2011/04/18

まちがいなく「英雄」です

『野茂英雄』ロバート・ホワイティング
[13/78]bk1
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆

「野球の日米関係の歴史は、二つに大別される。野茂以前と野茂以後だ」この言葉が示しているように、今の日本人選手のメジャー進出は、野茂なくしてはありえなかった。1995年だから、もう16年も前だけど、「その時」のことははっきり覚えている。日本のマスコミ、関係者の批判も。野茂の活躍に掌を返した経緯も。本書にも書かれているように、その「騒動」の中でも、野茂本人のスタンスはかっこよかった。余計なことはしゃべらず(余計で「ない」こともしゃべらなかったけれど)、孤高を貫いて、結果を見せた。
「プロフェッショナル」
だ。これぞ、プロである。もちろん「人気商売」の一面もあるから、リップサービスも「プロ」の一部だとは思うけれども、小細工しないピッチングは、無言でも確かに「プロ」を感じさせてくれた。プロは、その伝え方が何よりも強いはずだ。けしてスマートではない(見た目も含めて)けど、ストレートとフォークだけを持って乗り込んだ「本場」でのパフォーマンスは、感動を伝えるに十分だった。
本書は、その野茂のメジャーへのプロセス、メジャーでの生き様、苦労、そして「引退」を知らぬ行動、それらを伝えている。なによりも、日本人メジャーの「その後」を切り開いたパイオニアとしての野茂を称える内容に終始している。野茂自身はそんな気はなかったのかもしれない。あくまでも自分の力と、世界の一流打者との「力勝負」に真剣に、愚直に向き合っただけ、なのかもしれない。そんな野茂と比べて、他の日本人メジャーのことは結構辛辣に書かれている。でも、それは成績という面ではなく、野球に、メジャーに取り組む姿勢をもっての批判だ。それだけ野茂は、「一直線」だったのだろう。もちろん前例がないわけだから、そうならざるを得なかった、ということはあるけれど。どんな世界でも「一番手」は、相当な苦労を背負っている。それを切り開くには人には言えない努力が必要なのだろう。そこを「苦労」と見せるかどうかが「プロ」であるかどうか、の分かれ目だと思う。野茂はその寡黙さゆえ、かもしれないけれど、それを語らず、最後まで「夢」をすてなかった。

夢...どこまでも夢を追い続けた「プロ」に乾杯。そしてメジャー進出から引退まで、同じ時期に生きていることができたことは、自分にとって幸せだったと思います。
本書の「殿堂入りできるかどうか」とか、「日本のプロ野球機構の問題」は、不要です。野茂の生きざまだけでよかった。それらの問題点は一選手のストーリーとは別物です。


【ことば】投げ続けたい。ただそれだけです。

野茂がSMAPxSMAPに出演した際、「マイナーに落とされても、どうして辞めないんですか」という質問に対する答え。「プロ」です。「プロフェッショナル」、これ以上何もいらない、っていう言葉ですね。


野茂英雄―日米の野球をどう変えたか (PHP新書)

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