- 教科書に載った小説
- 発売日: 2008/04/24
『教科書に載った小説』佐藤雅彦
[19/73]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆
確か、学生時代は「国語」という教科について「苦手」ではなかったと記憶している。実はその当時よりも今の方が本を読んでいるんだけど、それは「教科書」という本に対する嫌悪感から、かもしれない。半ば「押しつけ」感のある教科書というものではなくて、「自分で選ぶ」本というのがその興味関心をひきたてるのだろう。そこには、「自分でカネを出しているのでモトを取らねば...」という貧乏性もあるけれど。
たとえば、「大人」になってから歴史に興味を持ち始めて、改めて高校時代の歴史の教科書を見たことがあるが、これは悲惨なものだった。小説や、「勝って読んでもらう」ために工夫を凝らされた歴史の本と、教科書の「クリエイティブ」が圧倒的に違うのだ。イチ個人として見た場合も、「これでは歴史の教科書、ひいては授業が面白いわけがない」と結論づけることができるほど。
だが、国語の教科書に載せられた小説は事情が異なるだろう。小説は「オリジナル」であり、教科書用に編集されたものではない。「教育」という視点から選ばれ、そして一部を切り抜いたものであるけれども、原作は少なくとも「一部分」よりも面白いはずだ。
本書は、昭和40年代から平成18年ごろまでに教科書に乗せられた小説を集めたアンソロジー。「あー、これ読んだなあ」というノスタルジーは感じられず(記憶があるものがなかった)だったが、深みのある「文学」の香りがするものが並ぶ。「多分」選りすぐりの作品が教科書に載せられ、さらに選りすぐりのものが本書に載せられているのだろう。「多分」の理由は、自分のとって「難しい」と感じたから。純文学を味わえないレベルの技量しかもたない自分の不足のせいであることは自覚の上、だが、「わかりやすく面白い」というよりは「なんとなく深みのある味わい深い」というものが多かったような印象。これを学生時分に読んでいたらどのような感想を抱くのだろう。そこは興味があるが、自分一人の中でそれを単純比較はできない。
編者は、本が近くにない少年時代を過ごし、「教科書に載った小説」を読んで、「本を読む」楽しさに触れたという。そういう環境にいる少年少女は今も少なくないだろうと思う(能動的に本を探さない、という意味も含めて)。そんな子どもたちに「きっかけ」を与えてあげられるような教科書であって欲しいと思う。だって、本を読むのは、世界観を味わうのは楽しいことだからさ。
【ことば】とにかくわたしは目のあたりに、わたしと少しも変わらない父をみたのでございますから、めめしい、...そのくせおごそかな父をみたのでございますから。
最も印象に残ったのは、芥川の『雛』。名作はいつになっても名作であるが故に名作である。短い小説の中に、娘を想う、昔を思う父親の姿が痛々しくも、人間らしく描かれる。「教科書に載った」ものであるが、今は「父親」目線で読んでいる自分を見つけた。
教科書に載った小説
>> 本書の感想文、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<
MARGINALIA
ゆっくりと世界が沈む水辺で
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