2012/09/05

人それぞれ事情あり。人生の目的とは?

木暮荘物語
木暮荘物語
  • 発売日: 2010/10/29

『木暮荘物語』三浦しをん⑧
[3/158]Library
Amazon ★★★☆☆
K-amazon ★★★☆☆

木造アパート「木暮荘」に住む人、その住人の周りの人たち、彼らが繰り出す7つのストーリー。それぞれ語り手=主人公が異なる展開です。ひとつの出来事を違った視点から見ている、という側面もあって、それぞれの短編の「繋がり」は楽しめる内容。

登場人物は、性別や年齢、置かれた立場もそれぞれ個性が際立っています。だからこそ、彼ら一人ひとりが持っている個性、抱えている事情、今求めているもの、これらがダイナミックに入り乱れる、そんなイメージなのですが...これらをつなぎ合わせる「テーマ」が、実は「セックス」。「木暮荘」という舞台はあまり表だっていなくて、人それぞれがセックスというものをどう考え、どう求め、というのが貫かれたテーマなんです。

最初は「どぎつい」感じがぬぐえませんでしたが、徐々に(慣れてしまったのか)生々しい感じはあっても、いやらしい感じは消えていきます。もちろんその描写とかがあるわけではなく、あくまで主人公のアタマの中でそれをどうとらえているか、ということなのですけれど。

木暮荘の住民たちは、その大家さんも含めて、非常に近しい距離で生活をしていながら、ほとんど交わることがありません。それぞれがそれぞれの生き方をしている。それぞれが「今」の事情の中で、或いは「過去」に起こった事情を引きずって生きています。それはたくましさ、というよりも、「現実感」と言った方が近いかもしれない。

現実に人はそれぞれに事情を背負って生きています。表に出すこともあるし、内に秘めることもある。今自分を創り上げているのは、過去の事情が影響している、ということもあります。
これって...極めて「フツー」のことですよね。生きること、自分のこと、他人との絡み、社会との関係、人は誰しも「自分だけの」人生を生きている。自分だけの事情を持っている。

貫くテーマが「アレ」なんですけれど、そこを一旦除外すると、結構「現実」的な人間ドラマという読み方はできるかなあ、と思います。もちょっと舞台=木暮荘が個性的でも面白かったかなあ、という気はしましたけれども。

【ことば】つながり溶け合う手段は年齢とともに変わっていく。粘膜の熱から皮膚のぬくもりへ。見つめあう視線から表現力を増した言葉へ。

結構ドキッとする言葉。著者も女性であるが、女性はこんなことを意識しているのだろうか。男性は(自分は、か)「何も変わらない」と思っていた。確かに「言ってくれないと解らない」と言われることが多くなった気はしていたけれど...

木暮荘物語  


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わたしの読書録
勿忘草-ワスレナグサ-


「現実」を知る。ビジネス書の読み方、として役立ちます。

社畜のススメ (新潮新書)
社畜のススメ (新潮新書)
  • 発売日: 2011/11

『社畜のススメ』藤本篤志
[2/157]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆

自己完結、自立、さらには「起業」を促すような「自己啓発書」が少なくない。社会人としての環境が良くも悪くも変化しており、会社に全面的に依存するような生き方は出来なくなってきた、という認識のもと。

高度成長期がどうであったかわからないが、バブル期を経て「会社」の在り方、「会社員」としての在り方は変わってきたと思われる。そして大震災という天災を目の当たりにして、生き方という(これまで意識せずとも済んだ)ことに意識が向き始めたから、なのかもしれない。

サラリーマンとしての人生を全うする人、そこから脱することを選択する人、どちらがベターかなんて誰にもわからない。人ぞれぞれ持ち分はあるし、相性もあるし、運もあるんだろうと思う。どちらがハイリスクか、というのも分からない。会社員にしたって「今日と同じ明日が必ずくる」という時代ではないのだ。

だから「自己啓発」が流行る。万が一会社員としての立場が危うくなったとしても、自分という価値を上げておくことで、「明日」を迎えることに不安がなくなるから。

おそらく、会社内で一定のレベルで仕事ができる人、と、独立してもやっていける人、というのはかなり近似しているのではないかと思う。会社内だって、「価値が高い」人が重用されるのは間違いないのだから。

本書はタイトルこそ刺激的なものの、内容は至ってベーシックである。経験という武器を身につけない時分には、「会社」という組織の中で自分を高めていくのがひとつの「重要な」選択肢であること、「守破離」の「守」段階では、ルーティンワークも含め、ひとつひとつ真面目に前向きに取り組むことが肝要である、ということ。
会社の中では、周り(会社外)が見えにくく、見えにくい分、「隣の芝生が青く」見えたり、「このままでいいのだろうか」と不安になったりすることがある。この段階を越える、というのもひとつの「力」であるのだろう。「守」の段階ではじっと我慢することも必要である。

必ずしも「独立起業は無謀、会社員として滅私奉公せよ」というメッセージではない、と捉える。あくまでも力を蓄える時期を見極めて、そこで必至で取り組むことの重要性を示しているものと。要は「会社でうまく立ち回る」=「会社をうまく使う」ということか。「自分の高みをめざす」ことが重要な目標であって、会社員であるかないかは手段、ということ。

「守」段階の若い世代に、自己啓発系の本が読まれていることに少し違和感を感じていたが、本書でその理由が明らかになったかなあ。といいつつ、自分はもはや「破」から「離」段階にきていると自覚していますけれど。

【ことば】いま働いている会社にどのような経緯で入社したにせよ、その「縁」を否定することはできません...縁ある今の会社を大切にしないサラリーマンは多くいます。

苦しい時期は必ずと言っていいほど、来る。その時に「最初」の気持ちを思いだすことも、その局面を抜け出すヒントになりうる。そしてなんらかの事情でその会社を離れる事態になっても、「最初」は捨てずにいたい。「縁」は会社員であろうとなかろうと、生きるうえで大切な事柄だから。

社畜のススメ (新潮新書)


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きゅーすけ日記。
テレビをみた感想

 

2012/09/02

前向きな内容が望ましいです。言葉選びも...

まじめの罠 (光文社新書)
まじめの罠 (光文社新書)
  • 発売日: 2011/10/18

『まじめの罠』勝間和代⑫
[1/156]Library
Amazon ★★★☆☆
K-amazon ★★☆☆☆

例えば「パーキングメーター」を考えてみる。駐車違反っていうのはその駐車車両によって見通しが効かずに危険性が増すだとか、交通渋滞を引き起こす一因になりかねないから「違法」なんですよね。それは理解した上で、「パーキングメーターのある場所ならOK」つまりは、「金を払えばよろしい」的なことになりかねませんか。

先日某車メーカーのショウルームに行ったとき、映画が見られる施設があったんだけど、子どもの身長がわずかに不足して見られず。座席が振動するとかで安全性のため、という「きまり」らしいけれど、数mmの不足で来場者の反感を買う、っていう行為がどうなんでしょう。

何のための「決まり」なのか、誰のための「ルール」なのか、わからないことってたくさんあります。その「疑問」に気づかずにただそれを守る人も少なくないでしょう。「常に」ということは必ずしも必要ではないですが、盲目的に従順するのはおかしい、そんな場面に出くわすことも少なくありません。

そんなことでいいんですか?なんの疑問も持たないんですか?
...っていうのが、本書のテーマ...だと思ってます。規則、きまり、ルールを、何の疑いもなく守ること、それによって日本が駄目になってしまう、というスケールの大きな話にもなってます。その人をそんな「まじめ」にしてしまった教育もマスコミも悪いんだー、ということ。

日本の進むべき方向や、国際的な立場、経済の先行きなど、「まじめの罠」にはまることで未来が雲ってしまうのならば、ゆゆしき問題です。おおいに意識せねばならないポイントでしょう。

...が、著者はこのマクロの課題にとどまらないのですね。「カツマー」が台頭した後、一転して著者がバッシングされたのは、この「まじめの罠」であると主張します。この「反カツマー」を生んだ「まじめの罠」が許せないのよ、ワタシはっ、というのが随所にでてきます。

これ以上「反カツマー」を増やさないためなのか、「反」があってもワタシは本物なのよ、という主張かわかりませんが、そちらにページを相当比率さかれているのはどうかと...「自分自身で『本質』を見抜く力を身につける」というのは、これからの世の中を渡っていくにおいて必要不可欠なことであるでしょう。だからテーマはいいんです。間違っていないはず。

この「反論」に時間を割く必要はなかったんじゃないですかね。正しいことを続けていけば、わかる人にはわかる、それでいいんじゃないでしょうか。途中熱くなってきて、2011年におきた大学入試でY!知恵袋を使った事件について「それほど大騒ぎすることでしょうか」とか、また反感を買うような「ふり」をしてしまってます。

冷静な勝間さんのエネルギッシュな1冊を、また読みたいです。待っています。

【ことば】自分で考え、自分で行動し、自分で責任を持つということの繰り返しをしない限り、身体感覚は絶対に身につかないと断言できます。

「身体的に」直感を研ぎ澄ますこと、これが「人として」の違いとして表れることがあります。この能力を身につけるのは、著者言うところの「まじめ」だけでは不可能でしょう。非効率であっても、人と会う、人と話す、広く知識武装する、そんな「努力」をする「まじめ」は必要でしょうけれど。


まじめの罠 (光文社新書)


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