- 目からウロコの教育を考えるヒント (講談社文庫)
- 発売日: 2004/04
『目からウロコの教育を考えるヒント』清水義範③
[8/181]
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教育大学を出て、教員免許もお持ちの著者。アルバイトで塾講師をした以外には、「教育の場」に携わったことはないそうですが、経歴からも、またその著作にも「学校」「試験」を”パスティーシュ”した小説も多いことから、教育「論」の場面に引っ張り出されることも多いようです。学校の教員の経験がなく、またご自身のお子様もおられない環境ですが、「教育」に関する思いが非常に強いイメージを感じ取りました。それは日本の教育、とかいうデカいテーマのみならず、「子どもの目線で話す」「教育とは、常に変化するもので、問題があればそれをもとに改良していくもの」という考え方に現れています。
度々小説のネタにもされていますが、国語教育の違和感、著者の言い方からすれば、「道徳」が入り込んでいる、という内容に、自分も違和感を感じました。つまり、文学作品の一部を切り抜いて、その背景も理解する場を与えないままに、「作者はこういうことをいいたかったんだ」という「正解」を導きだす。「ヒトに親切にするのはいいことです」的な、道徳観を「解答」することを、正とする。言われてみれば...確かに、国語の教育においては、(道徳感が全くないというのも問題だが)、重きを置くのは、その表現の仕方であったり、大事なことを「どのような形で」伝えようとしているか、という方であろう。「作者がもっとも言いたかったことを選べ」的な設問では、それは生まれてこないよね。これでは「本を読む」ことと「国語のテストでいい点を取る」ことの距離は離れてしまうだろうなあ。
教育にたずさわる方々、つまり「大人」が、自らが「子ども」であったことを忘れてしまっているような...このところを作者が一番危惧されているようです。「最近の子どもは勉強ができなくなっている(しなくなっている)」のは、ゆとり教育のせいでもなく、「大人」が伝え方を間違っているから、なのかもしれない。何のために勉強するのか、勉強するとどうなるのか、正しく伝えられているだろうか。自分たちの世代とはまったく異なる世界観がこれから支配することになる。知識を詰め込むのが第一であった受験時代の勉強法は、これからは意味が薄れるだろう。知識をどのように「使う」のか、という点が大事なんだろうなあ。だから、社会の変化、というファクターも正しく受け入れて、理解したうえで、子どもの教育に当たるべきなんだろうと思う。
親と子は別人格。でも、自分の修正版を作ろうと考えていませんか?...ドキっとする指摘でした。特に「男の子」には、自分を重ねてしまう。自分ができたことがなぜできないのか。自分ができないこともできるようになれ。そんな気持ちがどこかにあるかもしれない。ある。あるんだなあ。でも、別の人格だし、生きていく環境も、そこで求められる資質も当然に違うわけで。あー、これまさに「目からウロコ」だわ。
学校、教育委員会、文部科学省...よくわからないし、わかりたいとも思わない。けれど自分の子どもや、なんらかで接する子どもへの「教育」(子ども、だけではないかもしれない)について、考える大きなヒントになった。もう10年前の本だけど、今、読んでヒントを得れば、全然遅くないです。
【ことば】...親たちが、ちゃんと自分に満足し、自信を持って生きているのかどうか...今の日本人は、ちゃんと幸福感を持って生きているのかどうかが問題なんです。
「幸福感」は人それぞれであって、それがお金のヒトもいれば、違うヒトもいる。自分なりの「幸せ」を見つけて、あるいはそれを迷わず追い求めること。これが、大人を「いい顔」にさせる要素であるし、さらには、子どもの教育にもかかわってくる。大人が「いい顔」をしているのが、子どもにとって一番、だもんね。
目からウロコの教育を考えるヒント (講談社文庫)
【書評家のご意見】
本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね
holicなイチニチ
珍念のひとりごと
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