2012/04/28

一番「不思議」なのは、この本の内容でした...


『じぶん、この不思議な存在』鷲田清一
[22/76]bk1
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★☆☆☆

人生が長くなれば、誰でも「自分って何?」「自分って誰?」という疑問を持つことはあるでしょう。一昔前よく言われた「自分探し」なんてのもその一つかも。じぶんって何なのだろう?って考えることはあったけれど、本書で指摘されているように、それは「事象」、つまり「何ができるのか」とか「何になりたいのか」とかいうことであって、自分の存在とは?という哲学的な高尚な疑問にはたどりついていないかも。
そこには、「周り」という存在がやっぱり、ある。周りの目に耐えられるような人間になる、周りと同じ(あるいは上)レベルにのし上がる、といったような。表の意識には出ないまでも、結局はそれが判断材料になったりしている。
...といったような「じぶんとは?」という本質的な生き方、存在に迫る、という内容だと思っていた。多分、本書の内容はその流れからは外れていないのだと思うけれども、ちょっと哲学的すぎてついていけなかった...残念。なんだか「存在」とか「じぶん」とか「他者」とか、その類のワードがたくさんでてきて、はたして何を言っているんだろう?何が論点なんだろうか?っていうのがわからなくなってしまいました。
ただ、「自分の存在は他者によるもの」というのは、なんとなく、わかります。「なんとなく」ですけれど。つまりはそこから直接受け取る感情的なものはどうあれ、自分が他者にとって必要な存在、意味のある存在だと「認められる」かどうか。これがつまり存在を意識できる、ということなのだろう。
それはそうだよね。言葉として言われるかどうかは別にして、ヒトとして存在として、他者の視界にはいっているかどうか、意識の中にあるかどうか、それを感じられると、単純に「うれしい」もんね。逆にいえば、「誰でも代わりになるような存在」と思われていると感じたら、「かなしい」のだ。
それはでも、実際にその他者が自分に対してそう思っているかどうか、というよりは、自らがそう感じるかどうか、という点にかかっているような気もする。つまりは「自分の意識」なのかも。
なんだか、ここでも「じぶん」「存在」だらけになってきてしまった。少なくともこの本に書かれているような「じぶんさがし」は、いまのところは必要ないのかもしれないなあ。それこそ自分の環境に置き換えて感じることができなかったし、読み物として興味関心を引くものでもなかった。
著者が一番言いたいこと、それが読みとれなかった。本を読むときに一番つらいパターン。

【ことば】わたしたちはふつう、成長するということはさまざまの属性をみにつけていくことと考えているが、ほんとうは逆で、年とともにわたしたちはいろいろな可能性を失っていくのではないだろうか。

この言葉にはドキッとする。「大きくなったら」なりたかった夢。それは叶わぬものと確信した現実。 でも「叶わぬ」と決めたのは他ならぬ自分だ。夢を失わない自分でありたい、いつになっても。

じぶん・この不思議な存在 (講談社現代新書「ジュネス」)


 >> 本書の感想文、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<

読書のあしあと
賢者の図書館


2012/04/27

こういうのがあれば歴史嫌いは減ります、確実に。

読むだけですっきりわかる日本史 (宝島社文庫)
読むだけですっきりわかる日本史 (宝島社文庫)
  • 発売日: 2008/06/03

『読みだけですっきりわかる日本史』後藤武士
[21/75]bk1
Amazon ★★★☆☆
K-amazon ★★★★☆

誰が読むか、によって評価が異なるが、「過去に日本史の教科書を読んだ」人ならば、この本は読むべきです。日本史の教科書で見たことのある名称、テレビで見たことのある名称が、「懐かしさ」とともに蘇ります。そして何より「面白い」。歴史好き、ではない自分でも、我が国日本の歴史は知っておきたい、興味関心がある分野です。が、教科書、授業の日本史というのは、「キーワード」を覚えることがメインなんですよね。応仁の乱、墾田永年私財法、建武の新政...キーワードは確かに覚えていますが、その内容がおぼつかない。これって何の意味があるんだろう?って思っちゃいます。
本書は、それと正反対のアプローチで、その事件や事象がおこった背景を分かりやすく、丁寧に説明してくれているスグレモノ。いまさらながら「あー、そうだったんだ..」というものもあり(忘れてしまっているだけかもしれないが)、いや、今この時点で学べたのはプラスになるはず、と考えよう。
そして(考えてみれば当たりまえだけど)「背景」をベースにエピソードで語る日本史がこれほど魅力的だとは驚きです。約2日で、縄文時代からいっきにバブル景気まで駆け足しましたが、息切れすることなく、走りきった感じです。
本書の「背景ベース」の日本史は、おそらくは「かつて日本史を教科書で勉強した」人には強烈に響くと思われます。ただ、これをもって「受験」のツールとするにはちょっとキビシイかも。忘れている部分は多かれど、どっかに残っている記憶が引きずり出される快感、というのかなあ...現役世代にはそれがないから、歴史を初めて読む、にはちょっと不適かも。なので、年号のゴロ合わせ、は要らないと思われます。試験を受けない読者は、年号を覚える必要もないし。
さて、日本史は過去のもの(当然)ですが、過去に教科書に書かれていたものと変わっているものもあるようです。新たな発見があって、「修正」されるものなんですね。教科書に書かれた「過去のもの」も100%事実ではない、ってことですね。本書で初めてその「修正」を知ったのは、あの「前方後円墳」の名称。大阪・堺市のかぎ型の古墳ですね。条件反射的に「仁徳天皇陵」と刷り込まれていますが(これは記憶が鮮明だった)、この中で眠っているのが仁徳天皇かどうかわからないらしい。で、今は「大仙古墳」というんだって。
丁度子供が歴史を学び始めたところです。 悲しいかな「キーワード学習」は「修正」されていないようなので、本書を持ってサポートしたい。楽しければ興味を持つ。で覚えるもんね。

【ことば】...日本の歴史を研究している国は多いんです。世界史上類を見ない急成長を遂げ、稀に見る奇跡の復興を遂げた国、それが日本です。

経済的な側面だけではなく、日本史の魅力に取りつかれる外国人は少なくない。自国の歴史を知らない日本人も。自分の国を誇りに思う人が少ないのが、我が国、日本の特徴だともいわれている。自国の歴史があって、今の自分がいる。日本史に俄然興味が湧いてきた。

読むだけですっきりわかる日本史 (宝島社文庫)


 >> 本書の感想文、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<

新書中心主義
宴の痕



2012/04/26

「幸せ」に向かうことと、「現実」のバランスを


『幸福途上国ニッポン』目崎雅昭
[20/74]bk1
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

今は閉そく感に包まれているニッポンだって、経済も治安も平和も、世界の中で見れば有数のトップクラス。にも拘わらず「幸福実感」度合が低いのはなぜなのか。ブータンのGNH(国民総幸福量)が話題になって、あらためて表出した我が国の問題点。
まずは、各種の統計から日本の幸福実感度を探る。前半は統計の読みとり方、複数資料の相関関係などを見ていきます。そもそも「幸福度」を図る指標の曖昧な部分もあるので、果たして他国との比較に意味があるのかどうか、というところだが、一旦の結論としては、「幸福を実感」できないのは、日本人の国民性(制度というよりは社会的な、或いは文化的、歴史的な「しばり」によるもの)が、他者との関わりの中で、「自分を抑える」傾向によって、自分は幸福であると「言えない」「言わない」ことにあるのではないか、というもの。
統計を読み解く、というところからの結論としてはちょっと違和感もあるけれど、特に他者とのコミュニケーションにおいて「無難」を選択する傾向があるのかもしれない。これが歴史に裏打ちされた国民性なのか、そういう性格の人が多いのかはわからないけれど、「一般的」には、そのように感じる。テレビなどのマスメディアに対する依存度が他国に比べて高い、というのも、「多数派に寄る」という国民性なのかもしれない。
後半は、こういう「事情」の中で、日本はどのように「幸せを実感している」と言えるようになれるのか、或いは、「幸福を実感」するために、どのように制度や個人が変わっていく必要があるのか、という提案が続きます。公と私のバランス。「公共の福祉」のために「個人」を抑圧することの危険性。そうではなくて、個人の幸福追求の姿勢が、最終的には社会の幸福につながる、という考え方だ。制度の整備も必要だけれども、個人の意識がより重要であると、著者はいう。
確かに日本社会は、多数派に寄る傾向が強いようだ。公に正しい、または「常識」というのは、あたかも「多数」であることが条件であり、それに意見することは「悪」であるような流れはある。その中で「個性」が埋没していき、多数派に迎合することが苦手な人間は、淘汰されるか、突出するか、になる。
プラスして言うのならば、効率を追い求める「だけ」の、短期的な視点が問題かもしれない。すぐに結果が表れない中長期的な視点をもって取り組むのが非常に困難な環境。それは一企業においてもそうだし、国全体の政治、行政についてもそのように感じることが多い。
少なくとも、「自分を持つ」という気持ちだけは忘れずにいたいと思う。40を越えたころから、社会への貢献、還元という意識が芽生えてきつつあるが、これを実行にうつしているとは言い難い。でも、それが本当に自分のやりたいことであれば、一部は「社会の流れ」に従うフリをしつつも、信念を持ったものだけは貫きたいと思う。

【ことば】もしも自分の子供に、「どうして仕事をするの?」と聞かれたら...「仕事で幸せを感じるから。だからおまえも、自分を幸せにする仕事を見つけてほしい」と言える人生を目指すべき...

そう言えるような人生を歩もう。まだ間に合う。表面的にそう言って、心の中では「生活のためだよ」と言っているようでは、伝わるはずもない。だから、本気でそういえる人生を、仕事をしないといけない。
 
幸福途上国ニッポン 新しい国に生まれかわるための提言


  >> 本書の感想文、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<

KEEP MY WORD 
ゆうこ@カタラタス

2012/04/24

また異なる視点に気づく

教科書に載った小説
教科書に載った小説
  • 発売日: 2008/04/24

『教科書に載った小説』佐藤雅彦
[19/73]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

確か、学生時代は「国語」という教科について「苦手」ではなかったと記憶している。実はその当時よりも今の方が本を読んでいるんだけど、それは「教科書」という本に対する嫌悪感から、かもしれない。半ば「押しつけ」感のある教科書というものではなくて、「自分で選ぶ」本というのがその興味関心をひきたてるのだろう。そこには、「自分でカネを出しているのでモトを取らねば...」という貧乏性もあるけれど。
たとえば、「大人」になってから歴史に興味を持ち始めて、改めて高校時代の歴史の教科書を見たことがあるが、これは悲惨なものだった。小説や、「勝って読んでもらう」ために工夫を凝らされた歴史の本と、教科書の「クリエイティブ」が圧倒的に違うのだ。イチ個人として見た場合も、「これでは歴史の教科書、ひいては授業が面白いわけがない」と結論づけることができるほど。
だが、国語の教科書に載せられた小説は事情が異なるだろう。小説は「オリジナル」であり、教科書用に編集されたものではない。「教育」という視点から選ばれ、そして一部を切り抜いたものであるけれども、原作は少なくとも「一部分」よりも面白いはずだ。
本書は、昭和40年代から平成18年ごろまでに教科書に乗せられた小説を集めたアンソロジー。「あー、これ読んだなあ」というノスタルジーは感じられず(記憶があるものがなかった)だったが、深みのある「文学」の香りがするものが並ぶ。「多分」選りすぐりの作品が教科書に載せられ、さらに選りすぐりのものが本書に載せられているのだろう。「多分」の理由は、自分のとって「難しい」と感じたから。純文学を味わえないレベルの技量しかもたない自分の不足のせいであることは自覚の上、だが、「わかりやすく面白い」というよりは「なんとなく深みのある味わい深い」というものが多かったような印象。これを学生時分に読んでいたらどのような感想を抱くのだろう。そこは興味があるが、自分一人の中でそれを単純比較はできない。
編者は、本が近くにない少年時代を過ごし、「教科書に載った小説」を読んで、「本を読む」楽しさに触れたという。そういう環境にいる少年少女は今も少なくないだろうと思う(能動的に本を探さない、という意味も含めて)。そんな子どもたちに「きっかけ」を与えてあげられるような教科書であって欲しいと思う。だって、本を読むのは、世界観を味わうのは楽しいことだからさ。

【ことば】とにかくわたしは目のあたりに、わたしと少しも変わらない父をみたのでございますから、めめしい、...そのくせおごそかな父をみたのでございますから。

最も印象に残ったのは、芥川の『雛』。名作はいつになっても名作であるが故に名作である。短い小説の中に、娘を想う、昔を思う父親の姿が痛々しくも、人間らしく描かれる。「教科書に載った」ものであるが、今は「父親」目線で読んでいる自分を見つけた。

教科書に載った小説


 >> 本書の感想文、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<


MARGINALIA
ゆっくりと世界が沈む水辺で


2012/04/23

たかが野球、されど野球。

受け月 (文春文庫)
受け月 (文春文庫)
  • 発売日: 1995/06

『受け月』伊集院静②
[18/72]Library
Amazon ★★★☆☆
K-amazon ★★★★☆

7つの短編。それぞれの人生を抱えた人間の物語があるが、全てに共通しているのが「野球」。年齢を重ね、人生の折り返し地点を過ぎ、それぞれの人生を歩んできた男たち。「現役」か「以前」か、野球に関わっている人間が、「大人」になって野球以外の物事を背負う比率が高くなっても、「野球」という点に関しては、一瞬で「少年」に戻ってしまうようなキヨラカサを感じます。
ダイノオトナが、野球ということに関わった瞬間に、幼少の頃、野球を始めた瞬間に戻るようです。プロ野球を見るだけではなく、自分がする野球の方。今の時代はわかりませんが、少年にとって野球とは単なる競技を越えたものが含まれているような感じさえします。
かつて、何もかも見えずに没頭した野球。そこには自分の技を磨く努力や、チームの仲間、そして相手チームがあります。おそらくは、この「チームプレイ」というところが野球の最大の魅力なのだと思います。技術の高い人ばかり集めても、必ずしも常勝チームにはならない、という魅力です。逆にいえば、個々の技量が低かったとしても「勝つ」ことは可能だということ。
個人的には、「野球」で育ちました。小さい頃には町の野球チームに入りました。背番号「23」。レギュラーではありませんでしたし、それほど打ち込んだわけではありません。が、もう40年近く前のことも、こと野球に関してはすぐに思い出すんですね。不思議なほど記憶がよみがえるのです。日曜の朝に練習に行ったこと、父親とキャッチボールをしたこと、ジャイアンツの「岡崎モデル」のバットを買ったこと。
学生時代に野球をやったわけではない自分にしても、人生において小さくない位置を占めているのが、野球です。専ら「見る」方ばかりになりましたが、プロ野球でも「ダイノオトナ」が、たった一つのボールを追いかけて夢中になっている姿を見るのは、大好きなんです。球場に足を運んだスタンドの観客みなボールの行方を追う。ひいきのチーム、ひいきの選手に熱い声をあげる。
野球の魅力に見せられた「オトコノコ」は多いんでしょうね。角度は違えど、彼らはなんらかのカタチで引き続き「野球」に関わります。プロ野球の応援、草野球チーム。或いは球場で行われている試合(自分にはまったく無関係であっても)に足を止めて見入る。
この「野球x 人生」の関わりを描いた内容に、引き込まれてしまいました。全編、なんらか野球に関係しているのが、「次」を読みたくてしょうがなくなる気分にさせてくれます。野球が好きな人、好きだった人、せつない、あたたかい気持ちになれます。

【ことば】名選手にならなくたっていいんですよ。自分のためだけに野球をしない人間になればいいと思っています。

少年野球で、レギュラーになりきれない選手。監督は、しかし、ちゃんと見ています。野球は「自分だけ」でどうにかなる競技ではない。「一緒に「勝利」に向かう」チームメイトと同一になること、相手に対しても手を抜かない、全力を出すこと。ひとりではできないからこそ、魅力が増す。

受け月 (文春文庫)


 >> 本書の感想文、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<


ひねもすのたり、読書かな
うんちくコラムニストシリウスのブログ

2012/04/22

くどいほど説明いただいても「わからない」ままでした。

「わからない」という方法 (集英社新書)
「わからない」という方法 (集英社新書)
  • 発売日: 2001/04/17

『「わからない」という方法』橋本治④
[17/71]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★☆☆☆

「わからない」ということを出発点にして、努力と興味関心、直感、それらを総動員して「わかる」方向へ進む、その方法を示してくれている内容...だと思う。学校の勉強と異なり、一般社会で生きていくことには「正解」がない。そこにあるのは「正解」ではないかと思われる(信じることのできる)方向性、だけである。あたかも「正解」があるように錯覚させ、その(本当は存在しないはずの)正解への近道を教えるかのようなビジネスが存在していることを憂う...著者は「世紀」という歴史観において、現代に巣食う「現代病、大国病」を指摘しています。
橋本さんの本は、その本によって「色」が大きく異なり、同じ著者とは思えないほど。この本に限って言えば、正直なところ、「読みにくい。くどすぎる。何を言いたいのかわからない」という状態でした(あくまでも自分にとって、です。)。「わからない」を起点にしてそこから広げていく、という考え方は自分を高める意味でも貴重な考え方だと同意しますが、本書の中ではどんどん話が飛躍して拡散していってしまい、なかには「自分の能力」をひけらかしているだけ、という印象のパートもあったり、どうもひとつのテーマを深堀り、という観点が見られません、或いは自分には見つけられませんでした。著者の「思い入れ」または、著者ご自身のパーソナリティや強み、個性、ということは伝わってきましたが、そのために著作を起こす、という意義がどこに書いてあるのか、結果として示せているのかどうか、自分には読み取れませんでした。
ご自身の例を引いて、「編み物の本を出したこと」や「現代語版の枕草子を書いたこと」が紹介されていました。「わからない」ということを起点にする(できる)著者なればこその方法、手法でこれらの「実績」を積み上げてきた、という内容。当然にここでは著者の全てが紹介されてはいないだろう。「わからない」から出発して、「カタチあるモノ」をつくりあげる過程では「相当、相応の努力」をされているはずである。そこを隠すとは奥ゆかしい。
レビュアーの多くが言っているように「くどい」満載で、読者を選んでしまうだろうと思う。選ばれなかった自分としては、結構しんどかった...のが本音。

【ことば】オバサンは...自分がふだん当たり前にやっていることを、「神聖なこと」とも理解している。だから...わからないでいる人間が人間の頭の構造を理解しないで...押しつけてしまうのである。

「オバサン」という独特の表現での説明だけれども、ことはオバサンに限ったことではないだろう。相手の「構造を理解」することはパワーが必要、そして「理解」しようとすること自体にもパワー、視点を変えようとする度量が必要。でもそれがないとコミュニケーションには至らない。

「わからない」という方法 (集英社新書)


>> 本書の感想文、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<

雑読すんの書評コーナー
システムエンジニアの晴耕雨読

 

2012/04/20

理解できない...力不足です


『優雅で感傷的な日本野球』高橋源一郎
[16/70]
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★☆☆☆

この世代は、プロ野球ファン、ひいきの球団の熱狂的な信者、が多い。今のプロ野球はちょっとスマートでキレイすぎるんだけど、以前はもっと「男くさい」感じで、中華料理屋のテレビ中継が似合う感じだった。著者自身は、かつてはジャイアンツ、大人になってからはアンチジャイアンツ、とわりとフツー(?)なタイプかもしれない、というくらいの前知識。
野球に関する小説だと思っていました。三島由紀夫賞を受賞した作品ということで、ご多分にもれず「野球好き」な自分としては、野球に絡んだ「感動」を勝手に期待しておりました。が...
正直、よくわからない、というのが感想です。ストレートな野球の小説では、少なくともありません。既に読まれた方の書評によると、本書の「深さ」や「面白さ」を感じていらっしゃったり、「野球にカタチを借りた日本文学に関する内容だ」とか、さすが「読み解く」力が備わっている方は違うな...と思わせる書評が並んでいる。
...残念ながら自分はそこまで深読みはできませんでした。「ポストモダン文学の鬼才」とされる著者の表現力は理解するには高尚すぎました。著者が日本野球に対してもっている想い、或いは文学そのものの味わい、どちらも理解力を越えておりまして...
ただ。これは何とも不思議な現象なのですが、クエスチョンマークでいっぱいになったアタマですが、読んだ後に、「この世界観」に浸されていることに気が付いたのです。次の本を読み始めたのですが、それはノンフィクションの内容であるにも関わらず、この本に対する「理解しよう...できない...でも何とか感覚でもいいから...」という気持ちが抜けなくて、完全に引きずっております。これをどう表現してよいものやら分からないのですが...
一部「実名」でプロ野球選手を登場させている場面があります。当時だから許されたのか、タイガースだから許されたのか、実名で架空のキャラクターをかぶせる、という荒業。これをどうとらえるか、なのですが、自分にとっては、これがある意味印象的で、「後に引きずる」原因になったように思われます。
最後の方になってやっと、ちょっとだけ笑える「余裕」がでてきました。これが理解の入り口なのかも...分からなくても読んじゃう、ミステリアスな世界。

【ことば】 晴れた空。緑の芝生。試合が始まる直前の、胸がしめつけられる気持ち。スタンドを埋めた観衆がかれの名前を連呼する...ああ、野球がやりたい!
 
これが、人工芝、屋根付き球場でやる野球に対する批判なのか?わからないけれど、プロ野球だって「効率」だけではなく、フィールドで野球をする選手たちの「純粋な」子どものときに初めてキャッチボールをした時のような気持ちを感じることが、見る側にも楽しさを運んでくるもの、である気がします。

優雅で感傷的な日本野球 〔新装新版〕 (河出文庫)


>> 本書の感想文、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<

悪魔が昨日、し忘れたこと。
気の向くまま読書録


2012/04/19

「悩むこと」は悪いことではない。

「悩み」の正体 (岩波新書)
「悩み」の正体 (岩波新書)
  • 発売日: 2007/03/20

『「悩み」の正体』香山リカ⑥
[15/69]Library
Amazon ★★★☆☆
K-amazon ★★★☆☆

精神科医らしい著作になっています。「悩むこと」そのものを否定はしていません。人間が生きていくうえで悩まない人などいないのだから...ただ、悩む「内容」がちょっと歪んでいる、という指摘があります。「効率」「同調性」という言葉が重要視され、効率の悪いもの(こと)はダメ、空気を読めないのはダメ、という環境の中での「悩み」が増加しているようです。
効率、という言葉がやっかいだと感じます。ここには、「お金」という意味合いあ強く含まれます。すなわち、「費用対効果」が合うか合わないか。即時、リアルタイムでのレスポンスが求められていて、「今」を乗り切るため「だけ」に、効率というものが使われているような印象。最近では、あまりに「効率主義」に偏った反動か、そうではなくて「貢献」という反作用もぼちぼちみられるようになりましたが、現実的には多くの企業は変わっていないでしょう。そしてそれが企業活動だけではなく、人生という点にも浸透しはじめてしまっているかのように感じます。
「今」を大事にすることは大切なポイントですが、あまりに行き過ぎると、「先のことを考えず」という状態になります。そうなると、「今」対応に追われ続ける、という「悪」循環に陥るのは明らか。物事の「本質」をなんらかのカタチで感じていて、これではいけない、という「正しい」感覚をちょっとでも持っている人が「やられる」のかもしれません。
そんな環境の中で、自分を責めて、悪いのは自分、乗り切れないのは自分、と思ってしまうと、ズルズルと深みにはまります。自己啓発本の多くは、「他人は変えられない、自分を変えるしかない」と、強くなることを説いていますが、本書はその逆をいきます。つまり、「社会のせい」にしてもよいと。それが解決策になるかどうかは分かりませんが、そう思うこともひとつの手だなあ、とは思いました。多少「楽」にはなれるのではないか。ただ、楽になったことで「解決」に向かわないと、揺り戻しが来てしまいます、「やっぱり自分が悪い」と。
要は、本質を見抜く力をつけることだと思います。そうはいっても理不尽な社会の中で生きていかねばならないのだから、バランスの問題ですね。ある程度「楽」な気持ちで、自分を俯瞰してみることができれば、「本質ではない」環境をちょっと引いた目線で見ることはできるかも。
「悩み」の正体を見つけて、それを直接的に改善するようなハウツー本ではありませんが、もしかしたら、解決にむけての「本質」を見つけられる内容かもしれません。それこそ「同調性」を前面に出して、流れに迎合するような著作もある著者ですが、本書は(さすが岩波)精神科医としての本質を表しているように思います。

【ことば】悩む必要のないことで悩んでいると、「好きな人と親しくなるためにはどうすればいいのだろう?」といった、"本来の悩み"にまで頭が回らなくなる。

「悩み」の本ではあるが、「正しく悩む」を指南する内容でもある。ちょっと奇妙に見えるけれども、なんとなく伝わってくるものがある。悩んでクリアする道を見つけたら光が差し込む、そんな悩みならOKということか...「悩み中」にはそれが見極められないんだけれどね。

「悩み」の正体 (岩波新書)


>> 本書の感想文、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<


InternetZone
むらちゃんのブックブログ


2012/04/18

本質を追究することの大切さ。


『神様のサービス』小宮一慶⑪
[14/68]Library
Amazon ★★★☆☆
K-amazon ★★★☆☆

実際に著者が体験した「事例」をふんだんにつかって、良いサービスとは?よくないサービスは?というのを解き明かします。最初の方の事例にあった、「駅前のホテルで『駅にコインロッカーはありますか?』という宿泊客の問いに、「あります」と答えた」というのがすべてを代表している事例です。
著者の主張は、この場合には「駅にコインロッカーがある、ということではなく、お客様がなぜそれを聞いてきたのか、そこまで深堀りして考えて、そのホテルで預かる、という提案をする」が正解、ということ。
確かに、表面的な受け答えをする場面が多くなっているように感じることがあります。これが「マニュアル」の弊害なのか、世代のギャップなのか、わかりませんが、ひとつは「効率重視」の経営方向によるもの、ともいえるのではないか。直接的に「数字」(多くの場合は「売上」)に結びつくことが優先、それ以外は二次的、になっている企業は少なくないと感じます。それゆえ、短期的に劇的に数字を改善するものではない可能性がある「社員教育」を徹底することが少なくなっているのかもしれない...
本質を見失ってる可能性(危険性)がありますね。著者は多くの著作において、「働くことの本質」を説いています。社会における企業の在り方を説いているのです。そこに現れる「数字」は、企業の正しい活動(社会に対する貢献とか)の結果、もたらされるもので、未来に向けて永続的に活動するための利益がそこから生まれるのです。
本書では、タイトル「神様のサービス」とは、その本質は何か、というのがテーマです。それはとても大切なこと。ですが、少々「悪い例」が多すぎて、中には著者の「偏り」ではないか、と思えるものや、過剰反応じゃないかと思えるものもあったり...悪い例示によって「気付く」こともありますが、本をして読んだ時には「いい事例」が多い方が、(当然ですが)後味がいいものです。本書の「よい事例」については、ディズニーランド、加賀屋、ホンダ販売店など、著者の他の著作でも見られるものがあって、少々新鮮味に欠ける感じがしました。
小宮さんの本は、ふと忘れていた大切なことを改めて思い起こさせてくれるものが多いのですが、「似たような」内容も正直あります。本書は残念ですが...後者のような。

【ことば】よく「アフターサービス」という言い方をしますが、お客さまから見ると決して「アフター」ではないのです。買ってからしかつかいようがないのですから。「アフター」という発想は、売った側の論理なのです。

うわ、今まで気付かなかった。意識して「売り手側の発想」に起因する言葉を使わないようにしていたのですが、これには気付きませんでした。確かに。「アフター」は「売った後」という目線です...まだ無意識に使っている言葉があるかもしれない。気をつけよう。

神様のサービス 感動を生み出すプラス・アルファの作り方 (幻冬舎新書)


>> 本書の感想文、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<

呉作の気まぐれ書評日記
きゅーすけ日記。


 

2012/04/17

起承転転転...そして結

いつか、キャッチボールをする日
いつか、キャッチボールをする日
  • 発売日: 2007/10

『いつか、キャッチボールをする日』鯨統一郎
[13/67]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆

著者にも本書にも何の先入観もなく、読み始めました。自分自身が小さな息子をキャッチボールをすることを夢に見て、そしてそれが実現している「今」に喜びを感じているので...タイトルだけで選んでいます。
登場するのは、自分とはまったく異なる父親、現役のプロ野球選手。ベテランとして「代打」稼業に就いているが、再びレギュラーを目指す身分。息子は「プロ野球選手の息子」と思えぬほど「ヘタ」なのだが、普通の男の子と同じように、「お父さんとキャッチボールをする」ことを楽しみにしている。
プロ野球の世界の過酷さ、どこにでもある温かい家庭。そんな話が続くのかと思いきや...
「事件」がいろいろと起こります。プロ野球選手としての環境ではなく、父親としての環境において起こるのです。もはや職業は通り越して、子を思う親としての主人公。
プロ野球に関する記述は、半分実名、半分架空になっているのが、現実感。ダルビッシュもでてきます。いまだにくすぶっている「新人選手とカネ」の問題も、ひとつのテーマになっています。ですが、この「カネ」の問題は、1冊を通じてのテーマになるかと思いきや...
プロ野球選手でなくとも、自分の息子とキャッチボールをしたい、というのは、大多数の父親に共通した「夢」かもしれません。自分にしてみても、40年近く前になりますが、父親とやったキャッチボール、バットを買ってもらったこと、球場に見にいったこと、鮮明に覚えているんですね。立場は変われど、世代は変われど、同じことをしたい、と思うのは人の常かもしれません。ゲームを一緒にやるのとはちょっと違う、「親子」を感じるヒトトキ、なんですね。
そんな純粋な「喜び」が、本書のテーマだと確信。「ヘタ」だったこどもは、うまくなろうと練習を重ねます。そんな姿に父親の指導にも力が入ります。その純粋なキャッチボールさえ、できなくなるような事件がいくつも発生します。でも、やりたいのは「キャッチボール」。そのシンプルさが、妙に響くのです。
あまりの展開に、ついていくのが大変に感じますが、そして前半の(プロ野球の実名掲載などによる)現実との接点が見えていた展開から、かなりの「小説」寄りになっていきますが、引き込まれる魅力は最後まで失わず、一気に読めちゃいました。
今週末、キャッチボールをしようと固く決心しました。

【ことば】自然に顔がほころびそうになるのを押さえる。息子からキャッチボールをやりたいとねだられたら、嬉しくならない父親はいないだろう。しかも息子はうまくなりたいと願っている。

純粋に「うまくなりたい」と思う気持ち。それを自分の中で見つけて、それを大きく育てるのが親の役目なのかもしれない。親が見つけるんではなくて、見つけるのは子ども自身。それを引き出せるようサポートをすること。キャッチボールだけではなく、すべてがそういうこと。

いつか、キャッチボールをする日


 >> 本書の感想文、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<

本を読んだら...by ゆうき
勝手気ままな日々




2012/04/16

ドラえもん好きはよーくわかりました。

ドラえもん学 (PHP新書)
ドラえもん学 (PHP新書)
  • 発売日: 2005/04/16

『ドラえもん学』横山泰行②
[12/66]BookOff
Amazon ★★☆☆☆
K-amazon ★★☆☆☆

富山大学教授による、ドラえもんの「史実」の振り返りです。日本のマンガ、アニメの発展、日本の子どもたちへの多大な影響を与え続けているドラえもんの「研究」。登場人物の「出演回数」や、海外でのドラえもんの進出状況、短編、長編、コミックス掲載の状況など、「ドラえもん」に相当な度合いで傾倒している著者の「思い」が伝わってきます。
アジアへの進出は、第二次世界大戦による当該国の日本に対するイメージが根強く残っていることや、ヨーロッパにおいては、特に「短編」で見られるような、ノビタのドラえもんに対する「依存」 度合いの高さが、人気が沸騰しない要因であるとか、「学問」のような分析もされています。もはや世界に通じる日本の文化としてのマンガ、アニメ、という領域ですので、この手合いは多少研究対象として「あり」だとは思いますが...
著者がドラえもんに対して抱いている「思い」は、多分学問的な研究対象として、ではなく、もっと人間的な「感動」がそこにあること、なのだと思われます。それは本文の中でわずかしかでてこない、著者の「気持ち」を表す部分から窺いしることができます。であるからこそ、このような「学問」「研究」といった析が違和感を感じてしまうのです。
映画などの長編で見られるような、「仲間が協力して困難にぶつかっていく」姿は、テレビなどの短編では味わえない「よさ」があります。短編には短編の「おもしろさ」があります。それらの感情を持つ、作品を楽しむのに、「分析」は不要かもしれません。そのストーリーが何年にお目見えして、コミックスの何巻に掲載されている、という情報は「楽しむ」ためには不要な情報のように思われます。
「名場面集」を活字で再現する、という試みは、自分のような年代にとっては、「思い出」をたどるようで懐かしく思うこともしばしば。ドラえもんの良さは、小さかったころの思い出も、今読み返して得られる感動も、同じように「あたたかさ」を感じるスタンダードな感動がそこにある、ということだと思います。なにをやっても駄目な(短編の)のびたくん、ドラえもんを始め、それでも「友達」でい続ける仲間たち。家族、社会、未来、夢。希望が詰め込まれたドラえもんは、「楽しむ」ことができれば十分なのかもしれません。

【ことば】「あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。それがいちばん人間にとってだいじなことなんだからね...

しずかちゃんが結婚前夜に、お父さんからもらった言葉。著者が言うように、珠玉の明言であると思います。当時も感動しましたが、今、この年代になって、自分の周りで世代が変わりつつある中で読んでも、さらに心に響く名言です。

ドラえもん学 (PHP新書)


>> 本書の感想文、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<


新書。書評・レビューします。
ironustak 読書ログ





2012/04/15

「読み応え」というのでしょうか、重量感と心地よさの同居。

風に舞いあがるビニールシート (文春文庫)
風に舞いあがるビニールシート (文春文庫)
  • 発売日: 2009/04/10

『風に舞いあがるビニールシート』森絵都④
[11/65]BookOff
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆

前に、『架空の球を追う』を読んで「森絵都さんは長編の方がベターかも...」と思っていました。そして本書は、直木賞受賞作品ではありますが、「短編」です。これも同じような感想に至るのか...
まったく異なりました。非常に「濃厚」な作品です。どの編も「濃い」のです。長さは確かに短いのですが、それを感じさせない、というかそれを越えた何かがある、というか。通常の日常生活とは少し離れた世界(国連の仕事や、仏像を修復する仕事など)を生業としする主人公を描く人間ドラマや、一般的なシチュエーションでありながら、「普通の人」の普通のヨコガオを描きながら、遠い昔の出来事を思い出させてもらったりとか。
いろいろな「世界」が繰り広げられます。これらが1冊の本に収まっている、というのをいつか忘れてしまいそうになるほど、個性的で魅力たっぷりの編が。だから短編であることが故の「消化不良」はまったく感じられません。かなりの秀作ではないかと思います。
人それぞれ、いろいろな思いを持って、いろいろな環境の中、生きていきます。それぞれの人が向かうべき「幸せ」はそれぞれ表面的には異なるけれど、「幸せを追い求める情熱」は誰も一緒なのかもしれません。大切なモノはなんなのか、ということではなく、大切なモノを追い求めることそれ自体が大事であることが、伝わってきます。
個人的には、仏像の修復師を主人公にした「鐘の音」が、ググっときました。最後の最後を主人公の「決め台詞」で締める、というパターンが妙に心地よい。背中がゾワっとくる感じです。これを小説で、1冊の中に何度も「決めて」くれちゃう著者の手法、みごとです。もちろん、表題作も感動です。どれも「はずれ」は一切ありません。
「人間が生きていく中で、『大切だと信じること』 を大切にする」という共通項を貫きつつも、主人公も様々、もっている仕事もさまざま、どれかに「自分に近い」ストーリーを見つけることができるかと思います。この世界に浸る時間を、つくってみても価値があると思います。

【ことば】残念ながら人間、そうそうひと思いに大人にはなれないものだと...思った。昔日の青臭かった自分との決別を図りつつ、望むと望まざるとにかかわらず失われていくその青臭さにどこかで焦がれている。

人生の「折り返し」を意識する頃になると、同じ風景であっても「往路」で見た風景と「復路」で見るそれとは違って見える。そして走り方も変えなきゃいけない。そんな気がするんだ。往路の反省はする必要はない。ひとつだけ、少なくとも折り返し地点まで来たのは「自分の脚で走ってきたから」ということを強く自覚すればいいのだ。

風に舞いあがるビニールシート (文春文庫)


 >> 本書の感想文、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<


本を読む女。改訂版
今更なんですがの本の話

2012/04/14

「弱いタイプ」でも道が開ける

「考運」の法則
「考運」の法則
  • 発売日: 2009/09/24

『「考運」の法則』鳥飼重和
[10/64]Library
Amazon ★★★★★
K-amazon ★★★☆☆

苦労して弁護士になられた、自称「弱いタイプ」の著者。そんな人が「運」を掴んで「幸せ」になるコツを教えてくれます。この手の本は、「著者のような境遇だからできた話でしょ...」となるか、宗教っぽくなるか、どちらかに区分されるのが大半なのですが、さて本書はどうなるか。
最初の方から、「祈り」みたいなフレーズが出てきて、おっ「後者」か?と思いましたが、それは「いい意味で」信じることの大切さを説くために使われている、と信じられました。特に著者が強調しているのは、「言葉」に込められた強さ、ということです。基本的には「できる」と強く思うことは実現する、というポジティブ思考。さらには、その思いを「言葉」として出してみれば、さらに「成功」に近付く、という主張です。
自分の周りの環境や、置かれた立場、社会的な関係性を鑑み、いつのまにか自分に制限をかけている、成功できない「しばり」をかけているのは、相手でも社会でもなく、自分であることに気付きましょう。それを脱して「成功した自分」をイメージして、言葉にする、感謝する、それができればあとは運を持ってくる、というのが流れです。
それには「自分は変われる」と思うこと。そして「変わる」ために行動を起こす、ということ。たとえ三日坊主でもかまわない、「始めること」を習慣化することが大事、と言います。これには同意。変えるために何をすべきか考えることはよくします。でも「始める」ことはけして「よく」はしないケースが多いんですね。自分も周りも。理想形を掲げることはしても、それに向かって始めること、って結構難しい。でも始めなければけして近づけないんです。当たり前だけれども、その「当たり前」ができないことが、あります。
また、行動した結果をどうとらえるか。よく言われますが、「コップに水が半分」を、「まだ」と捉えるか「もう」と捉えるか。その先の理想形を強くイメージすることが大事であることがわかります。そこにたどりつくための一通過点と捉えると、「失敗」はなくなります。あくまでも「成功というゴールに到達するためのプロセス」と考えることができるから...
わかります、わかりますがでもできないのが現実。が、本書が他の「この類」と違う感じがするのは、著者自身が、「特別」ではない人だったこと、運を引き寄せて弁護士になったこと、だろうと思います。そしてその書き方、伝え方が、ご自身の経験を元に、「当たり前のことができない弱いタイプ」の人を応援するような温かさを持っていること。
当然のことかもしれませんが、「弱いタイプ」で踏み出すのに努力のいるタイプであるならば、努力すればいいのです。うん、肝に銘じます。

【ことば】会社が信頼されるからこそ、顧客が増え、社会的に信用が増して売上げがあがり、利益も得られて会社は存続し、成長できる...

すべては「信頼される」ことから始まります。信頼されるからこそ、発信するメッセージ(広告など)が伝わる=顧客が買うという行動を起こす。まずは信頼を得るための「行動」が大事ということですよね。これも「当たり前」のことなんでしょうけれども、できていない「会社」も少なくないと思われます。

「考運」の法則


>> 本書の感想文、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<

日々雑感
良書を誰よりも早くレビューするページ

2012/04/13

「続編」はやっぱり...か?

まほろ駅前番外地
まほろ駅前番外地
  • 発売日: 2009/10

『まほろ駅前番外地』三浦しをん⑥
[9/63]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆

本屋大賞も受賞した三浦しをんさん、輝いてますねー。しをんさんの本は「はずれ」がありません。特に本書は「直木賞受賞作」の続編なのではずすわけがない。しかしながら「続編」は最初を越えることは(めったに)ない、ということもある。
読み進めるにつれ、登場人物の名前、キャラクターに、前作の記憶が蘇ります。「便利屋」稼業の主人公「たち」と、その便利屋に「ただごとならぬ」依頼を持ってくる人たち。前作の登場人物をキレイにシフトさせた物語です。前作に比べて「裏」の部分が少なく、読みやすくなっている代わりに、ハラハラドキドキする場面は少ないような印象ですが、個性豊かな登場人物、さらに個性がパワーアップされた主人公、楽しませてもらいました。
相変わらず「人間描写」が際立っていて、依頼時の不可解さが最後に「つながる」感じがニクイです。本書では、主人公の二人を別の人物に語らせる、というストーリーもあります。この視点の変換がまた面白い。他人から見た主人公像、なんて結構難しいと思われるけれど興味深く読めたのは、著者の視点、筆力がすぐれている証拠。
長編のようでいて、各登場人物がそれぞれ主役を張る短編の連作集でもあります。それぞれがユルくつながっているので、短編集のように細切れの印象はありません。各編が、「人間」の味わいや、「人生の流れ」を描いてエンディングを迎える、という、ホノボノ系なので、ちょっと刺激的に物足りない気もしますが、リズムよく「次」の人物編へつながるストーリーで、先を読みたい、と常に思わせる手法は、「ノッテル」三浦しをん、という感じです。
主人公のひとり、行天の「謎」めいた行動も、新しい「謎」が追加されたようです。そして、もう一人の多田にも、新たな展開が待っているような場面があります。ということは本書の「続編」がまた期待できるかも。待ち遠しい。
おそらく本書を最初に読んでも十分楽しめると思いますが、やはり前作を読んだ後の方が、より他の楽しめるかと思われます。「続編は最初を越える...」は、なんとも微妙なところですが、ほんの少しだけ越えられなかったかなあ、という感じ。ただし、「楽しむ」ポイントがこれまた微妙に異なるので、両方イケることには間違いないです。

【ことば】年を取ると堪え性がなくなると言うが、本当だ。怒りや不安は...まだ抑えることができる。けれど、愛おしいと思う心だけはあふれでてしまう...ひとの心を構成する本質が愛情だからなのか定かではないが。

年齢を重ねたご夫婦が仲睦まじいのはこういう理由だったのか...そこに至るまではもちろん紆余曲折あるんだろうけれど、互いに「時間」を過ごしてきた、乗り越えてきたご褒美として、そのような関係になるんだろうか。怒りは抑えられても愛情は抑えられなくなる、という考え方は、とても「やさしい」考え方だと思います。

まほろ駅前番外地


>> 本書の感想文、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<

私の読書感想文
ある休日のティータイム

2012/04/11

「伝わる」話し方に必要なものは

その話し方、説得力を感じます
その話し方、説得力を感じます
  • 発売日: 2012/03/22

『その話し方、説得力を感じます』高嶌幸広
[8/72]
Amazon
K-amazon ★★★☆☆

話すこと、伝えること。難しい。でも、考えてみれば「難し」くなったのって、オトナになっていろいろと考えてしまうようになってから、なのかもしれない。こう言ったらこう受け取られるかもしれない、とか、伝えたつもりになっているのに分かってもらっていなかった、とか。相手が同じレベルのこどもの頃は、実は「テクニック」不要で、そのまま話していれば伝わった(はず)。それによって傷つけてしまったり、傷ついてしまったり、といった過程で、何か歯車がかみ合わなくなってしまったのか。
本書のタイトルにある「説得」という言葉は拡大してとらえられます。けして「相手を言い負かす」とか「こちらの言い分を認めさせる」という狭い意味での「説得」ではなく、相手に自分の意向をキチンと伝えるためのテクニック、という広い範囲で考えられます。
最も大事なことは、最初のステップである「話を聞いてもらう」ということと、話し方「テクニック」の基本である「相手のことを想う」ということ。そのほかのテクニック、ツールは付属的な意味合いかと思います。何よりも「相手から信頼感を持たれること」を最初の条件に掲げているのは、他の本とはちょっと違うのかもしれません。話し手に対する信頼感、好感を持っていただいて初めて「聞いてもらう」環境が作れるのです。考えてみれば当然なのですが、それなしにテクニックでカバーしようとする向きもありますよね。でも、いくら技術的に優れたトークでも、その人が嫌いだったら効力は半分以下に落ちる、というのは自分に照らし合わせてもわかること。身だしなみも含めてのアテンションは、基本に立ち返る意味で参考になりました、はい。
そしてこの「信頼も持ってもらう」という第一条件は、お話をする相手が「特定の1人」ではなくても活用できそうです。すなわち、広告やDM等でも。さらにシビアに、信頼できる会社からしかモノは買わないですよね。信頼を得るためにすること、っていうのは直接広告宣伝活動ではないところで、ひとつひとつ積み重ねることが必要なのかもしれません。相手のことをよく知ること、これも同じことが言えますよね。
テクニック的なこととして、論理的な組み立てとか創造的な話し方とかは、経験値とともに幅広い知識が前提になるような気がします。これも、その話し手の人間性の深さ、というものに帰結します。
この部分が最も大切なことである、という認識を得ることができました。故に、途中で「クロージングに役立つテクニック」が挟まっていたのは、違和感を感じてしまいました。
「フットインザドア」「ドアインザフェイス」等々...もちろん、「第一条件」等を前提としたうえでのクロージングテクニック、なのでしょうけれど、この部分なしに、「本当に大事なことだけ」のほうがより「説得力」が増したように思います。もちろん実践的には現実的にはテクニックを磨かないといけないんですけれど。

【ことば】人を知り、自分を見つけることで、説得力と人間力が磨かれる

人に対する強い興味と関心、これが大事だというお話。相手のことを知らず、相手に興味を持たずして説得力のある話はできるはずがありません。そのひとに応じた話し方がある。それはやはりその人を知ること、知りたいと思うことから始まる。

その話し方、説得力を感じます

教育論、というよりも...

「天才」の育て方 (講談社現代新書)
「天才」の育て方 (講談社現代新書)
  • 発売日: 2007/05/18

『「天才」の育て方』五嶋節
[7/61]BookOff
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

「天才」バイオリニスト、五嶋みどり、龍兄弟の母が、子育てを論じています。ご本人も言うように「天才の育て方」はどこにもでてきません。バイオリンの才能があったのかなかったのか、(具体的に)どのような指導をした結果、「天才」が生まれたのか、ということではなく、あくまで「母親による子育ての仕方」が書かれています。バイオリン、音楽はあくまで「副」扱いで、中心にあるのは「人間として」の成長を、親子がともに刺激しあいながら、ここまで来た、ということがメインです。
以前読んだ『一流選手の親はどこが違うのか』(こちらは杉山愛の母、著)もそうなのですが、親と子のコミュニケーションとして、その間にスポーツやバイオリン、音楽があった、ということを強調されています。これは実は深い。才能を見出してそこに集中的に(そして早い時期から)時間を投下していった結果、「天才」が生じたわけではなく、スタンスはあくまでコミュニケーションツール、なんですね。もちろん、「天才」が誕生したからこそ、(ある意味「余裕」の中で)このような表現になったのかもしれませんが、いわゆる「英才教育」とは根本的に違うようです。
そしてもうひとつの共通点としては、親自身がそのスポーツなり音楽なりをやっていた、ということ。つまり環境として子どもの頃から「周りにあってあたりまえ」という環境の中で育ってきているのですね。これも重要かと。そしておそらくは(実際には「壁」がいくつもあったと思われますが)親自身がその世界を「楽しんでいる」姿を、子どもは「あたりまえ」という認識を持ったのでしょう。
そこに「ブレ」がなかったんだと思います。親が本当に楽しそうにやっていることは「伝わる」んですよね。そして壁にあたった時も(何度もあったのだと思います)、それを「辞める」選択肢というよりは、共にはげましあって、それを乗り越える「仲間」が近くにいた、ということも大きいのでしょう。
親として、人間の先輩として、子どもに見せる姿。それは(なんであってもいいのだと思いますが)本人が心底「熱く」なっている姿を見せることなんでしょうね。
「プロ」の条件として書かれている個所がありましたが、そこでは「表現」というポイントを説明されています。つまりテクニックではなくて、表現したいかどうか。どれくらい表現したいのか。そういう気持ちのありなしがプロとなれるかどうか、ということ。確かに。テクニックは必要だけれども、それだけでは「プロ」ではないですもんね。

子供さんが拒食症になったり、著者ご本人が離婚を経験されたり、どうとらえたらよいのか分からない点もあり、また、著作はもちろん本業ではないので、話があちらこちらに広がったり曲がったりしたりと、読みやすい、とは言えない文章ですが、それが却って「本音トーク」を感じさせます。

とり立てて才能もなく、子どもたちに申し訳ない親としては、まずは精一杯「熱く」なれるものを見つけて熱中すること、と極意(?)を見つけたり!と信じることにする。

【ことば】...自分の子どもだけを思い切り愛する、そうすればおのずと、よそのお子さんがその親にとってどのような存在なのか、ということが、いやがおうにもわかります。

そうか。「熱く」なれることのひとつは「子どもを思い切り愛する」ことなんだよね。確かにこれはいい得ていると思います。それすらできなければその先はできないですもんね。自分に自信のあるスタンスで接する、これが第一。

「天才」の育て方 (講談社現代新書)


>> 本書の感想文、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<

Biiingo!!
大黒竜也のブログ

2012/04/08

謎解きでもなく、風刺でもなく


『アコギなのかリッパなのか』畠中恵
[6/60]Library
Amazon ★★★☆☆
K-amazon ★★★☆☆

タイトルからは見えにくいですが、元大物政治家・大堂事務所で働く事務員・佐倉聖が降りかかる難問、謎を解く...という内容です。「政治家」に対して一般の多くの人が持っているであろうイメージそのままの「事務所」の世界ですが、世の中の裏表両面の社会を操る「特殊な人種」である政治家であるけれども、実は「頼り」にされている部分や、役に立っている部分もある、っていうことを少しだけ感じさせてくれるストーリーにもなっています(実に「自然に」、実は頼れる人たちかも?って思わせます)。
でてくる「事件」に対する、主人公・聖の「謎解き」については、推理小説におけるそれとは異なります。ヒントを与えられるわけでもなく、読者はほぼそれを解くすべは与えられません。あくまで「読み物」としての謎解きにとどまります。政治家の事務所が舞台で、選挙や陳情、そして「世襲」という、実際の世界では問題点と取り上げられがちな部分を、「当事者側」からの視点で書かれています。我々は一般の目を持っている(と自覚している」事務員・聖の目を通してみますが、一般の生活者との視点のずれを暗に指摘しながらも、そんなに深刻な問題点ではなく、実は政治家もちゃんとしている人はちゃんと仕事をしている、的なまとまり方ですね。「ちゃんとしている」ことを正面から伝えると、イヤラシク、またはウソクサクなりますが、このような「間接的な」伝わり方の方がよいというこですねー。
著者は、時代モノ(妖怪モノ?)で著名な方なようで、現代ものはあまり著作がないようです。自分は時代モノを未読なんですが、これだけを読むと、少々欲求不満な感じです。キャラクターは個性的で魅力はあるのですが(政治家の世界だけに余計に「濃い」場合が多い)、ササッテくるものがない、というか...次は著者の「得意分野」にしてみようか。
読み終えてから、読む前にはよくわからなかったタイトルの意味がほんわかと伝わってくる感じでした。そんな爽やかさは残ります。短時間で読めえうライトな読み物としてはいいかもしれませんね。

【ことば】 誰もが己の利になることを欲している。都合の悪いことを言われると、途端に聞こえなくなる耳を皆もっている。厳しい顔を向けてくる。

政治家が直面する課題。政治家のレベル云々を評論家のごとき批判する一般市民も、「自己都合」で動いているのかもしれない。そんな人たちに、必要なことを伝え、聞くこともする。これが政治家の最も重要な仕事かも。世論に迎合して政権、官僚側の批判するような政治家は、ホンモノではない、てことかもね。

アコギなのかリッパなのか(Jノベル・コレクション)


>> 本書の感想文、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<
 
キュポラ庵
早トチリ感想文BOOKS




2012/04/07

一回の人生だからこそ。

生きるチカラ (集英社新書)
生きるチカラ (集英社新書)
  • 発売日: 2010/07/16

『生きるチカラ』植島啓司
[5/59]LIbrary
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

タイトルから想像、「哲学」寄りの内容かと思っていましたが、内容はもっと「一般的」な内容。普通の社会人をやっている人ならば誰にでも当てはまると思う。
著者が何者かがよくわからないままであったが、「お金がすなわち幸せではない」ことや「ふりかかった災いをきっかけにする」ことなど、自身の経験や周辺の話を交えて語ってくれるのだ。ご本人は「お金がゼロの時期もあった」とか「旅行で世界を飛び回っている」人生を過ごしているようです。その域まで達するにはかなり困難なハードルだと思われます。お金がなくても大切なものがあれば、というのは理想論ですが、現実的にはお金が「ある程度」あることが前提です。お金がないとそれだけですべてが消極的になってしまうのが、我々が生活する社会なのです。
 それはそれとして、著者が本書を通じて伝えたかったポイントは、
「人生が選択の連続。その選択においては、正しい或いは間違っている、ということはそもそもその選択肢が存在しない」
ということだと思う。なんらかの「選択」が必要な場面は大小含めれば日々、見に降りかかってくることだ。「大きな」選択にあたっては、どちらかを選ぶとどちらかは捨てねばならない、という択一になることがあるけれど、どちらを選らんでも、選ばれなかったもう一方の選択を実施していないのだから、そのチョイスが正しかったのかどうか、なんて判断ができない。できないものはしても意味がないので、そもそも「よかった、悪かった」という判断自体をやめてしまえばいいのだ。そして、常に新しい選択をして、新しい選択肢を選んでいく、前に進んでいく、ということはすなわちそういうことなんだね。
宝くじの一等に当たった人が周りにばれて普通の生活ができなくなった、場合によっては不明な点の多い事件に巻き込まれて命を落としたり...といった事例を引き、「金持ちは幸せではない」ということを伝える手法などは、やや強引な気がするが、要は
「本当に大事なモノを見つけて、それに向かって生きていく。間違った選択なんてないのだから、迷っているなら進んだ方がいい。」
ということを伝えてもらったんだと思っている。
それこそが「生きるチカラ」であると。

【ことば】外から押しつけられた道徳や社会通念や既成事実に逆らって生きることも必要なときがやってくる。それをきっかけに自分自身のなかに隠された大きな可能性を開花させることも可能となるにちがいない。

人生におけるあらゆる選択に、成功、失敗はない。が、もしも「失敗と思われる」事態が生じたときこそ重要だと著者は述べる。本質的な意味での「失敗」ではないのだから、打ちひしがれてばかりはいられないのだ、と。う~ん、力強い。心強い。これだ。

生きるチカラ (集英社新書)


 >> 本書の感想文、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<

mailonesghの書評
かくれんぼ戦略


2012/04/06

軽快であったかい。人間っぽい物語

戸村飯店青春100連発
戸村飯店青春100連発
  • 発売日: 2008/03/20

『戸村飯店青春100連発』瀬尾まいこ⑦
[4/58]Library
Amazon ★★★★★
K-amazon ★★★★☆

大阪の中華料理屋「戸村飯店」の息子二人。正反対の性格のように思える二人は、兄の上京で離れ離れ。東京で1人暮らしの兄、大阪で高校卒業後の進路を考える弟。見た目も性格も「似ていない」と自他ともに言われてきた二人は...
会話が大阪弁、それ以外は標準語という構成に最初戸惑ったが、大阪弁が際立ってアタマに入ってきて、次第に心地よくなってくる。いまどき珍しいくらいな「素直」な少年だということが伝わってくる(二人とも)。感情を思い起こす読者(自分)も、その考えが「大阪弁」で考えてしまっていたよ。
主役はその兄弟二人だが、中華料理屋を営む両親、二人の前に現れる女性、友人。誰もみな「温かい」人間なんです。洗練されたかっこよさはないけれども、いわば「昭和」的な不器用さはあるんだけれども、二人をそれぞれの愛情で包む両親の姿は、泣けましたね。それに気付かない二人(高校生くらいの男には気付くはずもない)だけれども、どっかで分かってくるんだろうと思う。
瀬尾さんの小説は「家族」や「家庭」という場所で、「日常」を扱っているものが多い。特別な事件が起きるわけではない。ほんとにどこにでもある「日常」だけれども、本人たちにとっては、大きな人生のポイントになったりするんだろうなあって思うこと。だからこそ「近い」んだよねー。自分は大阪ではないし、兄弟もいないけれど、「架空の小説の世界」とはちょっと違う次元のお話のように感じてしまうのです。
この兄弟を見ているとまさに「青春」を感じます。タイトルに偽り、ありません。もしかしたら自分にもこんなねじれた、それでいてまっすぐな時期があったのだろうか...それを「青春」と呼ぶことができるのならば、まだ捨てるものではないかもしれない。
楽しみ、悩み、そんな中から「本当のこと」を見つける。そんな青春が描かれているこの本は、最初から最後まで清々しい気分で読めます。これから二人がどのように生きていくのか、読後も気になっています。それだけ楽しめました。

【ことば】生まれて初めてほんの少し先が見えた。ようやくほんの少し進む方向がわかった。それなのにどうしてこんなに悲しいのだろうか。どうして爽やかな心地にならないのだろうか。

「別れ」を経て、何かを見つける。それが「大人になる」ということなんだろうか。すべての経験したこと、それが心地よいことでも悲しいことでも、必ずその後につながってくるはずだ。間違ったことは何もない、のだから。

戸村飯店青春100連発


>> 本書の感想文、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<

本読みな暮らし
続 活字中毒日記

2012/04/05

そうはいっても...


『アサーション入門』平木典子
[3/57]Library
Amazon
K-amazon ★★★☆☆

アサーションとは、「自分も他者も大切にする自己表現」のこと。相手を大事にする気持ちを持ち続けてコミュニケーションをしていくことで、世界が開ける、っていう素晴らしいコミュニケーションスキル、である。
例で出てきましたが、「天ぷらそば」を頼んだのに「うどん」が出てきたときどうするか?
①時間がないので何も言わない
②怒って取り換えさせる
③一言いって、でも「今回は」それを食べる
順番に、「非主張的自己表現」「攻撃的自己表現」そして「アサーティブな自己表現」となります。最初の二つは自分を抑えるか、感情をあらわにするかで、最後の「アサーション」はそのバランスなり。前の二つは結局どこかに歪が生じるだけで解決にならない、ってことなんだな、きっと。
そして、そのバランスを身につけて「アサーティブな表現」ができるようになれば、それによって自分発信のコミュニケーションのスタイルが変わってくれば、相手も変わってくると。
キレイですねー。確かにその通りかもしれません。本書にもありましたが、気に入らない相手、それこそ「アサーティブでない」相手は世の中にたくさんいます。いや、むしろそちらのほうが大多数であったりします。彼らと関わらない生き方ができればいいのですが、そんなパラダイスは現実的ではないんだよね。だからこそ「アサーティブ」。自分の中で閉じず、相手を攻撃せず。相手を変えることはできないけれど、自分が変わることによって「間接的に」相手を変えることはできる(かもしれない)というリソー的な展開です。
そのためには、自分が意識して「相手」を考えることが大切になります。そして、自分発信のコミュニケーションを、自分が抑えることなく発信すること。それで世界が開ける...なかなか高いハードルと言えるかもしれません。できる人は難なくできるんだろうけれども。「言わない方が...」と自分判断で決めてしまう場面、やっぱりあるんだよね。そして「相手」によってアサーティブになれたりなれなかったり、という弱い面もさ。
それを乗り越えて、「話しやすい人」になるのが理想だけれども。非常によくわかる話で、「アサーティブ」に向かおう!と思うんだけど、こーゆー話は本で読んで頭で理解するだけでは進めない気がします。やはり「リアル」で体験することが大事だよなあ。アタマで理解するんじゃなく、その「空気」(コミュニケーションが回っている感覚)を感じることが一番いいもんね。

【ことば】...「なぜ~?」「どうして~?」という表現には、理由など聞くつもりはなく問答無用で責める意図が含まれやすいのです...「意図や理由、いきさつについて知りたい」とか「聞かせてほしい」と伝えること...

わかる、わかるなあ。そういう受け止め方をしてしまう時が、あります。でも、自分は使っていないだろうか...って思うと多分使っている。立場の弱い人に対して。いかんなあ、まず自分が「アサーション」を実行しないと。

アサーション入門――自分も相手も大切にする自己表現法 (講談社現代新書)


 >> 本書の感想文、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<


本との出会いは、師との出会い。

2012/04/03

気持ちのよいストーリーです

スコーレNo.4 (光文社文庫)
スコーレNo.4 (光文社文庫)
  • 発売日: 2009/11/10

『スコーレno.4』宮下奈都②
[2/56]BookOff
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆

熱中するような趣味もなく、興味関心も薄く、特技があるわけでもない。ごくフツーの女性が、学生から就職、恋愛、それぞれの時において、何を経験し、どう変わっていくか...そんな時系列ストーリーです。
けして自分に自信がないわけではないのだけれど、できのよい妹がいるために気後れしている自分、その背景から抜け出せず、就職しても自分を出せないでいるが故に、苦痛な日々を過ごす。それを変えるきっかけになったのは...極めて日常なんですね、すべてが。特にこだわりも思い入れもない主人公が、日常を過ごす中できっかけを得て変わっていきます。確実に成長していく様子が見て取れます。
大きくは4章だてで、中学時代、高校時代、就職してすぐ、働く部署が変わってから、という構成。それぞれが独立して描かれていますが、どこかで何かで「つながって」いるんですね。前の章にでてきたエピソードが伏線になっていたり、前の章で経験したトラウマを克服したり、と、非常に考え抜かれた、唸ってしまうような映画を見ているような感覚でした。
おそらく、女性読者は引き込まれると思います。自分はそこまで感情移入できず、少々第三者的な目線で読んでいましたが、「普通の何のとりえもない」主人公が変わっていく姿、というのを見ていくのは、とても心地よいものでした。その時はムダのように思えても、後で必ずつながってくる、ということも得られました。「何のとりえもない」というのは、実は主人公が「気付いていなかった」だけのことなんですね。
最後の方が、「ハッピーエンドになればいいなあ」と主人公を応援したくなるような気持ちにまでなっていましたね。自分と同い年の著者ですから、感動するポイントは「近い」のだろうと勝手に思うことにしました。ストーリーが面白いし、繰り返すけれども「あれとこれがつながっているんだ...」という感覚が妙に心地いいのです。
家族、恋愛、仕事。それぞれの場面で「平凡な(と自分で思っている)」主人公がいきいきと描かれています。「平凡」と「いきいき」が両立しちゃう...不思議ですが、違和感がありません。回り道をしたけれども、自分の大切なものを見つけたのですね。よかったなあー。

【ことば】音楽だとか食べものだとか、そういうものと同じ...わかるかわからないかじゃなくて、好きかどうか。大事なのはそっちです。

骨董品やの主人のことば。無理やりに「わかろう」とすることがすべてではない。人間だもの、「好き」「嫌い」という感情があってしかるべきなのだ。直感は意外に正しい。ただし、この言葉は一度でも「わかろう」と考え抜いた主人だからこそ言えるものであるのだ。軽くない。

スコーレNo.4 (光文社文庫)


  >> 本書の感想文、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<


かみさまの贈りもの~読書日記~
今更なんですがの本の話


2012/04/01

よくもわるくも、「タイトル通り」です


『今日が「最後の1日」だとしたら、今の仕事で良かったですか?』中村将人
[1/55]bk1
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

実際に事故などで死に直面した経験をもとに、タイトルにような心構えを語る本です。100%満足のいく仕事をしている人(そう言える人)は、そうそう存在しないと思われます。なんらかの不満点を持ちつつも、受け入れるか受け流すかしているものです。
本書はその内容がすべて、タイトルに現れています。内容はそれ以上でも以下でもありません。もちろん、「良かった」といえないから次を考えなさい、というアドバイスではありません。「逃げる」のがベースで次を考えるのはNG、そうではなく「自らの全力を注ぐべき仕事であるのか」を判断するには、まずは全力を出さねば、という助言です。
ありがたいアドバイスではありますが、自己啓発本ならばどこにでも出ていること、かもしれません。若い世代も、そうでない世代も、「これから」のことを真剣に考えて実行することは重要です。年齢が上の世代の方が、切迫した環境を持っていることが多いですし、著者のいう「死」というものに近い、という観点からしても真剣に考え抜くことができます。50歳で書道を始めた方の話が載っていました。今この方が100歳を超えて書道の先生をしていらっしゃる。つまり「書道」という道で50年の経験を重ねていらっしゃるのですね。つまり始めるのがいくつであっても、それは大した問題ではなく、何年続けられるのか、何年も続けれられるモノを見つけられるのか、そっちの方が重要である、ということです。
このような話には惹きつけられますね。自分の立場や環境、シガラミ、経験、それらを深く考えていくと、まさに「今日が最後の一日だとしたら今の仕事で良かった」んだろうか、って考えちゃいます。最後の一日が迫っている感覚はまだ持ち合わせていないのですが、「全力で生きる」ことをしているかどうか自問してしまいますね。仕事だけではなく、時間の使い方、という意味では「意識」を考えなおすのにはいいきっかけと言えると思います。
ただ、ビジネスにつながるような自己啓発本としては、 内容的に目新しい「気づき」は見つけにくいかもしれません。タイトルが印象的な分、タイトルですべてを言い表してしまっているので、それ以上のことは中に出てこないのです。
悔いのない人生のためにすべきこと。できることは今日から始めないと。人生が突然終わってしまうかもしれないのだから。

【ことば】自分の好きな人生を送るには勇気が必要です。でも、勇気を振り絞ったその先には、やりがいのある充実した人生が待っています。

考えてみれば当然かもしれないけれども、当たり前すぎて見過ごしがちなこと。それが「勇気」。これまでと違ったことに踏み出す場合には、信念と勇気が必要なんだよね。それがあってはじめて「充実」がある(かもしれない)のだ。年齢を重ねていくと、その「勇気」の必要量が増えていくけれども、逆にいえばそれを持ってさえいれば踏み出せるってこと。

今日が「最後の1日」だとしたら、今の仕事で良かったですか?


 >> 本書の感想文、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<

【読書のすすめ】書評ブログ
ビジネス書執筆サラリーマンのブログ


Twitter