- 父として考える (生活人新書)
- 発売日: 2010/07/10
[17/57]BookOff
Amazon★★★☆☆
K-amazon ★☆☆☆☆
タイトルに響いて読み始める人も多いと思う(自分がそうであった)けれど、著者自身が前書き部分で言っているように、「父と子」とか、その場面をイメージできるような箇所はありません。陳腐な言い方かもしれませんが、「親子のあたたかさ」とか家族のぬくもり、っていうことは書いてないです、一切ね。まずこれで「だまされた感」満載のまま、読み始めることになり、早い段階で、「こいつら何を言ってるんだ?」になります。そして「誰に読んでもらおうという想定なのか」がまったくわからない対談を読まされ、最後まで「目を通す」ことだけが目標になります。
自ら「言論人」という言い方をされてますが、言論人ならば、一般人にわからないような本を出して、身内の対談を身内に向けて掲載して、一般人からおかねを徴収して、いいんでしょうかね?この手の「言論人」の方々は是非、そちらの世界の中だけで完結していただきたい。一般の本屋さんに並ぶような本を書いては駄目です。迷惑ですね。もし「一般」の目に触れるようであれば、それなりの書き方をしていただければ。何も難しい言葉を羅列して「その世界っぽく」する必要はありません。むしろ、「そんな父親の娘」さんがかわいそうに思えてきちゃいます。
どこかの大学の教授か、なんかの分野の研究者か、それは知りませんが、何のために「学問」「研究」をされているのか、さっぱりわかりません。自分たちの満足のため、ですかね?社会をよくする、という名目だけでもあるんでしょうか?この手の方々の書いた本は、外の人にとっては苦痛以外の何物でもなく、正直読み終わったときの解放感だけですね、この本の感想としては。
まあ、「教授」とか「研究者」とか、ましてや「言論人」ってのが書いた本には近づかない、っていう教訓は得ましたね。タイトルに惑わされない、っていうことも学びました。
そもそも「言論人」って、何?必要なんですかね?
父として考える (生活人新書)
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