- 福の神になった少年―仙台四郎の物語
- 発売日: 1997/01/25
『福の神になった少年』丘修三
[8/143]Library
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K-amazon ★★★★☆
仙台に実在した「しろう」さん。生まれつきの「ちえおくれ」でも、育ての親、兄、そして町の人から愛される人間で、次第に「福の神」と言われるようになっていきます。
実在の人物、というリアル感と、ご本人がけして意図していなかったであろう「福の神」の称号、人間として何が「幸せ」であるのか、そんな深い真実が描かれたストーリーです。
ちえおくれのしろう少年は、「しろばか」と呼ばれ、子どもたちからもいじめられる存在でもありました。しかし彼は、仕事は覚えられないけれども、人の心に敏感でした。素直に、シンプルに、「他の人が喜んでいたら自分もうれしい」「人が悲しい顔をしていたら自分も悲しい」という行動ができるのです。しろうさんのそんな「素直な心」に気づいたひとたちは、そこに惹かれていきます。彼の中に自分の失ったものを見つけているのかもしれません。そしてそんな「付き合い」をしろうさんとできるようになる人たちには「福」がやってくるのです。
もちろんご本人に、「笑顔を絶やさない」とか「人が喜んでいる姿を見て自分もうれしくなる」とか「自分がいいと思ったことをやる」という素直な汚れのない気持ちが備わっていたこともあるでしょう。けれど、「福の神が来て繁盛した」お店というのは、そんな一見「扱いにくい」しろうさんが来ても、買ってに店前の掃除を始めても、それを邪見にせず暖かい気持ちで受け入れる姿勢があったように思います。
そして「わるいやつら」はどこにでも存在します。「福の神」を利用しようとするひとたち。しろうさんが理解力に劣っていることをいいことに「自分の金もうけ」に使おうとするひとたちがいるのです。かれらは一時的には成功するかもしれませんが、結果は...そうです、もう見えています。
なぜにしろうさんが「福の神」になったのか。それは、彼の力と、彼を思う人たちの力、双方に理由があるようです。そして、「金もうけ」に直接的に走る人たちと、商売とは別のところでしろうさんとあたたかい付き合いを重ねるひとたちの違いが明確になっていきます。
「幸せ」がどこにあるのか、というテーマも。しろうさんは自分では金もうけはできません。仕事ができない彼をいやがる身内もいます。けれど、しろうさんを利用して一時的に金を儲けた人と、「人の喜ぶ姿を見て喜ぶ」ことだけを求めて生きるしろうさんと、どちらが幸せな一生なのでしょう。もちろん「現実的に」という部分はあるにせよ、自分が芯に持っておきべきものはどちらなのか、これも明確です。
子供向けの物語なのかもしれませんが、ビジネスに汗かく大人は是非読むべきだと思います。いろいろと考えるポイント、あります。
【ことば】社会は進歩したはずなのに、お年寄りや障害者は、必ずしも幸せになっていない...今の時代の人たちは、障害を持った人も人間としておなじだということは知っているけれど、いっしょに生きようとはしていないのかもしれない。
本書を読んでいて、引っかかっていたのはこの点かもしれない。しろうさんは、町の子どもたちや大人からも石を投げられたりいじめられたりします。でも、しっかり「町」で生きている。周りの人も「いっしょ」に生きているんです。この違和感はなんだろう。今の「いじめ」との違いはなんだろう。
福の神になった少年―仙台四郎の物語
>>本書の感想文、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<
成功者になるために実行すること
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