2011/06/20

「教育」の本質ですね。真似してみたい。




『親と子の「よのなか」科』藤原和博②三宅一也
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学校教育の「ありかた」に一石を投じた藤原さんの主宰する「よのなかnet」に現れた「ミムラー」なる人物。彼が(金融のビジネスマンらしい)家庭において、小学生のお子様と食卓でなされている「会話」で成り立っています。
これが面白い!お子さんたちの「するどい」質問、それらに対応する、あるいはそれらを引き出すミムラーさん。何が話題かといえば、
「ユニクロはなぜ安いのか」とか
「大江戸線はなぜ小さいのか」とか
「日本で農業に従事する人がいなくなったらどうなるか」とか。
学校での授業ではなく、あるいはそこで「学習」した内容について、現実の社会における「なぜ」「どうしたら」という会話がある。学校の授業、すなわち「 記憶」だけではなく、それを実のあるものにする、そんな「家庭学習」である。社会で生きる父親として、学校の授業でならうことが、社会でどういった意味をなすものなのか、そんな「本質」をつく会話が並ぶ。何が素晴らしいかって、父親が子供に真摯に対峙していること。上から下への「勉強せいっ」って感じでもなく、子どもが本当は知りたがっている「社会」を真剣に教育している感じだ。受験勉強にはただ単なる「記憶」が役立つかもしれないが、「教育」ってこういうことをいうんじゃないか、って心底考えた。
ミムラーさんは「子どもたちと一緒に考える」と書いている。これって大事だよなあ。できていないよなあ。「勉強」ってこういうことなんだよね。もちろん、ベースとしての基礎知識は学校で学ぶことを「記憶」することで養われる部分はある。これも大事。だけどそれを使う場面がないと、意味がない、というか、もったいない。何のために勉強するのか、ってことだよね。いい学校に入るため、ではない、そうだよね。
この本を読み終わる前に、前半で紹介されていた会話を、もう我が家の食卓で実行してみました。「新聞が安い理由」を。さらに後半で記載されていたものも来週末、使わせてもらおうかと。自分にもプラスになるよね、絶対。小学生のお子様がいるお父様には絶対にお勧めです。こっそり使わしてもらうことをお勧めします。これが「教育」だから。
「なぜそうなるのか」「どうしたらよいか」「どうしてそうしたらよいと考えるか」子どもだけではないことに気がついた。職場でもそうかもしれないね。「なぜ」トヨタみたいだけど、これが本質かもしれない。自分が今(やっと)気づいたことを、将来のある人に伝えていこう。子どもも、社会で出会った仲間も、自分にとって大事な人たちだからね。

【ことば】...乗せる側が乗ってないと相手も乗ってこないってこと。子供との会話も同じ...

子どもと会話するときは「真剣勝負」でなければならない、ってこと。投げかけるこちらの目がキラキラ輝いてないと、引き込まれません。真摯に対峙すること。これが最も大事なポイントですね。

親と子の[よのなか]科 ちくま新書

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