- 真贋 (講談社文庫)
- 発売日: 2011/07/15
『真贋』吉本隆明
[7/180]bk1
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆
初めて著者の本を読む。勝手な先入観=「難解」を持っていたが、著者自身の人生経験から得た「考え方」を易しく伝えてくれている内容。「真贋」=ほんものとにせもの。または、ほんものかにせものかということ。なんとなく、本書の中からは、同一の事物であっても、それを見る視点によって、あるいはそれに接するヒトの環境によって、「真」もあれば「贋」もある、というようなことかと思う。
自らの「作家」という例や、編集者という例もあげながら、ひとつの「職業」を取り上げ立って、いい面も悪い面もある(「悪い方は「毒」という表現を使っている。文学的...)。
世代的には、戦争の経験がある年代だし、本文にでてくる他の作家の方々も、太宰治とか三島由紀夫とか、自分らの世代としてはリアル感があまりない名前。でも、それだけ多くの方と接して、多くの経験を重ねて、そして文字で表現するというプロの、肩の力を抜いた感じの「エッセイ」(と呼べるのかわからんが)は、時代背景が多少異なろうと、すんなりと読めるものです。
本書の中に、大学教授の破廉恥事件とか、政治家のスキャンダル辞任についても触れられていますが、著者の見方として、その本業と、人間的な落ち度を並列に見ていいのか、という視点があります。「事件」の程度にもよりますが、政治家は「公」に対するマツリゴトを成し遂げるヒトであって、その能力に期待して、有権者は選ぶわけですから、女性問題や、過去のエラーを以て、辞任に追い込む、という、ここ数年の傾向に疑問を持たれています。これには同意します。その「エラー」を血眼になって捜すメディアの皆さまには、さらに疑問を感じています。それが「公」のために役立っているんでしょうかね?少し考えれば分かることだし、ウエからの指示でも、記者になる動機がそれでなかったならば、本来のものを追い求める行動をすればいい...個人的な考えですけど。
著者は、「人間の根幹をなす性格というものは、幼少期から思春期までで確定される」と考えます。それ以降、大人になって「自分を変える」努力はもちろん大事なアクションですが、そもそも根底的なものはそれ以前に出来上がっていると。違う視点から見れば、子どもの教育に関するもっとも重要なポイントであるかもしれません。自分に照らしてみれば、自覚はなくとも(薄れていつつも)、「そのころ」の状態が今も少なからず残存している気がします。
もう1点、日本社会の人間関係に関して、「会社での肩書」がすべてのキーになっている点について注意喚起されています。すなわち、管理職だから人間的にも優れている、故に、会社を離れた場所においても、「肩書き」にしたがった序列はそのまま維持される...これに関しては慣習的なところもあるし、また、おそらく「会社」或いは「肩書き」のステイタス自身が衰弱していくのは間違いないので、変わってくるとは思いますが...いずれにしても、人間的な魅力そのものよりも、肩書きが優先されている、というのは、なんとなくわかります。その違和感も分かります。本当に尊敬できる「人間」である場合しか、本心からの「敬い」は発生しませんけどね。「肩書き」にヘイコラしていても、舌を出しているのが事実で、それならば、オープンでいいんじゃね?と思いますね、確かに。
高名な大家の本、初めて読みましたけれど、ことばの重みも含めて、自分にプラスになるものが多いです。ことばの力、ってやはりすごいね。
【ことば】...人間はたとえ金銭的に恵まれて、何不自由のない生活ができるようになっても、それだけでは精神的にすまないものです。
作家がなぜモノを書くのか、という点で触れられたことばです。お金は大事。けれどもお金がすべてではない。お金「だけ」を追っかけると、追いつくときもあるけれども逃げれるときもある。気持ちよく歩いて行く途中で、もっと先に歩いて行けるお金が得られたら、それでいいのかもしれない。
真贋 (講談社文庫)
【書評家のご意見】
本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね
ヒデヨシ映画日記
ぐうたら読書日記
0 件のコメント:
コメントを投稿