2012/06/07

エロ→アル中→...最後に、愛。

ばかもの
ばかもの
  • 発売日: 2008/09

『ばかもの』絲山秋子
[5/102]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

のっけからエロ場面。主人公ヒデは、年上の女にハマり、やっと見つけた就職も、今度は酒に狂う。その場限りの快楽にうつつを抜かす、まさに「ばかもの」がそこにいる。場面場面では「反省」する意思を持ちつつも、結局「弱さ」をさらけ出す結果になる。そこにあるのは、「逃げ」であり「甘え」であるのだ。そんな放蕩ものであるが、数々の「事件」を経て、ようやく境地にたどりついて...
「ばかもの」の要素は、実は誰にでもあるのかもしれない。自分にだってそんなものが体内にあることを感じる場面もあるのだ。こうしなければいけない、ということを思いつつも、「明日から」と逃げてしまう。「今回が最後」と甘えてしまう。この繰り返しは人生の貴重な時間を奪っていく。むしろ、「ばかもの」を貫いた方が楽なんじゃないか、って思うくらいに、自分の行動を厭世的に反省することもある。が、また同じことが...
主人公ヒデも、落ちるところまで落ちる。落ちていく場面の印象が強いせいか、「社会復帰」する過程があまり記憶に残らない。が、とにかくヒデは「回復」するのだ。アルコール依存症も、自らの意思でアルコールを断つ、といった行動をする。一度ハマった女とも、違った再会を果たす。
救いようのない奴が、もがいてもがきぬいて再生する、といったサクセスストーリーではない。イメージで残るのはタイトルにある「ばかもの」の姿が強い。人間の弱さ、未熟さ、社会的に存在価値がないように思える自己嫌悪、そこから抜け出すために必要なのは何であろうか。
時間の経過なのか、数々の経験なのか。交わることしかなかった二人が、空白期間を経て、その空白期間にそれぞれが経験したものを以て、再開した後は、お互いの存在を認め合うような関係になっていく。何が自分に必要なもので、何が相手に必要なものなのか、それを追い求めていくような関係を作っていく。
その日のその場面のことしかアタマにない頃、やがて先のことや相手のことを考えるようになる時期、それは年齢を重ねることによってなのか、イタイ目にあった経験が自分に何かを気付かせてくれるのか。
最初っから「ばかもの」の話しで、どこまで沈むのか、正直読んでいて楽しくなかったけれど、後半はその分を補ってあまりある展開で(そのギャップがさらに増幅させるのかもしれないが)、ユニークな妙なストーリー、読後感は悪くない。

【ことば】社会というのは下車前途無効の切符なのか。俺は途中下車してしまったのか。もう二度と特急には乗れないだろう。鈍行なら乗せてくれるだろうか。俺はまだ廃駅にはなっていない、俺の前にきっと電車は止まる。

ふとこのような気持ちになる時もくるだろう。「前を向いて」という言葉がむなしくアタマを通り過ぎていく瞬間が。このときに「耐える」力を持つことが、「次」につながる。「前」でなくて「次」でもいいのだ。特急に乗る必要はない。でも電車に乗ることは絶対に必要だ。

ばかもの


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みくうのもこもこ日記。
ひねもすのたり、読書かな

 

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