2011/01/20

これはすごい。ストレート且つ本質。

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)
学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)
  • 発売日: 2009/02/09
『学問のすすめ 現代語訳』福沢諭吉
[12]bk1
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆

「原文」は読んだこともないし、正直読もうと思ったこともないが、この「現代語訳」を読んで、「なんで今まで読もうとしなかったのか」と後悔の念が生じるほど衝撃的で感激。原文にどれくらい近いのかまったくわからないけれども、訳がいまの時代にあった素晴らしいものであることに加えて、原文の「本質」をついた内容の秀逸さがもちろん根底にあるのだろうと思う。
明治ヒトケタですよ。これが書かれたのが。今となっては「日本史」の教科書の中のものとしか思えない江戸時代からまだ数年しかたっていない中で、これだけの価値観を持ち、そしてそれを表現している本書に驚きを禁じ得ません。
この時点での「社会的な問題点」を著者が洗い出す。「前時代」の考え方が抜けておらず(それはしょうがないけど)、「御上」と「国民」の関係性が幕府と士農工商との関係のままである。それは違うでしょ。政府は政府の役割を全うし、同時に国民も努力して自分たちを変えていかなきゃいけない。そのために必要なのは「学問」である。西洋の文化を目の前に突きつけられて、それは確かにすばらしいことなんだけど、吟味もせずにただ単に「優れている」という固定観念で受け入れることへの疑問。「御上」の命令をすり抜ける「ぬけみち」ばかり探している国民...それでいいんですか?それで「日本」という国は本当に、本質的に「新しく」なったんですか?という内容。それこそ、「旧態依然」とした空気がまだまだ支配していたと思える時代に、これはかなりの衝撃が走ったんではないでしょうか。
さてこれを現代に置き換えてみる。もちろん「あの時代にこの内容!」的な驚きはあるけれども、現在の環境においても十分に通用する、いや、むしろ、テクニック論に走る「ノウハウツール」に比べてら圧倒的に「本質をつく」内容である。時代背景から「国」という最大のテーマがあり、「個」という概念がまだそれほど生じてはいない点が異なるといえば異なるけれども、「学問」をすることの重要性、そしてそれは何のためか-国の発展ためであり、現代では個人の幸せのためかもしれない。そしてその内容。頭でっかちに情報を詰め込んでそこで終わり、ということであれば、それを「学問」とは呼ばない。それを社会に活かして、個人の力としてアウトプットをして初めて、「学問」である。すごい、本質だよね。
訳のおかげ、という点も含んで、わかりやすい、ストレートな(当時にすれば「大胆な」ということか)表現で、本質を突いてくるその内容は、心に浸透していく。慶応大学は「ライバル」ではあるけれども、この創始者はすごいね。「敵」ながらアッパレ、でございます。
う~ん、くやしいのは、もっと早くに読みたかった、ということ。これは本当に「自分の糧」になりますね。そういった意味でも...今、であっても出会えたことに感謝、です。

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

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