2011/03/11

知識が増えた実感を得られます。

歴史の中の『新約聖書』 (ちくま新書)
歴史の中の『新約聖書』 (ちくま新書)
  • 発売日: 2010/09/08
『歴史の中の新約聖書』加藤隆
[10/50]bk1
Amazon ★★★★★
K-amazon ★★★★★

このところ「宗教」関係を集中的に読んでいます。特に深い理由はないのですが、人生の折り返し地点を実感する日常の中で泳いでいると、「前」よりは「後」が気になり始めます。時間の価値が上がってくるんですね。そんな中、迷いも生じる。「不惑」なんてとんでもない。この時期は、より「惑う」ようになりますね。それで何かにすがるつもりで...ではなくて、自分以外の人(たち)の「考え方」を知りたい、そんな欲がでてきた、それが理由のひとつ。そして、所謂「ビジネス書」のテクニック的なハウツーに、少々飽きてきた、というのがもうひとつの理由。何かに帰依する、ではなくて、知識としての、その世界を知りたい、そんな気持ちからです。
なんだけど、直接的に宗教を知る、っていうのは、かなりハードルが高い。難しい。「入門書」であっても、その前に知っておくべきことがある、というのがよくわかった。が、そもそも「専門家」と呼ばれるような人でもやはり「難しい」のは変わらないようだ。特にこの本は「聖書」に関してであり、紀元後1世紀のものを理解するのは到底困難、というか「正解」がない分野なのだろう。ひとつの「解」を求め続ける科学と異なり、「解釈」の世界である。そしてそれには必ず「別の視点」があるから、フラットな立場で「解釈」することは、相当困難な道であろうと想像がつく。
自分は、キリスト教については、まったく知識がない。カトリックとプロテスタント、というのも「単語」を知っているだけである。まして「聖書」なぞ目にしたこともないし、その気もない。けれども、やはり歴史的に圧倒的な人が「見ている」(読んでいる、ではない)書物、これに関する最低限の知識を身につけることは、プラスになるはずだ。その内容をどう解釈するか、ではなくて、「最低限の知識」である。信者ではないから内容を理解する、ということは必須ではないと考える。
著者は「聖書」の専門家である。聖書はキリスト教信者にとって威厳、象徴であるが、おそらく「読んで」いる人はそう多くはないだろう、と著者はいう。そんなもんなんだね。この本では、キリスト教の創世時期の話、誕生から、ユダヤ教からの分離、キリスト教内でのいろいろな考え方...かなり難しいです。でも、事前知識がほとんど皆無である自分にも読める。理解できる。これ、すごいことだと思う。「専門家でも理解しきれていない」課題について、素人が理解できる(或いは、できたような気がする)レベルで、しかも文字、本で説明をする。これって著者の力、ですね。尊敬に値します。「難しいことを簡単に言う」これが出来る人が、本当の「できる人」なんだなあ、って改めて思う。
もちろん、これですべてが理解できたわけでもないし、ほんの「さわり」(にもならないかもしれない)レベル。 でもね、読み始める直前まで何も知らなかった自分が、読んだ後には、少しだけでも知識を持っている。この事実に感動します。それが実感できる本です。読書はこういう「感動」を味わえるのが素敵な世界ですね。自分だけの小さな「感動」だけれども、昨日とは違う自分になっている、そんな自覚を持てるのは、結構幸せです。

歴史の中の『新約聖書』 (ちくま新書)

0 件のコメント:

コメントを投稿

Twitter