2010/07/04

やっぱり「報告」はしてほしいな


『デキる部下は「報告」しない』小松俊明
[2/105]Library
Amazon ★★★★
K-amazon ★★

このタイミングでこのタイトルの本と図書館で出合えるとは!なんて運命的な思いを持って読み始めた...けど肩透かしでしたね...
自分がそうであったときにできなかったことを棚にあげて、今、自分の「部下」が報告しないことに対してモノスゴクはらが立っているわけだね。「なんでそんなこともできないんだっ」って。もちろん自分にも非はあるんだろうけど。結局「ばれないようにすればいいんだ」的な発想になってしまっているのが残念でしょうがない。
本書のタイトルにあるように「できる」部下であれば報告は不要なのか?それも否定的。だって報告がない、というのは同じチームでやる意味、意義すら疑わしい。なんだかんだ言って、「共有」するのはテクニックでもツールでもない、「報連相」なんではないか、と最近強く思う。
本書ではその「報連相」だけではなくて、FRS(フィードバック、リマインド、シェアリング)まで高めましょう、という説明。つまり「報告しなくていい」ではなくて、「報連相」よりも高い次元にもっていきましょう、ということ。これ自体はいいと思う。本のタイトルもそれを逆説的にいったもの、ということだ。
でも...いささか「テクニック」論ばかりの気がした。そのFRSという意識は大事で、これを「本当に必要なことである」と各個人のハラに落とすことが大事で、これをテクニックとしてできる=できるように装うことが大事なのではない。特に終盤の「上司のタイプ別対処方法」に至っては、週刊誌のコラムにでているのとまったく変わらず、こんなテクニックを使うことが目的だとしたら、FRSといういい発想が完全に価値をもたなくなる。「こういう上司はこういうふうに使おう」ではレベルが低いよ。そんなマインドのまま、いずれ上司になったときにどんな仕事をするのか...うん、やっぱりもうテクニック、ツールは通用しない、と考えよう。



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