2011/09/07

「好き」が人を動かす。

僕はいかにして指揮者になったのか (新潮文庫)
僕はいかにして指揮者になったのか (新潮文庫)
  • 発売日: 2010/08/28

『僕はいかにして指揮者になったのか』佐渡裕
[4/160]bk1
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆

正直なところ、これまでの自分とはまったく無縁の世界。クラシックは嫌いではないが、敢えて聴くほどではない。楽器も何もできないし興味もわかない。ましてや指揮者なんてものは...指揮者がオーケストラに対してどれほどの影響力をもつものなのか、指揮者によって演奏がどう変わるのか、まったくわからない。
本書は、いまや世界的な指揮者として「超」有名な佐渡さんの、自らを語った内容。指揮という者に対してどうこう、という箇所はほとんど皆無で、「音楽が好き」で、その世界で生きていくためにどのような歩みをしてきたか、ということに徹底している。バーンスタイン、小澤征爾といった世界的な方々との出会いや、欧州を中心とした活動(オーディション、コンテストの体験等)など、「音楽好き」の青年がどのように世界を駆けあがっていったのか、というのが本流。
印象に残るのは、オーケストラの演奏家たちと「いっしょに音楽を作る」という姿勢、そして「テクニックではなく音楽を楽しむこと」を徹底した考え方を、終始一貫している、という点。生まれ育った環境に利点があったようだが、もちろんそれだけではなくて、本人の人に言えないような苦悩、努力もあったことと思うが、そこはサラっと触れているだけで、「演奏(会)の感激」を味わうために、それを演奏家、聴衆と分かち合うため「だけ」に専念して邁進している姿が浮かびあがる。
素敵です。「好き」なものを自分の人生の一部にできる、というのはなかなか困難なのが現実だとは思いますが、その困難を、「好き」という情熱が上回ると、著者のような世界に達することができるのだと感動します。本書の内容を表面的に理解すれば、けして器用な方ではないのかもしれませんが、出会った人々との交流を大事にして、そこから何かを「自分のために」活かす感性を持っています。意図的ではなくて、自然体でそうなっているのだと思われますが、ひとうひとつの出会いをプラスにして、一歩一歩「上」に進んでいる様子が見えます。
自分よりも少し上の年代ですが、本書が書かれたのは15年前、ということを考えると、改めて自分の人生を考えてしまいます。遅すぎることはけしてないのでしょうが、「好き」を徹底していく姿にあこがれと尊敬の念を持ちつつ、今からでも間にあうと信じて、自分を見つめ直さねばならない...
企業やビジネス関連のテクニック本もよいけれども、感動するのは、こういう「人間的」な内容ですね。すべて本音で、著者の思いがありのまま、ここに描かれているのは読んでいて爽快な気分になります。それが指揮者という自分(の興味関心)とは遠い存在であっても、ヒトとしてかっこいいなあ、って思うのは、分野とは関係ありませんね。残念ながら、「クラシックのコンサートに行ってみようか」という興味はまだわいてきておりませんが...

【ことば】画家と指揮者には共通する部分があるように思え...どちらもそれなりの技法は必要だが、それに固執していると、人を感動させる...ことはできない...愛する心があって初めて、哀しみや喜びを伝えることができるのだと思う。

分野は異なれど、そこに共通するものはあります。そしてそれはここにあげられた「芸術」の世界だけではないのかもしれません。テクニックはこの土台の上に立つモノ。「伝えたい」気持ちが初めに、土台にあってこそ、ということを改めて思う。

僕はいかにして指揮者になったのか (新潮文庫)

【書評家のご意見】
本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね


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