2011/12/07

「教育者」として、の方が魅力的

リクルートという奇跡
リクルートという奇跡
  • 発売日: 2002/09/11

『リクルートという奇跡』藤原和博③
[5/212]Library
Amazon ★★★☆☆
K-amazon ★★★☆☆

その後、東京都初の民間人の小学校校長を務めた著者の、リクルート時代の回想録。「リクルート事件」また、ダイエーによる株買収(リ社創業者による譲渡)による騒動を、社内でどう感じ、どうふるまったか、という記録と、そういう環境を通じて、著者がどのように「会社」或いは「仕事」に対しての思いを変化させていったか、が書かれている。

リクルートの創業から大企業へ「急激に」膨張する中で起きた事件。詳しくはよくわからないが、どこかで読んだ気が....そう、9月に江副さんの著書を読んだのでした。同じ事件の概要を別の視点から見て...というと、まるで「かっこいい読み方」みたいですが、途中で「この本前に読んだかも...」というような疑念が湧いてしまいました...(そんなに「深読み」していない証ですね)

もちろん、創業者で事件の中心人物であった江副さんの書き方とは異なります。時代の流れの中で、リ社がその創業の軸からはずれた(と思われる)方向へ膨張する中で起きた事件を、社内で対応に追われる一管理職として見ている著者の書き方。真相は(正直自分にとっては)あまり興味がありませんが、その中で、次第にリ社の「空気」が変わっていく中で、著者自身が変わっていく様子が見てとれます。

これまでは「教育者」になった後の藤原氏の本しか読んでおらず、「革新的な」というよりも「本質的な」教育者であるなあ、と魅力を感じておりました。本書が書かれたのは、まだ校長就任前の話で、リクルートに属している時ですが、その姿は良くも悪くも「教育者」のそれと重なりません。リクルートのマインド、経営層の独断でもなく、社員のモチベーションは、「リクルートマンシップ」にある、という著者の主張。すなわち、自ら籍を置く会社に誇りを持って働いている、という姿です。これを昇華したものが、教育者としての著者の姿なのでしょうが...

本書の内容そのものは、2つの大きな事件に対し、社員が「誇り」を忘れず、その大切なものを守るためにどのように対処したか、という内容で、「事実」を記した書としては、リクルートという会社の社史(裏ver.)というものにすぎない、のかもしれない。ここから、たとえば「リクルートのように優秀な人材を輩出する会社ってどんな会社なのだろう」とか、「事業として『情報誌』という新しいビジネスモデルを生み出した会社って?」っていう点を読み取るのは困難。

あるとすれば、「リクルートの資産はそこで働く人のマインド」という「人重視」の視点でしょう。それがあるからこそ、億単位の経費をかけて人材を採用したり、「会社とは本来、夢を実現するために創られたものだ」という考え方がでてくる。この会社が大きくなったのは、ビジネスモデルの成功事例だけではなく、それを実現した「人」が存在していたこと、なんだろうと確信する。

となると、「教育」というフィールドに軸足を移した著者の思いも理解できる。「人」が最重要であることは、社会で会社で一番のポイントである。けれども、そうとは思えない会社も存在する。それを変えていくには、(回りくどいけど)「教育」である。その志のスケールの大きさ、敬服します。

【ことば】後日、取締役会の出席率の悪さが問題になり、今後は強制的に参加させようなどという意見が出たそうだ。なぜ出席しようと気にならないかに、頭をもっと使うべきだと思った。

著者がリ社に、サラリーマンに魅力を感じなくなった時のこと。この「強制的に」という考え方は、「人=従業員を信用していない」上層部の考え方。自分(たち)は正しい。彼らが間違っている、という考えがベースになると「強制」という手段を思いつく。本質ではない。「ピーターの法則」はが当てはまるケースは(リ社に限らず)少なくないのだろう。

リクルートという奇跡

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