- 13歳からの論理ノート
- 発売日: 2006/09/21
『13歳からの論理ノート』小野田博一
[15/201]bk1
AMAZON ★★★☆☆
K-amazon ★★★☆☆
「論理的に」考える、「論理的に」発進する(言う、書く)...ロジカル=論理的というフレーズを使った自己啓発本は非常に多い。何冊か読んだ内容としては、「言っていること(書かれていること)は理解できるけど、実際には...」というものが多い。本書はまずタイトルからイメージするところで、「中学生にも理解できるような(基本的な、容易に理解できる)」という先入観から入る。
結構個別の「重箱の隅をつつく」ポイント指摘が多いけれど、確かに、と思えるTIPも少なくない。
・「行動」の動詞を使う...「~と考える」ではなく「~をすべきだ」
・「議論の結論は、次の議論を始められるようにする」...「Aである」という結論であるべき(Aに賛成か否かという議論が次に発生する)で、「Aについて議論しよう」とか「Aであるべきかわからない」という結論ではダメ
・レトリックは使わない(相手に正しく伝わるように)
等々、テクニックだけではなく本質論もあり、薄っぺらなノウハウツール本ではない、という認識。書かれていることは正しいと思う。論理、筋道、今論じていることからそれてはいけない、違う文脈の例を持って反論すべきではない、正しい言葉を使う...そりゃそうなんです。
でも。
なんとなく違和感、イゴコチの悪さが。なんだろう。「論理的であるべし」という前提で話が進んでいるが(本テーマからすれば当然だけど)、論理的でなければならない理由がわからない。論理的であればすべてが正しい、ってわけではないだろうと思う。文脈を「読む」、行間を「読む」ような文書(=文学的表現)はよろしくない、というけど、それがよい場面も当然あるよね。あと、「正しい例」で記された「論理的」な文が、なんだか冷たい感じがする。読み手にストレートに伝わらない、読み手に考えさせてしまう、というのは論理的ではない、のかもしれないけれども、そこに「温度」が感じられない。躍動感がなくなる。クールと言えばいいんだけど、機械的な、遠い距離感みたいなものが生じてしまっている。
つまりは、場面、場所による、ということなんだろう。使い分ける技術を持っていればいい、ということ。あとは...タイトルにある「13歳からの」の意味が最後まで見つからず。読み手の想定?単なるキャッチコピー?この部分は論理的じゃないような...
13歳からの論理ノート
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