- 「日本男児」という生き方
- 発売日: 2011/02/22
[3/143]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★☆☆☆
女性が描く「男性論」というのは、ややもすると一方的で片方の性には受けてももう一方には...ということが起こり得る。女性ジャーナリストが、しかも「日本男児」という言葉を(敢えて?)使ってどんな話を広げるのだろう...そこから何か得られる、という期待よりは、女性から見た男性像、という一般的な興味レベルで読み始める。
著者は、戦地に赴き日本兵の慰霊追悼という活動をされる女性ジャーナリスト。そんな職業があったのか...と思うほど、自分にとっては「異次元」だが、その活動を通じて出会う戦争体験者の姿と、現代の「草食系」と称される男性像とのギャップ、という視点で本書は繰り広げられる。自分にとっても「戦争」はもちろん体感できるものではなく、文字、写真の世界であり、またその「経験者」との交流のほぼ皆無で、その「日本男児」っぷりは実感できない。想像の世界で、「筆舌つくせぬ」体験をされた方のオーラは違う、くらいのイメージ。
確かにそんな方々と現代の「草食系」を比べれば、ひとこと言いたくなるのはわかる。わかるけれども、そもそも比べる対象ではないのかもしれませんね。理想の男性像として「経験者」をあげるのはいいけれども、今の人たちもそうなるべきだとか、そういうのは話が違う。著者もそのあたりを認識したうえで書かれている、とは思うけれども...冒頭に書かれている「かなり好き勝手に書いています」を十分に(素直に、そのままに)理解したうえで読まないと、「現代の」男性読者は、いっきに引いてしまう可能性もあります。いろいろな環境の方との接触がある著者ですが、基本は「女性の私から世の男性にひとこと」というスタンスで書かれており、「女性はこう。男性はこう」という激しい思いこみがベースですので。「女性はこんなふうに見ているのかあ」と俯瞰するような読み方をした方がよいかも。「なんだ、勝手なこと言って」となっては読む時間がもったいない。また、「あー、こういう男になるべきだよなあ」という啓発としては使えません。本書のベースとなっている「経験者」には到底近づけませんからね。
生物学的にみれば、雄雌の役割、というものは当然あって、そこを否定するつもりは全くありませんが、男女の区別、というのを理解した前提で、「人間として」生きる、付き合う。それでいいんだろうねー。そう言ってしまっては、この手の本を読む意味すらなくなりますけれども。男性から見る女性、女性から見る男性、それって多分、いままでもこれからも本質的には変わらないんじゃないかと思う。表面的には「草食」であっても、女性に求めていることは一緒だったりするんじゃないかなあ。
まあ、ここに書かれていることは、「おっしゃるとおり」ということばかりです。「男たるもの」って、男性は少なからず誰にもあるはずで、それなりに「こうなりたい」という像は持っているんですね。でも、人から言われると...ってところもある。正直なところ。
【ことば】努力を続けていけば、それはもう努力ではなくなります。
著者曰く、男が男であるためには「やせ我慢」が必要、ということです。痛みを背負い、泣きごとを言わず、世の中の不条理に耐える。そこに達するプロセスとしての「やせ我慢」、そして「努力」。
「日本男児」という生き方
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