2012/01/18
考え方を「更新」せねば。
『明日のコミュニケーション』佐藤尚之
[12]bk1
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆
ソーシャルメディア(Twitter、Facebookなど)が、企業と生活者の間に、どのように位置するのか。ネット系のビジネスをやっていて、どうしてもぶつかる壁である。乗り越えるのが難しいなあ、と後回しにしていたキライがありますが...なぜ「越えられないか」が、本書を読んで分かったような気がする。
従来の「広告」と同じ位置づけをしていたら駄目なんだよね。著者がいうように「ブログ」とも違う。プロモーション、ですらないのかもしれない。少なくとも、ダイレクトレスポンスで計測しようなんて考えること自体が間違いなんだ。
タイトルにあるように「コミュニケーション」以外の何物でもない。生活者と企業側は、同じ「人間」としてコミュニケーションしなければ成り立たない世界。
印象に「強く」残ったのは、「発信元への共感」がないと始まらない、というクダリ。実はこれまでの広告も同じことなのかもしれないけれど、これがないとテクニックやテクノロジーがいかにすぐれていても、コミュニケーションができない。そして、これが最も難しいことでもある。
なぜ難しいのか。これにも著者は明確な答えを出しているが、従来の広告手法がそうであったから、であると。情報が少ない時代、情報発信者が限らていていた時代は、「大きな声」がまず最初の接触における重要ポイントであった。しかしながらソーシャルの時代になると、これが「うざい」という感覚が高まる。友人、知人同士の(「ゆるい」かもしれないが)つながりの中に「広告」は相いれないものなのだ。
わかる。わかるなあ。他のサイトに比べても、「広告」が違和感なんだよね。それは感じているんだよね。それでも、「広告としてどう活用しようか」と考えていた自分が恥ずかしい...
発信元への共感、これは短時間でできることではないけれども、「まっとうな」活動をしている企業であれば、それを「さらけだす」ことで実現できるのかもしれない。「隠そう」とする部分があると、不自然感がでてしまい、それを敏感に感じるユーザーもいるんだろう。
そう、難しいのは「隠そう」とするからであり、「隠そう」とするものがあるから、なんだね。
著者が指摘するように、広告担当者だけで成り立つ話ではない。会社の「レベル」をあげないと。それにはすべてのそこにかかわる人の活動が反映されるわけだし、ごまかしがきかない。ごまかしがバレて、凋落した企業はたくさんあるよね。「正しい」ことをしていけば、けして難しくないんだ。「組織」として「正しい」ことをしていれば、ね。
もちろん、ソーシャルメディアを使わない人、そもそもインターネットを使わない人にも「伝えていく」ことが必要で、従来の広告「枠」が乗り替わるわけではないけれども、たとえ「マス広告」であっても、「正しい」姿勢が伝わらなければならない、当たり前のことだけれども。
【ことば】...ソーシャルメディアに関しては...やりとりを体験し、生活者がこのプラットフォーム上でどう動くのかを肌感覚で理解し、その上でコミュニケーション設計をしていかないと、生活者実感からズレた企画になっていく。
何事も、自分で体験しなければ。自分で分かっていないものを、生活者に向けての発信していくことはできないよね。うすっぺらくなってしまう。そしてその「うすっぺらさ」を見抜かれてしまう。それでは「プロ」とはいえないよね。まず、やってみる。
>> 本書の感想文、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<
40歳からの○○学
いまんとこの最適解
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