2011/06/27

感動、感情移入まではもうひとつ...

「また、必ず会おう」と誰もが言った。
「また、必ず会おう」と誰もが言った。
  • 発売日: 2010/11/18
『「また、必ず会おう」と誰もが言った』喜多川泰
[17/120]rakutenb
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

自らついたひとつの「うそ」から、それをカバーしようと、ひとり東京に出たものの帰りの飛行機に乗り遅れた高校生。所持金もなく、途方に暮れている少年が体験する様々な出会い。そしてその出会いによって成長する少年の姿...これですべてのストーリーはカバーできているかと。
表面的にはこれだけ、ですが、ぎりぎりのところで出会う人々の温かさや、そこから自分に置き換えて「何か」をつかんでいく少年の考え方の変化。もちろんそこから、少年と旅、これらを超えるものを自分でつかみ取ることはできます。どんな成功者だって、自分一人で成功したわけではない。もっと言えば、自分一人で生きていくことなんてできないのが人間である。様々な背景を持つ人たちとの出会い、会話。そこから見えてくる、自らの生活、人生の「問題点」。端的には、あたりまえだと思って疑いすら持たなかった親への感謝だったり、学生生活だったり。これって高校生だけに当てはまることでは、もちろんありませんよね。仕事だって、人生だって、出会いと感謝、これによってさせられているんです。普段は気がつきません。「気がつかない」方が多分幸せなのかもしれない。でも「気がついていなかった」ということに気がつく(ややこしいな...)のが、ものすごく大事なことですよね。
親であり、また部下を抱えるビジネスマンとしての自分は、子どもに、そしてスタッフに「無償の愛」を捧げます。そこに「見返り」は期待しません。見返りを期待した時点で「愛」ではなくなりますよね。だけど...だけど、そこで愛を受けた人がそれに気づいた時、それは何物にも代えがたい喜びになります。人の喜ぶ姿を見ることが自分の喜びである...キレイごとに見えますが、どんな人間にもできることなんです。自分の子どもに対して、だけではなくてね。それこそ「出会」った、愛すべき人たちにも同じ感情を持てるんですね。自分もそんなふうになれるとは考えてもいませんでしたが、40代も半ばになるとそういう気持ちが素直に持てるようになります。
ひとりの少年を通して、その「出会い」と「感謝」をつづった本書は、多少は「物語すぎる」ところは感じられるものの、受け入れやすい文章で最後まで一気に読むことができます。ひねくれた自分のようなタイプには、「できすぎ」を感じて、涙を潤ます場面は少なかった、のですが、もちろん悪い印象はありません。「こんなに泣ける本はない」的な広告が邪魔をしてしまったようで、どうも読む前に「広告」されると、そのようにならなければ(=泣かなくては...)という気負いが先に立ってしまう。素直でなくなってしまいますね。これは「偏った」自分のようなタイプ、だけでしょうけれど。
フラットな気分で、「感動するために読む」というスタンスが強すぎなければ、十分に感じることはできます。

【ことば】...居心地のいい場所は、まわりの人があなたに何をしてくれるかによってじゃなくて、あなたがまわりの人のために何をするかによって決まる...

この物語のキーになるところです。縁あって近くにいる人に対しての「愛」。近くにいなくても。自ら何かをしてあげることによってその人が喜ぶ姿に、喜びを感じる。出会いは偶然ではなく必然。人間だもの、「出会い」によって愛を広げることに幸せを感じる、素直に喜ぶ、自然体でいきましょう。

「また、必ず会おう」と誰もが言った。

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