2012/08/10

「小さき者」を持つ身として感動、感銘を受けた

小さき者へ
小さき者へ
  • 発売日: 2002/10/01

『小さき者へ』重松清②
[6/141]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆

お父さんと子供。成長がうれしくないはずはないのに、なんとなく「ちいさいまま」でいてほしい気持ち。いつのまにか「おとな」の顔を見せることに喜びも寂しさも感じる一面。まさに「親」として初めて経験する場面を、「おとな側」の目線と「こども側」の目線、微妙なズレと「変わらないもの」を表現している作品集。

自分の「今」に置き換えられるので、かなりの度合い、入り込みます。

 成長したこどもに対して、お父さんはどう接してよいか、わからないことがあるんだよ。もちろん独りの人間として、どんなに小さくたって尊重して接する気持ちがある一方で、何もできなかった小さい頃をひきづってなんでもしてあげちゃいたい気持ちもある。でもね、どんな態度をとったって、きみたちのことが大好きで、大好きで、かわいくて、愛していることは間違いないんだよ。もしかしたら、そんなお父さんの姿は、不器用でかっこ悪く見えるかもしれないし、「構わないでっ」って思うこともあるだろうけれど、それだけは「いつか」わかってほしいな。「いつか」でいいからさ。

本書の中では、いくつかの場面、いくつかの家族が出てきます。社会的な問題があることもあるし、男の子がほしかったお父さんの葛藤もあるし、兄弟のむずかしさも描かれます。どれも「ぐっ」とくんだよね。たとえ自分の環境と完全一致しなくとも、子供なりの思いや、おとなとしての思いや...

必ずしも「ハッピーエンド」で収束しないところも、「現実の家族」と一緒です。子供も変わっていく、おとなだって変わっていく、そんな変化の中で、変わらないものがあるのが「家族」であったりするのかなあ、なんてカタチにはできない「何か」を感じながら読みました。

「団旗はためく下に」に登場するお父さんと娘(高校生)。お父さんは娘のことが「大、大、大好き」なんです。それが娘にもわかっているし、文章からも伝わってきます。不器用だと思えても、お酒の力を借りなきゃ本音が言えなくても、その「気持ち」が家族みんなの心にあることはとても大事なことなんだとうなあ。自分も同じようになる気がしてしょうがない、っていうのもあるんだけど。

家族という「基本的な集団」の中で、支えあって刺激を与え合って生きていく。子供と親の間で、一方通行ではなく、(ある程度)本音を伝え合える、そんな場でありたいと強く思う。

【ことば】ずうっと、一生、残るのかもしれない。しかたない。負けは負けだ。だが、「負け」と「終わり」とは、違う。違っていてほしい-と思う。

事業に失敗して、家族さえも失う危機にある父親。でもそんな危機を招いたのは「失敗」だけではなく「気持ち」の問題でもあったわけです。「終わり」という気持ちになって前に進めなくなったとき。「負け」でも「始まり」の気持ちは持てるはず。それに気づけばもう一度歩ける。

小さき者へ


>> 本書の感想文、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<

黒夜行
映画と読書とタバコは止めないぞ!と思ってましたが

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