2012/02/18

「プロ」です。そして「プロ」であることの条件がわかります。

調べる技術・書く技術 (講談社現代新書 1940)
調べる技術・書く技術 (講談社現代新書 1940)
  • 発売日: 2008/04/18

『調べる技術・書く技術』野村進
[11/29]bk1
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆

ノンフィクションライターの著者が、「書く」ために必要な「技術」を開示。本当に「技術」的な部分が半分、残りは「心構え」的なメッセージ。
個人的には、後者に響きました。書く、つまり伝えること、それ自体の意味・意義(What)、それをどのように伝えるか(How)、が、著者の独断とはいえ、ふんだんに記されています。

しかしながら、その技術を、たとえば箇条書きに項目を並べてくれる「フレームワーク」なものよりも、引用された著者の「ルポ」それを読んだ時の、「引き込まれ具合」が、まさに「伝える技術」として真髄を感じる瞬間でもありました。
プロを感じます。ホントに「技術の本を読んでいる」ことはすっかりアタマから遠のいて、すっかりその引用された事件、その文章に没頭している自分がいます。すごいですよ、一読したら分かるかと思います。

読み始めは、「自分はノンフィクションを書く機会はないからなあ...」というヒトゴト感から抜け出せない感じがするが、後半は実例がとにかくビンビンきます。もちろん現実に起きた事件、という事実があるにせよ、その切り口、アプローチ、ストーリー、結論、一気に流れに乗ってしまうんですね。事例として掲載されているのに、ライブで出た記事を読んでいるような感じになります。

そこにあるのは、本書のテーマの一つである「技術」もさることならが、その技術を最大限に活かすエネルギー源、すなわち、「関心・興味」「執着」「情熱」が必要なことなのだと強く思う。著者も触れているが、何にでも好奇心を持つことが「書く」技術の前提であると。
活字、映画、芝居、絵画、音楽.....あらゆる「表現ジャンル」に接すること。多少自分の興味、範疇から外であっても貪欲に接すること、これを続けることで、自分の中に「貯水池」ができる、と説く。このあたりは著者独自の表現方法であるが、イメージは伝わってきますよね。そこが貯まってきたとき、あふれた時に「テーマ」が決まると。
カラカラの貯水池でもいけないし、あふれるに任せているような状態でもよくない。うーん、さすがうまいなあ。

もちろん「ノンフィクション」に限らず「ライター」を生業としている人は、本書は読むに値するけれど、ライターでなくとも、なんらか「書く」ことで「表現」をしている人は、読んでみて価値は高いと思われます。
自分も「感想文」を続けて3年。これまで「人に読んでもらう」という心がまえがあまりできていなかったのかもしれない、これからは少しずつ意識を高めて...なんて思っちゃたりするわけだ。


この本を読んで、読んだだけで、「書く技術」が高まるかどうかは、その「意気込み」をどこまで持てるか、どこまで「しつこく」なれるか、という精神論的なものに、どこまで同意できるか、ではないかと思う。
自分にしてみれば「書く」ことはプロではないけれども、それくらいの気持ちで「表現」しないと何の進歩もないんだなあ、と思うことしかり。そして、本書の後半「感激」できたことは、少なからず自分の中に成長の可能性がまだ残っている...と信じる。

【ことば】「いま一瞬のこの時間、患者さんとの関わりを大切にしていけばいい。そう思えるようになってから、切り替えができるようになりましたね。」

 身体機能が日々衰え、もう回復する見込みがない難病の患者さんに接する看護師の苦悩。やるせない対応の中で、「看護」 師としてどのように気持ちを維持するのか...答えがこの[ことば]。
現場のどうしようもない人生観、それがヒシヒシ伝わる中で、看護師さんの[ことば]は重い。

調べる技術・書く技術 (講談社現代新書 1940)


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