2011/05/09

固い...真実を「わかりやすく」も哲学だろうと思ったり。

『道徳を問いなおす』河野哲也
[5/89]bk1
Amazon ★★★☆☆
K-amazon ★★☆☆☆

昭和初期の哲学者、和辻哲郎氏曰く「日本人には公共心がない。公共空間で出会う他者には無関心であり、権威、権力者に対して忍従的な態度を示す」...これが、時代が進化(変化)した現代において、何か変わってきているのか、よくなってきているのか...という問題提起。昭和初期の時代環境は経験できないけれども、少なくとも現代における「同様の」空気は感じるし、自分のその中の一人であることに違いはない。著者は、「道徳」の定義として、これらをクリアするという目的のもと、「(本質的な)民主主義」や「哲学という教育」を説く。
その内容は、まさに「哲学」的であって、自分のような凡人が理解できる範囲を超えている...難しいんですね、読むのが苦痛になるほど。個人的な考えとしても、おそらく著者の主張するところとそう変わらないと思われるし、子を持つ親としての「教育」にも関心は低くない。ので、同意できるところはあるんです。ただ、同意「できる事柄を言っているんだろうなあ」というレベルにとどまってしまう。自分の読解力の低レベルがもたらすことではあるけれども、著者のいう「正しいこと」に変えていく、そのことを実現するためには、凡人でも同意、理解できるようにせねばならんのでは?
いろいろな哲学的な観点、民主主義のありかた、等々について研究者の論点や、これまで議論を重ねてきたことを披歴いただいて、このポイントが(少なくとも)「その世界」では、長期にわたり「研究対象」であったことはわかる。あとは「実行」がかなわない理由や、実現のための手法を考えていくことでしょう。「あとがき」に、
「実際に日本でカリキュラムをどのように組み立てるかに関する詳細な検討は、本書の射程の外である」
と書かれているが、多少「哲学者としての哲学の立ち位置を示す理想論」という印象が残る。教育現場で「道徳」を変えていくことが目的ではない。昭和初期以来の「無関心」をどう乗り越えるか、という点こそ重要であるはず。観点をもう少し広く とって考えていきたいね。

【ことば】議論の参加者は...そこで合意や同意に至るかどうかよりも、いままで語られなかった価値やニーズが表明されることがはるかに大切である

これは学校教育におけることだけではなく、「会議のありかた」という社会人にも適用されるべきもの。「日本人は苦手」と言われるディベートも含めての話。ここは大事なポイントだし、実際の場で変えることのできるところでもある。

道徳を問いなおす リベラリズムと教育のゆくえ (ちくま新書)

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