- 家康の仕事術―徳川家に伝わる徳川四百年の内緒話 (文春文庫)
- 発売日: 2011/12/06
『家康の仕事術』徳川宗英
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信長、秀吉、家康。とかく比較対象となる3人だが、家康に対して「イメージ」として持っていたのは、「権謀術数」「策略」である。「憧れ」ではないが、好きなのは秀吉かなあ、と漠然とした考えを持っていた。
が、「1人」の異才でもって時代をつくった、信長、秀吉と、「その後」継続的に続く「仕組み」を作り上げた家康とは別格であると思い知りました。
同じ時代に生きながら、信長とも秀吉とも接触があったわけです。そして、虎視眈眈と「自分の番」を待った、いざその時が訪れた暁には「こういう政治をすべし」という固い意志を持って... ひとことでいえば「大局観」でしょうか。それを持っていた家康と、自己主義で油断があった「前」の二人の違い。
天下統一を目の前にして討たれた信長。戦国の世における「警備」が十分だったのか。「次の世代」を育てられなかった秀吉。朝鮮に行ったあたりから、「?」という行動が目立ってしまったようです。それらをじっと見つめながら、いいところは学び、悪いところは改め、という目を持っていた家康。そのすごさは、結果として長く続く「平和」な社会、江戸時代を始めるにあたっての周到な準備と、その時点で「永続させる」意思を持っていた、というところでしょうか。
京から地理的に離す意味もあって「関東」に封ぜられた家康ですが、そこで彼の「政治家」としての才能が開花します。「タヌキおやじ」というイメージもありますが、人を見る目を持って、人材を重要視していたようで、「自分が」という意識がより強かった時代のそれですから畏れ入ります。
それぞれの技能を持ったブレーンを適材適所に配置し、なにより江戸の町を「作り上げる」ことに集中した。それは自分のため、だけでなく、町人や農民、職人にも「住みやすい町」を目標にしていたのです。当然私利私欲もあったでしょうが、結果的に江戸が反映して、泰平の世が創出された点を見るに、「そこに住む人間の生活」を優先したことが奏功したのでしょう。
策士、という面もありますが、その「策」は何のためか。一般市民も含めた人のため、だったのでしょう。そして、人材育成。将軍職は早々に退いて(「院政」的なものはあったのでしょうが)、次の世代、次の次の世代に引き継ぎを行っています。これはすごい。秀吉はこれができなかった。そのスキを突かれたわけです。反面教師的な「学び」もあったのでしょうが、とはいえ、特に高齢になってから「天下人」になった身を、すぐに辞するとは...人間、わかっていても権威にしがみつくものですからね。
徳川家に所縁のある著者ですので、家康のマイナス点にはあまり触れていませんが、それが却ってポジティブでいい感じです。若干、家康のパーソナリティとは無関係の記述もあって、できれば徳川家康という人間、というところ一つにスポットが集中していればよかったなあ、と思いつつ、家康が気づいた江戸=東京の町で今日も過ごす。
歴史って、面白いね。
【ことば】「自分が庶民の立場なら、為政者になにをしてもらえば嬉しいか?」ということをよく考え、そこから類推して行動していたのだ。
今の政治家に聞かせてあげたい。まず「自分が庶民の立場なら」という想像ができない人ばかり。政治家にその資質は不要だといわんばかりだよ。「タヌキ」とイメージされようと、「政治」が目指すところ、平和な社会に向かうために為すべきこと、これを貫いた家康は、やっぱりすごいよ。
家康の仕事術―徳川家に伝わる徳川四百年の内緒話 (文春文庫)
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