2012/03/29

人間(ひと)としての成長がそこに。


『勉強ができなくても恥ずかしくない』橋本治③
[17/53]bk1
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

「勉強」「学校」との関わりについて疑問を持ちながら生きるケンタ君の成長を、就学前から社会人まで駆け足でたどります。周りの同級生たちとどうするまえばいいのか悩み抜いた小学校時代、友達の意味を見つけた中学時代、勉強・大学という課題に目をそむけつつもやがて理解できる高校時代、そして最後には、その意味、本当の意味を見つけ出すことが...

学校で最も大事なことは「勉強」でしょう。でも、勉強ができる、ってどういうことなのか。なぜ勉強をするのか、しなきゃいけないのか、それが理解できているケースは少ない。勉強のできる子=いい子、という図式は、本書のようにちょっと前の時代から今に至るまで、あたかも「事実」のように思われているけれども、本当にそうなのだろうか。
学校が勉強ができるようになるところ、だけであったらつまらない。子供たちは勉強する「意味」がわからないのは当たり前で、 「いい子」と思われたいという理由で勉強していることも多いのではないか。ケンタ君がそうであったように、何かのきっかけで、ある程度の「経験」をしてから気付くものであるのかもしれない。でも、それはケンタ君のように、勉強以外での経験をしたり、(ある程度の)「疑問」を心のどこかに持っていることが前提となるような気がする。

親の立場からすれば、「今は」理解できなくとも、勉強を強いることが必要なこともある。それは、大きくなってから苦労するから、ではなくて、大きくなったら自分で気付く力を備えさせるために、だ。ただ、「今は」わからないにしても、ケンタ君のおかあさんのように、「伝えない」というのもどうか。子供はできる範囲で考えているものだ。だから理解できなくとも、なんども「なぜ」という理由を説明sることも必要だと思う。いろいろな経験(プラスもマイナスもある)を重ねるうちに、その「できる範囲」は広がっていくし、自分で考えることもできるようになってくるはずだ。
親ならだれでも思っている「理由」を伝えることをしていかねば...と考えさせられた。

ケンタ君は、自分でも気付かないうちに成長しています。一番大きいのは「勇気を持ってやってみる」ことに抵抗がなくなったことでしょう。その「勇気」が「自信」につながり、また「勇気」が湧いてきます。それがすなわち「成長」であるのです。
そして、「意味のないこと」「無駄なこと」と思われるようなことが、どこかで何かに「つながる」感覚も得ることができました。これも「成長」に結びつく、よいサイクルのひとつとなっています。

もちろん、当時と現在では環境も違うし、この通りではないこともあるでしょうけれども、子どもを思う親の気持ち、子どもが成長していくのに必要なことはなんら変わらないはず。だから「伝えて」いこうと思います。心を込めて。

【ことば】「ぼくにそんなことができるのかな?」と...不安になりました。でも選ばれた以上、ちゃんとならやければいけません。...ケンタくんは「がんばろう」と決心したのです。

 ケンタ君は図書委員に選ばれました。友達が少なかったのですが、見ていてくれた人はいたんです。そこで前向きに取り組むことで、ケンタ君は変わっていくのです。子供の世界ではこんな体験を繰り返していくことで、目の前の景色が変わっていくのでしょう。考えてみれば、オトナも同じかもしれません。


勉強ができなくても恥ずかしくない (ちくま文庫)


>> 本書の感想文、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<

思索の森と空の群青
日々是修行

 

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