- 科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書)
- 発売日: 2011/06/29
『科学的とはどういう意味か』森博嗣
[9/196]bk1
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆
著者の小説は以前、よく読んでおりました。ミステリの中でも異色だったイメージがあります。自分が一時小説から離れていた時期に、著者がその世界から距離を置いて、ある意味での「引退」をされていたことは知らず...
「理系/文系」という言葉が頻繁に出てきますが、全体の内容としては1点だけ「科学に対して拒否反応ばかり示しているとイタイメにあっちゃいますよ」というメッセージ。「数字に弱い」とか「科学はよく分からない」と言っているうちはいいけれど、それを考えようとしない、その姿勢に問題あり、ということだ。個人的にも「科学」はハードルが高い。著者が「誤解だ」と言っているけれど、科学者と言われている人たちが、「敢えて」難しい表現をしている、というのはけして誤解ではないと思うし、それが「科学」というイメージを、距離のあるものにしてしまっていることも、現実だと思う。それゆえに「わかりやすい科学者」というのが持ちあげられるわけで、毛利さんとか、でんじろうさんとか、茂木先生とか、メディアに出てそのイメージを変えようとしている人たちもいる。そんな人たちと比べてしまうと、本書の「科学嫌いをただす」力はいかほどか...と思ってしまうんだなあ。
自分は、けして科学が得意ではないし(むしろ苦手だ)、科学者に対しての「偏見」も持っていると自覚しているけれど、科学そのものに対する興味関心はあるし(わからないのは自分の能力のせいだと思っている)、思考から排除するようなことはない(つもり)。著者はその点を懸念、つまり「科学を排除する考え方」を払しょくすべし、科学は特別なことではない、と主張しているが、「理系は文系よりも度量が大きい」というような箇所もあり、やはり「科学がわかる」理系と、「わからない」文系を「区別」しているような箇所も見受けられてしまう。そういうのが垣間見えちゃうとなあ、「だから理系は...」っていうドロヌマになっちゃいませんかね?
「科学とは『他者によって再現できる』ことを条件とした方法であり、それを組み上げていくシステムのことだ。」分かりやすい科学の定義だと思います。いわゆる非科学=超常現象との境界をシンプルに明確に表現しているといえます。でも、後半部がわかりにくいでしょ?「方法でありシステムで...」この辺りがなあ。科学者を批判するつもりはないですけれど、「知らない人にわかるように」という「人間的な」考えも欲しい、というのが率直な感想(これが「科学的でない」のかもだけれど)。
国語、社会(いわゆる文系科目)と異なり、算数、数学(理系科目)は、「方法」を学ぶ科目である。これは同意です。元号を覚えることも大事だけど、なぜ円周率はおおよそ3であるのか、という目を持つこと。思い起こせば、その考え方が浮かばず、理科も数学も(公式など)丸暗記し(ようとし)ていましたね、学校時代。
【ことば】...科学というものは、印象や直観をできるだけ排除し、可能なかぎり客観的に現実を捉えようとする。そうすることで、人間、人生、あるいは社会に利益がもたらされる、と考えられるからだ。科学の目的は、すべて人間の幸せにある。
科学が(もしかしたら)そうは見られていないのでは?という被害妄想的なものも含まれているのではないかなあ。けして否定的ではない人にとっては「あたりまえ」に聞こえてしまうコメントかも。科学でなくとも、哲学だって、心理学だって、文学だって、すべては「人間の幸せ」が目的だよね。
科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書)
>> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<
熊式。
知識をチカラに
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