2012/04/26

「幸せ」に向かうことと、「現実」のバランスを


『幸福途上国ニッポン』目崎雅昭
[20/74]bk1
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今は閉そく感に包まれているニッポンだって、経済も治安も平和も、世界の中で見れば有数のトップクラス。にも拘わらず「幸福実感」度合が低いのはなぜなのか。ブータンのGNH(国民総幸福量)が話題になって、あらためて表出した我が国の問題点。
まずは、各種の統計から日本の幸福実感度を探る。前半は統計の読みとり方、複数資料の相関関係などを見ていきます。そもそも「幸福度」を図る指標の曖昧な部分もあるので、果たして他国との比較に意味があるのかどうか、というところだが、一旦の結論としては、「幸福を実感」できないのは、日本人の国民性(制度というよりは社会的な、或いは文化的、歴史的な「しばり」によるもの)が、他者との関わりの中で、「自分を抑える」傾向によって、自分は幸福であると「言えない」「言わない」ことにあるのではないか、というもの。
統計を読み解く、というところからの結論としてはちょっと違和感もあるけれど、特に他者とのコミュニケーションにおいて「無難」を選択する傾向があるのかもしれない。これが歴史に裏打ちされた国民性なのか、そういう性格の人が多いのかはわからないけれど、「一般的」には、そのように感じる。テレビなどのマスメディアに対する依存度が他国に比べて高い、というのも、「多数派に寄る」という国民性なのかもしれない。
後半は、こういう「事情」の中で、日本はどのように「幸せを実感している」と言えるようになれるのか、或いは、「幸福を実感」するために、どのように制度や個人が変わっていく必要があるのか、という提案が続きます。公と私のバランス。「公共の福祉」のために「個人」を抑圧することの危険性。そうではなくて、個人の幸福追求の姿勢が、最終的には社会の幸福につながる、という考え方だ。制度の整備も必要だけれども、個人の意識がより重要であると、著者はいう。
確かに日本社会は、多数派に寄る傾向が強いようだ。公に正しい、または「常識」というのは、あたかも「多数」であることが条件であり、それに意見することは「悪」であるような流れはある。その中で「個性」が埋没していき、多数派に迎合することが苦手な人間は、淘汰されるか、突出するか、になる。
プラスして言うのならば、効率を追い求める「だけ」の、短期的な視点が問題かもしれない。すぐに結果が表れない中長期的な視点をもって取り組むのが非常に困難な環境。それは一企業においてもそうだし、国全体の政治、行政についてもそのように感じることが多い。
少なくとも、「自分を持つ」という気持ちだけは忘れずにいたいと思う。40を越えたころから、社会への貢献、還元という意識が芽生えてきつつあるが、これを実行にうつしているとは言い難い。でも、それが本当に自分のやりたいことであれば、一部は「社会の流れ」に従うフリをしつつも、信念を持ったものだけは貫きたいと思う。

【ことば】もしも自分の子供に、「どうして仕事をするの?」と聞かれたら...「仕事で幸せを感じるから。だからおまえも、自分を幸せにする仕事を見つけてほしい」と言える人生を目指すべき...

そう言えるような人生を歩もう。まだ間に合う。表面的にそう言って、心の中では「生活のためだよ」と言っているようでは、伝わるはずもない。だから、本気でそういえる人生を、仕事をしないといけない。
 
幸福途上国ニッポン 新しい国に生まれかわるための提言


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KEEP MY WORD 
ゆうこ@カタラタス

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