2011/04/06

わかる人はわかる、でいいんじゃない?

『なぜ日本人は落合博満が嫌いか』テリー伊藤③
[5/70]BookOff
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

実を言うと落合が好きである、選手時代から。日の当らない時代のパリーグに在籍していたころから、その実力はもちろん、立ち居振る舞いが魅力的だった。「わがまま」とか「俺流」とか、メディアは否定的な部分はあったけど、あれだけのパフォーマンスを見せるためには、「表」にはださない努力が絶対にあるはず。それを見せることなく、いや、逆に努力をしていないように見せて、「本番」すなわち試合で実力を見せる。これが「プロフェッショナル」だ、と強く惹かれていた。
本書のタイトルから読み取れる、「人気取りではない落合」について、その内容に惹かれたのは間違いない。ましてやジャイアンツファンのテリーが書いている。著者の本で前に読んだものには、原監督の賛美があったけど、ある意味著者は、その人の「本質」をえぐる人なので、(今は)ジャイアンツの敵であるドラゴンズの監督を描くのも、けして驚きではないわけだ。
本書の内容は、おそらく書いているうちに著者がヒートアップしているようで、完全に著者自身の「落合」讃歌であるけれど、書いてある内容は、「これだけの本質を持った人間を評価しない日本人は損している、もっと本当のところを知ろうよ、後悔するよ」ということ。個人的に「ファン」である自分には同調する部分もあるけれども、あまりに人気者になってもらっても、それはそれで困るかなあ、って思ったり。落合という人間の素晴らしさを知る人は、限られた人間でいいんじゃない?っていう、自分勝手な気持ちも強かったりするんだよなあ。
「勝つこと」ひとつに目標を置いて、表面的なファンサービスをしない。そんなパフォーマンスを絶賛されているけれど、ここだけは若干意見が異なり、「プロ」としてお金を稼ぐ以上は、お客様を「動かす」必要があると思っていて、多少なりとも「面白い」野球をしたり、ある程度のファンサービスはあってしかるべきだと思っている。「勝てば、他には何もいらない」というのはちょっと極論のように思う。
大枠でテリーに同意、です。みんなが認めて「人気者」になる必要はけしてないけれども、落合博満の本当の素晴らしさを伝える、これは貴重な場であると信じる。信じられる人だけそうすればいい。

【ことば】
どんなに非難されても自分が正しいと思うことを実行し、嫌われても筋を通し、誤解されても言い訳をせず、ひたすら野球の理想を追求する...それが「落合力」である。

たしかにこういう人物に会うことが少ないと感じる。が、もちろん周りにいないわけではないし、自分がなっちゃえばいいだけだ。世の中の流れとのバランスも、やっぱり必要だけどね。

なぜ日本人は落合博満が嫌いか? (角川oneテーマ21)

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