2010/08/12

「バイブル」です。


『知的生産の技術』梅棹忠夫
[9/131]bk1
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K-amazon ★★★★★

初版の年を見て驚愕する。1969年、自分が2歳のときじゃん!活字も古い(図書館で借りた夏目漱石全集のように小さい。なぜ活字が「現代版」にならないのか不思議だけど...)し、最後まで読めるか不安だったが...完全に引き込まれました。何を差し置いても読みすすめたい感情に、(久しぶりに)駆られた。40年前の本を読むのは、このブログを始めてから一番「古い」かもしれない。(小説はあったかもしれない)

学校では知識を教えるが、知識の取得技術は教えない。最終的な目的(のはずである)情報を自分の中で知識に変えていく「技術」について問題提起してみる、という本である。メモ、読書、手紙、原稿、文書、日記...これらをこの「知識化」するフローに乗せるための技術、これのための「ツール」を、著者が試行錯誤してつくりあげた「装置」(現代でいう「ツール」をこう呼んでいるのは、素晴らしくないですか!)を提案いただいている。
まったく古くない。当然ながら40年後の「今」とは比べ物にならないほど「与えられたツール」が無い中で、自ら作り上げた「装置」の素晴らしさを感じる。それは「カード式」だったり、手帳だったり、記録を残すノートだったりするんだけど、「本質」を考えれば、今の時代、それがPCや各種ソフトに変わっただけである。ただしこれらは、自分という個人から見たら「必要に応じて作った」というよりは「必要なところに役立つ」レベルで「与えられた」ものであり、その思い入れが少ない分、「ツールありき」という感覚に陥りやすい。あくまでツールはツールであるので、これを使って「知識化」できるかどうか、そのためのツールであるべき。そんな当たり前のことを教えてもらえた。気づかせてもらえた。当たり前のことをわかっていなかった自分を見つけた。そんな貴重な一冊。
著者は、英文のタイプライターによるローマ字打ちから、和文(カナ、かな)タイプライターへの移行についての重要性を度々語っているが、今となっては、タイプライター自体が存在が消えつつあり、日本語ワープロが「当たり前」に存在する。著者にとって必要性を感じていた「和文」タイプライター。これの実現、普及をどのような感覚を持って受け入れられたのだろう?常に携帯するメモ帳はEVERNOTEに、アウトプットの場である日記はブログに、それぞれ代わりつつある。完全に想像だけれども、著者はそのようなツールも使いこなせるであろう。「本質」が変わらないのだから、それを使って到達すべき目標は変わらないのだから、ツールは便利になれば、目標が近づくだけの話だ。
最初から最後まで、「本質」を捉える考え方に感化され続けた。まったくもって「初版2010年」といっても通用する、途中に「Twitter」という言葉が出てきたって違和感がないような、そんな「変わらない本質」を続けている。この本に出会えたことに感謝。
もう1点。著者が「読書は最初から最後まで読むべき。全体の構成を感じることが大切」と言っていることに感動。1冊前に読んだ本の中で「大事なところを拾い読み」という箇所に違和感を持っていたので、まさしく「タイミング」だった。
この本を買って、読み始めるまでの間に、著者が亡くなったことを新聞で知った。これも何か「縁」だと思いたい。ご冥福をお祈りします。

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