2010/05/21

やっぱり遠い。


『「科学的」ってなんだ!』松井孝典・南伸坊
[12/77]Library
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めったに読まない「対談集」。「科学」の初心者である自分にとっては入りやすいかも...というだけの発想で読み始める。(初心者故に知らなかったけど)科学者の松井氏と、これは知っている南さんの対談なんだけど、まず科学者の話が「気持ちよくない」。最初っから、あらゆることに関して「一般のひとを科学者はレベルが違う。科学者は一般レベルでモノを考えたりしないよ。」というスタンスで、読んでいてもわけのわからない(私が一般レベルだから)ものばかり。折角の対談なので「一般レベル代表」としての南氏に期待するも、反論や突っ込みといった場面は見られず、「科学者」を持ち上げる役割に徹しているようだ。
いったい誰のための本なのだろう?
そもそも「科学者」が一般レベルに対して「下」としての視点をもち、彼らに対して「わかりやすく」科学をひも解くことを考えていない。「だってレベルが違うんだから」という考えがそこかしこに見える。科学者がそのフィールドでそれを究めていく分にはまったくかまわないし、それで技術が進むことになるんだから、科学者に対しては尊敬するも否定することはない。けれども本に出して「一般レベル」の人に触れる機会に、そういう態度を示して一体なにがしたいのかが不明。「プロと一般の差」を世に知らしめたいのかな。今の私のように「少しだけ興味」をもったレベルからすると、その興味が萎えてしまうね。まあ科学者全員がこうではないとは思うけど。著者は自分のことを「プロ」と呼んでいて、それ自体は素晴らしいことだと思うんだけど、プロ以外の人にもわかるようにするのも「プロ」の領域なんじゃない?って思うね。

...って読んでいるうちに(対談って結構早く読み進められるんだけど)、最後の方になるにしたがって、そーゆーふうにしか考えられない「科学者」って、さびしいだろうな、って思った。すべて「科学的」にしかモノがみれないって、人生の楽しみの半分を自ら否定している感じだよね。もちろん彼らの私生活までしらないけど、「緩み」って必要だし、「科学的」ではない目で見る、それを受け入れるっていう意識も必要だと思う。すべての事物に「理由」を見つける必要はないもん。それをそのまま受け入れるすがすがしさ、て大事だと思う。そこは「科学的」じゃなくっていいや。

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