『おはようからおやすみまでの科学』佐倉統/古田ゆかり
[15/46]Library
Amazon ★★★★
K-amazon ★★★
ちょっと前に読んだ「ゼロ」の本。この本自体はむっずかしくてよく理解できなかったが、ちょっとだけ「サイエンス」に興味を持ち始めた。もともと理科は苦手教科だったし、この分野は弱いんだけど、ちょっと「基本」を読んでみようかなあ、という気づきを受けて、図書館で「中学生向け」の棚から選んでみた。
まずは、身の回りに「科学技術」がどれだけ溢れているか、という話。そしてその便利さが「あたりまえ」となっている環境への気づき。そして「あたりまえ」が本当にいいのか?という問題提起。そんな構成。
本書にも書かれているように、イメージとしての「科学」乃至は「科学者」というのは、実際の生活の中ではほとんど意識していないし、意識する必要もないもの。故に(特に「科学者」という人種に対しては)遠い存在になっているのは確か。著者はこれに対して、少しでも意識、知識をもって、その技術をそのまま受け入れるのではなく、疑問をもつことが大事、と説いている。科学技術を利用することの便利さが、本当に自分たちのためになっているのか?技術開発以前に行われていた「手動」にこそ、本質があるのではないのか?という問いかけ。確かにそうかもしれない、と少しだけ思ったけど、本音の部分では「便利だからいいじゃん」という意識が抜けない。何も「疑問を持たなくても...」というのが考え方の根底にある。
もう少し考えてみると、私の世代(1960年代生まれ)は、比較的「恵まれている」と思っていて、科学技術のみならず、遊びにしても、音楽にしても、今から見れば「古い」ものと「新しい」ものを両方知っている世代。かろうじて白黒テレビもあったし、今のリモコン付のテレビもある。メンコで遊んでいたし、テレビゲームも遊んだ。でも、「今の環境」しか知らない世代はどうなんだろう?「60年代」は「旧」をしっているので「新」の便利さ、ありがたみを感じている(たまに忘れる、あたりまえに思ってしまうこともあるけど)が、「旧」を知らない世代は、「新」があたりまえになっているわけで...考えれば自分の子供たちにとっては「携帯電話」があたりまえで、「黒電話」は歴史になっているんわけだよね。ただ、その世代ごとに「旧」と「新」は存在するんだろうけど...
読む前に思い描いていた「サイエンスの基礎」とはちょっと趣がちがったけど、それなりに興味をもったかな。これまで「ビジネス本」ばかり読んでいた自分にとっては「異分野への進出」が結構興味どころだったりする。考え方の幅が広がれば尚可、かな。
ちなみに著者の属するグループは「リビングサイエンスラボ」というグループで、生活と科学という観点で活動しているらしい。ちょっと興味あり、なんで調べてみよう(参加できるレベルでは、もちろん、ない)
もう少し「サイエンス」を読んでいこうと思う。興味のある分野からにしよう。天文系かもしれないなあ。星って夢があるじゃん?「光年」というだけで、そのスケールが圧倒的だしね。うん、次はそれだな。
0 件のコメント:
コメントを投稿