2010/10/19

「賢い」アスリートは必要


『「言語技術」が日本のサッカーを変える』田嶋幸三
[13/178]bk1
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日本のサッカーが抱える、世界との「壁」は何であるのか。超えるためには何をしなければならないのか。協会の立場、日本のサッカーを支える立場にある著者が説くのは「言語教育」である。常日頃から「論理的な思考」を持ち、それを「言葉」を以て伝えることができて初めて、組織としての力が結集される...という内容。留学或いは赴任していたドイツでの体験を元に、その差は「言語技術」であると説く。確かに。著者は「賢い」プレイヤーであるべし、と書いているが、なんとなく(自分はアスリートではないが)わかる気がする。より身近なプロ野球においても、数年前の、特に甲子園で見られた「とにかく打ち勝つ」スタイルから、野村監督の「ID」に象徴されるデータ系に、流れは変わってきているようだし。特に局面が、事前に想定していたものとは全く同一になることはないサッカーにおいては、その瞬時に「判断」が求められるであろう。その判断がただしくできるか否かは、事前学習よりは経験が大きく影響するとは思うが、ある程度の想定をすることに加え、「こうなったらこうする」的な発想を持つこと自体が必要なのだと思う。それが「言語技術」かどうかは別として、突出した能力を持つ選手が出てこない限りは、「1+1=2以上」を求める組織競技では、「賢い」ことが必須のように思える。
サッカー或いは団体競技だけか?いや、チームでひとつの目標に向かって仕事をしているサラリーマンだって同じことなのかもしれない。相手が何を考えてそれをやっているか、それを知るにはまずは、自分が「こう思ってやっている」ことを「言語」を以て伝えることから始めるべきなのだろう。アウトプットですね。背中を見て、とか、阿吽の呼吸が通じなくなっている...それを嘆く前にやること、やれることはあるんだ。そういう気持ちになったよ。サッカーは見るだけで、特に深い興味はないんだけど、読んでいておもしろかったですね。サッカーにおいても(特に若い、幼い時期に)「失敗」をして、そこから何を学んでいくか、学ぼうとするか、それが大事であると。これもどの世界でも共通。そして指導者には「伝える」能力を高めるためにディベートも学ぶカリキュラムがある。これも指導者たるモノはどうあるべきか、ということを考えたなかでの手法であり、ディベート自体がどうこうではなくて、そういう「目的と手段」という考え方が鋭いし、先を考えて、指導者育成→子供たちのレベルアップ→日本サッカーの活性化、という図式を強く信念を持って取り組んでいる姿勢にまず感銘。
自分の周りの組織に足りないもの。それがなんとなく浮かび上がりました。

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