- 「上から目線」の構造 (日経プレミアシリーズ)
- 発売日: 2011/10/12
『「上から目線」の構造』榎本博明
[1/19]bk1
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆
あー、最近自分でも使うなあ、「上から目線」。本書は、「若者」が使うこの言葉、この言葉のベースとなっている環境を掘り下げる。その要因はなんであろうか?それは、他人との距離感だったり、個人(自分)への執着だったり、「やさしさ」の価値観の変遷だったり...
自分がどうあるべきか、ということよりも、他人にどう見られるか、に力点を置く。友達への「やさしさ」は、指摘することで(お互いに)高めていくことではなくて、なるべく「つつかない」よう気を遣うことだったりする。
その遠因は、子どもの頃に、外で遊ばなくなったことによるのではないか。そこで地域の自分とは違う年代の「友達」と接する機会が奪われたから。少子化で親の過度な子どもへの執着、それに起因する「考えない」若者の増加...
確かにそうかもしれない。ただ、これは「若者」に限ったことではないのかもしれない。自分たちの年代でもそういう環境はあったわけだし(「今」との度合いの差がどれほどのものかは分からぬが)。まあ、「人と接するのが怖い。けども1人でいるのを見られるのもイヤだ。だから便所の個室で弁当を食べる若者がいる」というのには驚きだったけれど。そこまでいっていたら「病的」だよね。それがフツーになっていくとは思えない。
「上から目線」ということでいえば、親身になって後輩にアドバイスをする先輩に対しての感情が例示されている。ウエイターのアルバイト君の例では、お客様のミスをわざわざ指摘する場面も...でもさ、年配の人でも、たとえばお店の人に対して横柄な態度をとる人はいるよね。「金」という武装があるのかないのかの差だけかもしれない。
読後に感じたことは、その「構造」がわかって何になるんだろう?っていう思い。現代の若者は「そういうもの」として距離感をおいて「うまく」付き合っていく方がいいのか。それとも、ウザがられても伝えるべきことは伝えていくのか。ここでいう「伝える」は業務事項とかではなくて、自分たちの経験とか、考え方ね。それを後世につたえていくことが、自分たち世代の義務だとおもっているから。それを受け入れるかどうかは彼らが周りをみて判断すればいい。
ちょっと残念に思ったのは、後半になるに従って、「上から目線」から広がって、フツーの「現代若者論」になってしまったこと。あくまでも「上から~」を疎ましく思う若者と、いやいやだって教えたいんだもんという先輩の「格闘」や、じゃあ、どうやって伝えようか、とかそういう掘り下げがあったらよかった。まあ、これはその場面場面で自分たちが考えるべきことだし、こういう書き方自体が「上から目線」で、「やさし」くないんだろうけれど...
なんとなく距離感を置きたい気持ちも分かるし、一方で人間関係ってそうじゃない、っていう考え方(それこそ「先輩」からの”ありがたい”アドバイスによるものかもしれない)もある、そんな自分たち世代が、橋渡し的な役割を担う必要があるのかもね。あ、また「上から」...
【ことば】「そのままの自分を受け入れる」ということと、「そのままでいい」ということは、同じではないのだ。
無理しなくていいよ、だって君は世界でたった一人の「オンリーワン」...これは「使いよう」です。著者のいうように「緊急避難的」には価値があるのでしょうが、「免罪符」につかってはいけませんね。だって、できないこと、嫌なことを、正しい方向に(苦労して)持っていくことに、成長の源泉があるんだもんね。
「上から目線」の構造 (日経プレミアシリーズ)
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