2011/04/22

誰に向けて書かれた本なのでしょう...

プロフェッショナル原論 (ちくま新書)
プロフェッショナル原論 (ちくま新書)
  • 発売日: 2006/11/07
『プロフェッショナル原論』波頭亮
[16/81]BookOff
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★☆☆☆

まずは「プロフェッショナル」の定義から。高度な職能を有し、特定のクライアントの問題解決にあたり、インディペンデントな立場で、公益奉仕の精神を持つ。具体例としては、医師、弁護士、コンサルタントがあげられる。プロアスリートは、「特定クライアント」ではないから、「プロ」ではあっても「プロフェッショナル」ではない。狭くなりました。著者ご本人がそうであるから、でしょうが、主に、コンサルタントについて書かれています。彼らの有しているべき技能、考え方から、日常生活、行動特性まで...かなり限定されています。行動的で個人主義で...途中から、飽きてきてしまう。「プロフェッショナルの日常」を読んでも、これをどう読みとっていいのかわかりません。思い立ったら九州の評判のお店に飛んでいる、とか言われても...
全体を通して言えることですが、「プロフェッショナルとはかくあるべし」ではなくて、「プロフェッショナルとはこういう人種である」というトーンに終始します。それもかなりの先入観(としか思えない)により、彼ら(自分ら?)はこうである。こういうときにはこうする、こう言う。これから「プロフェッショナル」になりたい、と思っている人には響くんでしょうか...?正直疑問ですねー。
会社に縛られるのではなくて、自分自身で高い倫理観を持ちながら、クライアントの利益を最大化する、社会に対する利益を高めることだけを指針として、行動する。そんな人たちが「プロフェッショナル」ということですが、ライブドア事件や耐震構造偽造事件に関する「プロフェッショナル」の行動(ここでは公認会計士や建築士)は、社会が経済至上主義に偏りすぎていることが一因、みたいな流れになります。ん?「公益重視」がプロフェッショナルの要件であったはずですよね。構造の問題ではなく、やはり個人の資質の問題だと思うんですけれど...
最初の「定義」にも疑問があります。「特定クライアント」に関するもののみをプロフェッショナルとし、アスリートや、一般企業の中にいる人は除外していますが、正しいですかね...著者のいう「社会構造の変化によって倫理観をなくしているプロフェッショナル」(そもそもこれを「プロフェッショナル」というのはおかしい)よりも高い倫理観、公益重視、高い機能を持っていらっしゃる「プロ」は少なからず存在します。公益を意識し、構造を変えていくのはそんな「プロ」ですよ、きっと。

【ことば】アーティストやクリエイターの仕事は独創的で...日常生活全般にわたって独創性を主張する...これに対して、プロフェッショナルの日常の姿は、普通で常識的なものである。

「プロフェッショナル」であることの条件に追加したほうがよさそうですね。「偏見を持ち、自分たちは他と違う、という自意識を持つこと」

プロフェッショナル原論 (ちくま新書)

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