのころと比べると変わったなあ、という思いはある。転職市場の様変わり、社内の上下関係、もちろん時代の流れだし、これに「適応」するように変わってきているはずなんで、自分の価値観を押し付けることはよくない(これも意識しないと、押しつけになりがちだ)。今の若者は「お金」ではない、という。これも初出ではないけれど、上の「キーフレーズ」と絡めると恐ろしくなる。つまり「好き嫌いで判断して、『嫌い』には立ち向かわない」ということか...確かにその方が「楽」だよね。それでいつまでもいられるのなら、その個人にとっては問題ないのかもしれない。読む進めるとその「取扱い」が相当ハードルが高いことと気づかされる。もちろんそれに対して「いやだから」と逃げるのは、自分が「不戦」になってしまうので、それはないんだけど。ぶっちゃけ言うと、『私が好きかきらいか』『私のモチベーションがあがるかどうか』...すべてにおいての価値基準が「私」=自分にある、というこの価値観は、どうも相容れない。相容れない以上は、「使う」と割り切るしかないのか...
冒頭に、強烈な印象のフレーズが出てきたことで、さらに期待は高まったんだけど、中盤以降は(それがあまりに自分にとって大きな衝撃だったのかもしれないが)管理職なのか、不戦人間なのか、誰に向けてのメッセージ、アドバイスなのか、「異動願いを叶えてあげられるような社内体制を」とかいう、そもそも守るべきベースの規律にまで「新しい価値観」に合わせるべきというニュアンスの提言などが並び、ちょい尻つぼみ。
とりあえず自分として今できることは何か。どう「つき合って」いくのか。考えさせられるには十分の内容。考えたい。行動してみる。

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2010/08/18

ブーム?


『若い人におくる龍馬のことば』小松成美
[14/136]Library
Amazon
K-amazon ★★★

たまにテレビで見かける著者の本を初めて読む。対象がスポーツ選手が中心だと思っていたのにちょっと意外なほど「龍馬ファン」だそうで...これ以上ない、ってほどドラマチックな生き方をした坂本龍馬の言葉を著者なりに現代語訳した「名言集」である。著者と同じく、以前彼に興味を持った自分は司馬遼太郎『龍馬が行く』を読んだ。感動した。だけれども、世間でよくいう「龍馬ファン」には至らず、「かっこいい人だなあ」レベルでとどまる。なぜかはわからないけど、それ以上の興味を引くことはなかった。ちなみに「歴史上の人物」では、(これも司馬本によるものだが)真田幸村が好きである。こちらは「ぞっこん」だ。
龍馬の「名言」を引用しつつ、彼のひととなり、生きざまをかいつまんで解説。著者は龍馬の生まれた土地、家にも赴き、龍馬を感じているだけあって、それなりのリアリティ、思い入れを感じる。が、その(生きざまとか)の部分は、当然ながら司馬本にはかなわない。むしろ、多分著者が得意としている、イチローや中田英寿と龍馬を被らせる記述が何回かあるんだけど、そちらの方が本領発揮で、文章としては面白い。そちら方の著作を読んでみたいという気にはさせられたかな...
「名言」はいまひとつピンとこなかった、というのが本音。自分が「若い人」ではないので、「おくられて」ないのかもしれないけど(苦笑)。彼の発言を抜き出して現代語訳しても、その背景や時代、空気が分断されているので、その重みを感じるのは、ちょっと上級テクニックのような気がする(もちろん自分には、無いもの)。若干今年出版された、ってところに(著者なのか出版社なのかわからないけど)「大河ドラマ」便乗のような、穿った見方をしてしまう自分もいて...今多分売れていると思うけど「龍馬が行く」を再読してみようかとも思う。

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2010/08/17

「マーケティング」がわかる!


『売れないのは誰のせい?』山本直人
[13/135]Library
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K-amazon ★★★★

タイトルを見た瞬間は「はずれ」もある...と覚悟をしていましたが...「あたり!」です。今の仕事をしていて「マーケティング初心者」と言ってはいけないんだけど、中途半端に「マーケティングやってます」という立場から、ここらへんで改めてその本質から学びなおすには、とても適切な本です。ともするとこの手の本は、「学問としての」マーケティング、それから「自らが行ってきた」マーケティングのどちからに偏りがちなところがある。前者はそもそもつまらないし、後者はハマるかどうかが肝になる。この本は、その双方のバランスが絶妙にとれている感じ。マーケティング学っていうものから、現場の成功例、失敗例、そしてなぜそれがそのような結果になったのかの推察。「学」見地からの推察と、「マーケッター」としての著者の経験からの考察。一見抑揚のない文調に飽きるかと思ったが、最後まで読めた。すんなり。
テレビ媒体をはじめとするマス中心のAIDMAから、インターネットの台頭によるAISASへの変換期。この時代に生きている、活動している自分たちにとってはまさに「実感」しているところだが、それぞれに「適合する」商品、サービスがあるのではないか、という著者の仮説。それの裏付けとなる実例。じゃあ、今自分が扱っている商品、サービスはどのように進めたらよいのか。というのは自分で考えることで本から直接的に見出すことではない。ただ、なんとなく、感覚的にではあるけれども「つかみかけてる」気はするんだよなあ。気のせいでないことを祈りつつ。
まさに自分が今、携わっているインターネットの部分についてはあまり深堀りなく。でもいいです。表面的な「こうしたらいい」というよりは、よっぽどヒントを得た気もしますので。やっぱりつかむべきところは(世の中の動きを含めた)全体の潮目、それから「マーケティング」の本質だろうと思う。著者がいう「マーケティング感覚、それは、『他者を知る』ということ」というのはそこを突いている。ブランドの強さ、も書かれているが、「ブランドがあれば他はいらない」という姿勢ではなく、「徹底したサービス」あってのブランドであることが書かれているのは、まさにその通り!という思い。「人間の種類が増えた」今の環境に対して、「マス」に受けるような体質ではなく、「ニッチ」かもしれないけど確実にそこに届くメッセージを送りたい。

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2010/08/16

熱い。ここまで熱い。


『宇津木魂』宇津木妙子
[12/134]BookOff
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2000年シドニー「銀」、2004年アテネ「銅」に導いた、ソフトボール日本代表監督の著作。失礼ながら見た目にも「熱い」方だと思っていたが、この本も相当に「熱い」。金メダルにかける情熱、ソフトボールにかける思い、あふれんばかり(あふれているね)の熱が伝わってくる。その後著者が一線を退いた北京で、上野投手擁する日本代表は念願の金メダルを獲得する。もちろんそれは永く監督を務めてきた著者の功績に負うところは少なくない。
実業団チームにおいて、部員の恋愛まで禁止するような「スパルタ」は、今の時代は合わないだろう。「現代の」若者たちに、監督の「思い」をどのように伝えていったのか。そこが知りたい。おそらく、だけど「ついていけない」選手たちも多かったのだろう。厳しい指導の中にも「思い」をお互いにわかりあえた選手だけが残り、その選手たちが偉業を成し遂げたのだと思う。
「熱さ」は伝わるのか。伝えるためには犠牲もあるんだろう。若干ネガティブかもしれないけれども、この本を読む進めていく中で思ったのはそこだったりする。著者は監督として、なぜ「金メダル」にこだわったのか、そしてそれを「伝える」のは情熱だけだったのか...わき目もふらず目標に対して邁進する監督の思いが、(おそらくは多少の)蛇行があったにせよ浸透していった結果がでたのだろうか。「若いもの」に伝えることに若干の限界を感じている自分にとっては興味津津、結局は自分の「熱さ」の不足だろうか...それも一部「ある」んだろう。
北京の金メダルに大きく貢献した上野投手への思い、そのあたりも書かれており、著者自身のことはわずかに触れられている程度。そんな内容からもチームに対する愛情を感じる。女性という立場故の御苦労も少なからずあったと思う。著者はあまり詳しくは触れていないけれども、外からの揶揄、内のやりにくさ、あったんだろう。なにしろ「ぶれてない」のが一番なのかもしれないね。少しだけ、「形式上」とはいえ「監督」ではなくなっている中で、現場を離れられない、「監督」を捨てきれない著者を感じるけど、そこは「熱さ」故、と理解。現在の監督は多少やりにくいだろうけど。
ここまで熱くなれるだろうか。ここまで熱くならなければいけないね。

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2010/08/15

いいのかわるいのか...


『「情報創造」の技術』三浦展
[11/133]bk1
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過去の出来事を振り返る「学者的」な見方ではなく、著者は現在から「未来」を見通す...そのための「情報創造」これを行うためのヒントを...という内容。情報とどうつきあっていくか、それをど取り扱うのか。ここだけ書きだすと、2冊前に読んだ『知的生産の技術』と変わらないのかもしれない。表向きは違う。例えば「読書」については相反する見解を書いているし、そもそも時代背景が異なるんで、まあどちらがいい、どちらが悪いの話ではないんだけど、なんとなくこの本の書き方、文体がところどころ、気になる箇所があり、「あーいい本だったなあ」という印象が薄れてしまった。
書かれているように、一定レベル(それも高い次元)の知識を元に、あふれんばかりの「情報」から取捨選択し、それを元にアウトプットを考えていく。情報を整理するのは、後にそれをベースに情報創造するための布石であり、そこまで考えた一連の流れの中で「整理」する。整理=目的ではない。所謂「マーケティング」については、事実を反対側から見る、つまり疑ってみる、ことも必要。アウトプットで「ストーリー」力を磨く。等々、、、断片的には非常に興味のある節が少なくない。でも、全般を通してみるとやっぱり「流れ」が詰まっているので読みにくいんだよねー。奇しくも著者自身が言っているように、「読書」は必要な箇所だけを読む、という説故か。「すべて読むべし」の梅棹先生の本は、流れがよかったものなあ。
「ライフスタイル」の見方、など非常に参考になる箇所あり、さすがマーケッターだと思う一方、以前のご自身の著書を何度も引き合いに出すなどの「商い」部分も見える。著者が言う「本を読むのはそこから自分で何か考え出さなくては」という意味では、正直あまり見出すものが少なかったかもね。


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2010/08/13

さらっと....(もっと「毒」を期待)


『ニッポンを繁盛させる方法』島田紳助②東国原英夫
[10/132]BookOff
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K-amazon ★★★

「お笑い」出身のお二人の対談による構成。「宮崎県から日本を変えていこう」という紳助さんの投げかけに、知事が「現実的な」対応をする、というい流れが続く。既にこのお二人の名前を見ても「お笑い」という概念は湧いてこないくらいに「普通」になった感がある。この本を「タレント本」として興味を持ったわけでもない。特に知事は、既に知事として素晴らしいパフォーマンスをされているので、どちらかといえば「政治家」として見ている自分に気づく。
紳助さんの(一見)現実性を度外視した提案(お祭りを作る、とかマンゴーの植樹を権利として売るとか)に対して、現実的な「道州制」や「県民をサポートする」で応じる、というスタンスなのだが、「既にお笑いではない」とはいえ、もっともっと非現実的な企画を投げるとか、実際の「手続き」の話は置いておいてその非現実企画の話を膨らませるとか...なんとなくこの本にはそういう「超越」したものを期待していたので、若干「大人」の対談、という印象がある。この二人なら、そして「宮崎県から日本を変えていく」なら、何かを「超えた」発想が(せめてこの本の中の話なのだから)あってもいいのかなあ、って無責任に思う。
ただ、話の中からも見えてきたけれども、東国原知事はやっぱりすごい。これまでの(というか他県はいまでもそうだけど)行政手法とは一線を画しているし、斬新だし、実行力がある。これに(紳助さんのいう)「ひっぱっていく知事自身が進化しないと、県民に飽きられる」という指摘は、確かなことだと思うので、新しい魅力的な行動を実行していってほしい。他県であるけれどもやっぱり気になるし、「なんで千葉県はできないの?」という気持ちにもなる。そうなると自分を含めた県民の意識も少しずつ変わる可能性も...なんて若干ヒトゴトみたいに思う。
おそらく紳助氏に対しては、いろいろと「政治参加」の話が来ているんではないかと思う。なんとなく、だけど彼には「不参加」でいてほしい。お笑いだけでなく、タレント、著名人から政治家になった人って、大抵(というか東国原知事以外はすべて、かも)飲み込まれて、存在感が消えて、そのまま見えなくなってしなう...「元タレント」のわが県の知事に頑張ってもらわねばっ。

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2010/08/12

「バイブル」です。


『知的生産の技術』梅棹忠夫
[9/131]bk1
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K-amazon ★★★★★

初版の年を見て驚愕する。1969年、自分が2歳のときじゃん!活字も古い(図書館で借りた夏目漱石全集のように小さい。なぜ活字が「現代版」にならないのか不思議だけど...)し、最後まで読めるか不安だったが...完全に引き込まれました。何を差し置いても読みすすめたい感情に、(久しぶりに)駆られた。40年前の本を読むのは、このブログを始めてから一番「古い」かもしれない。(小説はあったかもしれない)

学校では知識を教えるが、知識の取得技術は教えない。最終的な目的(のはずである)情報を自分の中で知識に変えていく「技術」について問題提起してみる、という本である。メモ、読書、手紙、原稿、文書、日記...これらをこの「知識化」するフローに乗せるための技術、これのための「ツール」を、著者が試行錯誤してつくりあげた「装置」(現代でいう「ツール」をこう呼んでいるのは、素晴らしくないですか!)を提案いただいている。
まったく古くない。当然ながら40年後の「今」とは比べ物にならないほど「与えられたツール」が無い中で、自ら作り上げた「装置」の素晴らしさを感じる。それは「カード式」だったり、手帳だったり、記録を残すノートだったりするんだけど、「本質」を考えれば、今の時代、それがPCや各種ソフトに変わっただけである。ただしこれらは、自分という個人から見たら「必要に応じて作った」というよりは「必要なところに役立つ」レベルで「与えられた」ものであり、その思い入れが少ない分、「ツールありき」という感覚に陥りやすい。あくまでツールはツールであるので、これを使って「知識化」できるかどうか、そのためのツールであるべき。そんな当たり前のことを教えてもらえた。気づかせてもらえた。当たり前のことをわかっていなかった自分を見つけた。そんな貴重な一冊。
著者は、英文のタイプライターによるローマ字打ちから、和文(カナ、かな)タイプライターへの移行についての重要性を度々語っているが、今となっては、タイプライター自体が存在が消えつつあり、日本語ワープロが「当たり前」に存在する。著者にとって必要性を感じていた「和文」タイプライター。これの実現、普及をどのような感覚を持って受け入れられたのだろう?常に携帯するメモ帳はEVERNOTEに、アウトプットの場である日記はブログに、それぞれ代わりつつある。完全に想像だけれども、著者はそのようなツールも使いこなせるであろう。「本質」が変わらないのだから、それを使って到達すべき目標は変わらないのだから、ツールは便利になれば、目標が近づくだけの話だ。
最初から最後まで、「本質」を捉える考え方に感化され続けた。まったくもって「初版2010年」といっても通用する、途中に「Twitter」という言葉が出てきたって違和感がないような、そんな「変わらない本質」を続けている。この本に出会えたことに感謝。
もう1点。著者が「読書は最初から最後まで読むべき。全体の構成を感じることが大切」と言っていることに感動。1冊前に読んだ本の中で「大事なところを拾い読み」という箇所に違和感を持っていたので、まさしく「タイミング」だった。
この本を買って、読み始めるまでの間に、著者が亡くなったことを新聞で知った。これも何か「縁」だと思いたい。ご冥福をお祈りします。

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2010/08/11

で、なにか...?という感じが。


『”最終最強”知的生産術』和田秀樹③
[8/130]BookOff
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K-amazon ★★


精神科医の和田先生の本、3冊目。これまで読んだものに比べると、「ん?」という感がぬぐえず...タイトルは買った時から時間がたっているせいもあり、すっかり忘れていて、「今」思い出したくらい。内容も、「この本で見つけた!」的なものは見いだせず...といって悪い印象はないんですけどね。
雑誌等の連載記事をまとめて、一部加筆されてできた本だということなんだけど、こういう経緯でできた本にありがちな、同じ主張が何度もでてくる、という現象あり。なんとなく違和感です。著者の本は私くらいの年代には結構身近に感じられるものがあり、「老年精神医学の臨床医」ということもあり、40代の生き方、という点については度々勇気づけられる、参考にできることも少なくない。多少、「先生」の部分が全面に出てきて、「うつ」について結構な枚数が割かれていたり、「うつ」には薬による療法も必要だ、という若干主旨から離れた主張もあり。それはそれ、この年代としては、知識活動、精神活動に対して、「若いころと違う」という意識が少なからずあり、それでも「脳は、必ずしも加齢とともに退化し続けるわけではない」というところに励まされ、一方「40代からは「うつ」の発生が高まる」というところに脅かされ...著者は写真で見る限り1960年生まれとは思えず、精力的に執筆され、また多方面での活動をされている様子に、シンプルに「すごいな」と思う。ご自身の「生き方」なんてものの方が刺激をうけるかもしれない。
一点、「言われてみれば確かにそう」と思えたのは、「能あるタカは爪をかくす」的な行動領域では、今の時代は成功が遅くなる、というくだり。確かに「爪を隠す」方がかっこいい、という空気は、自分が社会に出た頃には残っていたけれども、今はほぼ消滅しているかもしれない。ある程度「できる」ということを主張するべき時代に入ってきているのは事実。また、情報を租借するための知識は、アウトプットによる「練習」が大切、というところも(よく言われることではあるけれども)、うんうん、そうだよね、と納得。
「最終最強」のための本、とはちょっと言い難い。そのために読むべき本の紹介も「?」という感じだし、若干それぞれのテーマの「深さ」が足りず、そして(連載もののまとめ、の宿命だけれども)一貫性が感じらえないので、スムースに読みとおすことができない。最も、著者がお勧めしている「読書法」は、本をすべて読むのではなくて、必要なところだけを熟読すべし、ということなんだけど...自分としてはこれには100%受け入れができず、「全体の構成」のうまさ、を味わうのも読書の楽しみのひとつだと思っているので(小説ではないにしても)、最初から最後まで読む、これは当面は変えないつもり。
まずは、本書に何度も出てきた、「うつ」対策としての肉食、これを実践していこうかな(笑)。

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2010/08/10

いろいろなものをもらいました


『魔法のラーメン発明物語』安藤百福
[7/129]bk1
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K-amazon ★★★★

日経「私の履歴書」シリーズは、3冊目の読了。これまでの中で一番「入って」いけた。チキンラーメン、カップヌードルといった即席めん(子供の頃はこの名称だった記憶がある。今は言う人いないね...)を「発明」した日清食品創業者のストーリー。なみなみならぬ努力の結晶とお見受けしたが、何よりも、チキンラーメンを世にだしたとき、著者(開発者)は、48歳であったこと。これが衝撃だった。所謂「成功本」も何冊か読んだけれども、結構若い時からその「芽」を出しつつある人が大半の中で、この「48歳」という事実に感動。自分もまだまだいける、という気持ちにもなるし、ここであきらめるなんてありえない、とも思った。開発の御苦労、そして売りだしてからの(模倣品の氾濫など)トラブル等、また、いわれもない投獄などの人生の艱難辛苦を書かれているが、それがすべて「ラーメン」に結びついているような、静かな闘志を感じた。文書自体は、「読ませる」というよりは、こちら側が感情移入してしまうような、「静か」なんだけれどもそこには「人生」を感じさせるものがあって、最近読んだ本の中では一番スムースな読書となった。
何よりも、著者の「ラーメン」にかける愛情がひしひしと感じられる。本の後半は著者が90歳になるころに、ラーメンのルーツを探るために中国(ほぼ)全土を旅した記録。そこにはご自身のラーメンへの愛着だけでなく、中国の食文化への尊敬の念も垣間見れる。チキンラーメン、カップヌードルにある意味特化して事業を進められているのは、事業戦略的なこともあるだろうけれども、ご自身の商品に対する愛情、これであろう。
また、即席めんの特許を取得したが、それは模倣された粗悪品の排除のためであり、けして自企業を守るためではなく、業界の発展に寄与されてきた。なにより「食」という位置づけに価値を感じられており、ラーメンを通じて飢餓の問題を考えられたり、つまりは「社会」に目を向けている姿には感動を覚える。「私利私欲を捨てる」ことが、最近読む本で繰り返し目にすることであるが、実際にそういうマインドで「生きてきた」方に触れると、それはまた感動。
「食べるのは3分だけど、作るのには時間をかけて考えて作っている」これがすべてを表しているフレーズですね。タイトルの「魔法」は、けして「魔法をつかって作った、売った」ということではない。ここまで愚直に心をこめて、永続的な商品を世にだした例も少ないのでは?と感じる。そういう仕事をしてみたい。まだ「48歳」までには時間がある。

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2010/08/09

さらっ、っと読んでしまった


『ユダヤ人大富豪の教え』本田健
[6/128]BookOff
Amazon ★★★★
K-amazon ★★★

「お金」に関する著作が多い、という著者の本の中でも、「超」有名な本。らしい。たまに(他の本の中で)目にする機会はあったけど、それほどの思い入れはなく...
著者が20歳の頃に(運命的に)出会った、ユダヤ人のゲラー氏から教えられた「成功するための」話がコアになっている(それをベースにその後の経験を付加した、ということは著者があとがきで説明あり)。確かに「お金」に振り回されるか、お金がたくさんはいってくれば幸せなのか、お金を追い求めることが究極の目的なのか、考えさせられることは少なくない。ただ、今の環境(出せば売れる、という時代ではない)で、「お金が必ずしも求めるものではない」という意識を持ってしまうのは、営利企業にいる自分として、ある種「逃げ」のような気もする。そもそもその考え方が達観していない。本質ではない、ということがこの本に書かれているんだけれども...
自分自身を知ること、お金を「ほしい」という意識から少し離れること、自分が社会にいる意義を「お金ではなくて」考えること、これらは「生きる」「働く」という本質を追い求めることは間違いなく「正論」であろう。そういう意識は少なからず持っているべきだと思う。心から。(「少なからず」ではいけない。ということが火書かれてはいるけれども)。自分自身を知る、ために何をしていくのか、というヒントも書かれている。参考にできるポイントは多い。けれども、これってこの本が初めてではないわけで、多くの人が★をつけるポイントが今一つ自分には理解できずにいる。これって自分の未熟さ?「知る」必要が(やっぱり)あるのかなあ。
AMAZONのレビューでは「パクリ」云々が多く書かれているけれども、(★が少ない人は大抵この理由)それはあまり関係ないかな。「引き寄せ」関連だって、多くの本が「パクって」いるんで、そうそう気にならないけどね。「深み」かな。それを見出すことができなかったのかも。

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2010/08/07

なんとなく不完全燃焼な...


『ドトールコーヒー「勝つか死ぬか」の創業記』鳥羽博道
[5/127]bk1
Amazon ★★★★
K-amazon ★★★

ドトールって、もう30年前からやってるんだねー。スタバとかタリーズより少し早いくらいなんだろうなあって思っていたらさにあらず。その前、1972年には「コロラド」を出店して(このお店ももちろん知っています。がドトールと同じデモトとはしらなかった)いるとのこと。驚きです。もはや「老舗」の域ですねー。とはいえ、30年前って(本書でも触れられていたけど)、(高校時代)「喫茶店に入ると不良」、(大学生)「マスタと知り合いになれる喫茶店を知っているとかっこいい」、そんな時代だったと思い出す。ようやく「コロラド」や「珈琲館」が出はじめたころかなあ。
本書は、著者が創業した経緯や思い、なぜ喫茶店の業界に入って、そして何を目指しているのか、という、「私の履歴書」本ですね。なので新しさはないんだけど、「成功者」の話というのは、やっぱり「深み」があるなあ、という印象は持つね。ただ本書の場合は、なんとなく「ドトールコーヒー」=革新的、というイメージと、本を書かれている創業者のイメージが重ねずらいところは(個人的に)あった。タリーズ松田さんのイメージが強かったので、同じことを(勝手に)想像していたのかもしれない。
所謂ビジネス本でよく見かけるフレーズだけど、本書の根底を流れるのは「想うことが思うようになる努力」の必要性であるが、それをゼロから実践して、実現しているヒトの話だとやっぱり説得力「大」なり。「大企業の社長さん」って今の自分からは遠い存在でしかないけど、本を通じて刺激を受けることはできるわけで、自分が「好きな」ブランド、会社さんの「創業」については情報があったら今後も読んでみたいと思う。
著者の座右の銘にしている、という
「因果倶時」(いんがぐじ)
という言葉を意識してみようと考えている。釈迦の言葉で「原因と結果というものは必ず一致する」という意味合い。
(過去の)原因を積み重ねてきた結果として今日がある。
自分自身が毎日、未来の結果に対する原因を積んでいる。
もう、時間を無駄にすることはできないね。私もこの言葉を身につけよう。現在の一分一秒が将来につながるんだ。「習慣」になるまでは意識してみたい。

2010/08/05

すごくよいと思います。が...


『その前提が間違いです』清水勝彦
[4/126]Library
Amazon ★★★★
K-amazon ★★★

手段が目的になってしまっている、とか、安易に「AならばB」というのを鵜呑みにしているとか...行く先を見誤ることって少なくない。それってなぜ?そしてどうしたら?というソリューションのヒントになりうるのが、本書の件名にもあるように「前提」に立ち返って、そこから考え直してみる、ということだと思う。それは日々の「苦しさ」の中から、なんとなく見つけ出したことでもある。そんな心境なので、このタイトルには惹かれましたね。図書館の棚の中で呼び寄せてもらったようです。
まさに自分が思っているようなことが出だしから書かれていて、「これは!」という気持ちになる。「本社と現場」の温度差の話や、組織間のセクショナリズムの話、これらはまさに「今」直面している課題でもあるところ。ゴールが誤りかもしれない、と思った時にスタート地点まで戻って考えてみる。出発点に誤りがあった場合には着地点もそれに従った結果になることが多いだろう(必ずしも100%ではないかもしれないが)。そういう視点を持つことは大事かと思う。その流れの中で「スタート」の精度を上げていくような仕組みが。この考えを持つと、いわゆる「ノウハウ本」が実践で役に立ちにくいケースがなんとなくわかってくる。だって「前提」が違うからさ。そもそも一般論である「本の内容」と、自分の目の前にある現実との前提は異なるに決まっているんだけどね。感覚的にはわかっているけれども、「前提」という言葉を置いて考えてみるとよりわかりやすい。
・「制度(組織体系)を変更したら風通しが悪くなった」ってよくあるけど、そもそも「風通しが悪い」というのは結果ではなく、シンプルにコミュニケーション不足という「手段」の問題であったりする。>うん、納得。
・「やりやすいこと」「やれること」だけでは成り立たない。「やらなければならないこと」をしなければ。それが見えてないのか、或いはそれを見ていないのか。>そうそう。
・新しいことをやろうとしたら抵抗があるのは当たり前。現場の「攻め」と上の「守り」のバランス。>うん。けどもこれは「下」からの攻めがあることが「前提」だよね。
・すべての施策にはプラスとマイナス両面がある。>そうそうあたりまえだけど見えなくなることがあるね。これもバランス。
・環境変化が激しい中で、経営、意思決定の「スピード」は重要。一方で、「しっかりと変わらないベースを固めておくことが重要」>ウロコです!変えなきゃいけないもの、と変えてはいけないもの。大事。
内容として、いわゆる「ビジネス本」とはちょっと色合いが異なり、視点が面白い。面白んだけど...なぜか非常に読みにくい。進まないんだよね。なぜかはわからない。抽象的すぎる、ってこともないし...これだけが不思議な感じでした。自分の能力の問題かな...

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2010/08/04

意外に(?)爽快でした


『負の力』テリー伊藤
[3/125]Library
Amazon ★★★★★
K-amazon ★★★

いつも読む本は、「ポジティブシンキング」やら「自分が変わらなければ」という流れが大半。それはそれで刺激を受けることもあるけれども、我に戻ると直面する「現実」に、どうしようもないギャップを感じることも多数。この本は、「そもそも日本人はこうなのだから無理『変わる』必要があるの?」という切り口で、まず現実を受け止める、ということを想起させてくれる。まずは受け止めて、「ネガティブ」だと思っていることを逆の側面から見てみる。そのことにより、「それってそんなに悪いことなの?」という気づきがあり、結果的には「自分を変える」ことができるかもしれない...そんな読み方をした。
「偽善」=これだって「善」であることにはかわりはない
「マイナス思考」=危機管理能力のこと
「根性なし」=仕事が早くなる
「優柔不断」=多くの可能性を楽しむセンス
「不安」=克服すべき敵ではなく味方である
等々...
若干、「前に書いてあったことと矛盾するんじゃ...?」と思うこともなくはないけれども、本自体が短いこともあり、サラっと読める。所謂「タレント本」のボリュームに近いものがあるけど、中身は(捉えようによっては)考えさせられることも少なくない。
印象に残ったのは「いい人でいることやめた」という本人談。つまり「言ったら場が崩れるかも...」という発想から抜け出し、「言いたいことをその場で言ってしまう」人に変わった、ということを著者本人が言う。テレビで見る著者は、その「変わった後」しか見えないけれども、ある意味発言が心地よかったりするんだよね。「深く」はないんだけど(失礼)、あとくされもなく。そんな空気を醸し出せる人になりたい。まずは「いい人」をやめてみようかと思う。その後どうなるかは...

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2010/08/03

現場はタイヘンだね...


『「売り場のプロ」はこうして生まれる!』丸木伊彦
[2/124]Library
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K-amazon ★★★

今、携わっているのは「EC」、つまりインターネットを介した通販事業。ネットというメディアを使うのでテクノロジーがハイライトされがちだけれども、つまりは商売であることには変わりはない。メールという手段を使うにしても接客には変わりはない。そんな意識から「実店舗」の成功本は、結構参考になることが多かったりする。前に読んだ、『幸せな売り場の作り方』(兼重日奈子著)もそうだったけど、リアルにはリアルの苦労が、バーチャルにはバーチャルのそれがあるのを認識するだけでも面白い。そしてそれらの違いと同一な点を意識しながら読むと結構いい。
この本も「アパレル」を中心に、ショップスタッフの苦悩や、工夫の仕方、成功にたどり着いた人たちの「マインド」が書かれている。著者が意識して使っているのが、「マインド」という言葉で、これは「スキル」よりも先に立つ、という書き方をされているが、まさしく同意。特にECの場合は「スキル」が要求されがちで、もっと言ってしまえば「スキル」しか要求されないような空気がある。けれど繰り返すけど「接客」なんだよね。マインドが大事です。
大手から中堅までの会社を事例に、ショップスタッフつまり販売員のレベルアップ(会社としての立ち位置も含め)から、そこで強い「マインド」をもって成功した事例の数々。待遇面を含め、また、本社機能と店舗の関係(本社が上、店舗が下、という「悪習慣」)を、どうやって切り抜けて改善してきているのか、そこに必要とされたマインドはなんだったのか...というようなこと。つまりは「目先の売り」ではなく、「販売を点ではなく線で考える」ことの重要性、すなわち、ライフスタイルの提案等を含めながら、クロスセルを考えたり、リピートを考えたり。「点」で考えざるを得ない環境に、多くの店舗が置かれているのは間違いないだろう。かく言う自分もそうだったりする。でも、「店長」たるものは、やっぱり「線」もっと言えば「立体」でかんがえるようにせねば、その成長、成功にはたどりつけまい。改めて思う。
「人が育ってお店が育ち、お客様が育って売上が育つ」
名言ですね。店舗スタッフは野球チームのようなものだから店長は監督であるべし、野球をやるのは選手である、これもわかる。わかるんだけど、できてないね、今の自分は。「選手」をある一定レベルまで育てないと、そうゆうフローには乗せられないんじゃないか、っていうのが、試行錯誤している今の結論だったりするんで...自分がかわらなきゃいけない、てのもわかるけど、他人も変えなきゃいけないんだよね、実際には。
店長の苦悩、というのは一企業の一部門でECをやっている自分とは比べ物にならないレベルであろうと思う。だから今の環境くらいなんとかしなきゃならないんだよね。「反省」の気づきが多く出てきました...ただ、ショップスタッフから「上」にのし上がった(言い方が失礼かも...)方々も、最初っから「生まれついての販売員」というわけでは必ずしもなく、自分なりに工夫をして努力して改善していった、成長していった姿が多く読めて、そこは勇気づけられましたね。自分でもできるさ、できるかもしれない、と。

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2010/08/02

世界が違う...


『ちっちゃいけど世界一誇りにしたい会社』坂本光司
[1/123]BookOff
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K-amazon ★★★★

企業が本来「あるべき」姿を、真正面から実践している8つの会社。そこには「利益」主義という言葉すら存在しないようだ。商品を愛し、従業員を愛し、「会社」ではなく「社会」をあるべき姿に向かわせるために働いている、そんな企業姿勢が伝わってくる。「働く」ことの意味を考えさせられるね。あまりに「汚れて」しまった自分に気づく(かといってすぐに変われるか、と言ったらそれはわからないけど)。
創業時の意思を貫き、価格もその販売の手法もずーっと変えない羊羹のお店。オリンピックの砲丸を機械に頼らず「職人の技」で手作業を貫き通す工場、高齢者の役割を十分に果たして社会貢献を目指す高齢者専用の派遣会社...どれも経営者の信念が伝わってくる。若干、「高齢者」あるいは「障害者」を全面に立てすぎている感はあるけれども、「社会的弱者」を、ただ保護することだけではなく、彼らの目線に立って何ができるかを考え、できることを実践する、利益はそのあとでついてくる...そんな姿勢が見える。とはいえ、慈善事業ではないので、ある程度の「原資」というかベースの数字は必要だろうとは思うけれども、根底に流れているものはやっぱり「今日の売上」ではない。ここが見習うべきところ。「今日の売上より明日の売上」弱者対象ではなくても追いかけるべきマインドはある。
それについて個別には書かれていなかったけれども、どの会社も、先代である親から子への経営の譲渡があるようで、つまりは子供が親の背中を見て、「働くこと」の本質をカラダでとらえて、「継ぐ」という行為を自ら選択している、その様子が素晴らしいと思った。自分はどうだろう。「働いている」背中を見て、子供が、或いは周りにいてくれる人たちが何かを感じてくれているのか?十分ではない。別に「見せるため」に何か行為をする必要はなくて、全力で取り組む、本質を追い求める、その姿を見せることだろう。「見せる」という言葉も間違っているかもしれない。自分が正しい方向に進む、それを貫き通す、これだろうと思う。
先日、ここに掲載されてもおかしくない会社さんと話す機会があった。その会社が求めているのは、「売上」ではなくて「地域貢献」。従業員含めて、そこに邁進している姿を見て感動した。そうなれるかどうかはわからないけど、そうなりたい。そう思った。「働くこと」の意味をもう一度考えてみたい。

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