2012/02/29

大人になるって...年齢を重ねるってなんだろうか

対岸の彼女 (文春文庫)
対岸の彼女 (文春文庫)
  • 発売日: 2007/10

『対岸の彼女』角田光代②
[18/36]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆

二人の主役、三十路の女性が登場し、それぞれの「過去」を背負いながら「今」を生きていくストーリー。学校生活そして大人になってからの苦悶、あきらめ、追い求めるもの。片や子供がいる主婦、もう一方は独身の女社長。「今」は正反対とも思える同い年の女性二人に共通する「過去」がある。

女子高生、主婦、女社長。まったく自分とは無縁なので、感情移入こそできないけれども、引き込まれました。学生時代にとらわれる人間関係の煩わしさ。卒業したら無縁になると思われた過去。でもそれにとらわれそうになる自分。なんとなくタイプが似ている気がして、深く入り込んでしまいました。

気がついたら大人になっていた。自分の意思、感情とは別のところで行動しなければいけない縛り。自分一人のことを考えていればいい、という環境ではなくなって、でもその「縛り」に身をゆだねている部分もあったり。大人になるってなんだろう。いつから「大人」と言えるんだろう。子供と大人は何が違うんだろう、同じ「自分」であるのに、どこかで線が引かれているんだろうか。

人間関係の煩わしさ、って何歳になってもどんな環境にいても生じること。それは自分とは違う他人と接することだから。もしかしたら、いつの間にか本心からの言葉を口にしなくなっていることが原因ではないかとも思える。相手のことを考えるから?いや、結局は自分のことを考えているんだ。

 違う環境で育って、違う道を歩んできた他人とは、やっぱり「言葉」を介さないと分からない。その言葉が原因で袂を分かつことがあったとしても、だ。それが足らずに誤解を生むよりは、本音を物片方がいい場面はあるんだろう。言わないでおく、という行為は、結局自分のことを守っていることになるのかもしれない。

どんな年代でも、知らぬ間にやってくる「孤独感」をひしひし感じます。そしてそれを打ち破るために必要なこと。生きるってなんだろう。時間って何だろう。人生観をも感じさせる内容でした。
二人の語り手とそれぞれの過去の話、4つのストーリーが同時進行しますが、読みづらさは全く感じることなく、「続きがきになる」気持ちで一気に最後まで。クロージングも心地よい。

【ことば】なぜ私たちは年齢を重ねるのか。生活に逃げこんでドアを閉めるためじゃない、また出会うためだ。出会うことを選ぶためだ。選んだ場所に自分の足で歩いていくためだ。

「人間関係」という点で悩み、挫折を重ねた二人が行きつくところ。それはこういう考え方をする自分、だったのかもしれない。学生時代だけでなく、大人だって惑う。「不惑」なんて境地は、ないのかもしれない。

対岸の彼女 (文春文庫)


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活字中毒日記!
瀬戸智子の枕草子


勝間さん、随分変わりましたね。

AERA MOOK 勝間和代「まねる力」
AERA MOOK 勝間和代「まねる力」
  • 発売日: 2009/06/30

『まねる力』勝間和代⑪
[17/35]Library
Amazon ★★★☆☆
K-amazon ★★★☆☆

勝間さんがAERAでインタビューしてきた「変革者」15人が登場します。勝間さんはそのインタビューの中から一つでも多くのことを学びとり、「まねる」ことを実行しています。その道の達人、尊敬に値する人のやり方や考え方、それを「まねる」のは、自分が成長する大きな力になると思う。著者が触れているように、「見た目」というのも一つの要素だと思う(賛否両論ありそうだけど)。

それよりなによりインタビュアーとしての勝間さんの「清々しさ」はちょっと意外なイメージでした。多くの著書の中では、わりと自分のスタイルを主張して押し通すような感じが多かったけれど、本書では完全に「聞き役」に徹しています。もちろんタイトル通りの「力」を発揮して、そこから得るものは著者自身が最も大きかったのだろうけどね。 相手の主張、話を一旦受け入れる姿勢、どんな話題でも切り返す知識、本音を引き出す技術、勝間さんにはこんな能力もあったんだーって、改めて見直してます。いい意味で「空気を読む力」というものも備わっていらっしゃるようです。

そんな勝間さんも「まねされる」ことを意識されたんでしょうか。終盤にある「化粧方法」「ヘアスタイル」は、正直どうでもいいかな...って。女性読者は違う感想でしょうけれども。
 確かに経済評論家という肩書のみならず、幅広い分野で活躍し、尋常ではない出版をこなし、メディアにも登場する彼女は、30代女性のひとつの「憧れ」にもなっているのだろうし、また勝間さんの本を意識した「女性の識者」が書いた本が多数出版され、帯や表紙に著者の顔が載る、というところまで「まね」されているように思う。

本書に登場する「変革者」15名は、みな個性的で、プロフェッショナルで、クセが強い人ばかり。逆にいえば、これも「クセ」のある勝間さんだからこそ、インタビューが成り立ったのかもしれません。ただ言えるのは、「経済評論家」である勝間さんが、その専門「外」の分野についても、堂々とその道のプロとわたりあって「会話」している姿は、かっこいい、と思えました。「広く浅く」はよろしくないけれど、ある程度の教養は持ち合わせていると、やっぱり、かっこいいですね。
政治家も何人かでてきました。2009年7月の本で、インタビュー自体はもっと前ですので仕方ないですが、「政権交代後」のインタビューも是非読んでみたい、そんな気になります。

まねる力。けして勝間さんのオリジナルではないけれど、重要だと思います。いいところは、自分にとって「いい」と思えることろは徹底してマネること、そして(勝間さんのように)すぐにマネること、ですね。

【ことば】...たぶん最適化された物に対して「美」と感じる感性が、我々のどこかにあると思うんです。

プロダクトデザイナー山中さんの[ことば]です。なんだかこれ、科学に対する自分の中のモヤモヤが晴れるような気持ちになりました。数学者がシンプルな数式を「美しい」と言う。科学者がシンプルな原理を「美しい」という。物事がパーフェクトである瞬間の美学がそこにあるんですね。だからそれを求める。うん、わかった、気がします。

AERA MOOK 勝間和代「まねる力」


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足利市ではたらく社長のブログ
サクサク読書日記


2012/02/25

戦時中の、こんな視点の話は初めて、かも。

小さいおうち
小さいおうち
  • 発売日: 2010/05

『小さいおうち』中島京子
[16/34]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

戦前~戦時中、女中の視点から見た歴史小説。タイトルは有名な絵本と同様で、この2つはどこかでつながってきます。
戦争の話というと、戦争「そのもの」の史実や、直接的にそれに関わった人たちの悲劇が語られるけれど、本書はちょっと違います。女中という(今ではほぼ見られなくなった職業ですが)人間から見た戦争。「プロ」の女中としては、戦争よりも奉公している奥様のことを考えます。ただでさえ曲げられた情報は、女中の耳には入ってきません。もちろん食糧難などから空気は感じられますが、全員が全員、竹やりを持っていたわけではないんだな...って、当たり前かもしれないけれど、画一的な偏った考えをしていた自分に気づきました。

比較的裕福な「おうち」が舞台(女中がいるくらいですから)、登場人物は限られていますが、そこに、開戦から終戦までの戦況だけではなく、男と女、大人と子供、いろいろな「人間」ドラマが展開されます。「家政婦は~」ではないですが、女中はある意味フラットな目線で、そのドラマを見つめます。
キーになっているのは、「始まったものは、いつかは終わる」というセリフに表されているような気がします。温かい家庭も、秘密の関係も、女中としての働き場所も、そして戦争も。

戦記モノというには、あまりに穏やかな日々が描かれているように思いますが、それゆえに「いつかは終わる」出来事が衝撃的で、重いんですね。戦争について考えさせられるのは、「史実」の記述だけではなく、本書のような「一般市民の目線」からもうかがい知ることができます。

もちろん読み物として面白いんですが、なぜか前半は読むスピードが上がりませんでした。それが後半になると...さすがですねー。主人公=書き手となっている「タキ」の好印象な人柄も手伝って、全体的に「明るい」雰囲気で進みます。途中挫折する心配はありません。

そして最後には、前半中盤で出てきた出来事や、タイトルや、それが伏線になっていて、どこかでつながる、という大技が見られます。これは圧巻。非常に印象に残る直木賞受賞作です。

【ことば】あの時代は誰もが、なにかしら不本意な選択を強いられた...「...それが不本意だったことすら、長い時間を経なければわからない。...

特に戦時中は、「不本意」なことが多く、そしてそれらを「不本意」とは思わなかったのかもしれない。 酷い時代。今はどうか。当時と比べようもないけれども、「不本意」なことは「本意」に変える努力が必要な時かもしれない。

小さいおうち


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読書百篇
本のブログ ほん☆たす

2012/02/23

前向きに進んでいくことを、「負けん気」という。

負けん気
負けん気
  • 発売日: 2010/02/16

『負けん気』立浪和義
[15/33]LIbrary
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

高校時代から知っている野球選手がプロ野球を現役引退していくと、時の流れと自分の加齢を感じる...立浪選手もそうです。特にファンだった、ということはありませんが、プロ野球選手としての野球センスが抜群に高い選手だなあ、と思っておりました。

本書では、プロ野球に入る前段階から、入団、ケガ、レギュラーはく奪、引退、と彼の野球人生を順を追って紹介されてます。それを見る限りでは、イメージとは異なり、必ずしも幼いころからの「英才教育」ではなく、むしろ「体が小さい」ハンデを克服してプロにたどり着いた、そして、周りの人たちに恵まれてプロとして花開いた、という経緯です。
正直、立浪=ケガというイメージはあまりないのですが、中学高校と、厳しい指導のもとで野球に取り組んでいる時点で、一生背負わなければならないケガにも悩まされていたようで、それであそこまでの大選手に!ってのは素直に驚きです。

入団当時の星野監督や、引退まで一緒に過ごした裏方のスタッフ、確かに「いい人にめぐりあう運」があったのかもしれませんが、当然に実力、努力、野球の技術だけではなく人としての成長が、そんな運を呼び寄せたのでしょう。
本書の中でも、「人を大事にする」「感謝の気持ちを持つ」という立浪選手の心意気は随所に伝わってきます。

後年の「代打」専門というのは本人にとっては屈辱だったようですが、そんなときでも、声援を送ってくれるファンに目が向いています。不本意ではあるけれども、応援してくれる人たちのために、最高のパフォーマンスを見せるべく、努力を重ねる姿は、野球だけではなく、一般社会にも通ずるものがあります。

彼は「プロ」ですね。今引退後に初めて本書で表すことって多いのではないでしょうか。ケガとの戦い、レギュラーから代打専門になった時の苦闘。でも、それって現役時代には表に出しませんでしたよね。一生懸命に応援してくれるファンがある限り、最高のパフォーマンスを出すべし、という「プロ」に徹していたと。

文章自体はシンプルで、プロの書き手が書くものとは一味違います。以前読んだ(PLの先輩)桑田真澄さんの本(『心の野球』)とも違います。「野球少年」が自分の半生を、その周りで支えてくれた人たちを中心に書かれている、シンプル故に、立浪さんの素直さ、まっすぐさ、前を向いている姿が鮮明に伝わってきます。

近いうちにまたユニフォーム姿を見ることと思います。まだ今の時点では、「外野に飛ばして一塁を蹴って二塁に走る姿」のイメージが強いですが...いい人たちに恵まれた人は、きっといい人になれる。そんな気がします。待ってますねー

【ことば】人に逆らうことが負けん気ではない。協調する心、調和する心、素直に受け入れる姿勢があってこそ、負けん気は自分の運命を前向きに進めるエネルギーになる。

タイトルにはそういう想いが込められていました。「素直に受け入れる」ことが難しいのは承知ですが、これを避けていては成長はありません。前に進めない。他人を出し抜いてナンボ、の世界であるプロ野球に身を置きながら、このような考え方ができる立浪さんは、やっぱりすごいよ。

負けん気


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ここがふつうだよ守道ドラゴンズ
軍鶏(しゃも)の独り言

2012/02/22

読む人を選んじゃうような...でも最後まで読む価値は大なり!

夏光
夏光
  • 発売日: 2007/09

『夏光』乾ルカ②
[14/32]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

「グロテスクな美意識」だそうですが、自分にとっては異世界の「ホラー」としか思えず、「途中棄権」も視野に入れながら読み進めました。
時代背景は異なれど、なんらか超常的な能力を持っている主人公や、超常現象そのもの、そんなものが満載で、あくまでも「読み物」として、どこか現実に重ね合わせる、といった場面が見当たらず...そもそも「ホラー」ってどういう読み方をしないものなのかもしれませんけれども。

一方で、文章の「美しさ」は、その内容とのギャップもあってか、端々で感じることができた。「文学的な運び」っていうんですかね、特に「子ども」の目線、感性で描かれる世界には、怖いながらも、のめり込んでしまった場面は少なくありません。ホラー的な場面や、日常の環境、特殊な能力を持った友人に対する主人公の感情、これらがビシビシ伝わってくるんですね。これはさすがに「プロ」です。

現代だけではなく、大正、昭和初期などの時代背景、まっとうな「表」ではなく「裏」の世界を描いたり、それらぼ描写には当然に「ベース」が必要であると思いますが、(当事者が見たらどう思うかは別にして)「あー、そんな世界があるのか...」
「あの時代の人は、こういう表現をするんだ」
とか、知らない世界でもしっくりくるんですね。まさに「文章の力」なり、って感じです。


怖い、とか現実離れ、とか言っていますが、読んだ日の帰り道、夜道は、ちょっとビビってました。まさかそんなことがあるわけが...と思いつつ...本書に引き込まれてしまった確固たる証拠ですね。

そして、最後の最後。ラストの1行が、最高にしびれるんです。ここでは伏せますが、他の分野の本に比べたら、(あくまで自分にとって)読みにくかった本であることは事実なのですが、この「最後の1行」ですべてがまとまります。こんな劇的なラストは...
 
著者の本は2冊目。こちらがデビュー作ということですが、これが(自分の読む順の)1冊目だったら、きっと続かなかっただろうと思う。でも、前に読んだ本『あの日に帰りたい』と、このデビュー作を同じ著者が...と考えてみると、内容や全体イメージは違えど、妙に納得し、「次の世界」を見てみたい気持ちになります。
まだまだ「読むべき」著作はありそうです。楽しみ。

【ことば】今のままのキミちゃんなら、厄払いに成功しても、きっと自由にはなれない

ある人物を憎み、自分の地位をあげるためにその人を貶める、という「厄払い」を実行しようとする主人公に対して発せられたことば。物語の中ではこれがキレーに最後まとまるんですが、この言葉はこれだけ切り出しても「有効」かと思います。「厄払い」は誰か、何かに頼ること、それだけではないから。

夏光


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booklines.net
ミステリ読書録

2012/02/20

教育の本質があります。「恩師」は一生モノです。


『灘中 奇跡の国語教室』黒岩祐治
[13/31]bk1
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆

著者は元フジテレビキャスター、現神奈川県知事です。読み始めるまで気づきませんでしたが、それは本筋には影響がなく。著者もその生徒であった、灘中の「名物教師」の話です。なんと!50年の間、灘中で教壇に立ち続けたという、ギネスものの先生。
そして、何が「名物」かというのが肝なのですが、先生は一貫して、文部省検定の教科書を一切使用せず、中学3年間を通して、『銀の匙』(中勘助)を「スローリーディング」する、というもの。

これだけだと「奇抜」になってしまいますが、みごとに!生徒自身が「考える」ということをするような授業です。各章の名前を生徒が考える、その物語の舞台である東京下町の「駄菓子」を実際に授業で食べてみる、中にでてきた「凧あげ」を実際に授業で作って凧あげをしてみる...

先生が用意するのはすべて、自分で作ったガリ版で、読書感想文や、詩歌を作る宿題など、宿題は多いらしいが、すべて先生はそれに目を通す。

楽しい中に、厳しい点、すなわち「おさえるところはおさえる」授業で、生徒たちは「本気」になっていきます。そして、その「自分で考える」ことが、それが直接の「受験勉強」ではないにせよ、東大合格数で灘高が日本一になる土台を作っていきます。

何が生徒たちを動かしたのか。それは奇抜な授業も、厳しい宿題も、それだけではなく、根本にあるのは、「生徒たちが国語を、日本の言葉を『本気』で好きになって、自分のものにしてほしい」という純粋な、そして熱い思いを、先生が持ち続けていたからです。それがカタチを変えたメッセージではあったけれども、キチンと生徒たちに伝わった。結果的に合格数が伸びたのは、国語という「教科」のみならず、感性や勉強のツボ、そして何より母国語への興味関心、これを高めた先生の情熱があったからこそ、です。

著者の先生への思い、先生の授業のレビューが中心で、「いいなあ」って思うこと多数。ですが、最後に収録された、橋本武先生の「特別授業」。これが最高にいいです。これだけでも読む価値があります。

こんなに素晴らしい「恩師」を感じられる著者はじめとする卒業生は、うらやましい限りですが、思えば自分にも、「恩師」と呼ぶ先生がいます。転校があった年の担任だったので、1学期だけなのですが、一生先生のことを忘れない、今自分があるのは先生のおかげ、と言える先生がいます。
今の学校環境のことは詳しくは分かりませんが、カリキュラム優先の授業、マニュアル先生、メディアで取り上げられるのは「悪い」方だけかもしれませんけれど、「恩師」を一生持つことの幸せを、次の世代の子どもたちにも感じてほしい、と切に願います。

【ことば】...大事なのはスピードじゃなくて、「すぐに役立つことは、すぐ役立たなくなる」ということです。

橋本先生の言葉です。興味を持つこと。それを「自分で」掘り下げること。自分で調べて見つけたことは一生の財産になる。先生はその手助けをしていたのかもしれません。マニュアルで教えることと根本的に異なります。「自分で」これがキーワードですね。先生が若かったころに比べて圧倒的に「情報」社会になった今、余計に「自分で」が大切です。

灘中 奇跡の国語教室 - 橋本武の超スロー・リーディング (中公新書ラクレ)


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黒夜行
日々の徒然

2012/02/19

「看板」に偽りなし。「感動」保証の内容です。

感動する!数学 (PHP文庫)
感動する!数学 (PHP文庫)
  • 発売日: 2009/11/02

『感動する!数学』桜井進
[12/30]bk1
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆

数学が苦手でも大丈夫、数字が嫌いでも全く問題ありません。算数、数学がどうこう、ではなく、数学そのものの「美しさ」、スケールの大きさ、そんなものを教えてくれます。現実の数学或いは数学者に対する目線を十分受け入れた上で、「それでも数学は奥深い。それでも数学者は純粋だ」と伝わってきます。

どこかで聞いた話、ですが、「素数」あるいは「黄金比」の話については、完全に引き込まれます。科学館などで紹介されていて、それを目にしたこともありますが、正直この本を読んだ方が「美しさ」が伝わってきます。著者が本心から「数学の面白さを伝えたい」という気持ちを持っているから、でしょうね。極めて「数学的」ではないけれども、そんな精神論的な思いさえ浮かびます。

数学はロマン=神秘、無限、永遠=である。現実の社会に「直接に」役立つものではないけれども...そんなことを「真剣に」言ってのける著者である。その熱さ、純粋さが伝わらないわけがない。

そして、まさに数学は「美しい」のである。
π(円周率)って、すごい数字ですよ。これ知ると心から「感動」しますけど、この数字は「世界の全てを内包してる」んです。たとえば、自分の生年月日を[19670406]で表すとして、この順番の8ケタの数字が必ずπの中に出てくるんだって。たとえば源氏物語を一字一句数字変換しても、その数字グループは必ずこの中にあるんだって。すごすぎませんか?それを証明した人もすごいよね。

「すごい」というチープな表現しかできないくらい感動します。数学者が、「実社会では役に立たない」数学にのめり込む気持ちも分かります。かといって、自分がこれから数学に立ち向かう気持ちにはなりませんけどね。でも、数学や数学者に対する見方は、かなり変わります。まったく違う世界の住人で無関係、というイメージが少なからずありましたが、むしろ「人間的」であると、思えるように。

算数から数学に変わる、小学生から中学生。ここで「壁」がひとつ来る。それは「抽象化」が始まることもひとつの原因だと著者は言う。確かに算数の方が「身近」だし、算数を家で教える時は、可能な限り「実生活」に例える。
それが抽象的になっていく。理由ではなく「覚える」ことも大切になっていく。だけど、むしろ、こういう「数学は本当に感動する」という話を、真正面から伝えていった方が、むしろ「数学嫌い」は増えないんじゃないかな。

まさに「数学嫌い」の1人である自分が、もしこのような本にメッセージに「その時」出会っていたら...今言ってもしょうがないことですけれどね。でも、「次の世代」の算数、数学を教える時の、大事なヒントにもなりそうです。

数字が苦手な人でも、まったく問題なく読めます。自分でも最後まで一気に読めたんだから。保証。

【ことば】お父さん、お母さんが算数を楽しみ、おもしろがっていく様子ほど、どんなに教えるのが上手な教師よりも、これに勝るものはありえない...

ポイントです。けしてそういう目的で読み始めたわけではないけれど、その「美しさ」「感動」を伝えることが最も大事なんだなあ、って心から思う。公式だって、それを組み立てようという必要性がどこかにあって、先人たちが努力してできたものである、そう「ストーリー」があるはず。

感動する!数学 (PHP文庫)


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Many Reviews
書く仕事


2012/02/18

「プロ」です。そして「プロ」であることの条件がわかります。

調べる技術・書く技術 (講談社現代新書 1940)
調べる技術・書く技術 (講談社現代新書 1940)
  • 発売日: 2008/04/18

『調べる技術・書く技術』野村進
[11/29]bk1
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆

ノンフィクションライターの著者が、「書く」ために必要な「技術」を開示。本当に「技術」的な部分が半分、残りは「心構え」的なメッセージ。
個人的には、後者に響きました。書く、つまり伝えること、それ自体の意味・意義(What)、それをどのように伝えるか(How)、が、著者の独断とはいえ、ふんだんに記されています。

しかしながら、その技術を、たとえば箇条書きに項目を並べてくれる「フレームワーク」なものよりも、引用された著者の「ルポ」それを読んだ時の、「引き込まれ具合」が、まさに「伝える技術」として真髄を感じる瞬間でもありました。
プロを感じます。ホントに「技術の本を読んでいる」ことはすっかりアタマから遠のいて、すっかりその引用された事件、その文章に没頭している自分がいます。すごいですよ、一読したら分かるかと思います。

読み始めは、「自分はノンフィクションを書く機会はないからなあ...」というヒトゴト感から抜け出せない感じがするが、後半は実例がとにかくビンビンきます。もちろん現実に起きた事件、という事実があるにせよ、その切り口、アプローチ、ストーリー、結論、一気に流れに乗ってしまうんですね。事例として掲載されているのに、ライブで出た記事を読んでいるような感じになります。

そこにあるのは、本書のテーマの一つである「技術」もさることならが、その技術を最大限に活かすエネルギー源、すなわち、「関心・興味」「執着」「情熱」が必要なことなのだと強く思う。著者も触れているが、何にでも好奇心を持つことが「書く」技術の前提であると。
活字、映画、芝居、絵画、音楽.....あらゆる「表現ジャンル」に接すること。多少自分の興味、範疇から外であっても貪欲に接すること、これを続けることで、自分の中に「貯水池」ができる、と説く。このあたりは著者独自の表現方法であるが、イメージは伝わってきますよね。そこが貯まってきたとき、あふれた時に「テーマ」が決まると。
カラカラの貯水池でもいけないし、あふれるに任せているような状態でもよくない。うーん、さすがうまいなあ。

もちろん「ノンフィクション」に限らず「ライター」を生業としている人は、本書は読むに値するけれど、ライターでなくとも、なんらか「書く」ことで「表現」をしている人は、読んでみて価値は高いと思われます。
自分も「感想文」を続けて3年。これまで「人に読んでもらう」という心がまえがあまりできていなかったのかもしれない、これからは少しずつ意識を高めて...なんて思っちゃたりするわけだ。


この本を読んで、読んだだけで、「書く技術」が高まるかどうかは、その「意気込み」をどこまで持てるか、どこまで「しつこく」なれるか、という精神論的なものに、どこまで同意できるか、ではないかと思う。
自分にしてみれば「書く」ことはプロではないけれども、それくらいの気持ちで「表現」しないと何の進歩もないんだなあ、と思うことしかり。そして、本書の後半「感激」できたことは、少なからず自分の中に成長の可能性がまだ残っている...と信じる。

【ことば】「いま一瞬のこの時間、患者さんとの関わりを大切にしていけばいい。そう思えるようになってから、切り替えができるようになりましたね。」

 身体機能が日々衰え、もう回復する見込みがない難病の患者さんに接する看護師の苦悩。やるせない対応の中で、「看護」 師としてどのように気持ちを維持するのか...答えがこの[ことば]。
現場のどうしようもない人生観、それがヒシヒシ伝わる中で、看護師さんの[ことば]は重い。

調べる技術・書く技術 (講談社現代新書 1940)


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投資十八番
わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

2012/02/16

期待値が高かった故...テーマが広すぎます

親が伸びれば子は伸びる (朝日文庫)
親が伸びれば子は伸びる (朝日文庫)
  • 発売日: 2011/11/04

『親が伸びれば子は伸びる』陰山英男
[10/27]bk1
Amazon
K-amazon ★★★☆☆

100ます計算の先生です。同じタイプ(と自分で勝手にカテゴリーしている)藤原和博さんの本が面白かったので、陰山先生も...と思って読み始めます。

テーマは「親として子どもとどう接するか」になります。ご自身のお子さんはもちろんですが、小学校教育の現場におられて、数々の子ども、親御さん、先生方と接してきている「プロ」ですので、かなり「切り込んだ」内容を期待しておりました。

が、残念なことに、あまり「刺激的」な内容は見つけられませんでした。教育のプロとして、斬新なデザインをされていた背景には、強い信念をもっていらっしゃると思いますが、その内容が教育や反抗期の対応のみならず、家族旅行や自動車、はたまた「犬を飼うのがよろしい」まで広がってしまうと、やや散漫なイメージになってしまいます。

もちろんそれらは、教育の場としての家庭という意味で、親と子の接し方、将来的な展望を考えれば、必ずしも遠すぎるものではありませんが、勝手に自分が期待した、「100ます計算」の意味や創造、そこにどんな意味が含まれているのか、といった方が面白かったと思われます。それらの記述もありましたが、 全体として広がりすぎてしまったが故、重みが薄れてしまいました。

ただ、一貫して、「子どもと接する親」(教師-生徒、ではなく、親-子)の立場、考え方、実行の仕方(自身が実行してきたこと)を伝えてくれています。これはタイトル通りです。
年代によって、その対応を変える必要はありますが、子どもの成長に素直に感動し驚く、一人の人間として接する、特に小さいころから大事なことはカラダで覚えさせる...当たり前のことですが、「愛情」を持って、将来に向けて子どもを大事に思う、ってことです。

なによりも、親自身が子どもから見られていることを意識し、また(見られていようといまいと)仕事や人生について、自信を持って「いい顔」をしていないとアカンなあ、って改めて考えさせられましたね。そりゃそうですよね、一番近い「大人」が元気のない人だったら、子どもはどう思うか、考えれば(考えなくとも)分かります。

タイトルにあるのが、まさにその「集約」です。ここは重要なポイントなので、だから余計に、クルマの話や、旅行計画はインターネットも使おう、的な話は不要かと。それらこそ、それぞれの家庭事情に寄るものであり、普遍的な話ではないわけですし...

先生の「純粋な」教育論を、次は読むべし。

【ことば】「子どもは親の言うようにはしない。するようにする」まさしくその通りだ。

先生の[ことば]ではないようだけど、言ってみれば本書の核心をひとことで言い表しているもの。子どもはかわいい。かわいいけれども、かわいいからこそ、社会をわたっていけるような「人間性」を身につけるよう、親が支えなくてはならない。その前提として、まず親がそれを備えていること、ですね。

親が伸びれば子は伸びる (朝日文庫)


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さくらのまなびや
matsuhara

2012/02/15

震災の惨さと、「使命」を持つ仕事と。

河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙
河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙
  • 発売日: 2011/10/27

『河北新報のいちばん長い日』河北新報社
[9/26]bk1
Amazon ★★★★★
K-amazon ★★★★☆

もう1年が経ってしまうんですね、あの震災から。まさに「現地」である宮城県の県紙「河北新報」が、「その時」から「それから」で何を思い、何をして、何を残してきたか、という「真実」が語られます。
自らが被災者でもあり、当日の新聞発行が危ぶまれた中で、他の新聞社の協力や輸送、配達にかかわる人たちの「プロ意識」に支えられ、永く続いた「発行」を止めることなく動き続けた彼ら。震災という経験のない場を前にして、彼らが考え行動した記録が残されています。

首都圏にしか居住したことがないので、「地方紙」「県紙」という位置づけがいまひとつ分かっていません。そもそも「河北」という名称が何を指すのかすら...これは、福島県の「白河以北」、つまり「東北」を意味しており、ある意味では東北に対する侮蔑的な表現でもあるのだが、敢えてこれを題字としている、という。もともと気概あふれる精神がそこにあるのだ。

震災当日の「発行が危ぶまれた社内」、翌日以降の「被災地の取材」、インフラが壊滅状態の中での配達。これらは震災の惨さが現実のものとして生々しく突き刺さってくるが、若干は「新聞社目線」があるなあ、と感じた。「情報を伝える」という使命を担い、それに邁進する姿だが、それも必要だが、被災者への取材ってどうなの、って思ってしまう自分もいる。取材に行くんだったら支援物資を持って行ったほうが...とか、取材のための資源(ガソリンなど)を確保することがホントに正しいのか...って思ってしまう。

...という考えがアタマのどこかに居座っていたんだけど、実際に現場に赴いた記者の中にもそのような感情を持っている人が大多数であることがわかった。上空からの撮影のためのヘリから、屋上で助けを求めている人たちを見たカメラマン、原発事故により避難をして、避難をした場所から「現地」に電話取材をした記者がもった違和感、避難所で「私たちはもう頑張っている」と言われた記者...

中でも、刺激的な「その時」の写真を掲載しないことを決断したこと(全国紙は躊躇なく使用)とか、「死者」という言葉を「犠牲」に置き換えて掲載したとか、原発事故と同等あるいはそれ以上に津波被害について追いかけ続けたとか。

そこには新聞社としてのプロフェッショナルと、被災者としての同じ気持ちがある。そしてなにより、地元の新聞社として、そこに住んでいる読者のことを考える、彼らのことを想う気持ちがある。「地域密着型」なんて陳腐な言葉で言い表せない、本当の意味で「一緒に」なっている姿が浮かんでくる。

いいたいことはたくさんあるのだろう。特に「国」に対して、とか。もちろん本書にないだけで、本紙にはあるのかもしれないけれど。でも、本書ではそれを封印して、自社の考え方、地元のためを思う心、仕事に対する責任感、そんなことが繰り返される。
 
震災そのものの惨劇、そしていまだ戦っている被災者、まだ数多く残る行方不明者、これらを風化させてはならない、そのために「記録」を「報道」することに、そして地元の人たちとともに「復興」にむけて「ふんばる」ことを決意した新聞社。

本書に登場する記者やデスク、関係者の方は(実名で記載されているんだけど)、40代前半の方が非常に多い。苦しいだろうけれど、頑張っている姿に、同じ年代として、そこまでできていない自分に悔しさもある。


震災で被災した方がまだ戦い続けている中で、被災していない自分がいうのも失礼かもしれないが、自分の中でも「震災」によって、考え方が変わってきているんだよね。だから何ができるかわからないけれど、自分にできることをしていきたい。なんらかのカタチで回りくどくても、同じ日本人として何かできることはあるはずだから。

【ことば】全国紙や在京キー局は...一段落したら潮が引くように震災報道から切り上げる。だが地元紙はその後も長く被災者に寄りそい続ける。震災発生直後は見えなかった問題が、数ヵ月後に...苦しめることもある。

 ドキっとする。「当時」も大変だったと思うけれども、「その後」も相当な苦難なのだろう。そんなときにこそできることもあるはずだ。それを思い起こさせてくれる役割もあるんだね。そういう情報は、既に入ってこない。たまにTVニュースで「特集」されるだけだ。何ができるか...考えてみる。

 河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙


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私的感想 本/映画
読書夜話Blog


2012/02/12

「昭和」のカオリが...ホラー系ですが怖くはない

かたみ歌 (新潮文庫)
かたみ歌 (新潮文庫)
  • 発売日: 2008/01/29

『かたみ歌』朱川湊人
[8/25]BookOff
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

昭和40年代(?)のアカシア商店街を舞台に描かれる人間模様。その場に属する人がそれぞれ主役となり...いわゆる「連作」というカタチの7編から構成される。が、これまで(数冊だけど)読んだ「連作」とは一味違って、みごとに「連らなって」いるんだねー。
これは最初から読み進めていくと、後半かなり面白い。前に読んだことが伏線になり、また意外な事実が後半に明らかになったり。そもそも、すべてを貫く「主人公」が最後に明らかになったり...最初の1編を読んだ時点では正直、「?」という気もしたんだけど、読了ページ数と比例して面白さが増していきます。

テーマとして「死」がひとつのキーなので「面白さ」といってはいけないんだけど、「怖い」題材を使ってはいるものの、すんなり読めちゃいます。人と人の関係、事件と事件の関係、その「妙味」の方が、ホラーとしての「恐怖」を上回る、というか...

舞台が「昭和」なので、昭和30、40年代生まれの人には、それだけでも感じ入るものはあるかもしれません。著者の年齢と自分がそれほど離れていないので、多少「昭和」をデフォルメするための描写もあるように感じられますが、そもそも、商店街、そこに属する人間が「昭和」なんですね。そこに「デジタル」はないんです。「デジタル」がないだけで、これだけ「昭和」の空気になり、「人間」にスポットがあたるんだなあ、って、本筋とは違うことろで「へぇ~」という気がしました。それだけ、「人間関係」が希薄になったのですかねー。それと、本質のところでその「人間関係」を欲している、ということの証明でもあるのかもしれませんが。

読み終わってから、著者が直木賞を受賞していることを知りました。つまり読み始めるきっかけは、受賞じゃなくて、本書の表紙のイメージだけ、でした。昭和っぽいやつね。「現代」に少しだけ疲れを感じたら、読んでみるのもいいかもしれません。特に40年代生まれの人にはお薦めです、強烈にお薦めします。

【ことば】今はふしぎが入り込む場所も、他人同士が言葉を交わす商店街さえぐんと減って、物語が生まれる余地がなくなってしまった。

本文ではなく、「解説」で見られた[ことば]ですが、まさしく『私たちが...失ったものを』懐かしく、しみじみと思い起こさせてくれるのが本書です。その郷愁感のベースがあってその上に、ホラーや展開が存在する。だから怖いけど温かいのですね。

かたみ歌 (新潮文庫)

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2012/02/10

難しい脳科学をここまで...こういう科学者は「いいね!」


『進化しすぎた脳』池谷裕二
[7/25]Library
Amazon ★★★★★
K-amazon ★★★☆☆

アメリカで脳科学の研究を続ける科学者が高校生を相手に「脳のメカニズム」を講義した内容。
理系とはいえ高校生。知識をインプット中である彼らに対して、質疑応答しながら「脳」を分かりやすく説明した講義「そのもの」なので、その分野にまったくインプットされた知識のない自分でも、(途中までは)分かりやすく読めた。講義内容にどんどん引き込まれていくのがわかる。
 しかし、高校生とはいえ理系。「シナプス」のあたりで挫折しかけた自分は、残念ながら、「脳」の退化が始まっているのか...

全部で4つの講義が収録されているが、前半はハマりました。脳が大きければ、或いは脳のシワが多ければ、進化した生物なのか?脳がその「進化度合い」を決定しているのか?いやいや人間よりもイルカの方がシワが多かったりするらしいです。完全に目からウロコなのですが、人間は手足(特に「手」)を有し、咽頭によって言葉を持つ。これが脳の発達に影響を及ぼしている、という逆の考え方。身体という容れものが脳を規定する?面白いですねー。そして運動をつかさどる小脳の大きさ。動物という視点に立てばけして運動能力がすぐれていない人間は、小脳が小さい。逆にネズミのそれは大きさの比率が高い。ほー!

コンピュータと脳の比較、脳の優れているところは、「あいまいさ」を有していることであり、それゆえに「ソウゾウ」=想像&創造というアウトプットが可能になる、という点。収納した情報をあらゆる角度から、組み合わせることのできる機能。一見関係のないものが組み合わされて、別のものが生まれる妙。コンピュータと人間(生物)の違いは、「あいまいさ」なのかー。なるほど!

情報伝達のメカニズムあたりは、正直ギブアップでしたが、最終講義の「アルツハイマーの研究」も興味深い。解明がされていない分野であるが、現代に現れた病気である、というのは、昔はそれまで寿命が長くなかったから発覚しなかったのかもしれない。長生きしすぎなのかもしれない、という大局観での見方。これも「科学的」ではないけれども、視点が広い著者の「容量の大きさ」を感じさせます。
薬と脳科学の関係にも触れているが、脳科学が今ほど進化していない時代から「生命」を維持させるための医学は発達してきたわけで、実は薬の効能から脳の機能がわかる場面も多いという。

著者の優れた点は、このような「科学」を、知らない人にも伝える技術、けして一方的ではなくて、学生に「考えさせる」講義、他の分野、医学や哲学などへの敬意、これらを内包しているところ。かなり偏見なのだけれど、科学者=専門分野のみ深堀り、というイメージが(勝手に)ある中で、こういう科学者=講師の話を聞けることは貴重な時間ではないかなあ、と心から思う。自分が高校生の時に聴いていたらもしかしたら理系に...なってないか。

「脳トレ」が流行ったり、脳科学者がメディアに登場したり、「脳科学」が近い存在に感じられるようになってきたけど、こういう「まじめな」講義が、一番「面白い」かもしれないね。

【ことば】...この意味では人間はもはや進化を止めたと言ってよい。その代わり...自分自身の体ではなくて「環境」を進化させているんだ。

環境が変わるたびに、淘汰を繰り返し「最適」な機能を残してきた生物である人間だが、医学、科学の発達で、むしろ環境の方を人間に合わせる、という<逆進化>をしている段階に入っているのではないか。自然の摂理からすると 、「逆」なのかもしれないけれど、科学の進歩はけして悪ではない。ただ、こういう考え方ができる科学者の柔軟性、視野の広さは尊敬に値します。

進化しすぎた脳 中高生と語る「大脳生理学」の最前線


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猫とネコとふたつの本棚
脳の本 紹介・書評

2012/02/09

家族、生きる、人間...生々しいテーマでハマります

三面記事小説 (文春文庫)
三面記事小説 (文春文庫)
  • 発売日: 2010/09/03

『三面記事小説』角田光代
[6/24]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆

何かと目にする機会が多い著者の本を読んでみたいと思っておりまして、やっぱり最初は「直木賞受賞作」かなあ、と考えておりましたが、機会あってこの本が「デビュー」となりました。
本書は、実際の事件がテーマなのか、「三面記事に載るような話」をテーマにしているのかわかりませんが、非常に身近な、自分たちの周りでもあるであろう環境の中のお話の短編集です。

貫かれているのは、「家族」「仲間」「恋愛」といった、人間関係です。これまでうまくいっていたものが、時間の経過とともに何か歯車が狂いだす。いったんはずれてしまった道から、気が付けばどんどん離れていく、といった、かなり「日常」の話であります。

読み始めてまず感じたのは、(ど素人の私が「上から目線」ですが)文章の展開や、導入、盛り上がり、エンディング、めちゃ読後感がいい。完成度が高い。何か「高尚な」音楽を意識的に聴いているような感覚がします。テーマは「歌謡曲」に近い(誰にでも近い距離にある、という意味で)のですが、作品全体からにじみ出るBGMは、「クラシック」のような...

小説ですので、「事件」が起こるわけですが、事件そのものではなく、その背景、関係者の心理描写、変わっていく環境、一度走り出したら止まらない感情、そんなものが余すところなく描かれます。もしも自分がその環境に置かれたら、そうなってしまっても不思議はないだろう、という気持ちがするほど身近で、多少「恐怖」を感じる場面もあります。

女性が「主役」であるストーリーが多いのですが(結構男性のキャラは「汚れ役」が多い。苦笑)、最後に収録された「光の川」は特に秀逸です。人ごととは思えないところもあり、「今」の社会の歪を描いているのかもしれません。

いずれも「三面記事」のベタ記事で見れば、 関係者以外は「その場限り」で済んでしまう事件ですが、もちろん当事者たちには、いろいろな背景があり、事情がある。そしてそれはいつ自分の身に降りかかるかわからない。これは自分がどうこうすれば避けられるとか、そういうことではなくて、ある意味「運命」に近いものかもしれません。

非常に「深い」「濃い」小説です。角田さんの最初がこれでよかった、と思える感じ。読んでいると情景が浮かぶんですね。自分が経験したことのない場面にも関わらず。すごいです。

【ことば】...空を仰ぎ口を開けて泣き続ける。そうしていれば、母がすぐにでも抱きしめてくれることを知っていた幼いことのように、泣き続ける。

痴呆により「母が母でなくなって」しまった話の中に。現代で一番悲しい病気かもしれません。でも「母」であることには変わらない、幼いころから今まで注がれた愛情は変わらない。家族「のようなもの」になってしまったのは表面的なもので、それは「家族」であることに違いはない。

三面記事小説 (文春文庫)


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映画な日々。読書な日々。
活字中毒女の読書感想文


2012/02/07

つまりは...「自分」を強く持つこと。

困った時のアドラー心理学 (中公新書ラクレ)
困った時のアドラー心理学 (中公新書ラクレ)
  • 発売日: 2010/09

『困った時のアドラー心理学』岸見一郎
[5/23]Library
Amazon ★★★★★
K-amazon ★★★☆☆

社会に出て、困難にぶち当たる。その要因って、つまりは「人間関係」だと思う。仕事や学業そのものへの抵抗感もさることながら、いっしょの空間にいる人、パートナー、彼らと自分の間にあるものをどうとらえていくか、ここに集約されると思う。
こういった感覚にまったく無意識に対応できる人は素晴らしい才能だ。でも、やはりどこかでは「壁」が生じる。悩み解決系の本は数多あれど、
「人間の悩みはすべて対人関係の悩みである」
と考えた、「個人心理学」者のアドラーの主張は非常に興味深い。

本書は、そのアドラー心理学についての第一人者である著者が、事例を基に「お悩み相談」を提供する。職場、家庭、親子関係...そうなんだよね、「人間関係」ってどこにでもある。それゆえに「人間」「人生」である、ともいえる。

基本的な概念としては、「自分は変われる。他人は変えられない」というポイント。「他人を変える」ためには、まず自分が変わるように努力することが必要だが、その結果として他人が変わるかどうかは、また別の問題である。
そして「楽観主義」であろうとするところ。現実をありのまま受け入れる。そしてそこからできることをする。「そこから」何もしない「楽天主義」とは異なり、また当然に「悲観主義」でもない。これらとの相違点は、「できることをする」という点だ。

何が起こっても、何らかの意味があることだと考える。

まあ、分かっちゃいるけれど、「何かが起こった」時に、そういう心理状態を保てるかどうか...
それも「人間」だけれども。


アドラー本人の言葉を借りれば、

「今、ここに生きよう。するべきことやしたいことがあっても、できることから始めよう」

ということになる。シンプルだけど本質的な言葉だよね。

人間関係をどうこうするのは、もちろん「自分」次第。相手から受けるものと、相手に与えるものがあるけれども、自分が携わるべきことを、自分ができることをやっていくしかないのだ。

一番身近な「子育て」について、本書では、著者自身のことに多くページが割かれている。自らが子どもである立場と、親である立場とに分かれて。子どもも親も、一人の人間である。もちろんある程度の「教育」は必要ではあるけれども、子どもだっていずれは大人になる。だから、「自分で考える」ように教育するのがよい、そんなことを学びとった。

自分に置き換えても、親として、子として、社会人として、そこで関わる人たちとどう付き合っていくのか、考え直す必要に駆られる。いろんな環境の人はいるわけで、自分を合わせることが重要なのではなく、自分を強く持っていること、これにつきるんじゃないか。そういうレベルまで自分を高める。そのために「できることから始め」なければならない。

【ことば】この世で強制できないことが二つあります。一つは尊敬、一つは愛です。

私を尊敬しなさい、私を愛しなさい、って言って、相手がそうしてくれることはありません。自分の方に気持ちを向けようとすると、時に攻撃的になったり、威圧的になったり...本末転倒ですね。やはり、そう思われるような「生き方」をする以外に道はない。結果的に尊敬、愛をいただければ...でもそれを目的にしては「下心」丸出しになってしまうわね。

困った時のアドラー心理学 (中公新書ラクレ)


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世にも気弱なブックレビュー
ぶうにゃん

2012/02/05

未知の世界へのトビラ。あまりにも遠い世界が少しだけ近づく。

裁判長!ここは懲役4年でどうすか (文春文庫)
裁判長!ここは懲役4年でどうすか (文春文庫)
  • 発売日: 2006/07

『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』北尾トロ
[4/22]BookOff
Amazon ★★★☆☆
K-amazon ★★★★☆

著者のことは(すみません)存じませんでしたが、タイトルに惹かれました。著者が数多くの裁判に傍聴して、そこに見られる人間模様を読み解きます。その場に登場する被告、証人、弁護士、検察...事件がどう結審したか、というよりは、彼らの「キャラクター」を中心に描かれます。
 
特別「裁判」に興味があったわけでもなんでもなく、おそらく多くの方と同じように、その仕組みや、中でどのように何が行われているのか、裁判官はどんな人で...「別の世界」の5W1Hについて、正直興味関心が薄い、無い...というレベルでしたが、知っておくことも悪くない、レベルで読み始めています。

オウムや、ワイドショーをにぎわすようなものだけではなく、新聞記事にもならない裁判の傍聴にも、かなり積極的に足を運んで、そこに表出する人間模様を描いています。新聞や週刊誌、マスメディアが絶対に打ち出せない、「裁判の空気」はまさしくその場にいないと感じることはできないのでしょう。

傍聴しようと思ったことすらない自分ですが、おそらくその建物の中は別世界なのでしょう。メディアによる偏った見方(都合のいい解釈)と違いのはもちろんですが、新聞や雑誌などの紙媒体でも、やはり「当事者」が遠くなり「識者」が大きくなるので、事件の真相からは別の方向に進む。逆説的に(あるいは皮肉で)言えば、いわゆる「マスコミ」は別の方向に向かうのが「使命」だったりしますけれどね。

とにかく裁判。地裁、高裁、簡易裁判所。刑事事件、民事訴訟。当然に「裁判に持ち込まれた」からには被告の向こうには「被害者」がいるわけですよね。なので、特に死者がでるような殺人事件の裁判については、著者も書きにくかったと思います。
当然に、「一般的な」良識は持っていらっしゃる方だと思われますが、敢えて「軽いノリ」でせめています。特に殺人事件の場合の被害者側に配慮すれば、ギリギリの線でしょうか。いや、被害者側にとっては、何をどう細工したところでいい感情は持たないでしょう。

そこは「敢えて」、裁判の、裁判所の現実を、(自分のような)無関心の人たちにも伝える、という使命(と考えているかどうかは?)のもと、さらっと、でも事実は隠さずに伝えてくれています。
関係者ではない自分でも、「ここまではちょっと...」という表現にも出くわしますが、それは初心者向けの「読み続けるための」刺激、と捉えましょう。


これを以て、傍聴に行ってみようかなあ...とまでは思わなかったけれど、もしも何か機会があったらぜひ、くらいには関心度があがりました。
まさにそこが著者の狙い目では、と思いますね。裁判員制度を見越したものではなかったようですが、著者は裁判そのものの「楽しさ」を、そこに登場する「人間」を軸に見ています。
被告、弁護士、検察、裁判官はもちろん、承認、傍聴人、そして裁判所の周りに居座る抗議者にいたるまで。
この本にでてくるのは、「人間」なんですね。極悪な「事件」ではなく、「人間」。わからないのは「事件」ではなく「人間」なんです。人間関係が入り組んだものほど、その絡まったものをほどく裁判が重要になる。それは事件の重要性とか凶悪性とかではなく、あくまで人間関係がどうか、ということなのだろう。

不謹慎な言い方をすれば、ちょっと興味でてきましたね。言ってみようかな、傍聴。

【ことば】ぼくにとっては最高の人間ドラマに思える公判が、他の傍聴人にとっては平凡な事件でしかなく...またその逆もある。

物事を表裏両面から見る。ひとつの事柄、出来事であっても、見る角度、見る人によって全然違うものになることはよく経験することだ。司法はそれを、また別の角度、「上」から見ているイメージでしょうか。人を裁くって大変なことだよね。すごい仕事だよ。

裁判長!ここは懲役4年でどうすか (文春文庫)


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プリオシン海岸
三十路で徒然...

2012/02/03

日本とフランスの「革命」の比較...比較することか?

日本の1/2革命 (集英社新書)
日本の1/2革命 (集英社新書)
  • 発売日: 2011/06/17

『日本の1/2革命』池上彰⑦佐藤賢一
[3/21]bk1
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

西洋歴史小説家で直木賞作家の佐藤氏と、どこまで知識があるんだろうと感服する池上さんの対談。テーマは、佐藤氏の「専門」分野である、フランス革命と、日本における「革命」との相違点について。

フランス革命が、王制から共和制へ「一定レベルの階級の人たちの手」で移行が実現したのち、「市民レベル」で王の処刑まで実行された、いわば「2段階」であったのに対し、日本における「革命」と呼ばれている明治維新や、戦後のGHQによる改革は、その半分でしかない。すなわち1/2である...

そして、フランスにおける「2段階目」が行われる過程と、今現在推移している自民党政権から民主党への政権交代、そして政権交代後のグダグダ感、そして国内の有事発生...これらの環境が酷似している、というのだ。すなわち、日本においても、フランス革命の「第二段」にあたるものが発生しうるのではないか...今のところはまだこれも「1/2」だけれども...という主張である。

正直なところ、そもそも「フランス革命」とはなんぞや、というのを熟知していない自分にとっては、よくわからない。それを知らなくても読めることは読めます。分からないから最後までわからない、ということはありません。
ただ、フランス革命を軸として、それに対比して日本のそれを「半分」という尺度で測ることが正しいのかどうか、そこがよくわからない。

確かに明治維新も、幕府側とかそれまで武士だった者を処刑したわけではない。戦後の改革も、天皇制を否定したわけではない。でも、それを「半分」というのであろうか?逆にいえば、日本の「革命」を軸として、フランス革命が「2倍」であった、といっても同じことか?そもそも、単純にその過程を比較することに意味があるのだろうか?

たとえば明治維新の「無血革命」は、それはそれで、「日本的」なのかもしれないが、大きく歴史を変えたことは事実だし、革命=戦争ありき、ということではないですよね。たとえ「1/2」と言われようと、それに関わった人たちは、それなりの人生を賭けたわけで、「1」を成し遂げたことには変わりはないのだと思うよ。

もちろん、本書でも日本のそれが手ぬるい、とか中途半端である、とかいう批判はありませんけれど、どうせなら、自国の「歴史的事件」を軸=「1」にしましょーよ、って、単細胞的なイメージを持ちました...本筋はそこではないのだろうけれども。

200年も前の革命が、今もその地に住む市民のどこかにDNAとして残っていて、フランス人の「デモ」「ストライキ」好きが頻発するのに対し、「市民」が直接かかわらず、「外的」変革であった日本人には、「誰かが変えてくれる」という意識が蔓延している...そうかもしれません。でも、それでもいいのかもしれないよね。文化、じゃないですかね?

歴史上の、或いは外国のことだと、一部が強調されるんだろうし、日本だって「受け身」の人ばかりではないわけで。あるいは、日本の「革命」が、残りの「1/2」を成し遂げないで終焉しているのは、「半分」で十分だから、なのかもしれない。どうしても変えなればならない、という局面を迎えれば、「英雄待望」である日本だって、残りの「1/2」に向かうでしょ。それがないのは、その時点ではそれで十分だから、なのではないだろうかね。

それを「平和ボケ」「無気力」というのならそれはそれで。でも、向かうべきところは市民の「幸せ」であり、それは革命によってもたらされるものだけではないのだと思う。

【ことば】過去の歴史を見ることによって、未来への大きなライトにはならないまでも、暗闇の未来を照らす懐中電灯くらいにはなると。

歴史を知ることは、今を知ること。どんな歴史であっても、それが今の環境、もっと言えば今の自分を作り上げているんだってことを「知ること」「感じること」はすごく大事なことだと思う。未来は「今」の先にあるんだから、まずは「今」を知る、感じることがその先につながっていくんだよね。

日本の1/2革命 (集英社新書)


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たれ流し書評なり
酒本舗

2012/02/02

重い話...でも軽快に読める。考えること多数あり。

開拓者たち
開拓者たち
  • 発売日: 2011/12/16

『開拓者たち』北川惠
[2/20]

Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆

あるきっかけで読むことになりましたが、これまで数百冊よんできた中で一度も「触れたことのない」分野でした。
第二次世界大戦。満州。シベリア抑留。敢えて避けてきたわけではないのですが、触手が伸びなかったというか...でも、読んでみて、日本人として知らなければならないこと、だと思いました。遅くなりましたが、未来に向けて歩いて行く時に、知っていなければならないことです。

主人公ハツは、日本の貧しい農村から、当時日本が壮大な理想を掲げて開発を進めていた「満州」へ渡ります。そこで既に開拓に従事していた者の嫁になるために。つまりは現地にわたって初めて結婚相手と会うわけです。この時点で、早くも「小説的」な世界で、今を生きる自分にとっては現実味がない話になってしまいますが...

その後戦争が激化し、ロシア軍の進駐や、中国の国共の争いに巻き込まれます。本土における「敗戦」とは無関係に、「満州」ではかなり厳しい状況に置かれます。当時現地を守っていた関東軍からも見捨てられ、国からも見捨てられたも同然の状態で、「戦後」も命をかけた避難が続く。

プロセスは別として現地で出会った夫との離れ、避難の途中で死を迎える仲間も多数でて...その後、なんとか日本に戻ることになるのですが、戦後直後の日本、帰国したものを十分受け入れる体制ができているわけではなく、またもや苦難な日々が...

ハツは、満州で苦難と共にした仲間、兄弟との「信頼関係」を軸に、持ち前の行動力、明るさで、みんなを引っ張ります。その前向きな姿勢、当時は今と比べ物にならなかったと思われる「女性」という弱い立ち場でありながら、仲間の先頭に立つ情熱。そして、そんなハツの行動の原動力になっていたものの喪失、立ち直り。

家族愛、負けない努力、信じて継続する力。ハツを中心とした人間模様は、あくまで明るく、前向きに、何があっても負けない強さを描いています。でも...戦争、争いのむごさ、人命の扱い、死がすぐそばにある環境の重さが、あまりにも強烈でした。日本が中国に対して行ったこと、これが本書に書かれていることがすべて現実かどうかは別にして、これは日本に属する身として、やはり知らねばならないことだと痛感する。これなしに中国人とは付き合えないとまで思えた。けして彼らに対して低姿勢になる必要はないけれども、これから先はどのような関係になればいいのか、ということを、日本人一人ひとりが考えるべきであると思った。

どれだけつらい目に会おうと、戦地に赴く夫との約束を守り、大事なものを信じ続けたハツ。死と直面した時期はあれど、「不幸」な感じを持たず、仲間や家族に支えられ、支えながら「幸せ」に生きる姿は、感動。

400ページ以上あっても、まったく途中止まりません。泣きそうになる場面も。史実はこういうことなのか。ホントに考えることは、多い。

【ことば】「子どもの頃から、こうなったら嫌だな、と思うことがたびたび起きた。嫌だと思っててもしょうがないから、まあいいって思うことにした。運命を受け入れるってことだ」

戦争に赴くのが「運命」とは言えないが、当時の貧しい環境からすると、なんとも重みのある言葉である。そうでも思わなきゃなってらんない、という消極的な意味ではない。受け入れた後にどうするか、変えようとするのか、変わろうとするのか。すべて自らが責任をもって行動する、っていう現れである。読んでいくうちに、その重みは増していきます。

開拓者たち


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濫読亭日乗
abundantの便利帖

2012/02/01

「構造」は分かったけれども...


『「上から目線」の構造』榎本博明
[1/19]bk1
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

あー、最近自分でも使うなあ、「上から目線」。本書は、「若者」が使うこの言葉、この言葉のベースとなっている環境を掘り下げる。その要因はなんであろうか?それは、他人との距離感だったり、個人(自分)への執着だったり、「やさしさ」の価値観の変遷だったり...

自分がどうあるべきか、ということよりも、他人にどう見られるか、に力点を置く。友達への「やさしさ」は、指摘することで(お互いに)高めていくことではなくて、なるべく「つつかない」よう気を遣うことだったりする。

その遠因は、子どもの頃に、外で遊ばなくなったことによるのではないか。そこで地域の自分とは違う年代の「友達」と接する機会が奪われたから。少子化で親の過度な子どもへの執着、それに起因する「考えない」若者の増加...

確かにそうかもしれない。ただ、これは「若者」に限ったことではないのかもしれない。自分たちの年代でもそういう環境はあったわけだし(「今」との度合いの差がどれほどのものかは分からぬが)。まあ、「人と接するのが怖い。けども1人でいるのを見られるのもイヤだ。だから便所の個室で弁当を食べる若者がいる」というのには驚きだったけれど。そこまでいっていたら「病的」だよね。それがフツーになっていくとは思えない。

「上から目線」ということでいえば、親身になって後輩にアドバイスをする先輩に対しての感情が例示されている。ウエイターのアルバイト君の例では、お客様のミスをわざわざ指摘する場面も...でもさ、年配の人でも、たとえばお店の人に対して横柄な態度をとる人はいるよね。「金」という武装があるのかないのかの差だけかもしれない。

読後に感じたことは、その「構造」がわかって何になるんだろう?っていう思い。現代の若者は「そういうもの」として距離感をおいて「うまく」付き合っていく方がいいのか。それとも、ウザがられても伝えるべきことは伝えていくのか。ここでいう「伝える」は業務事項とかではなくて、自分たちの経験とか、考え方ね。それを後世につたえていくことが、自分たち世代の義務だとおもっているから。それを受け入れるかどうかは彼らが周りをみて判断すればいい。

ちょっと残念に思ったのは、後半になるに従って、「上から目線」から広がって、フツーの「現代若者論」になってしまったこと。あくまでも「上から~」を疎ましく思う若者と、いやいやだって教えたいんだもんという先輩の「格闘」や、じゃあ、どうやって伝えようか、とかそういう掘り下げがあったらよかった。まあ、これはその場面場面で自分たちが考えるべきことだし、こういう書き方自体が「上から目線」で、「やさし」くないんだろうけれど...

なんとなく距離感を置きたい気持ちも分かるし、一方で人間関係ってそうじゃない、っていう考え方(それこそ「先輩」からの”ありがたい”アドバイスによるものかもしれない)もある、そんな自分たち世代が、橋渡し的な役割を担う必要があるのかもね。あ、また「上から」...

【ことば】「そのままの自分を受け入れる」ということと、「そのままでいい」ということは、同じではないのだ。

無理しなくていいよ、だって君は世界でたった一人の「オンリーワン」...これは「使いよう」です。著者のいうように「緊急避難的」には価値があるのでしょうが、「免罪符」につかってはいけませんね。だって、できないこと、嫌なことを、正しい方向に(苦労して)持っていくことに、成長の源泉があるんだもんね。

「上から目線」の構造 (日経プレミアシリーズ)



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