2011/01/05

偏り「すぎ」が、逆にここちよく...

無責任のすすめ (ソフトバンク新書)
無責任のすすめ (ソフトバンク新書)
  • 発売日: 2008/02/16
『無責任のすすめ』ひろさちや
[2]BookOff
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

「仏教原理主義者」を自称する著者の「いいたほうだい」本。時の政権与党である自民党をはじめ、国家、教育、マスコミ、その無責任者をぶった切る内容。その内容に偏りが見られるけれども、一般論としても「正しい」主張を繰り広げている箇所は少なくない、それゆえの、「言いたかったことを言ってくれている」痛快さは感じる。ご自身が「宗教家」であるので、「現代の」宗教家に対する批判も展開、正直この部分はよくわからなかったけれども、政治、官僚、企業に対する「責任をとれ!」という主張は、まさに正論。それを指摘しないマスコミの迎合にも矛先を向けて...かなり突っ込んだ論評になっている。ここまで活字に残すのはそれなりの勇気も必要なんだろう、と思えるほど。社会に対してどうこう、という主張をするほどできている人間ではないけれども、でも「もやもや」したものを、代弁してくれているような爽快感はある。
おそらくそれは、一方で「権力」に対する批判(「提言」の方があっているかも)を繰り広げる一方で、自分の人生においては自分で責任を負うべし、という、これまた明確な主張が読んでいる自分に突き刺さるから、なのだろう。家族、仲間。本当に大切なものは何?責任を負うべきものは何?というポイントが明確だ。タイトルにある「無責任」になれ!というのは、あくまで「キャッチコピー」的なもので、責任の所在を明確にせよ、ということの逆説的な表現である。ともすれば日本全体が「無責任」に包まれている中で、本当に責任を負うべき人は、それを全うせよ、という主張であり、それは国家を代表する人も、企業を代表する人も、そして個人も含まれるわけだ。
個人レベルで読めば、「宗教家」だけに、『幸せって何だろう』ということを突き詰める本なのかもしれない。自分が本来的に責任を負う箇所で責任を果たす。それ以外は「無責任」でいる。 大事なところは何?自分で手が出せないところに時間も精神も割くのはなぜ?ならば「無責任」でいることも大事ですよ。そんなことを「読んだ」。勢いのある本なのでイッキに読める。多少感情論っぽいところはあるが、それでも読後はここちよいですよ。

無責任のすすめ (ソフトバンク新書)

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