- 一流選手の親はどこが違うのか (新潮新書)
- 発売日: 2011/11
『一流選手の親はどこが違うのか』杉山芙沙子
[14/50]bk1
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆
長期にわたりトップランカーであり続けた杉山愛と、その母でありコーチである著者。長く続けて一流であり続けることって、ある意味正真正銘の「プロフェッショナル」であると思う。一時の成功よりもずっと難しいことだと思うのだ。そんな意味では、杉山愛というテニスプレーヤーはまさしく「プロ」である。
それを支えた著者の本であり、プロスポーツのことや杉山愛選手のことなどが書かれていると思ったが、さにあらず。 どちらかといえば「親」として子どもをどう育てるか、という視点に重心が置かれていて、子どもがプロスポーツ選手かどうか、または一流かどうか、というのは二の次の話題。
杉山選手の他、錦織選手、石川遼、宮里藍というトッププロ選手の「両親」にインタビューしているのも興味深い。プロ選手自身の話ではなく、親に焦点があたっているのだ。
プロスポーツアスリートとしての「テクニック」以前に、著者がこだわっているのは、その選手の「人間性」の高まりである。人間として成長すること、「人間力」をあげることにより、アスリートとしての技術もあがる、もっといえばスポーツは人間力をあげるためのツールである、という捉え方をしている。
この考え方は、「コロンブスの卵」的な発想であるが、こう考えるとしっくりくることが多いのだ。本書でも触れられていたが、杉山愛も石川遼、宮里藍も、そして松坂大輔や田中マー君も、インタビューを聞いていると「若いのにしっかりしている」という印象を受ける。当然サポートはあるだろうが、しっかりと自分の言葉で対応している感じがするのだ。そして自らが負けたり調子が悪い時のインタビューも、しっかり答えるし、優勝したり好調の時のそれも謙虚であるのだ。多くの目から注目されることによって出来上がった人格、と思っていたが、本書を読むとそれは幼少のころからの家庭環境やスポーツ環境によるものも大きいのだと感じさせられる。
親の大切な方針によってスポーツと「出会えた」ことで、培われる「人間力」が大きいと。それは親からの押し付けではなく、子どもが自ら選択したスポーツであり、そしてその「好きなこと」を「続けられる」環境であったことが、人間としての成長を促しているようだ。周辺の支えてくれる人たちへの配慮、技術的には必ずしも自分以上ではないかもしれない(が人間としては先輩である)コーチへの尊敬の念、そのスポーツに集中して取り組むことで、どこかで「突き抜ける」瞬間がやってくるのかもしれない。
コミュニケーションの力、判断力、決断力。スポーツを通じて育まれる力。もちろんスポーツを通じてでないと得られない能力ではないが、こういう考えの基で一流選手を、それも世界トップクラスに継続して存在し続ける選手を作り上げたことは大きな価値があると思う。スポーツに限らず、子育てという観点から見ても、参考にしたい点は少なくない。
【ことば】その子供=選手が、昨日より今日どれだけ上手くなったか、どれだけ人への思いやりができたかなどの、個人的な評価をすべきです。
選手間の比較、例えば「Aはできるのに君はなぜできないのか」という見方は絶対にしてはならない、その人の中でどれだけ成長しているか、という点に評価は集中させる、という。コーチ論であり、親子論でもあるね。自分がされるといい気持ちがしない「他者比較」を子どもに対してしてませんか?自分にも問うてみる。
一流選手の親はどこが違うのか (新潮新書)
>> 本書の感想文、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<
たれ流し書評なり
平成 萬朝報
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