2012/05/17

文学を堪能するポイントは...「賞」はきっかけにすぎず。

芥川賞を取らなかった名作たち (朝日新書)
芥川賞を取らなかった名作たち (朝日新書)
  • 発売日: 2009/01/13

『芥川賞を取らなかった名作たち』佐伯一麦
[12/88]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

純文学とは無縁の読書生活だが、やはり芥川賞発表時には気になるし、読んでみたい気分になる。「候補」でも、それがセールストークになるくらいの権威あるステイタスなわけで。自分のように文学と距離がある場合には、「受賞」という切り口で興味喚起されるわけで、正直それがどれくらい優れているのかは分からない場合が少なくない。
ならば「候補」となった作品も、同じようにきっかけになるはずなのである。これはあくまで(特異な)読者からの視点ですけれども。なので、本書もそのような「きっかけ」を求めて読み始めた、というのが本音です。当初は、「取らなかった作品」が、一部であっても掲載されているものと思っていましたが、内容は、さにあらず、落選に至る「選考」に重きをおいたものになっています。そもそもが「文学の採点」って、どこに基準があるのかもわからず、選考委員のフラットな「眼」を信用して成り立つものかと思っておりました。
芥川賞ほどの権威、歴史のある賞ですから、選考は当然のように「大家」が押し並び、多少個人的な部分が入りつつも(入るのが当たり前ですけれどね)、文学世界全体の視点から選んでいる、というのが前提であろうと思う。が、もうひとつ、「時代」という視点があるのだと感じた。
当然ながら作品自体が時代をある程度反映しているものであるが、選考委員の方の方の時代感、というのはどのようなものなのだろう。「その時点より以前」に名作を書かれた選考委員の方たちが、「古くても変わっちゃいけない本質」と「新しい可能性を秘めた内容」のバランスをどうとってきたのか。
そもそも芥川賞なるものが「定義」されているのだろうと思うけれど(文書化されていなくても)、選出の評(落選の評)を読んでいて、どうも前者に偏っているような印象が残りました。
非常に個人的な感覚なのですが、文学(に限らずですが)は、ある程度は読み手の感性によって捉え方が変わっても一向に構わない、という気がします。国語の教科書のように「答え」を出すものでもないかと。読む側の環境、気持ち、境遇、そんな要因で捉え方が人それぞれなのは、むしろ文学として「よい」のではないかと思います。極端な話し、1人の人間が読むタイミングによって(若いころに読んだものを、老年になって読み返す、とか)も変わってくる、どちらが正解ということはないわけで...そういうものを「賞」というラベルにて、未来に残すのは「あり」だと思いますが...
「取らなかった名作」の一部が読める、と期待していたところ、選評の話しだったので、そのギャップ
を最後までぬぐえなかった感はありますが、どうも「国語の授業」的なところがいまひとつ自分としては気になりました。
企画としてが面白いですよね。「B面のベスト盤」みたいな感じで。あとタイトルの「取らなかった」も秀逸だと思います。「きっかけ」にできるような本は数冊見つけました。それがプラス、です。

【ことば】小説の批評はいくらでも悪く言えます。でも悪いところばかり見ても、本当に読んだことにはならない。....いいところを見出したいと思って読むと、大体何かは見つけられます。

これこそ、読書の極意ではないでしょうか。 もちろん自分は評論家ではないので「悪いところを見つける」なんて読み方はしません。たとえ「合わない」(悪い、ではなく)と思っても、何かひとつだけでも見つけないと...という読み方を、これからもしたい。貧乏性でしょうかね...

芥川賞を取らなかった名作たち (朝日新書)


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