2012/08/31

興味はあるのだが...敷居は(まだ)高い


『ツチヤ教授の哲学ゼミ』土屋賢二
[20/155]bk1
Amazon
K-amazon ★★☆☆☆

身体と魂は別である。心はどこにあるのか。「身体ではなく、魂を愛している」と言われたらどう思うのだろう...「心」は身体の中のどこに存在しているのか。脳にあるのだろうか?心を身体、どちらが自分であるのか、逆にいえば自分が自分である根底は、心にあるのか身体にあるのか...

答えがでない質問である。答えが出ないからこそ考えるに値する、という考え方もある。一方答えが出ないものは考えていてもしょうがない、ということも。どちらが正しいとかはないのだと思う。自分の場合で考えてみても、答えの出ないものにこだわる時もあれば、それを思考から除外することもあるのだ。

人間ってそういうことを(たまに)考えるようにできているのかなあ、とも思うが、世界中で貧困に悩み生きるか死ぬか、という環境にある人は、そんなことを考えていることはないように思えたり。だとしたら「贅沢病」みたいなもの?古代ギリシャではホントに、そんな人たちがたくさんいたのだろうか?名前が残るソクラテスさんが、「考える」ことを本当に真剣に日夜していたとしたって、「食べる」ためには何か他のこともしていただろうに...

圧倒的に次元がことなるものの、この手のことを考えると取り留めもなく無意味に思考が拡散していくのが自覚される。そのうち最初に設定した「考えること」がどこかに埋もれてしまい、(もしくはお腹がすいてきたり、電話がなったりで)「現実」に向かい合うことになる。だからいつも中途半端だ。
考えなくてもいっしょなのかな?って思う。

本書は「(身体ではなく)君の魂を愛している」というソクラテスの口説き文句を、ツチヤ教授とお茶の水大生が議論を展開する講義録。どこかに収束するでもなく、なにか確固たる結論がでるでもなく、途中の展開も「いったりきたり」という状態である。であるが、これが「哲学」なのかも、って思う。考えることが、哲学なのでは。答えの出る「試験」や、ひとつではないけれども「こたえであろう」ものを追い求める「仕事」の世界でも、このような「そもそも答えがない」ことについて議論を展開することに慣れていない私たちは、少しの違和感を感じるけれど、そんな世界もわるくないなあ、とは思う。

けれど、本書を読み終わって数時間経つと、忘れちゃうんだよね...「哲学が面白いかもしれない」っていう感覚を。人間としての未熟さ?現実世界との違いでしょうがないこと?また答えが出ない考えに陥り、そして元に戻る...

「あとがき」で別の大学教授が解説している、「本書の土屋先生は、なかなか茶目っけがある」というのがどうしても理解できなかった。大学生の「考え」が間違っているものはない、という広く受け止める度量は感じたが、若干「押しつけ」のようなイメージもあったり。あとがきの「解説」もかなり「哲学的」でした。


【ことば】 そういう世界にちょっとでも入って迷ってみると、自分の思考力に自信がもてなくなるでしょう?...ぼくも自信がもてないんですね。じゃあこれで終わります。

講義の最後、教授の「締めの言葉」です。これが「哲学」なのだろうか?相手を納得させるような理屈だけではなく、独創的な理屈でもいい。そこから議論が始まれば...といったような。また分からなくなってきた...

ツチヤ教授の哲学ゼミ―もしもソクラテスに口説かれたら (文春文庫)


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日々の読書を糧にして
本の宇宙(そら)

 

シンプルに「笑う」ための本としてもOK

必笑小咄のテクニック (集英社新書)
必笑小咄のテクニック (集英社新書)
  • 発売日: 2005/12/16

『必笑小咄のテクニック』米原万里
[19/154]BookOff
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

ロシア語通訳としても名高い著者だけに、「ロシアもの」が多いけれど、「小咄」をうまく「使える」ようになるテクニック集。「練習問題」もある。「例文」と、そこに含まれている「なぜ面白いのか」の分析、それを使いこなすためのTIP。

ギリギリのきわどさ、つまり「死」とか「戦争」とか、極限状態、すなわち「笑い」とは対極にあるようなことを敢えて、ネタにすることによる笑い。誰か個人への誹謗中傷というよりは、時の権力者である人を対象にすることで、いわば「権力の象徴」としての権力者への皮肉が、抑え込まれた民衆のうっせきされた気分を解き放してくれる...

とか、いろいろと「分析」はありますが、小咄の例文も数多く、そちらを単純に「読んで笑う」という読み方でも十分に楽しめます。たかが小咄、されど小咄、「うまいなあ」と思えるような秀逸なものが並びます。

最近では効かなくなったけれど「アメリカンジョーク」という言葉がありました。「おしゃれ」な感じがする言葉です。ここにあげられている「例」も、多くが「洋モノ」ですが、「和モノ」も含めて「おしゃれ」感が漂います。さらには少し「知的」なものも感じます。「オヤジギャグ」という言葉で表される「サムい」しゃれや、表情しぐさなどの「動的」なものとも異なる、少し「上」の感じがするのです。

これを自分で使いこなそうとしてもそれは大変です。本書に書かれた「テクニック」を駆使してもそうそうできるものではありません。おそらくは、「天性」のセンスも必要なのでしょう。そして「情報」を広く蓄積していることが重要かと。
著者も指摘しているように、短い文の中で完結させるためには、「時と場所、相手」を選びます。「その時」がいつ来るかもわかりません。その「タイミング」が到来したら、「自然に」口からスラスラと出るようにするためには、場の流れの読み方も必要ですし、その場に応じた調整をするアレンジ力も必要。なによりも必須なのは、より多くのアウトプットができるためには、相応のインプットが必須でることでしょう。

「ウィット」に富んだ小咄を披露できるのは、「面白い」だけではなく「アタマの回転が速い」と思われるメリットがあります。テクニックを擁するよりもまずは、持っている話題を広げること。
...といった「活用法」も浮かびますが、ホントに単純に「笑う」ためだけに本書を読むのもいいかと。本書に掲載された小咄をそのまま使う機会はめったにないでしょうけれど、洗練された小咄を読んで、「面白い」と思える感覚、それをまず養うのも大事かと。
笑えます。この世界観、楽しめますよ。

【ことば】本というものは、読む者の精神にさまざまな刺激を与え、さまざまな感情を呼び起こす...その中で私が最も高く評価するのが、笑いだ。

「お笑い芸人」で長くトップレベルを保っている人は、やはりアタマが良い人だと思う。人を笑わせる、というのはかなり困難な行為だから。さらに「活字」で笑いを起こすのは困難だと思う。必要なものは何なのか?テクニックだけではなく、世界観やこだわり、そして自らが「楽しい」かどうか...

必笑小咄のテクニック (集英社新書)


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おっちゃん書房
本屋猫八

2012/08/28

これこそが「人間」の味、かも。

いいわけ劇場 (講談社文庫)
いいわけ劇場 (講談社文庫)
  • 発売日: 2005/03/15

『いいわけ劇場』群ようこ
[18/153]BookOff
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆

わかっちゃいるけどやめられないこと。今日だけはいいじゃん、っていう緩みが引き起こすマイナス。ハラが気になるけれどやめられない柿ピー。続けなきゃいけないんだけど、雨が降るかもしれないと自分に「できない理由」をつけて断続的になるジョギング。翌朝苦しくなるのは分かっているのについ言ってしまう「もう一杯だけ」。人間の弱さと、庶民から抜け出せない才覚。でも本人は後悔よりもその場のハッピーを受け入れてしまう...

どこにでもあることではないでしょうか。もちろん「極めた」方たちには、レベルの低さを指摘されても反論できませんけれども...それを乗り越えた人が「一流」に近付くのであって、時間が経つと自分の無力さに呆然としたり...

「こだわり」という言葉は、いい意味でも悪い意味でもあります。ある程度「こだわり」を持って物事に当たる人の方が魅力的だったりする。だけれども、それが過剰になって、周りが見えなくなるほどになると...外側から見ると「滑稽」に映ったり、「イタイ」感じがしたりもします。

食べること、に執着し、その瞬間に幸せを感じる人たち。当然ながら「見た目」に「結果」が出てきてしまうが、瞬間の幸せには抗えない。その人たちは不幸なのか?いや、幸せなのだろうと思う。
借金してまでも、お金を貸してくれる人たちを騙してまでも「買い物」を止められない人たち。借金が膨らむこと、大事な人たちが離れていくから不幸なのか?いや、本人は買い物の瞬間は幸せを感いているのだ。

生きていく上で、他人との関わりなしには進んで行けない。でも、自分が幸せを感じる瞬間は大事にしたい。ガマンできない、ガマンしたくない。そんな人間の弱さ、誰にだってあると思う。
「それじゃあいけない」と本人だって思うんだけど、次の瞬間には、「弱さ」に勝てない自分もいる。そういう人たちを傍目から見て、さげすんで笑う人だって、同じことをしているかもしれない。

「人生」が詰まっている小説です。ダメな人間を見て笑うだけじゃなくて、自分の弱さと重なってしまうから、自虐的に「笑い」も生じます。自分に「いいわけ」をして正当化する...ビジネス本なら真っ先に否定される要素だけれども、それが人間だったりもします。

ただ、「盲目的に」なってしまってはいけないんだなあと思う。それこそ「他人があって生きている」自分です。自分の所作が他人にどう映るか、自分とは違う他人のことを少しでも思いやる心はやっぱり必要。

くすり笑いながらも人生を考えさせられた修作でした。初「群ようこ」でしたが、読むうちに引き込まれるストーリー展開に、クギヅケになりました。

【ことば】ヒステリックに彼女はまくしたてた。(これも砂糖のせいだ)この症状は自然食の本で読んだことがある。彼女の性格も自分の力で直せるかもしれない。

過剰なまでに食品の添加物にこだわる彼。ファミリーレストランにいっても何も食べられない。「君のことを思って」自然食だけを進める彼には、彼女の気持ちを思いやる余裕がないようだ。この『無添加少年』は、本書の中でも最高に笑えるストーリー。

いいわけ劇場 (講談社文庫)


本の宇宙(そら)
ケイの読書日記

 

人生は「勝ち負け」のみか否か

武士道シックスティーン
武士道シックスティーン
  • 発売日: 2007/07

『武士道シックスティーン』誉田哲也
[17/152]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆

「剣の道」をス「トイックなまでに極めようとする女子高生と、「楽しい」から剣道をしている女子高生。相反するタイプの二人が、お互いに意識しながら「勝つ」ことについての意味を考えるようになって...

正直、この手の「YA」本は、異次元だという先入観があり好んで読まなかったが、これは面白い。そこから何かを得ようとか、そういう「重い」心構えではなしに、楽しむために読むのならば、十分に楽しめる。

小さい頃からの剣道エリート、香織は、「切るか切られるか」という時代的な思想を持ち、一度不意に敗れた早苗に立ち向かう。一方早苗はまったく正反対でけして極めつけの強者ではないものの、天性の動きとその素直さから、腕を上げている剣士である。

高校の部活動という環境の中、香織は自分の自分だけの剣道を追い求めていることに気がつき始める。個人戦はともかく、団体戦という競技の一員として試合に臨むにあたり、「自分の理想像」がぐらつい始める。その中で、「友達」「仲間」「家族」という、自分以外の大切なものに気づいていく...という、こう書いてしまっては陳腐なストーリーのように思えてしまうが、これがなかなかエキサイティングである。

「勝つか負けるか」という価値観だけで剣の道を進んできた香織が見出した方向性。「揺らぐ」ことも時には必要なのかもしれないなあ、という気持ちになる。高校生の年代に限る話ではなく、人生は「勝ち負け」のみであるという考えの元、「勝つ」ために行動している人もいるし、そうではなくもっと高みを目指して結果「勝つ」という人もいる。どちらが正解か、なんてわからない。

「勝ち負けだけじゃない」と言ってしまうのは、勝負をしていない段階では「逃げ」の言葉にもなってしまう。「勝つための」真剣勝負を経験してこそ、この言葉に重みがでてくるのではないかとも思う。
生きていく中で、この先も必ずぶつかる壁であろう。「負ける」ためにやることはない。でも負けたときに「次」を目指して顔をあげることこそが、負ける意味であり、やっぱり「勝ち」にこだわる姿勢が大切ではないかと思う。
 
誉田さんの本はこれが初めて。作者にしてみればそれまでの作品とは異質であるとのことだが、続編も出ているようだし、このシリーズを続けて読んでみたいと思う。

【ことば】...一つだけ、それに打ち勝つ方法を、見つけたんだ...それが好きだっていう気持ちを、自分の中に確かめるんだよ。その好きだって気持ちと、勝負の不安を天秤にかけるんだ...好きだって気持ちの方が重たかったら...そのときはもう、やるしかないんだよ。

そのことに全精力を傾けられるかどうか。これがポイントのような気がする。好きだって気持ち、不安、そしてもうひとつ、自分の環境、これもバランスの中に入れて考えることが、肝要だと思う。

武士道シックスティーン


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詩になるもの
奇想庵


2012/08/26

ここにもドラマはあった。

チーム
チーム
  • 発売日: 2008/10/17

『チーム』堂場瞬一
[16/151]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆

母校での「箱根出場」が叶わなかった大学駅伝チーム。ひとり突出した選手がいても必ずしも勝てないのが駅伝の駅伝たる所以だったりするし、「チーム」スポーツとしての魅力でもある。
予選会に出場した選手たち。自分自身は素晴らしいタイムで満足のいく結果を出した。が大学の本戦出場はならなかった。箱根駅伝は、もうひとつ「出場」の枠がある。それが「学連選抜」というカタチ。予選会で落ちたチームの中から、「個人として」力のある選手を集めた「寄せ集め」としての出場である。

実際の箱根観戦では、「学連選抜」の存在はもちろん知ってはいたが、特別な思いで見ていたことが正直、ない。母校の応援、という以外に大きく楽しむポイントは少ない、と思っていた(タスキが繋がらなかったり、けがを乗り越えたりという「ドラマ」は興味を引くこともあるが)。
その「ドラマ」のポイントは、「同じ大学でチームとして厳しい練習を乗り越え、伝統を背負い、関係者の期待を胸に」というところだ。日本人の弱いところだったりもする。

それゆえに「学連選抜」に思いを寄せることはない。本書のストーリーで、実際に「選抜」された選手たちにも違和感、動揺はある。ベテラン監督を擁し、適格なキャプテンを任命する。が、最後まで「まとまり」に欠けるチームから脱することができない。個々人の能力は高いものがありながら、「チーム競技」としての要件を満たせないのだ。

必至で努力してきた大学の仲間が出場できずに打ちひしがれている中で、個人として出場することがよいのか。次年度以降に繋がることのない「選抜」チームで何を目標にすればよいのか、など、個人のタイム目標や満足度を満たす以外のモチベーションアップ、維持が困難であるのだ。

最後までまとまりきれないチームで、どのようなパフォーマンスを出すのか、天才ランナーはどのように走るのか、そしてキャプテンであるアンカー走者の結果は...
ラストの「10区」の走り、その約50ページは、まさに本当に「手に汗握」るほど、のめり込みました。箱根駅伝から最も遠い時期の8月に読んだにも関わらず、まるでライブで見ているような生々しさ、臨場感、興奮。
来年正月の駅伝で、たのしみが増えた気もします。

困難を乗り越え、自身の挫折感を克服して、彼らが目指すもの、到達したものは...順位だけではなく、もっと大切なものも手にしたようです。それは、「ゴール」を目指して一歩一歩進んでいく、という駅伝の、或いは人生の「本質」を、確かにとらえたから、なのだと思います。
個人競技であり、団体競技である駅伝は、やはり「ドラマ」を内包しています。

【ことば】あの日...俺は様々なものを失い、逆にもっと多くのものを手に入れた。一番大きかったのが、走り続けようという気持ちだ。そのためなら何でもできる。

手を抜かずにやってきたことであれば、結果がどうであれ、何かを得られるはずだ。栄光と挫折を経験したからこそ、強くなれる。そしてもっとも大切なもの、失ってはならないものに気づくはずだ。

チーム


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私の読書録
乱読にもほどがあるッ!

失うものばかりではない。

おれのおばさん
おれのおばさん
  • 発売日: 2010/06/04

『おれのおばさん』佐川光晴②
[15/150]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆

有名中学に合格し、「エリートコース」に乗りかけた中学生が遭遇した「事件」。父親の逮捕によって、家庭、家族、あらゆる環境が突然変わる。住居も失くし中学も転校せざるを得ない。母親とも離れてくらすことになり、その新しい環境は、「おばさん」の運営する施設。

そこでは、さまざまな理由で親元から離れて生きる中学生が共同生活を送る。同世代ということもあり、またお互いに普通ではない理由を持っていることを理解し合うこともあり、次第に「仲間」意識が芽生える。

その施設を動かす「おばさん」はけして彼らを「可哀そうな目」でみることはしない。他と同様の中学生として接するだけだ。彼らがここ(施設)にいる理由は彼らにはなく、彼らの親にあるのであるから、当然なのかもしれないが、一般社会=彼らの世界でいえば「学校」において、他の子ども或いは親、先生からそのような目で見られたり、同情されたり、誹謗中傷されたり、というケースは当然に考えられる。その際に、自分で自分を支えられるだけの「強さ」を持っていられるか。おばさんの指導はそこに真髄があるように思える。

淡々と暮らす主人公の中学生だが、表面的には「淡々」だが、やがて強さを身につけ、仲間の大事さに気づき、そして「家族」の本当の姿を探すようになる。その「成長」ぶりが伝わってくるのだ。中学生の主人公、もうひとりの主役である「おばさん」、友達らが、いきいきと描かれ、彼らの楽しみ、悲しみ、夢、そんなものが伝わってくるのが暖かい気持ちにさせてくれる。

おばさんの素性も徐々にあきらかにされていくが、それを知っていく過程においても主人公の心の変化に大きな影響を与えているのだ。過去を引きずらないようにみせるおばさん、本当に大事にするもの、捨てられない夢を抱いて生きるおばさんの姿から、たくさんのものを得ていくのだ。


逮捕されても父親を待ち続けると決めた気持ち、意気消沈しながらも自力で立て直そうと努力する母親を支えようとする気持ち。おばさんと仲間に囲まれながら、「家族」に対する気持ちを高めていきます。おばさんと過ごす施設での生活も、カタチは違えど「家族」と同じように暖かいものであったのです。だからこそ、両親の大切さに気づき、成長するきっかけを得られた。


現実としてこのような環境にいる中学生を取り囲む施設や行政がかなりの課題を抱えていていること、一般の人の理解や学校での課題も含めて、このストーリーからそれらを知ることもできる。著者の本は2冊目だが、そのような「機会がなければ知ることのない、でも実は知っておくべき社会問題」を含ませる手法は見事です。押しつけがましくなく、でも子どものいる親として考えることは、やはり心に残りました。

 一気に読める読みやすさ、エンターテイメント、すこしハラハラする展開。そしてなにより応援したくなる人々。温かい読後に浸れます。

【ことば】...本当はずっと前からおかしくなっていたのが、たまたまあの日、一挙に表に出たのだ。それなら反対に、地道につづけていた努力がとつぜん実を結ぶことだってあるはずだ。

父親の逮捕という予期せぬ事態が引き起こした突然の変化。それでもこの中学生は、前を向いて歩いていこうという気持ちを持ち続けている。 一気に失ってしまうこともある。逆に、それまで日の目を見なかったことでも、いつか目を出すこともある。そう信じ続けることが大切。

おれのおばさん


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まどろぐ
PEPERONIの記憶の本棚
 

2012/08/22

おしゃれで軽快...日常は小説なり

異国のおじさんを伴う
異国のおじさんを伴う
  • 発売日: 2011/10

『異国のおじさんを伴う』森絵都⑤
[14/149]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

不思議な、そして惹きつけるタイトル。考えてみたら「森絵都」さんという名前を初めて知ったのは、本書の新聞広告、でした。本書はタイトル作含めて10の短編集。仕事、恋愛、日常を綴った作品で構成されています。

エキサイティングな、どんでん返しがあるようなストーリーではありません。主人公が、その人に絡む他者とのやり取りの中で、ちょっとした違和感を感じつつ、それを受け入れるのか排除するのか、そんな小さな葛藤が生まれます。それは普段日常生活で起こり得るような小さなもの。けして「小説的」ではなく、どこにでもあるような葛藤、決断の場面だったりします。

人が生きている中で、他人と関わらない場面はありません。「自分一人で」生きているような人だって、他人が作ったものを消費し、他人と言葉を交わし、他人に影響を与えられながら生きているのです。そんな中で、自分とは異なる人間である他人とのやり取りの中生じる「違和感」は誰にも起こります。自分なりに解決(違和感の払しょく)するのか、時間の経過に任せるのか、それは違和感のレベルや、その時自分がどのような環境で生きているのか、つまり余裕の度合いによっても変わるでしょう。

こんな日常が小説になるなんて、しかも飽きることなく読めるような「作品」になるなんて、改めて著者の筆力の素晴らしさを感じます。多分、本書の各短編は、しばらくすると自分の記憶からはずれていまうかもしれない。でもそれは、うすっぺらい内容だったから、ではなくて、あまりにも「日常」だったから、です。読後感も正直あまり深いものはないのですが、けして「くちあたり」の悪いものではないのです。

10の短編のうち、いつくかは「外国」が舞台になっています。登場人物も外国人がいます。これが後押ししているのかもしれませんが、とてもセンスのよい「おしゃれ」な読後感を持つ。自分には「おしゃれ」は不向きですが、でも押しつけがましいものではなく、心地よいのです。
どちらかと言えば著者の場合は「長編」の方が個人的には好きなのですが、たまにはこんな短編もいいなあ、と思える一冊。


【ことば】たとえばある日、突然、それまでなにげなく見過ごしていた「やぶさめ」という儀式が気になりだす。理由はわからないが猛烈に気になる。仕方がないのでやぶさめについて調べ...気がつくと『YABUSAME!!』とい題する小説を書いていた。

タイトル作の主人公の行動。著者自身が同じなのかは不明ですが、確かにこういうことって起こる。きっとどこかに「理由」はあって、それを紐づけられないだけなんだろうけれど、それを「カタチ」にするってことも、そのために動くってことも大事なのかも。

異国のおじさんを伴う


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読書三昧
時折書房
 
 

「人物」にならねば...もっと「前向き」な内容ならよかったけど


『ビジネスマンのための「人物力」養成講座』小宮一慶⑫
[13/148]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

小宮さんの「○○力」養成講座は、結構好きなシリーズで、「発見力」「社長力」「数字力」「解決力」に続いて5冊目の読書。そして今、最も重点と思っている「人物力」である。期待は高まるのだ。

「はじめに」で、「自動改札機で財布をたたきつけるように通り過ぎる」行為についての考察から入ります。確かにどんな優れた仕事をしているような方でも、電車に乗る時は「一乗客」であって、そんな些細な行動に「人物力」が表れたりするんだなあ、と気づく。
ここから、逆に「行動」を改善すれば人物力があがるかもしれない、という「講座」が始まります。

ビジネスで大成功を収めた人、というよりも過去から現在、そして未来にも語り続けれられる人は、そのビジネス的な成功事例よりも「人物」としていかに尊敬できるような行動や言動をしたか、で語られることが多い。一時的なビジネスでの成功、で有名になる人は少なくないかもしれないけれど、そんな表面的な人とは一線を画しているような気がします。

そしてそのような行動、言動が出来る人は、やはり「信念」を持っていらして、そしてそれを貫く強さを持っている。もちろん逆境は経験されているだろうけれど、それを表に出さず、それを乗り越えた力強さがみなぎっている感じがします。

そんな人たちに近付くためにはどうすればよいのか。本書にあげられているような「条件」(心配り、決断力、奢らない、他人のために生きるなど)が自然と身に付くような経験をされて、それを実行し続けること。
何よりも「人物力」をあげることを目標にしてきたわけではなく、自らの信念に基づいた行動を「継続」してきた結果が、「人物力」を上げたことであり、ビジネスでの成功であるわけです。

そのために、「今はまだ一般的な人物力」 しか持ちえない私たちができること、を解説してくれるのが本書であるのですが...小宮さんの本を何冊も読んできた読者には、あまり目新しいものはないかもしれません。大事なことなので何度も書くことにまったく異論はありませんが、どこかで語られていたことの総集編的な感じがしてしまうのがちょっと残念(実際に、「この本読んだっけ」と何度も思ってしまった)。

あと、「人物力」を磨くことが大事で、「こうあるべき」というテーマで語られていくのと同時に、「こうなってはならない」というネガティブな事例が多く出てきています。現実的に、未熟な私たちにとっては「できていないところを改善する」方がわかりやすいのかもしれませんが、「こういう行動をしては駄目」というのがまありに多いと、ちょっと前向きな気持ちが萎え気味になってしまう危険も...

「人物力」を鍛えるには、素晴らしい「人物」である人の行動、言動を受け入れ、それに感動し刺激をうけるのが一番だと思います。「こうなりたい」って思える人、言葉に出会うことが大事かと。そういう意味では「こうならない」的なアプローチが主体である本書はやはりネガティブだなあ、と思います。

「はじめに」の、「自動改札でたたきつける」ひとたちに人物力が備わっていないのは明らかですが、それを気にする自分たちもまだまだ、っていうところですよね。

【ことば】...会議や会食などの席で妙に深刻なことを言ったりして、その場を緊張させるのは、頭がよさそうに見せたいのかもしれませんが、まず間違いなく「小物」です。

残念ながら、そのような人にたくさん会ってきました。多分彼らが「小物」であることは誰もが感じているのですが、ポイントは自分がそうなっていないか、気をつけることかと思います。そういう「小物」の行動は、意外にも影響力が強いものですから...

ビジネスマンのための「人物力」養成講座 (ディスカヴァー携書)


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tsunokenのブログ
鈴麻呂日記
 
 

サブカルと鬱...相関関係ないんじゃね?

サブカル・スーパースター鬱伝
サブカル・スーパースター鬱伝
  • 発売日: 2012/07/21

『サブカルスーパースター鬱伝』吉田豪
[12/147]
Amazon ★★★☆☆
K-amazon ★★★☆☆

「サブカル」の世界にいる男子は40歳を迎えると鬱になるんじゃないか...著者が感じている疑問をベースに、「サブカル」たちへのインタビューを敢行。
「サブカル」に縁遠いところにいるのだが(かといって大衆迎合でもないけれど)、著者がどうような方かわからないままに読み始めた「初心者」にとって、「サブカル」というテーマ以上に、読むのが遅くなった理由は、まるで「身内」のような会話についていけなかったから。

著者と対談する人たちは、旧知の仲であるようなのだけれど(それは別に構わない)、会話の内容が「サブカル」すぎてよくわからない...というのが本音である。名前は知っている人が多いけれど、敢えて「その人のことを知りたい」と感じたほど思い入れていた人が少ない、というのもある。

本書に登場する「サブカル」世界の人たちが、著者の仮説であるところの「サブカルは40歳で鬱に」という内容で対談していく。自身がその年代を迎えたときの話、鬱状態であったときの話、それを行け出した話、と展開されていく。

サブカル=文系男子=カラダを動かさない、というところに理由を求めたり、サブカルに依存する「呑気さ」に原因を求めたり...
もしかしたら、鬱=サブカルは関係なく、年代とそれに伴う社会的な位置づけとか、取り巻く環境とか、そういうことじゃないかしら?って、テーマ設定が「モトモコモナイ」ことを思ったりした...

本書に登場する人の多くは、自身が「病んで」いたときのことを語る。これを読む読者の方はどのようなスタンスでいればいいのだろう。「こんな有名な人でも悩んで、それを脱して、苦労されているんだなあ」って思うのか...「人生折り返し時期になると誰も彼も悩むんだなあ」と思うのか...

自分は「後者」でした。どうも彼らの話の中から「勇気」をもらえるような場面も見つけることはできず、淡々と「事実」のみがアタマにはいってきたのみで、前向きにはなれず、正直読後は脱力してしまいました。
なぜだろう?鬱状態になる危険性は「サブカル」とは別のところに存在していて、もしもその状態になったら、自分で抜け出すしかない、っていうことが明確になったから、かもしれません。
そもそも「鬱」というテーマの本が楽しいわけはないけどね。

【ことば】人間、”自分のため”に頑張れるのは三十代まで、ですね。結婚したり子供を作るのは、”こいつらのために”という新たな目標を持って、頑張る期間を長続きさせるためなんです。

こう断言されちゃうとちょっと抵抗はあるものの...自分の時間を振り返ると、そして「今」を考えると、確かに言い得ているなあ、と感じます。でも「目標」があって「頑張れる期間」が続くことは大事だし、「(自分ではない)人のため」という動機付けが自然になるのも、それは気持ちがよいもの。

サブカル・スーパースター鬱伝


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 djapanの『FEEDBACK DIARY』
sutero choice

2012/08/16

「祖国」という考えを確かに持っていなかった、かも

ぼくらの祖国
ぼくらの祖国
  • 発売日: 2011/12/28

『ぼくらの祖国』青山繁晴
[11/146]Library
Amazon ★★★★★
K-amazon ★★★☆☆

震災があって、原発事故が未だ収まらない中、「前」とは意識が完全に変わったと思う。これまで当たり前に「カタチ」として目の前にあったものが無くなる怖さ、見て見ぬふりをしてきた原発のリスク、エネルギーの大切さ、そして「日本」という自分たちが属する場所。

第二次世界大戦が「歴史」の一部となっている自分たち世代以降は、「日本」という所属場所に特別な思いを持っていなかったのかもしれない。そんなことを考える必要もなかったくらい「平和」だったのかもしれない。確かに政治や経済の混乱はあったかもしれないけれど、庶民の日常生活を大きく変えるような、「意識」それ自体を揺るがすようなことはなかった。

身の回りのものは大きく変わっていった。世の中「便利」になっていった。「景気」は波があるけれども、「便利」になる過程は、その速度がその都度変わったとしても、進んでいく方向は変わらなかった。

その「便利」は、日常生活の中に静かに溶け込んでいく。けれどそこに「エネルギー」を消費している、という感覚がなかったのだ。だから原発のことを知る動機がなかった。もしかしたら「カタチ」あるものでも一瞬にしてそれが消えてしまうこともある、ということを実感できずにいた。

そして「戦後」という言葉自体が古く思えてしまうほど時間が経って、「今」の環境はずっと以前のそれとは切り離されているような感覚さえ持っていた。古くから伝わる「伝統」よりも、開発された技術に、それのみに目を向けるようになってしまった。今、自分たちが享受している便利さは、今、自分たちが生きているこの場所、環境は、過去からの積み重ねの上に立っているのだ、ということを、意識しないでも生きてこれた。

そんな「あたりまえ」意識が、何か変わってきた気がする。震災、事故がやはりきっかけとなって。改めて「日本」あるいは「日本人」という意識は高まる。オリンピックの高揚もそうだけれど、領土問題も改めて「日本」を考えるきっかけになる。


本書で指摘されているように、「祖国」という意識を、もしかしたら意識的に教育されてこなかった日本人。それは軍国主義的な考え方ではなく、「今ここにあるのは過去からの連続である」ことへの意識である。敗戦という節目のあと、戦勝国の統制に応じてしまった国民性もあるかもしれない。

領土問題は、「資源」に起因するという。諸外国が領土を主張するにはそういった理由があるのだろう。しかしながら日本という国が自国の「資源があるだろう領域」を調査することは、これまでなかったというのが、本書を読んだ中で最も衝撃的なことだった。
なぜなんだろう。先導すべき人たちが「資源がない国」というアタマで、動くことをしていないのか。或いは何か利権が絡んで「動かない」のか。そうだとしたらあまりに悲しい。

自分たちは、この国で生まれ育って、そして未来に向かっていく。だから、この国「祖国」を思い、この国「祖国」をもっと知る必要がある。何かを変えていくとしたら、まず「知る」ことから始めないと。

【ことば】 南三陸の町民の命を救った声は今、ぼくらに向かって、新しく生きよと呼びかけている。

震災の時、津波が押し寄せるまさにその時に、庁舎の屋上へ避難せずに、町民への避難の呼び掛けを続けた職員たち。いざとなった時、ひとのため、みんなのためにそのような行動を起こした彼らに敬意。自分にはそんなことができるのだろうか。

ぼくらの祖国


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何事も楽しく、過ごしたい。
晴耕雨読と読書の日々
 
 

2012/08/15

「仕事」とは、人のために役立つことであると

ヤッさん
ヤッさん
  • 発売日: 2009/10/28

『ヤッさん』原宏一
[10/145]Library
Amazon ★★★★★
K-amazon ★★★★☆

主人公は、会社勤めがこなせなかったホームレスの若者。同じくホームレスの「ヤッさん」に弟子入りすることになるが、「ヤッさん」はただのホームレスではなかった...
「喰うに困らない」ホームレスなのである。市場の仲買人とレストランの料理家を「情報」で結ぶ役目を担い、その報酬としての賄いで生活する。極めて「小説的」で現実味が薄い展開ではあるが、ヤッさんの「美食家」ぶり、食材料理に対する思い入れの強さがにじみ出てくる。

過去を語らず、「プライドを持ったホームレス」として生きる師匠についた主人公「タカ」は、次第にヤッさんの魅力に引き込まれ、意識も考え方、生き方も師匠についていくように。
彼らの位置づけが「ホームレス」であるだけであって、実質は「プロの仕事術」のようなものだ。互いに必要としている情報や、人とのネットワークをつなげるという、実は重要な「仕事」をしている彼らは、「報酬」としての現金をもらわないだけで(報酬は「賄い」である)立派な「仕事」といえる。ヤッさんが弟子に対して「ホームレスとして矜持を持たねばならぬ」といったセリフが、当初は「小説的」であったが、読み進むにつれ、本当の意味が伝わってくる。

このコンビに、蕎麦職人になりたくて家出した少女が加わり、いくつかの事件が起こるたびに、ヤッさんたちが活躍する。そもそもが読みモノとして非常に面白いし、ヤッさんが計画する「解決策」がナゾトキのような楽しさもある。過去を語らないヤッさんのミステリアスな部分、勢いのある「師匠」ぶりも、口は悪いけれども実は良い人かも、といった暖かさも感じる。

ストーリー的にしょうがないのだけれど、ヤッさんの過去や優しさが出てくるようになって、出だしの頃の「悪態」が減ってくるのが、後半の盛り上がりに不足が生じるところでしょうか。人を寄せ付けないほどの強烈なキャラクターが段々と薄れてしまうのが、少し残念に感じたり。

「ホームレス」という言葉とはマギャクのイメージがありますが、彼らはプロフェッショナルです。そのギャップが面白い。そして自分の報酬のために動いていない、人のために動いている、という姿勢が変わらないのが素敵です。

仕事はお金だけではなくて...云々といったビジネス書は多数ありますが、「架空の」話ではあるものの、そのメッセージを強化してくれる本書です。お金が不要なわけではありませんが、順序の問題かもしれませんね。人のために活動することが先にきて、その人が喜ぶ、満足することで対価を得られる。お金、情報、食事、時間...満足するポイントは結構あるんです。

【ことば】いまどきは腕の立つやつより弁の立つやつのほうがでけえツラしてやがる世の中だが、おれに言わせりゃとんでもねえ話だ。

弁の立つ人間が悪い、ということではなく、彼らは「腕の立つ人間」に敬意を払うべきだという話だ。腕の立つ人間は、常に自分の「腕」を信じ、磨き続ければよい。「弁」が起こす雑音を気にすることはないのだ。自分を高めていくこと、プロであることが必要だ。

ヤッさん


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小野塚 輝の『感動仕入れ!』日記
ナナメモ





2012/08/14

読むだけでは価値半減。やらなきゃ!


『金がないなら知恵をしぼれ!』岡崎太郎②

[9/144]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

著者のセミナーを一度聴講したことがあります。「通販コンサルタント」として著名な方ですが、確かに「オーラ」というか、「勢い」がありました。敢えて「演技」の部分もあるかと思いますが、ガンガン攻めるタイプとお見受けします。

通販のみならず、BtoCの事業において「新規顧客」獲得が困難になっている事実はあります。これは人口そのものの減少もあり、また、参入する企業が過多になってきていることもあり、商品の差別化が困難になってきていることも、デフレ傾向で「安値」であることが最大の武器になってきていることもあります。

確かに差別化が困難な状況ですが、商品(内容、スペックなど)で差別化できないとすれば、「サービス」や「組み合わせ」などで対応するステージなのだと思われます。そのためにできることといえば...基本に立ち返るようですが、「アイデア」なのです。つまり、「考えること」が大切。

というところまではほとんどの人がわかっている。であれば、「アイデア」を生み出す力をつけること、そのための知識を蓄えることが重要になってきます。ただし、知識を蓄えることがゴールではありません。その蓄積された情報をベースに、好奇心というアンテナを武器に、アイデアを生み出すこと。そして何より大事なのは、それを「実行」してみること、だと。

本書では、その「アイデア」を生み出す力をつけるヒントが語られます。一見「型破り」な発想ですが、ここに掲載されているアイデアそのものに対して「いい、悪い」の判断をする必要はなく、そのアイデアを生み出すに至った著者の、発想「力」に注目するべきでしょう。

そして、本書の中でも度々登場していますが、「提案したけれども実現されていない」というクダリ。差別化できるようなアイデアはそうそう「当たり」がでないものと考えなければなりません。そんなに簡単なことではない。だからこそ(可能な範囲で)まずはやってみること、そしてその結果をツブサに検証することが肝要だと、改めて思います。

「考えること」の重要性は確かにある。それだけは疑いようのない事実であり、それを追い求めていくしか方法はない。努力しない先に答えは見つからないのだから。タイトルにあるように「知恵をしぼる」ことで光は見えてくるはずだ。苦しいけれど、逆にいえば「金がな」くても、アイデアでたどり着ける先がある、ということはモチベーションにもつながる。

例えば、Facebook、twitterなど「ソーシャルのビジネス活用」。これなんかは、金をかけてどうこう、ではなく、アイデア次第で盛り上げるかどうか、という新しい仕組みである。そして「考えること」と「実行力」が成功に近付く最大の要因となるのだ。

 
本書は、自分が持っている著者のイメージ通りの内容でした。だから安心できたのだけれども、敢えて読む強い理由も見つからなかったのも事実。そう、岡崎太郎さんは、実際に「ナマ」で見た方が、圧倒的に刺激をいただける方です。

 
【ことば】 だれもがアイデアマンだと僕は信じている。世界中のだれしもが毎秒毎分インスピレーションを感じている。

多くの人が、そのインスピレーションに「気づかない」と著者はいう。「きわめて揮発性が高く、いつのまにか...消失してしまう性質のものである」というインスピレーションを、カタチにすること、これがポイントだろう。そのための「思考の基礎」、推進力としての「好奇心」をあくまで高めていきたい。

金がないなら知恵をしぼれ!ビジネス着想100本ノック


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マインドマップ的読書感想文
文京の街角

 


2012/08/13

深い意味が込められている物語。大人も読むべし。

福の神になった少年―仙台四郎の物語
福の神になった少年―仙台四郎の物語
  • 発売日: 1997/01/25

『福の神になった少年』丘修三
[8/143]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆

仙台に実在した「しろう」さん。生まれつきの「ちえおくれ」でも、育ての親、兄、そして町の人から愛される人間で、次第に「福の神」と言われるようになっていきます。
実在の人物、というリアル感と、ご本人がけして意図していなかったであろう「福の神」の称号、人間として何が「幸せ」であるのか、そんな深い真実が描かれたストーリーです。

ちえおくれのしろう少年は、「しろばか」と呼ばれ、子どもたちからもいじめられる存在でもありました。しかし彼は、仕事は覚えられないけれども、人の心に敏感でした。素直に、シンプルに、「他の人が喜んでいたら自分もうれしい」「人が悲しい顔をしていたら自分も悲しい」という行動ができるのです。しろうさんのそんな「素直な心」に気づいたひとたちは、そこに惹かれていきます。彼の中に自分の失ったものを見つけているのかもしれません。そしてそんな「付き合い」をしろうさんとできるようになる人たちには「福」がやってくるのです。
  
もちろんご本人に、「笑顔を絶やさない」とか「人が喜んでいる姿を見て自分もうれしくなる」とか「自分がいいと思ったことをやる」という素直な汚れのない気持ちが備わっていたこともあるでしょう。けれど、「福の神が来て繁盛した」お店というのは、そんな一見「扱いにくい」しろうさんが来ても、買ってに店前の掃除を始めても、それを邪見にせず暖かい気持ちで受け入れる姿勢があったように思います。

そして「わるいやつら」はどこにでも存在します。「福の神」を利用しようとするひとたち。しろうさんが理解力に劣っていることをいいことに「自分の金もうけ」に使おうとするひとたちがいるのです。かれらは一時的には成功するかもしれませんが、結果は...そうです、もう見えています。

なぜにしろうさんが「福の神」になったのか。それは、彼の力と、彼を思う人たちの力、双方に理由があるようです。そして、「金もうけ」に直接的に走る人たちと、商売とは別のところでしろうさんとあたたかい付き合いを重ねるひとたちの違いが明確になっていきます。

 「幸せ」がどこにあるのか、というテーマも。しろうさんは自分では金もうけはできません。仕事ができない彼をいやがる身内もいます。けれど、しろうさんを利用して一時的に金を儲けた人と、「人の喜ぶ姿を見て喜ぶ」ことだけを求めて生きるしろうさんと、どちらが幸せな一生なのでしょう。もちろん「現実的に」という部分はあるにせよ、自分が芯に持っておきべきものはどちらなのか、これも明確です。

子供向けの物語なのかもしれませんが、ビジネスに汗かく大人は是非読むべきだと思います。いろいろと考えるポイント、あります。

【ことば】社会は進歩したはずなのに、お年寄りや障害者は、必ずしも幸せになっていない...今の時代の人たちは、障害を持った人も人間としておなじだということは知っているけれど、いっしょに生きようとはしていないのかもしれない。

本書を読んでいて、引っかかっていたのはこの点かもしれない。しろうさんは、町の子どもたちや大人からも石を投げられたりいじめられたりします。でも、しっかり「町」で生きている。周りの人も「いっしょ」に生きているんです。この違和感はなんだろう。今の「いじめ」との違いはなんだろう。

福の神になった少年―仙台四郎の物語


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成功者になるために実行すること
Good News Collection


2012/08/11

見習うべき人と、ファーストクラスは関連ないですね

ファーストクラスに乗る人のシンプルな習慣
ファーストクラスに乗る人のシンプルな習慣
  • 発売日: 2009/12/01

『ファーストクラスに乗る人のシンプルな習慣』美月あきこ
[7/142]Library
Amazon ★★☆☆☆
K-amazon ★★☆☆☆

実際のCAとしての体験、そしてセミナー講師、コンサルとして独立起業されている著者が、「ファーストクラス」に搭乗するビジネスエリートについて語ります...という切り口ならばそれなりに面白いのですが、それもあり、ファーストクラスのサービスのこともあり、キャビンアテンダントの苦労話あり...メッセージが何かよくわからない混乱状態になっています。

「元国際線キャビンアテンダント」の書いた本、ということで、ファーストクラスに関する話しを詰め込んだのでしょうが、確かに高額なファーストクラスのサービス、その高額でも利用するお客様のエリートぶり、CAを軸とした話しの方が統一感はあるのかもしれないし、興味を引くのかもしれないけれど、単にそれ(タイトルで興味関心をひくだけ)どまりです。ビジネス本の範疇ではない。

ファーストクラスのお客様の話し方、姿勢がよい、という。だから話し方や姿勢をよくするためにはこうすればいい、という。ん?何か違和感あるよね。話し方や姿勢を「ただしく」するのはもちろんよいことだと思うけれど、「ファーストクラスのお客様」とは無関係だよね。そういう「ちょっと考えてみると”ファーストクラス”と関係ないんじゃ?」的なものが少なくない、いや、多い。

「ファーストクラス」でいえば、それに対するサービスは、もちろんさすがにプロの域だなあ、とは感じます。「個」として究極のサービスを提供する姿勢、考え方、取り組み方、著者自身のマインドの高さは尊敬に値します。それだけに、ファーストクラス「以外」、つまりビジネスクラス、エコノミークラスの扱いが低すぎるのが残念。(ファーストクラスに比べて)ビジネスクラス利用者はあまりレベルが高くないような書き方は、非常に後味が悪いです。

ビジネスマンとして、もっといえば人間としての質を、搭乗する座席によって比べられたら、たまったもんじゃないですよ、実際。もちろん「ファーストクラスに乗れるような」ビジネスマンになるためには...というのがテーマなんだろうけれど、それと人間として尊敬できるかどうかは、まったくベツモノです。

【ことば】相手の立場に立ってものごとをとらえようという「仁」の思想を説いた孔子の時代から「他社の喜ぶ顔を見ることを自分の喜びにできるのが真の成功者だ」と...

どうしても「自分」中心で生きてしまう。でも実際に他者の喜ぶ顔を見たとき感じる「喜び」って、なんとも言えぬものがある。前提としてその相手をよく知ること、好きになること、信じること。そして自分を信じることも必要な要素だ。

ファーストクラスに乗る人のシンプルな習慣


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龍眼日記
IT営業マンが読んでいるビジネス書





2012/08/10

「小さき者」を持つ身として感動、感銘を受けた

小さき者へ
小さき者へ
  • 発売日: 2002/10/01

『小さき者へ』重松清②
[6/141]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆

お父さんと子供。成長がうれしくないはずはないのに、なんとなく「ちいさいまま」でいてほしい気持ち。いつのまにか「おとな」の顔を見せることに喜びも寂しさも感じる一面。まさに「親」として初めて経験する場面を、「おとな側」の目線と「こども側」の目線、微妙なズレと「変わらないもの」を表現している作品集。

自分の「今」に置き換えられるので、かなりの度合い、入り込みます。

 成長したこどもに対して、お父さんはどう接してよいか、わからないことがあるんだよ。もちろん独りの人間として、どんなに小さくたって尊重して接する気持ちがある一方で、何もできなかった小さい頃をひきづってなんでもしてあげちゃいたい気持ちもある。でもね、どんな態度をとったって、きみたちのことが大好きで、大好きで、かわいくて、愛していることは間違いないんだよ。もしかしたら、そんなお父さんの姿は、不器用でかっこ悪く見えるかもしれないし、「構わないでっ」って思うこともあるだろうけれど、それだけは「いつか」わかってほしいな。「いつか」でいいからさ。

本書の中では、いくつかの場面、いくつかの家族が出てきます。社会的な問題があることもあるし、男の子がほしかったお父さんの葛藤もあるし、兄弟のむずかしさも描かれます。どれも「ぐっ」とくんだよね。たとえ自分の環境と完全一致しなくとも、子供なりの思いや、おとなとしての思いや...

必ずしも「ハッピーエンド」で収束しないところも、「現実の家族」と一緒です。子供も変わっていく、おとなだって変わっていく、そんな変化の中で、変わらないものがあるのが「家族」であったりするのかなあ、なんてカタチにはできない「何か」を感じながら読みました。

「団旗はためく下に」に登場するお父さんと娘(高校生)。お父さんは娘のことが「大、大、大好き」なんです。それが娘にもわかっているし、文章からも伝わってきます。不器用だと思えても、お酒の力を借りなきゃ本音が言えなくても、その「気持ち」が家族みんなの心にあることはとても大事なことなんだとうなあ。自分も同じようになる気がしてしょうがない、っていうのもあるんだけど。

家族という「基本的な集団」の中で、支えあって刺激を与え合って生きていく。子供と親の間で、一方通行ではなく、(ある程度)本音を伝え合える、そんな場でありたいと強く思う。

【ことば】ずうっと、一生、残るのかもしれない。しかたない。負けは負けだ。だが、「負け」と「終わり」とは、違う。違っていてほしい-と思う。

事業に失敗して、家族さえも失う危機にある父親。でもそんな危機を招いたのは「失敗」だけではなく「気持ち」の問題でもあったわけです。「終わり」という気持ちになって前に進めなくなったとき。「負け」でも「始まり」の気持ちは持てるはず。それに気づけばもう一度歩ける。

小さき者へ


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黒夜行
映画と読書とタバコは止めないぞ!と思ってましたが

2012/08/07

「2番打者」タイプだと思っていたが...

2番打者論
2番打者論
  • 発売日: 2012/04/19

『2番打者論』赤坂英一
[5/140]Library
Amazon ★★★★★
K-amazon ★★★☆☆

「脇役」のイメージが強い「2番打者」、特に学生時代の野球は、エース、4番打者、もしくはトップバッターに光があたりがちだ。「ライパチ」のような未熟さもない代わり、どうも目立つことがない2番打者。でも、プロ野球においては、その価値が高いのだ。

通常の打者の成績は、数字で表される。打率、本塁打、打点、盗塁、出塁率...これが高いと評価され、プロ野球であれば年俸に跳ね返ってくる。ところが2番打者になると、これらの数字だけでは評価しきれなくなる。
状況に応じた対応を要求されるからだ。前のバッターが出塁した場合とそうでない場合。点差とリード、アウトカウント。出塁した選手の盗塁の確率。相手ピッチャーのコンディション...もちろん、2番打者以外は考えなくてよい、ということではないが、出塁率の高い選手が1番打者としてラインナップされることが多いから、当然に「考える」場面は誰よりも多くなるはずである。

イメージとしては、本書にも出てくる、ジャイアンツ川相、ドラゴンズ井端、ブレーブス蓑田...地味だけれど「職人」的な選手たち。ただ、彼らも学生時代から「いぶし銀」だったわけでもなく、プロでレギュラーを取るくらいだから、「エースで4番」的な絶対的な選手だったのだろうと思う。
そんな人たちが集まるプロの中で、「自らの役割」として地位を固めていったということだ。

プロ野球というフィールドは、チームが勝つ、という目的がある一方で、「プロフェッショナル」であるべきだと個人的には思っている。お金を払ってまで球場で見たい選手、プレーというのがあるからこそ「プロ」であると。川相選手の場合は、まさに「プロ」の域まで高めた2番打者であるのだと思う。現役の時に「見たい」と思ったからね。そこでいうと、本書で紹介された「今の現役」2番打者は、まだ「見たい」と思うレベルまで達していないかも...と偉そうなことを思う。

地味であっても、「プロ=職人」の域に達するまで、徹底してやり「続ける」ことが大事なのだなあ、と改めて思う。「犠牲バント」という言葉に表されるように、献身的なチームプレイというのが2番打者に求められる最大のものかというのがアタマにあったが、さにあらず。時には「1番打者」のようにもなり、「3番打者」のようにもなれる柔軟性も必要だということだ。

自己診断してみると、自分で「2番打者」的かなあ、と思っていた。出塁率の高い1番打者と得点力のあるクリーンナップを「つなげる」役目。おそらく間違ってはいないと思うが、ポイントはやっぱり、「職人の域まで達することができるか」
ということだね。「プロフェッショナル」でありたい。

【ことば】「2番を打つなら、そこそこの2番ではいけない。このチームで2番を打つのはおれしかいない。そういう実力とプライドを持った2番にならないと」

「世界一」の2番打者として、そして指導者となった川相の言葉。これはこと「2番打者」ではなくとも、普遍的なことなのだろうが、極めた人が言うと、やはり「強い」メッセージが込められる。

2番打者論


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しがなき男の楽天イーグルス応援ブログ
~Lotus~



2012/08/06

「5%」に入るべし。それが自分の価値。


『5%の人』清水克衛
[4/139]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

マスメディアの影響力を引くまでもなく、また「KY」などの言葉を例示するまでもなく、「大衆」の力は強い。「多くの人がそう思っていること」=「正しいこと」という、抗うのが困難(であるよう)な流れ、っていうのは確かに存在するようだ。
しかしながら、その「大衆迎合」することなく、あくまでも本質を追い求める姿勢を崩さない「5%」が、最後には自分を確立する...というのが、タイトルの意味合いである。

基本的に人間は「易きに流れる」ようにできているのかもしれない。自分で考える、ことを少し放棄すれば、この情報社会である、その信ぴょう性は定かではないままの情報を受け入れることは、「楽(らく)」である。そしてそれに「流される」ように自分の考えをそれにアジャストしていけば、当面はじかれることはないのだ。実際に「95%」はそれで生きていける、ということ。

しかしながら、それではつまらない。自分がこの世に生を受け、社会に貢献することは、すなわち自分が自分でなければならない理由を明らかにしていくこと、ではないかと思う。それには「信じ抜くこと」に値すると思われる事項を、世間がどう言おうと信じぬくこと、だと思う。

もちろんそこには、正しい社会感が前提となり、「正しいことを、貫く」というのが本論である。それは「人が喜ぶ姿を見たい」とか「家族の笑顔のために」とか、自分の周りを含めて考えると、視点が変わってくるかもしれない。「お金が欲しい」のは、そのお金で家族を喜ばすことが目的かもしれない。だけれども、お客様を弄してお金を得るのは、そこに「喜ぶ姿」を見つけることはできないのだから、「正しい」ことではない。

本書は、実際に「信じたことを」「周りが何と言おうと」「貫いている」著者の話し、それだけに説得力があるのだ。なんとなくどこかで聞いたことのある話しや、カリスマ的な著名人の話しなどが少なくないが、「現場」の人が、自ら実行しているからこその話しは、読む価値が大きい。

損得勘定だけではなく、人との出会い、自ら興した行動を大事にする。そこには「無駄」ということは一切存在しないのだ。将来何かに繋がることが必ずある(ここで、「将来につなげるために」行動を起こそう、という逆の流れは、いけないことかもしれません)。

信じたことをまっすぐに。目先のことにとらわれず。周りの流れにのみ込まれずに。「5%」になるのは、それなりの「意識」は必要かもしれないが、「努力」ではない。「素直」に行動すればいいのだ。

【ことば】...現代人は頭でっかちになっていて、物事の判断基準を損得だけに置こうとする傾向があります。しかし人間関係においては、損得だけではうまくいきません。

身を以て感じています。「損得」だけで付き合うような人は、悲しいですが少なくないです。それで離れてしまった(かつての)大事な人もいます。だけれども、相手のスタンスは変わられないのだから、こちら側は「損得」ではない付き合いをしていこうと思う。困ったときの人間関係って、すごく大事だから。

5%の人 時代を変えていく、とっておきの人間力


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みゅう的読書感想レビューメモ
毎日幸せ♪読む・走る・ 日常の魂の成長の1コマ。

実践的でヒント満載!使えます。


『リピーターをつくる35のスイッチ』眞喜屋実行
[3/138]
Amazon ★★★★★
K-amazon ★★★★☆

実店舗でも、無店舗でも、最近聞かれるのは「新規のお客さんが少ない、減った」という言葉。それでも宣伝、安売りで体力勝負にでるのか、既存のお客様に目を向けるようにするのか、企業としての選択が迫られる。
傾向としては、「既存のお客さんのリピート」という流れにはなっているようだ。それに関する「ノウハウ本」も増えているような気がする。そして、「リピート」に目を向けることを徹底している企業が、結果として新規のお客様も増え...という好循環が生まれている、という話しも聞いたりする。

無店舗販売、つまり通信販売では特にその傾向があるのだが、「新規」向けの広告の費用対効果の悪化が叫ばれて久しい。よくあるのが「定期コース」という手法で、リピートを「仕組み」化するモデルである。これも若干だけれども、やり方によっては「企業側の都合」というのが見えてきてしまっているようだ。

本書は、実店舗でも運営経験豊富な著者が、その「リピート」する仕組みを解説。しかしながら、コンサルの先生たちが説くような、「ツール」「数字」「費用対効果」という視点ではない。そもそも、なぜお客様はそのお店でもう一度買う気持ちになるのか、といった本質的なポイントを、自ら「お客様としての」視点を忘れないようにしながら見つけていく、といった手法である。

 本質がここにあった。実店舗でのやり方、考え方が直接的な内容だけれども、もちろん通信販売や、あるいはサービスの提供によるビジネスにも当てはまる。実際に、自分の周りの案件に当てはめながら読み進めてみる...結果として、かなりの度合い、参考になります。
実際に、ここからヒントを見つけて、実行に移してみようと動き始めたことも既にある。それが「ヒット」かどうかは結果を待たなくてはならないが、「動き始めた」こと自体にも価値はあるはず。マイナスには絶対にならないのだから。

副題にある「お客様の記憶に残るお店」になるにはどうすればいいのか。「いい店」どまりを脱却するにはどのようなアクションをしていけばいいのか。根本的なことは、よく言われる「関係性」だとか「お客様の立場に立って云々」といったことだけれども、本書には、「その先」のヒントが隠れています。何よりも「現場」で考え抜いて、実行し続けた著者だからこそ、そのマインドが伝わってきます。

商売を営む人、経営じゃなくとも現場である人も、ベテランも若手も、店舗でも無店舗でも、これは読んでおく必要がある。そしてアクションにつなげれば必ず何かが変わってきます。「実行」しなければ、というのもビジネス本ではよく言われることですが、本書のプラスは、その「実行する」敷居が低く、すぐにでもアクションできるようなヒントがあり、そのような考え方に変われること。

著者及び著者の活動にも注目。より多くのヒントを得るためにも、もっと知りたい、そう思わせるものがあります。

【ことば】...お客さまに満足してもらえない売上は、リピートにつながることもありません。お店の「売りたい」という意向だけで強引につくった売上には、あまりいいことはないのです。

まさに体感していることのはずだけれども、月末で数字が不足しているときはその「大原則」よりも、「短期」を求めてしまうことが繰り返され...まだまだ足りないですね、自分の中で不足しているものを指摘された感あり。自分の身に置き換えればわかるじゃん...って何度も気づかされた本書でした。

お客さまの記憶に残るお店のリピーターをつくる35のスイッチ (DO BOOKS)


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飲食店経営 右肩上がりのブログ
読書で人生武者修行


2012/08/03

刺激はいただきました、が少しだけ違和感も

日本でいちばん大切にしたい会社2
日本でいちばん大切にしたい会社2
  • 発売日: 2010/01/21

『日本でいちばん大切にしたい会社2』坂本光司③
[2/137]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

前作に続き、著者が「続けることに意味が」とあるようにシリーズ化された、いいものをいいサービスで提供し続ける、誇りに思える日本の会社、の紹介。経営学者の著者が、「感動」を生んでいる会社を実際に訪問し、そこで得られた会社の「思い」や「姿勢」を著しているので、「また聞き」ではなく自身の目を通して語られる分、臨場感がある。

本書にあげられる8社で、概ね共通しているのは、経営トップ層の「社員を大事にする気持ち」であろうか。「決まり」で押しつけれらる定年制や、社会風潮的な年功序列とか、あるいは「管理」などとは無縁のやり方。タイムカードがない、年齢とともに給料があがる、早いもの順で採用する、休日が多い、など、そこで働く社員を信用してはじめて成立しうる仕組みがある。

本当にできるんだろうか...?と、「一般企業」に勤めていた自分からは想像しづらい。おそらくこれは「順序」であって、「信用しているからタイムカードがなくても規律は守れるし仕事は順調に回る」であって、「タイムカードをなくせば仕事環境がよくなる」というものではない。ただ、これを経営層がどこまで徹底できるか、という点にも関わってくるような気も。

取り上げられた会社が極端なのかもしれないが、経営陣と社員の信頼関係が強く、チームワークというものを感じる度合いが高い。まるで「物語」を読んでいるようにも感じてしまうほど。本当にホントなの?

という気持ちになってしまうのは(自分のココロがすさんでいるからか?)、掲載された「大切にしたい会社」の経営層からの視点がメインで描かれているから、だろうか。もちろん社員やサービスを受けたお客様からの「サンキューメール」の類が紹介されるものの、どちらかといえばトップのキャラクター、考え方が印象に残る。現場の人は本当にそう思っているんだろうか...

それと、ある意味で「先行投資」ができる環境にある企業が多いのかなあ、という印象もある。社員の成長のためには投資を惜しまない、という姿勢は賞賛に値するものであるが、おそらく多くの企業は、先行投資したい気持ちがありつつも、現実的には(物理的に)不可能=お金がない、ということなのかもしれない。
実際に、いいものいいサービスを持っていながらそのような環境にある会社を見てきている自分としての違和感はそのあたりにある。

かといって、ここに紹介された会社の価値を落とすものでまったくない。タイトル通り「日本で大切にしたい会社」であることに異論はまったくありません。
そしてその会社の考え方、アウトプット、徹底した継続的な姿勢、それらから刺激を受けたのは間違いないです。自分もそうなりたいし、そういう会社に接していたいと思う。

【ことば】...感動・感嘆・感銘するような愛情あふれる人間思い、社員思いの経営を行っている企業も、少なからず存在していることがわかります。しかもこうした企業は、例外なく好業績をあげているんです。

効率を追い求める企業が多い中、短期的な数字を追い求める姿勢が目立つ中で、そのような企業がすくなからずあることは、「復興」を目指す日本にも光が見える気がします。ただ、まだまだ「好業績」を上げられないところも少なくないんです。正しいことをしている企業は成功「しなくてはならない」、そう思います。

日本でいちばん大切にしたい会社2


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活かす読書
itchy1976の日記



2012/08/01

恐れるものは、ここにあった。

「僕のお父さんは東電の社員です」
「僕のお父さんは東電の社員です」
  • 発売日: 2011/11/25

『「僕のお父さんは東電の社員です」』森達也
[1/136]Library
Amazon ★★★☆☆
K-amazon ★★★★☆

福島の原発事故、東電、政府の対応、不備のある事故対応。東電への批判が高まる中、毎日小学生新聞に掲載された、タイトルの言葉から始まる、小学生からの手紙。彼は、皆が東電だけを責めるのはおかしい、電気を消費しているのは日本の全員だ。だからみんなで考えるべき、と書く。

これに対して、全国の小学生、中学生、大人からの「手紙」への意見、同意や反対が寄せられます。小学生の、特に福島に住んでいるであろう小学生からの意見、手紙は、胸に迫るものがあります。当然に東電、政府が悪いという意見。元となった手紙に同意で電気をより多く使うようになった日本国民全員が責任があるという意見。

悲しいのは、小学生の手紙から読みとれることに、「政府、東電がウソを言っている。情報を出さないのが悪い」という意見。一部のマスメディアの影響も多分にあるのかもしれませんが、自国の政府、情報機関について、「信用できなくなった」ということが最も恐れることではないだろうか。
そして小学生たちは、節電の重要性や、放射能を吸い取るというひまわりを植えることなど、考え得る「対策」を述べる。

何より心強く感じたのは、彼らの多くが、「これからしなければいけないこと」の一つとして、「勉強しなくてはならない」と言っていること。原発の在り方や、放射能のこと、節電、発電のこと。これらを自分で情報を身につける意欲を示しているのは頼もしく思える。が、その根底に「政府が発する情報が信じられないから」自分で勉強せねば、ということがあるのが、ちょっと悲しい。

メディアや周りの大人の影響もあるだろうが、事故対策、復興対策のさなか、メディアをにぎわしていたのでは、当時の首相の発言や、政治家たちの離合集散、与野党の「党利党略」の姿。直接の対応の不備のみならず、「考えていない」姿勢をさらした彼らの罪は大きい。

それから。
同じく「これからしなくてはならないこと」で、「外出時に帽子、マスクを着用する」と言っている子どもが多かったこと。事故がなければ、そんなことを気にすることもなく、外で元気に遊んだりしていた、と思うと、悲しくてしょうがない。外出時に放射能を気にする...そんな意識が備わってしまったことが、何より悲しいことではないだろうか。

そんな事態を引き起こした原発を、自然災害とはいえ、このようなリスクを抱える原発を、「事情」優先で設置したことを反省することが必要で、電力不足を理由に再開の道筋をつけるべきではない。電力供給が必要な社会であることはわかるが、かといてリスクを背負ってまで追い求めることではない。電気があったって生命が脅かされてどうする、ということだ。

著者が言うように、東電の責任はある。あるからこそ、「次」に繋がるものを考えるべきだ。彼らに責任を押し付けたところで、事故をなかったことにできるわけではない。

もし時間を巻き戻せるとしたら、震災・事故の前まで戻るのではなく、原発ができる前まで戻るべきなのかもしれない。行動を起こしているわけではないが、やっぱり日本の国土に54もの原発は、いらない。

【ことば】本当の責任とは、同じ過ちを繰り返さないようにすること。原因や理由を必至で考えること。そして原因や理由がわかったら、これを修正しようと声をあげること。

私たちの大先輩、先輩方は、戦争という出来事を起こした原因を考え、修正し、繰り返さないように努力を重ね、そして今の日本がある。過去をなかったことにはできないが、それを受け入れた上で「そうならない」社会を創ることはできるはず。日本という国はそれを何度も成し遂げているのだから。

「僕のお父さんは東電の社員です」


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ほっとひといき
誇りを失った豚は、喰われるしかない。






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