- 情報の文明学 (中公文庫)
- 発売日: 1999/04
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『情報の文明学』梅棹忠夫②
[18/183]bk1
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K-amazon ★★★★☆
『知的生産の技術』を読んで、トリコになってしまい梅棹先生の2冊目。農業社会から工業社会、そして情報社会へ、という流れを著者の専門である「文明学」見地から説く。この「進化」は「前の時代」を必ずしも衰退させるものではなく、工業化によって農業の効率が急激に上昇したように、すべてを包括的に捉えるべき「進化」であるというところに特徴がある。そして「情報産業」の進展。主として「放送」産業が例示されているが、運輸やマスコミ、料理や教育、宗教までも、その「情報」的な見方をしている。すなわち、工業製品であってもその機能(=工業的な価値観)は既に「当たり前」の領域であり、それとは一線を画したデザイン、使いやすさといった「情報的な価値」がその比重をますます高めている、ということ。情報産業=コンピュータといった短絡的な結び付けにとどまらず、これからの社会を予言、しかも的確に予言しているといころが、「今書いているんじゃないか」って思えるほど、鋭い視点。
なによりも、著者が「情報産業論」を書かれたのは、1962年。もうすぐ50年になる。その時点で、工業的な考え方の限界、というか、そこに「情報的」付加価値の重要性を指摘しているところがなにより鋭い。怖いくらいするどい。そして「情報発信」についても。これから先「発信」ということが予想される、と説くが、「この前」に発生したブログ(当時はもちろん言葉も、概念すらないと思われる)等の登場、普及を予言されたということ。
さらには、コンピュータについても言及されており、この時代に「家庭内での情報機器としてのコンピュター」の普及を「予言」されている。そんなことはほんの一部の人の「夢」であったであろう時代に...この著者の「モノの見方」はどこから来るんだろう?おそらくは「微妙な変化」を肌感覚で捉えて、それを肉付けしていく過程があるのではないか。ただ単にアンテナをはっているだけでは「情報」は引っかからないと思われ、ベースとなる知識は常にブラッシュアップされていたのだろう(もちろん、このあたりには全く触れられておらず想像にすぎないけど)。
「今読んでも遜色ない」レベルではなく、「その時代でこういう考え方はすごいな」レベルでも、本書を読んだ価値は生まれてこないと思う。文字だけを読めばその範囲ではあるが、こういう「考え方」ができるような領域に少しでも近づくためにはどうしたらいいのか、どう行動すべきなのか。そこをじっくり「考えて」みるべきだと痛感。『知的生産~』に比べると、ひとつの論文が軸になってそれの周辺(評価、反響等)を寄せ集めた感じにはなっているが、十分読み応えのある内容。
情報の文明学 (中公文庫)
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