2011/09/09

頑固さと緩さのバランス。

ニュースキャスター (集英社新書)
ニュースキャスター (集英社新書)
  • 発売日: 2002/06/14

『ニュースキャスター』筑紫哲也②
[5/161]BookOff
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆

タイトルから容易に想像できるが、著者がメインを務めた「ニュース23」にまつわる話。「キャスターニュース」という形態や、そこに座るキャスターの位置づけ、報道のありかた、などを、当番組が継続する中で起きた出来事を通じて、語る。クリントン大統領の来日(市民対話の実施)、NY同時多発テロ事件...その時々で、テレビは、番組はどうかかわってきたのか、という本質的な内容です。
ご本人は、朝日新聞という「権威」の中で仕事をしてきた経験もあり、そして持って生まれたキャラクターもあって、「報道のありかた」につては自論をお持ちです(当然ですけれど)。本書の中で出てきましたが、当番組を受け入れるにあたり、メインキャスターであり「編集長」という役割を担うにあたり、「君臨すれども統治せず」を軸にされた。これは、報道番組云々ではなくて、それに携わるチームの作り方、に関することだけれども、TBSの社員ではない立場でありながら、ある意味では同局の「顔」でもある「重い」ポジションを、「チーム」として固めてきた彼なりの哲学があるように思う。
また、番組作りにあたっては制作側の「見せたいもの」と視聴者側の「見たいもの」のバランスに苦慮された様子がうかがわれる。よく比較される久米宏・ニュースステーションは、後者に比重を置いたものであるのに対して、著者のそれは前者寄りのイメージかな。「活字」出身である故、かも知れないけれども、テレビという電波媒体の中で、「オピニオン雑誌」のようなコラム的な味付けを施してきたよう。これが「多事総論」のように形づけれらてきた。
視聴者側の立場からすると、どちらがよいか、或いは面白いか、はもちろん個人的な趣味によるもののの、個人的には、「若いうちは久米さん、ある程度の年代からは筑紫さん」となってきたのは事実。また、テレビというメディアに対してある程度の距離ができてくると(物理的な距離も含む。すなわち、「ながら視聴」の度合いが増えてくると、という意味で)筑紫さんのほうが、受け入れやすくなった。そしてさらに年代と距離が大きくなると、NHKの「事実のみ」のほうが、簡潔で押しつけがましくなく、という事象になる。自分の親世代がNHKを偏重する姿勢を「なぜ?」と思っていたけれども、いつのまにか自分もそうなってきている事実...
現在は、次世代に引き継がれている「ニュース23」だけれども、そこを流れる空気というのは、「創設者」たる筑紫さんのそれが受け継がれているような気がする。古館さんが久米さんの流れを自分流にアレンジしているのと同様に、その精神は引き継がれているようだ。著者自身も言っているように「活字」の人ではあるけれど、そしてテレビ向きではないのかもしれない、という意見もあったけれども、どんなメディアであろうと、「見せたいもの」を「見たいもの」に昇華するような「思い」という本質は変わらない、はず。
もし今ご健在ならば、大震災、原発事故に関して、どのようなことを「発言」されるのだろうか。もはや聞くことは不可能だが、とても興味がある。


【ことば】まちを行き交う人たちが普通の日常を送っている限り、それが「ニュース」になることはまずない。

この「普通の日常」に異常が生じたときに「ニュース」になる。それを追い求めているようなところがメディアにはある。筑紫さんにはそういう「自覚」があった。それはおかしいのではないかと...報道にかかわる人がすべて、その自覚があれば、もっと「質」は上がるはずだ。この人の思いに比べると、今の報道メディアの質はあまりにも低い。

ニュースキャスター (集英社新書)

 【書評家のご意見】
本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね



scratchbrainblog
独り言。

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