2010/10/11

言葉の選び方が「暴力的」です


『ダサいオヤジは「暴力的存在」である』松尾智子
[8/173]BookOff
Amazon ★★
K-amazon ★

多少なりとも「改革」が必要であるという自覚は持っている。持っている「つもり」の分野であるところの「オシャレ」である。多少タイトルには刺激的なものを求めた「ムリヤリ感」を感じつつも、いつも「オヤジから見た若者論」を読んでいるので、「若者(女性)から見たオヤジ」も読んでみて損はないのではないかと。
のっけから、「暴力的存在」や、「臭いオヤジは悪辣なテロリスト」というフレーズが飛び交う。前述した「読む動機」を思い出し、我慢は続けたが、また著者が必ずしも攻撃的でないことも伺い知れたけれども...やっぱり一方的な偏った、そして言葉を選ばない、読むに値しない本である、という判断をせねばならんね。確かに「見た目」は大事で、その大事さも以前とは比較にならないほどなのだろう。そして「中身で勝負」というのが通用しない、という言い方を何度もされていたが、正確には、中身「だけ」で勝負はできない、ということであり、これは同時に、外観「だけ」でも勝負できない、ということであるよね。けど、本書は「外観」をどう変えるか、という点にのみスポットが当てられていて、外観がよい=中身が悪いはずがない、というのがベースとなって話されているような...順序が?ってことだよね。
自分があまりに無頓着であり、そういう意識も、外からの圧力も感じており、「見た目」が大事であることは否定しない。けれどもそれを煽るがために、「暴力的」「テロリスト」という言葉を使うこと自体、果たしてスマートなんでしょうかね?その時点で失格ですよ。そういう言葉を使う人の話を、信頼して聞くわけがない。そういう見方が最初に植えつけられてしまうから、「結局文中に(さりげなく)紹介されていた男性向けエステとかネイルとかって、著者の仕事関係なんじゃん。PR活動か?」とかいう穿った見方もしてしまう。この本は誰に向かって書かれたのだろう?「オヤジ」の気分を害するためか?若者の同調を受けるためか?「見た目」を意識できるオヤジには本書は必要ないし、そうでないオヤジを「改心」させることができるとは到底思えないね。


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