2011/05/20

「時代の流れ」を意識するかどうか、流されるか

『キュレーションの時代』佐々木俊尚②
[11/95]bk1
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

話題になっている本。「カタカナ」氾濫の読みにくい類か...という懸念もあったけど、意外にも(?)すんなり読み終えた。まずタイトルになっている単語からして難解。「キュレーション」=情報の洪水の中から、自らの価値観、世界観で取捨選択し、そこに意味を付加して、共有する。これでもわかりませんね。その世界の第一人者らしく、インターネット、特にソーシャルメディアの広がりと、情報の伝播の流れ、という点で書かれています。これまでのように、限られた発信者から限られた情報が与えられるのではなく、誰もが発信者足り得る、そして、「マス」の概念ではなく、「自分の価値観、世界観」から見いだせる「軸」をもってつながりが広がっていく。言葉が適当かわからないけれど「オタク」的な意味あいだと思う。マス広告、マス消費からネットでの「新しい広告、情報のありかた」へ。時代が変化していく中で、この意識を持つモノが、ビジネス社会で生き抜く、ということかな。この本においては、時代が、消費が変化してきてますよ、「機能」で選ぶ時代から「記号」で選ぶ(持っていることがステイタスという意味)時代、そして「つながり」で選ぶ、そんな変化が生じてます、という「事実」を紹介しており、「で、どうすべき」ということには触れられていません。もちろんそれは自ら置かれた立場で考えるべきことであるしね。だからこの本を読んだ今の時点は「現状把握」ということ。これから先、どう考えるか、がポイントですね。
「キュレーション」なのかどうかは不明ですが、「つながり」を求めるというのは何となくわかる。「マス広告の終焉」というのも分かる。情報の流れが変わってきている実感もある。それは消費者としても発信者としても。たぶん、外からみたら(あるいは後年になって振り返ったら)「急激な」変化なんだろう。 でもそのど真ん中にいると、意識しないかぎり流される。アタリマエになるんだよね。で、たとえば「広告」を考える時には、「古い」テクニックを相変わらず使ったり...実際多いんですね、こういうこと。意識する必要はありますね。時代の流れを。でも、「消費者」としては、無意識で流れに身をゆだねたい。そんなジレンマも。

【ことば】...この商品はどう演出してくれるのか。その消費を介して、私たちはどんな世界とつながり、どんな人たちとつながるのか。

「つながり」消費という概念。わかったようなわかっていないよな、もやもやしてます、まだ。「広告」という概念を、もう一度考えるタイミングでもあるようです。いや、これも「わかったような、わかってないような」...

キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)

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