- 朱鷺のキンちゃん空を飛ぶ
- 発売日: 2005/07
『朱鷺のキンちゃん 空を飛ぶ』新井満
[4/191]Library
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日本生まれの朱鷺として最後になってしまったキンちゃん。日本じゅうが「保護センター」で大事にしようという方向に進む中、捕獲を任された宇治さんは悩みに悩む。「捕獲」を目的としてキンちゃんに近付く。キンちゃんの「信用」を得ていくのだ。そして最後にはその「信用」を裏切る形での捕獲...キンちゃんより一足先に天国にいった宇治さんと、そのあとに一人残されたキンちゃん。そしてキンちゃんの最期は...
作家、小説家であるから、半分は史実、半分は「小説」である。でも、ところどころにでてくる言葉、
「保護することが、朱鷺にとって幸せなのか」
「人間の犠牲となって絶滅の危機となった朱鷺に、今度は「保護しよう」一色になる身勝手さ」
「自由と生命。どちらが大事なのか、生命あっての自由、これは真実なのか」
絶滅種の話が出てくるたびに思う言葉が並ぶ。人間の身勝手さが克明に現れる。数が少なくなれば「保護」するが、多ければ「利用」する。痛みもなく。この図式では、今後も何も変わらないのではないだろうか。なぜ数が減っていくのか、減らさないためにはどうするのか、という根本的な原因を突き止めること。それとは対極かもしれないが、そもその人間の「保護」の下に絶滅種を救うことは「自然」なのだろうか、というそれこそ究極の課題もあるだろう。
その答えはおいそれと出すものではないだろうが、キンちゃんが保護施設にいたころに、同じ日本生まれの朱鷺が次々に亡くなっていったという現実がある。要因は、野生時代に食べたもの(どじょうとか、川の水とかだろう)に含まれる有毒性の物質が一因だと思われる。それって...野生の朱鷺は、なんの疑いもなく、従来からの食事を従来からの方法で獲っていたわけで....人間側もそれを意図したわけではないにせよ、間接的に朱鷺の数を減らしてしまったことは事実。
さて、人間に当てはめてみる。怖いけど。震災後の原発事故による影響は「(直接的には)心配ない」という「上」からの話がある。が、なんの疑いもなく、従来通りの食事をとり続ける私たち。朱鷺がそうであったような結末を迎えない、とは誰も断言できないはずだ。これまで自分たちが関与してきたことだし。
生命ってどんなものだって尊い。「自然」という、個々の生命の上位概念の傘の下でも、それは軽くなるわけではない。自らが作り出したもので自らを苦しめる、そんな愚かなことができるのは人間しかいないのかもしれないが、未来の教科書にそういう事例が出ないように、祈る。
中国からの「仲間」を見て、キンちゃんは、宇部さんの後を追ったのか。高齢だったので、「衰弱死」と見られたキンちゃんの死因が、実は「事故」であったことはいろいろと考えさせられるところだ。最後の「ニッポニアニッポン」が愚かな人間たちに「メッセージ」を残してくれたような気がする。
【ことば】世の中に、写真は無数に存在する。しかしこの写真ほど悲しい写真を私はみたことがない。
捕獲することが本当に正しいのかどうか、最後まで迷っていた宇治さんがキンちゃんを捕えた場面の写真。キンちゃんはこの瞬間、どんな思いであったのか。でも、キンちゃんだって、いつかわかったのではないかと思う。宇治さんのホントの気持ちを。「捕獲」だけを考えた人ではなく、その瞬間だって「愛」を持っていたことを。
朱鷺のキンちゃん空を飛ぶ
【書評家のご意見】
本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね
ピースな本のバイブスで
気まぐれ読書日記
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