- 日本の1/2革命 (集英社新書)
- 発売日: 2011/06/17
『日本の1/2革命』池上彰⑦佐藤賢一
[3/21]bk1
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆
西洋歴史小説家で直木賞作家の佐藤氏と、どこまで知識があるんだろうと感服する池上さんの対談。テーマは、佐藤氏の「専門」分野である、フランス革命と、日本における「革命」との相違点について。
フランス革命が、王制から共和制へ「一定レベルの階級の人たちの手」で移行が実現したのち、「市民レベル」で王の処刑まで実行された、いわば「2段階」であったのに対し、日本における「革命」と呼ばれている明治維新や、戦後のGHQによる改革は、その半分でしかない。すなわち1/2である...
そして、フランスにおける「2段階目」が行われる過程と、今現在推移している自民党政権から民主党への政権交代、そして政権交代後のグダグダ感、そして国内の有事発生...これらの環境が酷似している、というのだ。すなわち、日本においても、フランス革命の「第二段」にあたるものが発生しうるのではないか...今のところはまだこれも「1/2」だけれども...という主張である。
正直なところ、そもそも「フランス革命」とはなんぞや、というのを熟知していない自分にとっては、よくわからない。それを知らなくても読めることは読めます。分からないから最後までわからない、ということはありません。
ただ、フランス革命を軸として、それに対比して日本のそれを「半分」という尺度で測ることが正しいのかどうか、そこがよくわからない。
確かに明治維新も、幕府側とかそれまで武士だった者を処刑したわけではない。戦後の改革も、天皇制を否定したわけではない。でも、それを「半分」というのであろうか?逆にいえば、日本の「革命」を軸として、フランス革命が「2倍」であった、といっても同じことか?そもそも、単純にその過程を比較することに意味があるのだろうか?
たとえば明治維新の「無血革命」は、それはそれで、「日本的」なのかもしれないが、大きく歴史を変えたことは事実だし、革命=戦争ありき、ということではないですよね。たとえ「1/2」と言われようと、それに関わった人たちは、それなりの人生を賭けたわけで、「1」を成し遂げたことには変わりはないのだと思うよ。
もちろん、本書でも日本のそれが手ぬるい、とか中途半端である、とかいう批判はありませんけれど、どうせなら、自国の「歴史的事件」を軸=「1」にしましょーよ、って、単細胞的なイメージを持ちました...本筋はそこではないのだろうけれども。
200年も前の革命が、今もその地に住む市民のどこかにDNAとして残っていて、フランス人の「デモ」「ストライキ」好きが頻発するのに対し、「市民」が直接かかわらず、「外的」変革であった日本人には、「誰かが変えてくれる」という意識が蔓延している...そうかもしれません。でも、それでもいいのかもしれないよね。文化、じゃないですかね?
歴史上の、或いは外国のことだと、一部が強調されるんだろうし、日本だって「受け身」の人ばかりではないわけで。あるいは、日本の「革命」が、残りの「1/2」を成し遂げないで終焉しているのは、「半分」で十分だから、なのかもしれない。どうしても変えなればならない、という局面を迎えれば、「英雄待望」である日本だって、残りの「1/2」に向かうでしょ。それがないのは、その時点ではそれで十分だから、なのではないだろうかね。
それを「平和ボケ」「無気力」というのならそれはそれで。でも、向かうべきところは市民の「幸せ」であり、それは革命によってもたらされるものだけではないのだと思う。
【ことば】過去の歴史を見ることによって、未来への大きなライトにはならないまでも、暗闇の未来を照らす懐中電灯くらいにはなると。
歴史を知ることは、今を知ること。どんな歴史であっても、それが今の環境、もっと言えば今の自分を作り上げているんだってことを「知ること」「感じること」はすごく大事なことだと思う。未来は「今」の先にあるんだから、まずは「今」を知る、感じることがその先につながっていくんだよね。
日本の1/2革命 (集英社新書)
>> 本書の感想文、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<
たれ流し書評なり
酒本舗
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