2011/11/30

読後の感想は「涼」です

神様のカルテ (小学館文庫)
神様のカルテ (小学館文庫)
  • 発売日: 2011/06/07

『神様のカルテ』夏川草介
[20/207]bk1
Amazon ★★★☆☆
K-amazon ★★★★☆

かなり話題になった本で、ドラマ(?)にもなったよう。映像は見ていないので先入観なしに読み始める。タイトルから容易に想像できるが「医者」が主人公である。前半中盤にかけては「神様の」という意味合いは出てこない。かなり個性的なキャラクターの主人公である。夏目漱石を敬愛して話し方も古臭い...ってなかなか小説に用いるのに出てくるアイデアではないよなあ、ってヘンなところに感心。

主人公は、田舎の病院に勤める若い医者。「24時間365日」という崇高なビジョンを掲げた病院で働くが、「理想と現実」はどこにでもある話で、そこで「24時間365日」働く側としては、過酷な環境。その環境に対しては違和感を持ちつつも、また、「もっと楽であろう」大学病院への誘いとの選択に悩みつつも、職場の仲間、住居(集合住宅みたいなもの)の仲間とのやり取りの中で、また当然に「仕事」を通じて、何が本質であるのかを見つけていく、という内容。

登場人物や背景については、「漱石」流になっていたり、消化器系の専門で、アルコール依存症の患者対応をしつつも、自身も「お酒大好き」なところがあったり、医者という側面と、個人としての側面が、離れているようで一致する方向に進むようで、コミカルに描かれている展開が心地よい。 過酷な勤務をこなし、その環境に必ずしも満足していないように見えつつも、「職務」については真剣であること。その「熱さ」故に、周囲から変人扱いされながらも、「自分のコア部分」を強くもっていて、前を見る視点にぶれがない。その中で、最後には、見つけるんですね。自分にとっての「方向」を。

小説の中ではあるけれども、こんなキャラクターに好意を抱くのは当然かもしれない。医者を職業にしていてもその中でいろいろな選択肢はある。「医学」を極める人もいるだろうし、目の前の苦しんでいる人を(たとえ自分の専門外でも)助けることに生きがいを感じる人も。それを最後に選択する。悩んだ末、というよりは、諸々の「事件」を経験する中で、自然と選択が固まったのだろうし、そもそも自分の中にあった結論を肉付けして表出しただけのような気もする。

そして、意外にも(想定していませんでしたが)、泣ける場面がありました。正確にいえば、涙がでてきてしまった場面が。電車の中でしたが耐えきれかなった。それくらいのめり込めるストーリーなのです。
 
専門的にみれば、地方の医者不足や、医療全体の問題、もっといえば「命の問題」も含めて、結構「重たい」テーマなのかもしれないが、キャラクターの設定もあってか、軽快で読みやすい。ドラマ化されるだろうなあ、っていうノリでもあるが、若い人も、若い「と思っている」人も受け入れられる内容です。

【ことば】...法は患者を守るための道具であって、法を守って患者を孤立させていては意味がない。そこを判断する裁量くらいは現場の医者にあってしかるべきである。

重篤患者の「親族ではない」人への情報告知の場面。「決まりだから」親族以外には話さないのが正しいとは限らない。その患者に「命よりも大切なものをもらった」非関係者に告知する場面。当たり前なのかもしれないけれど、法は何のために存在するか、という本質を見失わなければ、答えはでる。


神様のカルテ (小学館文庫)

  >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<


Web本の雑誌
書評:まねき猫の読書日記 



2011/11/29

野球の本ではありません。経営学です


『パリーグがプロ野球を変える』大坪正則
[19/206]bk1
Amazon ★★★★★
K-amazon ★★★☆☆

思い起こせば、「天邪鬼」的にパリーグが好きだった。山田、福本時代の阪急ブレーブス、清原、工藤時代のライオンズ、その後「横浜大洋」の時代を経て、川崎時代から千葉へ移転した時からマリーンズに入れ込む。今とは比べ物にならないほど「巨人」一色だった時代。「みんなと同じじゃ...」というヒネクレから派生したものかもしれないが、共有できる話題が限られている中でも、自己満足に浸っていた。おそらく(記憶が残っている中で)一番最初に行ったのが、後楽園球場の阪急vs日ハム戦で、阪急の帽子を買ってもらったから、だと思う。当時のチビッコは、「野球帽」に特別の思い入れがあって、多くが持っている「GY」との「差別化」を図っていた(?)のかもしれぬ...
川崎球場で、もう23年も前になるけれども、近鉄とロッテの試合(ダブルヘッダー。最近はないね)を観戦したことも、「思い入れ」を強くした。当時はどちらのファンでもなかったが、「いい試合」を見ることがこれほどエキサイティングであることを知ったのがこれである。しかしながらそれ以外はたとえ「いい試合」であっても、観客席はガラガラというのが、「パリーグ」の最大の特徴であった。コドモゴコロにも「これでいいんだろうか」って思えるくらいのガラガラ。それを変えていったのは、ヒーローの登場と、そして本書にあるような「経営努力」なのだろう。イチローの登場と、新庄の入団は、「人」の面での革命的な変化であった。それまではスポーツニュースですら、「結果」しか伝えられなかった状況から、場合によっては、「最優先」が約束されていた読売戦を凌いでトップ、ということも出てきたのだ。そして、近鉄の消滅、楽天の登場も含めて、新陳代謝が行われたこと。新しく参入してきた企業は、「今」の時代にあった経営手法で大きくなってきた企業であり、球団の運営にも当然にそのエッセンスを投入する。オリックスが、ダイエー、ロッテが、日本ハムが優勝すると、「地域」という側面が強くでてくるようになった。その本拠地が所属する地域の盛り上がり。これは、1993年のJリーグの開始も影響しているであろう。「地元チーム」を応援することが、ニッチだけれども、自己の満足を満たすことを知ったことは、プロ野球を大きく変えるきっかけになった。
今でも依然として読売中心で回っていることは事実であり、なんやかや言われつつも、プロスポーツ団体を運営するテクニックは読売がアタマ一つ抜けているのは事実だろうと思う。読売以外の球団が、観客増のために「巨人戦」を望む中、「経営努力を」と言い続けた読売の主張はある意味、正しいのかもしれない。が、時代は変わりつつある。あきらかに。けして遅くない速度で。楽天、日本ハムのような経営努力、本業との位置づけ、相乗効果を生み出す仕組み作り。これを施行錯誤の中から見出したところが「勝つ」のかもしれない。親会社の「広告宣伝」としての位置づけだけでは、球団単体の赤字が許されるような環境ではなくなっている。ローカルな鉄道会社が、その所有するプロ野球球団で「全国宣伝」しても、直接的な意味合いはなくなってきているのかもしれない。
非常に身近な「プロ野球」ましてや「パリーグ」がテーマなので、面白く読めたが、あくまでも経営の本。プロ野球球団という「ソフト」、しかも非常にお金がかかる「子会社」をどう生かすのか、というのがテーマの経営学です。

【ことば】親会社依存度が高いために、球団は経営の自主性が薄れてしまうし、何か新しいことを行って事業の活性化を図ろうとする時も必ず親会社のチェックを受け入れざるを得ない...すべての案件が前に進まなくなってしまう。

プロ野球だけではなく、よくある話なのかもしれない。これを打破するためには、球団が独立した組織として自立し、その利益構造を、生み出していくことなんだろう。これには強力なリーダーと、そして関係者(親会社以外)の意識が「そこ」に向かう必要があるはず。これに果敢に挑戦しているのが、「パリーグ」であるかと思う。そして一球団だけではなく、「パリーグ」の繁栄を視野に入れた努力があれば、間接的に帰ってくるものがあるはず。


パ・リーグがプロ野球を変える 6球団に学ぶ経営戦略 (朝日新書)

  >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<




しがなき男の楽天イーグルス応援ブログvol.3
manachika

2011/11/27

世界が違いすぎました...

リズム (角川文庫)
リズム (角川文庫)
  • 発売日: 2009/06/25

『リズム』森絵都②
[18/205]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

「児童文学賞」を受賞している作品で、著者のデビュー作。以前読んだ『永遠の出口』の世界観が心地良かったので、期待大でしたが...
13歳の少女が主人公です。けして特徴のある個性の強いキャラではなく、幼いころからの延長線上の「今」と、これから大人へ向かう未来の入り口としての「今」の真ん中にいる年代。いとこの真ちゃんへのあこがれ、幼なじみのいじめられっ子。タイプの異なるお姉ちゃん。真ちゃんは「すぐそば」にいる存在だったのに、それがずーっと変わらないことではない、そんな大人から見れば当たり前のことを知っていきます。これが「大人になる」ってことなのかもしれないけれど、13歳の少女の「新しい」出会い、別れ、気づき...これらがまぶしすぎて人生40年を過ぎたオジサンにはちと世界が違いすぎました...
児童文学賞を複数もらうほどだから、きっと優れたお話なのだと思います。確かにストレスなく最後まで一気に読めるストーリー展開は、まさに「リズム」のよさ、なのだと思いますが、「もう終わり?」という消化不良を感じてしまいました。感情が中心で、出来事が少ない物語なので、やはり「適応年齢」があるのかもしれません。
消化不良とはいえ、読後感が心地よいのはなぜか?って考えた時に、ここにでてくる「大人」が少女を始め「子ども」に対して、非常に「大人の対応」をしている点かと思いつく。金髪のフリーターを非難する場面もあれば、自分の愛する子どもを温かく見守る場面あり。もちろん彼らは「脇役」ですから、そんなにキャラクターを立たせる必要はないのかもしれませんが、子どもへの目線が優しくて温かい。そんな中で成長する子どもたち...
こんな小説の中の世界を、「理想形」のままにしておくのか。言葉は多くなくとも、信じて愛して見守る親でありたい。そんな感情が残りました。
そして、子どもから大人への階段を上る世代の「素直」な心情と、これまでは通用していたことが、そうはいかなくなる葛藤、大人の世界への怖れ。でも素直な心は失ってほしくない。大人になっても変わらないものはある。

【ことば】おれのリズム。まわりの音なんて関係ない、おれだけのリズムをとりもどすんだ...そうすると不思議に気持ちが楽になって・・・

本書のタイトルテーマともなっている場面。周りが気になる時、必要以上に気になる時に、取り戻すのは「自分のリズム」。そもそも自分のリズムに気が付いているのかどうか。でも苦しい時に立ち止まって、「リズム」を確認する作業、それも大事かと思う。


リズム (角川文庫)


  >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<

感想日記
tomokaのROCK!ROCK!Till You Drop!

「究極の」人生論、かもしれない


『生きがいの創造』飯田史彦
[17/204]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

経営学の大学教授が、真正面から「死後の世界」「生まれ変わり」に立ち向かいます。死んだあとの「精神」はどうなるのか。欧米の研究事例を中心に、「(肉体が)死を迎えた後の精神世界、そしてその「精神」が再度「物質界」に戻ってくる様を、「科学的に」取り組みます。一見「非科学」的な領域に見える世界観、宗教的か超常世界というか...ここに「科学的な」アプローチを試みるのが本書の内容。
結果として、何か明確なものを提示されるわけではありません。著者自身が繰り返すように、宗教的なものに依存しない(著者自身はどこの宗教にも属さない)し、事例として紹介される「死後の世界」の存在を信じるも信じないも読者次第、強要するおのではない、としています。
個人的には、死後、肉体を離れた精神が存在する、っていうことについて否定はしません。「生まれ変わり」というところまでいくと、ちょっと抵抗はありますが...そんな世界があるかもしれない、もしくはあってもいい、と思っています。自分も無宗教ですが、「神様」の存在を肯定も否定もしていません。
ある意味、信じることによって自分が楽になれるかどうか、っていう非常に都合のよい解釈をしているにすぎないのかもしれません。困難な時には神に祈り、運が向いてくれば神の存在を信じ、運が尽きれば神の存在を否定し、そんな「常」なんですね。考えてみれば、初詣に行き、厄年を憂い、墓参りをして、お盆に休み、そしてクリスマスを祝う。脈略もなんにもないですが、その場面場面が自分の精神にとって「楽」になれるかどうか、信じた方が楽になれるならば信じた方がよい、それだけの理由かもしれない。本書にある「死後の世界」観も、そのひとつなんだと思う。死後の世界が存在する、つまり肉体的に終末が来ても精神は存在を続け、異なる肉体を「選択」する、ということを信じる限り、「楽」なのであればそうすればいいだけのこと。大学教授が科学的アプローチをしているから信じる、のではなくて、自分に合っているのか合っていないのか、その判断だけでよいのかもしれない。
だって、自分で確かめる術はないのだし、いかに強い人間とても、何かに「すがる」時は訪れるはずだし。本書に書かれていることは、大変困難な話だし、ウソ臭い話だし、観念的な話だし、宗教的な話だけれども、いかにたくさんの事例を紹介されて科学的に「正しかろう」というストーリーであっても、判断の基準は「自分」でよいのだと思う。ただ、これらの「考え方」を知っておくことはマイナスではない。必要な時に「信じる」ということでもいいのだから。
事例や感想にあげられているような「賞賛」の気持ちは、今の自分にはまだ湧きあがってきません。でもそんな日がくるのかもしれないね。まだ残り人生は短くはないし、変化も多いはずだから。

【ことば】私たちに課せられているのは、肉体を持って生きていることに感謝し、周囲に迷惑をかけない範囲で、毎日の生活を大いに楽しみながら、創造的に生きていくことです。

意識体の世界(肉体の死後の世界)から、別の肉体に「戻る」時には、それぞれが「過去世(前世を含む過去に生きた存在)」で達し得なかったテーマ等を持って舞い戻ってくる。以前の生ではできなかった壁を乗り越える。「創造」という言葉の意味は深いです。でも、もっとシンプルに「創造=何かを作り出す」ことが人生の目的、というのは、とても前向きで、「あるべき姿」だと。この感覚だけ、で十分かな。

生きがいの創造―“生まれ変わりの科学”が人生を変える (PHP文庫)

 >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<

ゆーまりんの書評BLOG
選ばれるプロフェッショナルへの道
 

2011/11/23

シンプルだけど、独特の世界観に浸る時間。

太陽のパスタ、豆のスープ
太陽のパスタ、豆のスープ
  • 発売日: 2010/01/26

『太陽のパスタ、豆のスープ』宮下奈都
[16/203]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆

ぎりぎりの段階で婚約破棄された主人公・明日羽(あすわ)の、下ばかりを向いている視線が、前を向けるようになるまでの物語。要は失恋からの立ち直りの話で、脇役として登場するのは、家族、友人。これだけ見れば「よくある話」であり、テレビ化されようもないシンプルなストーリーである。
主人公の気持ちが最優先されていて、脇役たちはあくまでも「あすわ」に絡む場面のみで彼らの描写はない。通常なら抑揚のない展開に飽きちゃいそうだけれど、あすわの心理変化の描写や、そのキャラクターの魅力が読み進めるにつれて増してきて、気がつけばこの小説の世界に浸っていた。ちょっと個性のある友人、伯母が、立ち直りのきっかけを与えてくれる。そこは「言葉」ではなくてツールだったりする(やりたいことのリスト)んだけど、ツールにしても言葉、態度にしても、あくまで「きっかけ」であること、自分を変えられるのは、結局は自分しかないことに気がつく。当たり前のことだけれど、それに気づかないような精神状態に陥った時、「リスト」などのヒントが後押ししてくれる。
すべてがうまく回っていないような気持ちになる時って、恋が破れた時だけではなく、人には訪れることがある。自分が社会の中で孤立しているような、自分の存在ってなんなのかって思う時が。その時に支えてくれるものに気がつかない、ってこと、あるよね。そしてそれを脱した時にその支えに気づく。そしてそれに対して心からの感謝の気持ちを持つことで、一回り大きくなっている自分に気づいたりする。それが多分「成長」ってことで、子どもも大人も関係なく、こういう体験を積み重ねることが、人としての厚みを増すことなんだろうと思う。
そこまで大げさな話ではないんだけど、「あすわ」がひとつの試練を乗り越えて、魅力的になっていく姿を見ていくのは、なんだか気持ちのいいものだった。「自分には何も自慢するものがない」「(履歴書に)志望動機は書けるけど、自己PRが書けない」そんな彼女が、「何か」を見つけようと考える。「見つけよう」と考えることで、彼女は大人になっていた。
 そしてさらに「サブ」的に「家族」が登場してきますが、それがまたいい「味付け」になっています。母、父、兄。直接言葉では言わないものの「あすわ」を本当に愛している姿。家族だからこそ「直接言葉」でないところでつながっている温かさを感じます。
読後には、もっと読んでいたい。もっと「あすわ」を見守りたい。気になってしょがなくなりました。 なんでもないストーリーで温かくなれる。同い年の著者に敬意。「何も自慢できるものがない」自分も、それで終わるつもりはないのだ。

【ことば】からまって、こんがらがって、がんじがらめになっていた私を縛る糸がゆるゆるとほどけていく感触がある...よく見れば糸の端っこを握りしめていたのは私の手だ。

 周りが見れず、自暴自棄になってしまう時、その原因は実は自分にあったりするのかもしれない。そんなとき一歩引いてみるようにできれば、と思う。「ありのまま」を見るのはそれだけ難しいのkだけれど。自分を変えなければ、自分の目から見られる世界は変わらない。

太陽のパスタ、豆のスープ


 >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<


空飛ぶさかな文芸部
日々の書付


2011/11/22

まさに「生きること」の意味、「学ぶこと」の意味がここに。

生きること学ぶこと (集英社文庫)
生きること学ぶこと (集英社文庫)
  • 発売日: 2011/05/20

『生きること学ぶこと』広中平祐
[15/202]bk1
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

数学のノーベル賞「フィールズ賞」を始め、数々の受賞をされている世界的な権威である著者。数学者って、自分にとっては遠い存在ではあったけれども、本書はその権威をタテにとらず、人間としての広中さんが、生きること、学ぶことを「若者」たちへ送るメッセージであると受け止める。「若者」ではない自分にも教訓として得るものは多数(著者からすればハナタレ程度の「若者」かもしれませんが)。
何度も出てくる言葉に「創造」というキーワードがある。生きることはすなわち創造=何かを作り出すことであり、学ぶことはそのためのレベルに到達するための前提である。
著者自身が言うように人間は学んだことを忘れる生き物であるけれど、忘れる前提でも「学ぶこと」は必ずプラスになる。「学んで忘れる」ことと、「学ばない」ことは同義ではないのだ。勇気づけられます。本を読んでも忘れることは多い。というかほとんど忘れてしまう。でも、何かのきっかけに「思いだす」ことは少なくない。きっとアタマのどこかに収納されているのだろう、と思うと、インプットして引き出しを多くしておくことの意味も出てくる。引き出しの整理も時には必要であろうが、幅広い知識、情報を入れておくのはけして無駄ではない、ということが心強い。知識を知恵に変えることが次の段階では重要だけれども、そのレベルに達するには、それまでの蓄積が必要なのだから。
著者が、前人が到達できなかった理論に達したのは、努力、そしてその原動力となった興味関心だという。これが本書のポイントである。世界的な数学者になれずとも、自分の心の底から湧きあがる興味関心に気づいて、それをカタチにする努力は、自分にもできることだ。ゴールに達するまでは挫折や障害、数々壁があったと思われるが、自分の内から湧き上がるものが原点であれば、それを乗り越える努力を厭わない。そしてその壁をプラスに変える思考。これも幅広い興味、情報、知識を得るような環境に自分を置くことが大事だ。
受験勉強と異なり、「即答」で正解を出す必要もない。天才が1日かかることを、1週間かけて成し遂げても、マイナスではない。要はその時間をどう使うかであって、最終的にカタチにする、という点では「天才」と同じ場所に立てるのだから。
著者がすぐれているのは、その原点、努力、とともに、壁にぶち当たった時の対処の仕方だろう。そのような状況に置かれた時、物事を一歩離れて見る、ありのままの姿を見る。壁に当たったとき視野が狭くなりがちで、そこから離れる不安は付きまとうが、そこから先に行こうとする意欲が曲がらないくらい強ければ、まずはその状況を「ありのまま」見つめ直すこともできるのだろう。
著者の受賞した研究成果は高次元で分からない点もあるけれども、数学者、研究者でも、会社勤めでも同じ人間。どこに向かうのか、自分が何をしたいのか、どうなっていたいのか。そこに向かってどれだけ努力できるのか。そして「素心」をもって物事に取り組めるのか。大前提の「内から湧き上がること」をカタチにする気持ち、努力。これに「素心」を持って進んでいけばよい。シンプルだけれども、非常に強いメッセージだ。

【ことば】私は、人の二倍は時間をかけることを信条としてきた。そして最後までやり抜く根気を意識的につちかってきた...「努力」とは私においては、人以上に時間をかけることと同義なのである。

内なる原動力を持って最後まで貫く。自分を高める努力を惜しまない。「生きる」姿勢のお手本である。ますます「個人の能力」がモノをいう時代。1980年代に書かれた本とは思えないほど、現代にヒビく内容。


生きること学ぶこと (集英社文庫)


>> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<

陽だまりの図書館 
雨の日は本を読んで

2011/11/20

戦(いくさ)も情報戦だった?

哄う合戦屋
哄う合戦屋
  • 発売日: 2009/10/07

『哄う合戦屋』北沢秋
[14/201]
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆

久しぶりの「歴史」もの。武田信玄が頭角を現す時期の、小豪族の日常。そこに現れた軍師。類稀なる軍才を持つ石堂一徹の登場により、遠藤家は勢力を一気に拡大する。それまで夢にも描いたことのないようなスピード、戦略によって、領土を広げていく。拡大途上では全面的にその軍師に信頼を置いていた「殿」も、そもそもが「大大名」になることを想定していなかっただけに、その興味を失い、次第には一徹と相いれなくなり...
ストーリーは至ってシンプル。はぐれ者の主人公、田舎の豪族、想定される敵、主人公に憧れる美しい娘...わかっちゃいるけど、っていう展開だけれども、ストーリーは素直に「面白い」と思えるものです。普段歴史ものに触れない人でもすんなり受け入れられると思われるほどに。
とにかく主人公のキャラが際立っています。目の前の戦、領土、論功行賞などに目を向けず、あくまでも「天下」を見据えています。一人きりの身でありながら、その才能に自覚を持ちながら、それに奢ることなく、より「大きな目標」に向けて、すべての行動がなされている。対して、「殿」は短期的な視点であり、また内側に目を向ける(外交よりも内政)傾向があります。これはこれで「正解」と思われますが、最終的なあるべき姿、カタチがイメージできていませんね。当時の領主であれば、それで十分であったであろうし、中長期的なプランなど立てることができないほど「乱世」であったのであろうと思います。
新参者が組織の中でのし上がり、トップの関心を惹き、それまでのナンバー2が面白くない気持ちになる。その新参者があまりにも急激な変革をもたらそうとしたために、保守的なその組織は徐徐に彼を排除するような流れになる...戦国の世も、現代も、何も変わっちゃいませんね。どこでもおんなじようなことが起こっているようです。「上」の目を気にすること、つまり論考のための戦い方をする者、改革をつぶそうとするもの。もちろん小説である故、意識的なところはあるにせよ、その姿は現代の「旧態依然とした」組織となんら変わりません。
当時は「間者」と言われたような、いわゆるスパイですが、情報戦の大切さも分かっている者は少なかったようです。が、本書や或いは「真田太平記」などでは、情報の重要性が取りざたされています。手段がなかった当時でも、少なからずこれは真実でしょう。相手の動きをいち早くキャッチすつことのできた者が優位に立つ。これも変わらないことかもしれません。
戦国の話ですから当然ですが、人がどう考え、どう動いているか、という、人間に関する描写が魅力的で引き込まれました。少々のイロコイも物語に色を添えています。時代モノもたまにはいいなあ、と思いますが、史実モノよりも人物モノの方が、やっぱり魅力的、ですね。

【ことば】全員が持ち場持ち場でそれぞれの役割を完璧に果たしたからこそ、あの勝利があったのだ。皆の働きに優劣などない。

敵方の奇襲をいち早く察知し、逆にこちらからの奇襲で蹴散らした戦略。当時は相手方大将の首級をとったものが、そのもののみが論考の対象であったのだろうが、軍略家たる一徹の上の言葉は情報を仕入れた者から、城を守った市民までも対象に考えているものだ。なんとなく「元会社員作家」っぽい感じだけれど、こういうのって理解されなかったんだろうね、現実には。今だって完璧に理解されているわけではないかも。サッカー日本代表とか、くらいかな、数字に表れない評価が明確にされるっていうモデルは。

哄う合戦屋


  >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<

outrageous 傍若無人な読書日記
nori いろいろ感想ブログ

早トチリ感想文BOOKS 

タイトル通りの経営哲学。愚直なイメージ


『おいしいから売れるのではない 売れているのがおいしい料理だ』正垣泰彦
[13/200]bk1
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

最近目立つなあ、と思っていた「サイゼリア」。駅前、駅ビルを中心に見かける機会が多い。千葉の市川が第一号店らしいけど、そのせいか、千葉のお店が多いような(109件。東京の180についで多い)。急激に目立つようになったけれど、社長とか創業者とか、そういった話に触れる機会はなく、いつか読んでみたいと思っていた本です。
タイトルが示す通りで、非常にシンプルな経営指標として、「お客様の数」をあげています。価格、味、すべての提示される「サービス」が、お客様の要望と、用途と、満足度の基準に達することによって、再び足を運ぶ、あるいは初めて立ち寄ってみる。「来店するお客様の人数」が統一した、明確な基準であることは、非常に分かりやすいですね。経営層は各店長や、エリアマネージャーに対しては「売り上げ」の目標設定をしないそうです。徹底しています。
もともと、創業当初はかなり苦戦をされていたようで、「イタリアの味を多くの人に提供したい」という「ミッション」に忠実に行動する、すなわち多くの人に受け入れていただけるであろう価格設定をすることで(つまりは値下げ)集客が軌道に乗った。受け入れられる価格でも、利益がでるような体制を作るために行動を決める、素材の仕入れ、人員、業務管理等々。言われてみれば正しい「順序」だけれども、往々にして「逆」の場合が少なくないと思われる。「これくらい粗利益がでるからこれくらいで売る」という順序になりがちな...もちろん「受け入れられる(低)価格」で販売する、というのも、そもそものミッションである「イタリアの味を多くの人に」という前提が徹底されていることがある。その場その場で短期的に「値下げ」しているわけではない。実際、著者は短期的な(戦略的な)値下げ(キャンペーン)を否定している。一時的なものは求めていないわけだ。
店長の目標設定は、売り上げ額ではなく、「コスト管理」という側面が強いようだ。そのミッションに基づいた提供価格に対応するコストを管理すること。売り上げ額が目標でない、というのはある意味、うらやましい側面もあるけれども、「コスト管理」がメインであることもなんとなく辛そうな...
非常に明確な、そして実行力を持った経営哲学を持ったリーダーであると思われるけれど、なんとなく読んでいて感じた違和感は、「人間」を感じる場面が少なかったから、なのかもしれない。「どこの店でも同じ味であること」を達成するためにスタッフたちは努力されていると思うのだが、その努力の描写が少ない(経営者からは「見えない」のかも)ので、悪く言えば「機械」の一部のように思えてしまうのだ。もちろんそうではないと思うが、経営者である著者までが「機械」と考えているんじゃないのか?ってそんなうがった感覚も...同一の味、同一のサービス、これをクリアするのは大変なことだ。その徹底が多店舗展開の軸であろう。ただなあ、実際利用者として見るとサイゼリアのサービスが満点か?といったら...不満が代わりに満足も高くない。リピートするとしたら「価格」が第一ってところか

【ことば】「種をまいて実るのは50歳を過ぎてから。今やっていることを続ければ、必ず花が咲く。」

43歳のときに著者が、尊敬する師から励まされた言葉。「続けること」の大切さを自覚し、そして実際に「続ける」ことを成し遂げた先に何かをつかんだ、そんな人の言葉は重い。信じて続けること、本気で続けること、その先に咲く花を見つけに行くために。「種」をまいて育てること。心をこめて。自分の信念に基づいて。

おいしいから売れるのではない 売れているのがおいしい料理だ

   >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<


起業家”たけ”の航海日誌
これ、気にいってます

2011/11/16

絶品!最高に面白いっ

ハッピー・リタイアメント
ハッピー・リタイアメント
  • 発売日: 2009/11

『ハッピー・リタイアメント』浅田次郎④
[12/199]Library
Amazon ★★★☆☆
K-amazon ★★★★★

浅田さんの長編、待ってました!という感じで最初から期待大。「入り」部分は、ご本人登場のエッセイ風から。ここでまずツカまれてしまいます。そこから続く世界に想像が膨らみます。
テーマは「天下り」。官僚と自衛官が「下った」先の組織は...そこに巣食う「悪」との戦いになるのですが、その主人公たちのパーソナリティ、キャラクターの魅力的なことといったら...そして「悪い奴」は、とことん悪い奴で、読み進める中で、勝手に「声」まで想像してしまうような、個性豊かな(わかりやすい)人たちが登場します。小説なんだけど、本なんだけど「音」を感じてしまうくらい、入り込んでしまった。
そして、その二人の「仕事」として、いろいろな「成功者」が出てきますが、彼らもまた魅力満載。過去にキズを持つ彼らが、主人公たちと接していく中で、過去を乗り越えていく術を見つけていくような...笑いあり、驚きあり、その中に、人情もあり、なのです。さらには「家族」というテーマも見つけられます。もう何でもあり。詰まってますね。
著者の独特のコミカルな文調で、ページはどんどん進みます。当初は「GOETHE」に1年間連載されたもの、ということだけれど、もしもこの雑誌を読んでいたら、「次」が気になってしょうがなかっただろうと思います。間違いなくそうなってましたね。
もちろんよろしくないことで、悪しき慣行たる「天下り」に対して、チクリと刺すようなものが根底にあるんだろうけれど、そんなことなんてどうでもいいほど、面白い。小説がエンターテイメントである、ということが実感できる本です。
元官僚、元自衛官の行先は、とんでもない組織だったんだけど、そこから何かを見つけて、彼らは「成功者」への道を確実なものにしてきます。もちろん、最後は...がありますけれど。本当にこんな「何も仕事がない」団体が天下り先として存在しているのだろうか?って気になるけれど、現実とそんなにかけ離れているわけではないんじゃないかなって思っちゃたりします。官僚、役人の世界はやはり遠い。「民間」にいると、そこまで「保身」100%になれるものだろうか、って思うけれどね。
そんな現実の世界と架空の世界、その中間に位置する物語。何かを得ようとか、得られなかったとか気にする必要はありません。楽しんじゃえばいいんです。ドキドキ、ハラハラ、とも違う、「ワクワク」感が味わえます。

【ことば】「...世の中はそれほど不公平やないで。...一生懸命に生きとる人間を、お天道様は見捨てへん」

ふるくさーい言葉ですけれど、おじいちゃんしか口にしないような言葉ですけれど、こういうのが一番「力」になるような気がします。理屈じゃなく、悔いないように生きれば...いいことも悪いこともある。悪いことに過度に反応せず、いいことを、きちんと「いいこと」と認識しよう。

ハッピー・リタイアメント

  >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<

最近のヒット!
蛙と蝸牛
早トチリ感想文BOOKS

2011/11/15

「数学」は「壁」がある...けど面白い

通勤数学1日1題
通勤数学1日1題
  • 発売日: 2011/08/25

『通勤数学 1日1題』岡部恒治
[11/198]RakutenBooks
Amazon ★★★★★
K-amazon ★★★☆☆

数学の面白さ、数学の「考え方」の面白さを教えてくれる本。事前にパラパラとめくった範囲では、「三角錐」だの「歯車の回転」だの、あー苦手...と思わせるものだったけれど、(著者が何度も言うように)アタマの中で分解して考えることで、ハッと気づくものがある。そして気づいたときの爽快感。多分、数学の好きな人は、この「見つけた」瞬間がたまらないのだろうと思う。
算数から数学に至って、正直苦手な科目のひとつだった。国語や社会のように、「覚える」ことができればなんとかなる、というのは比較的できたと思うのだが、「暗記」で対応できない数学は苦しかった...そして人生で唯一のアカテンは、今でも鮮明に覚えているが、展開図、図形の問題だった。「このうちのどれが立方体になりますか」っていうアレです。アタマの中で折って重ねて、っていうイメージを作るのが苦手なんですよね...未だにこの部分は克服できずにいますけれど。
本書にでてくる問題も、どこかで「公式」を頭に入れようとしている自分がいて、それに気づくたびに軌道修正。プラレールの線路の面積とか、歯の数が異なる歯車AとBがあって、Aを回したときにBは何回転するか、とか。「こんなもん、実社会で役に立つもんか」っていう拒否反応を極力抑えて、その内容を楽しむことにしたけれど、丸いもの(あるいは立体)を、直線にしたらこうなる、っていう考え方で「解ける」ことは自分にとっては発見でした。三角形の面積、台形の面積、これらも「公式」を覚えているだけでしたが、その意味を知ることは非常に重要なことだと再認識。アタマを柔らかくすること、視点を変えること、目の前にある複雑なことを、自分の知っている世界に分解すること。これらって、実は実社会で役立ちます。要は「考え方」の点が大切ってことですね。
歯車の応用問題、終盤になると正直ついていけなかったけれど、「数学的な」考え方、というのを学んだ気がします。こういうのを「分からない人に教えてくれる」のはとてもありがたい。また図形特に立体の分解の仕方を、本という紙面で説明するのはかなり困難だと思われますが、そこは「分かりやすく伝える」という著者の思いも相まって、真剣に取り組めば、必ず「わかる」説明になっています。特に数学が苦手、図形が...という人にとっては読んでみる価値は十分あります。
著者は、有明にあるリスーピア(パナソニックの科学館)を監修しているそうで。もう何度も足を運んでいます。子どもが楽しめるスポットだけど、科学が苦手な大人でもめちゃ楽しいスポット。「へぇ~」「すごいな」が自然と口から出てくる施設です。楽しさを伝えてくれる、こういう科学者に感謝いたします。

【ことば】...数学は本質的なことがわかれば、複雑な計算を省略できますし、ほとんどのことを覚えなくてもすむ...

う~ん、ことは数学に限らず、ですね。本質を見失った、「手段と目的の混同」ほど(時間)コストの浪費はありません。最近では中学入試でも、本書のような「パズル」的な問題がでるようです。そう、「暗記」では到底太刀打ちできないようなものが。そして社会でも同じ。「基礎」があれば、その先の「応用」をしなければなりません。その時にこの言葉を思い出します。「本質」を見ること。

通勤数学1日1題

 >> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<


徹也
m.o.b(モブ)

2011/11/13

読後は不思議な感覚に包まれて...

猛スピードで母は (文春文庫)
猛スピードで母は (文春文庫)
  • 発売日: 2005/02

『猛スピードで母は』長嶋有
[10/197]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

芥川賞受賞作と、同賞候補作。その二つが詰まった贅沢な1冊...なのですが、どのあたりが「賞」あるいは候補作になるのか、よくわからない世界。これがよろしくない、というのではなく、そこにある世界観が、自分がこれまでに知っているものの外にある、というか、なんともつかみどころのないもので..
主人公は少年少女ですが、主役はその親だったり親の周りにいる人たちです。離婚をした、あるいはする、再婚をする、しない、そんな「大人の事情」を抱えた当人と、その「事情」を構成する人物たち。彼らの心情や、彼らだけの行動はほとんど出てきません。あくまでも第三者的な書き方ですが、目線はあくまでも子どものもの。そこから見えるもの、見える「事情」しか書かれていない。だから本当のところはどうなのか、読者にもわかりません。が、当の子どもたちにも「見えない」ものであるので、知らなくて当然というか、知る必要を感じないというか...
時代設定もよく分からないところはありますが、おそらく著者の子どもの頃の設定かと思われます。自分とは5年違いなのでおそらく幼いころの環境は近いものがあるのではと思われますが、そのころの子どもたちは、次の親世代になってきているわけです。故に、「当時の」子どもとしての読み手と、「今現在の」親としての読み手という、読み手側が時制を二つ持ちながら読み進める感覚になりますね。これが「不思議な読後感」をもたらす理由のひとつかもしれません。
もしかしたら自分が子どもだったころ、両親にもいろいろな「事情」があったのかもしれません。それを感じずに、いや、もしかしたら感じていたけれども感じていないようにふるまっていたのかもしれませんが...なんとなく(けして何か大きな事件があったわけではないのですが)そのころの両親のことを考えてしまったりしました。そして今は親の立場で、子どもたちが何を感じているのか、どこまで「事情」を話すのか、いつ話すのか、そんなことも出てくるかもしれません。
 いずれの作品も、そこに登場する「事情を抱えた」女性たちが、非常に魅力的です。対して男性はさっぱり魅力が描かれていません。心理描写があるのは子どもだけですが、登場人物が「わけあり」を抱える中で動いています。人がいる、人しかいない。そんな小説だったような気が今、改めてしてきました。「賞」というカタチに惑わされているところはあるのですが、素直に読んで、なんとなく記憶に残る...そんなものでいいのかもしれません。こどもの心理描写、これって(考えてみれば)スーッと心に入ってくるような書き方って、結構難しいものかもしれませんね。忘れている感覚、だし。

【ことば】「あんたはなんでもやりな。私はなにも反対しないから」

おそらく自分は「反対」されたこともあったであろう母親が言った言葉。その通りに受け取ることはできない場面もあろうが、親ってのは子どもに対しては「可能性」を認め、なんでも受け入れたい、そんな気持ちでいるものだ。子どもに対して思っていることはたくさんあるが、それを口に出すのは、それなりの「本気」である時だよね。

猛スピードで母は (文春文庫)


>> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<
 
馬鹿でも本くらい読みたい
もの書く人々

「科学的でない人」には届かないような...

科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書)
科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書)
  • 発売日: 2011/06/29

『科学的とはどういう意味か』森博嗣
[9/196]bk1
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

著者の小説は以前、よく読んでおりました。ミステリの中でも異色だったイメージがあります。自分が一時小説から離れていた時期に、著者がその世界から距離を置いて、ある意味での「引退」をされていたことは知らず...
「理系/文系」という言葉が頻繁に出てきますが、全体の内容としては1点だけ「科学に対して拒否反応ばかり示しているとイタイメにあっちゃいますよ」というメッセージ。「数字に弱い」とか「科学はよく分からない」と言っているうちはいいけれど、それを考えようとしない、その姿勢に問題あり、ということだ。個人的にも「科学」はハードルが高い。著者が「誤解だ」と言っているけれど、科学者と言われている人たちが、「敢えて」難しい表現をしている、というのはけして誤解ではないと思うし、それが「科学」というイメージを、距離のあるものにしてしまっていることも、現実だと思う。それゆえに「わかりやすい科学者」というのが持ちあげられるわけで、毛利さんとか、でんじろうさんとか、茂木先生とか、メディアに出てそのイメージを変えようとしている人たちもいる。そんな人たちと比べてしまうと、本書の「科学嫌いをただす」力はいかほどか...と思ってしまうんだなあ。
自分は、けして科学が得意ではないし(むしろ苦手だ)、科学者に対しての「偏見」も持っていると自覚しているけれど、科学そのものに対する興味関心はあるし(わからないのは自分の能力のせいだと思っている)、思考から排除するようなことはない(つもり)。著者はその点を懸念、つまり「科学を排除する考え方」を払しょくすべし、科学は特別なことではない、と主張しているが、「理系は文系よりも度量が大きい」というような箇所もあり、やはり「科学がわかる」理系と、「わからない」文系を「区別」しているような箇所も見受けられてしまう。そういうのが垣間見えちゃうとなあ、「だから理系は...」っていうドロヌマになっちゃいませんかね?
「科学とは『他者によって再現できる』ことを条件とした方法であり、それを組み上げていくシステムのことだ。」分かりやすい科学の定義だと思います。いわゆる非科学=超常現象との境界をシンプルに明確に表現しているといえます。でも、後半部がわかりにくいでしょ?「方法でありシステムで...」この辺りがなあ。科学者を批判するつもりはないですけれど、「知らない人にわかるように」という「人間的な」考えも欲しい、というのが率直な感想(これが「科学的でない」のかもだけれど)。
国語、社会(いわゆる文系科目)と異なり、算数、数学(理系科目)は、「方法」を学ぶ科目である。これは同意です。元号を覚えることも大事だけど、なぜ円周率はおおよそ3であるのか、という目を持つこと。思い起こせば、その考え方が浮かばず、理科も数学も(公式など)丸暗記し(ようとし)ていましたね、学校時代。

【ことば】...科学というものは、印象や直観をできるだけ排除し、可能なかぎり客観的に現実を捉えようとする。そうすることで、人間、人生、あるいは社会に利益がもたらされる、と考えられるからだ。科学の目的は、すべて人間の幸せにある。

科学が(もしかしたら)そうは見られていないのでは?という被害妄想的なものも含まれているのではないかなあ。けして否定的ではない人にとっては「あたりまえ」に聞こえてしまうコメントかも。科学でなくとも、哲学だって、心理学だって、文学だって、すべては「人間の幸せ」が目的だよね。

科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書)

>> 本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね <<



熊式。
知識をチカラに

2011/11/10

人生の再現。追憶。

永遠の出口 (集英社文庫(日本))
永遠の出口 (集英社文庫(日本))
  • 発売日: 2006/02/17

『永遠の出口』森絵都
[8/195]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆

「児童文学」を書く人らしい。その著者が「大人向け」に初めて書いた本。小学校から中学、高校へと多感な時期を、「大人になった今」という時点から振り返るように、しかしながら微細な心理状況も含めてリアルに綴った物語。
おそらく10代における時間は、人が最も能動的にも受動的にも刺激をうける時期であろうと思う。ここで重ねた経験(酸いも甘いも)が、その後の人間形成に大きな影響を与えるものであろう。と、今でこそ思うけれども、当然ながらその当時は「今」を考えることでせいいっぱい。それこそ「10代」であって、子どもの理屈でも大人の理屈でもない世界を歩いている時期なのだと思う。
本書では、その時代の大きな環境である、学校、友人、家庭、家族の中で、必死にもがいている女性を描く。学校という「社会」に接して、それまでの家庭という世界から広がる行動範囲。自分とは違う環境があることを知る、受け入れる。受け入れられないことに直面した時の心理。出会い、別れ。恋愛。もはや過去のことになって、意図的ではなくとも自分の中に封じ込められた「その時」が、淡くよみがえる。
今の自分の立場からすれば、自らの追憶を重ねるとともに、次の世代、この時期に差し掛かろうとしている子どもたちに思いをはせる。本書の中にも家族の記述が少なからずあるが、幼いころと、10代、そして大人になったときに、「家族」に対する見方は変わってくるのは当たり前。今は、そういう「変わろうとしている」子どもたちに対してどういう親であるべきか、ということまで考えながら読んだ。
もちろん自分の子どもであっても、自分の「所有物」ではなく、一人の人間であり、その存在、立場を尊重することは、自分の信条であることには変わりはない。信じて愛して見守って...それだけしかできないが、それが役目でもあると思っていたりする。
物語の中で、主人公はいくつもの出会い、別れを繰り返し、「大人」になっていく。経験により成長していく、というのは、大人になってから振り返って初めてわかることであるが、本書の構成自体が、「振り返り」という大枠の中で進んでおり、「今」という時制が二つ進行しいる手法が、大人である読み手に心地よい追憶感を与えてくれている。順風満帆なストーリーではなく、小さな「事件」が度々起こるのだが(小説だからね)、そのたびに傷つきながら乗り越えていく若者の姿が爽快に映る。同年代の著者、舞台となる地域も親近感があり、「次は次は」と気になってどんどん読み進められた。「初対面」が大人向けのものであったけれども、次は著者のオリジンである「児童文学」を読んでみたい。

【ことば】どんなにつらい別れでもいつかは乗り切れるとわかっている虚しさ。決して忘れないと約束した相手もいつかは忘れると知っている切なさ。多くの別離を経るごとに、人はその瞬間よりもむしろ遠い未来を見据えて別れを痛むようになる。

「また会おうね」という言葉に含まれる意味が、子どもの頃と今とでは違ってきていることに気がつく。もちろんその言葉に込められる思いは嘘ではないが、「多分...」という「経験則」もそこに含まれていることに。これが大人になるってことなのか。純粋さの喪失?でも、いつまでもその言葉、思いを信じていることも、すごく大事だと思う。

永遠の出口 (集英社文庫(日本))

本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね

空っぽの知識(読書日記)
ほんのにちようび

2011/11/09

暗澹たる気に...抜け出さねばっ


『警告<目覚めよ!日本>』大前研一
[7/194](ReviewPlusさんからの献本)
Amazon
K-amazon ★★★★☆

かなりストレートな著者の日本再生論。震災、原発事故、円高、不況、財政赤字...閉そく感漂う日本を救う著者の提言です。大部分は、通貨問題や政治の混迷、国家財政の債務超過などについての「現実」に警告を発していて、正直なところ、「わかっちゃいるけど身の回りの問題ではないなあ」って、軽くみていた自分には、かなり刺激的。「よくない」とは分かっているけれども、「どうよくない」のか、って知ろうとはしていなかった。貿易に関する仕事でもないし、TPP問題にも直接は関係ない。「対岸の火事」というところまではいっていないけれども、むしろ目の前の「自分の」問題の方が大事...わりとこういうひとって多いんじゃないかっていう気もする。
著者が10年以上も言い続けてきたこと、10年以上前に提言したこと、これらが現実に目の前に突き付けられた感じになってきている。震災や事故は想定していなかったとは思うけれども、著者の言うように、時の政治家、官僚が何か手を打ってきたのかどうか、かなり怪しい。震災後のゴタゴタをメディアで垣間見るだけでもなんとなくわかる。もちろん、首尾よく手を打った策もあるとは思うし(そういうのってメディアには上がらないだろうし)、手を打ってきたからこそなんとか今まで「維持」できているのかもしれないけれど...
事態はけして楽観的ではないようだ。まずはこういう意見、見解を知る、ってことも大事。メディアは「視聴率の取れる」報道を優先し、日本の将来を考えているわけではなさそうだ。でもそんなメディアに影響を受けるのも事実。本質的なところをはっきりと言えるような環境はないものなのか...それがひとつは2年前の政権交代だったのだろうけれど、著者の指摘するように、現政権は「過去を引きずる」状態がいまだに続いているようです。「人材不足」と著者は指摘するが、政治家でも官僚でも「なりたて」の頃は、著者のように意欲を持っていたはずなのにね...
先行きが不明、将来が見えにくいのが、最も「不安」を煽るんだと思う。増税は嫌だけれども、それが未来にむけてどうつながってくか、必ずしも成就しなくたって、未来図、もっと言えば「夢」を見ることができれば、一定期間の我慢をすることはできるはずだ(文句は言うと思うけれど)。
被災地の復興や増税、TPP参加など、まさに「今」の問題を取り上げているので、「リアルタイム」に、ビビットに感じるものはある。いずれの施策も「あちらを立てればこちらが...」というのは当たり前なんだと思う。それを「グレー」のままに先送りにするのは、最も危険なことだと、改めて知らされる。マクロ=国全体の(将来的な)利益とミクロ=個別に損を被ることになるかもしれない人たち。どちらを優先するか、ではなくて、どちらも優先する。それが政治、行政なんだよね。
たっぷりと「今の状況」を知らされたが、個人レベルでいえば、「自分の価値をあげること」がこれからは一番大事ということ。「会社員としての価値」ではなくて、ね。著者の提唱するような「国際的な」人間にならずとも、できることはあると思う。それを「グレー」のままに先送りしている場合ではない。もう、まったなし、だ。

【ことば】大切なことは...「自分はどのような人生を送りたいのか」を決定し、そこから...「自分への投資はどの分野にどれだけ必要なのか」...プランを作っていくことである。

自分への投資。お金もそうだし時間もそう。これがポイントだと思う。「今から」何ができるか、何をしたいか、ということ。まだ遅くはないはず。どんなものでも「リターン」のある投資は、自分(そして自分の大切な人)への投資だ。 投資に「時間」という概念も常に持ちたい。今だからこそできることがあるはずだから。

警告<目覚めよ!日本> (大前研一通信 特別保存版 Part.Ⅴ)

本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね

モクモク羊のブログ
せのび道

2011/11/08

辛辣な勇気ある行動...でもちょっと脱力感が...

官僚の責任 (PHP新書)
官僚の責任 (PHP新書)
  • 発売日: 2011/07/16

『官僚の責任』古賀茂明
[6/193]bk1
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆

「官僚的」という言葉は、「利己的」とか「閉鎖的」「旧態依然」という意味でつかわれることが多い。考えてみれば、自分の住んでいる国を代表して、そのかじ取りをするエリートであるはずなのだけれど(「エリート」という言葉も、ネガティブなイメージがありますわね)、マスメディアのせいなのか、国全体を覆う閉そく感のせいなのか、或いは、「見た目」でダメさがわかる政治家と同一視してしまうせいなのか、自分の利得に目が向いている感じは否めない。
本書は、自分の持っている「官僚」に対してのそんなイメージを増大させる内容だった。「そこまで!?」というものは多くはないけれども、「やっぱり...」という彼らの生態を見せつけられる結果に...本来は「国」「国民」に対して目を向けているべき存在であり、その志を持った人たちが、東大から官僚になるものだと思っていた。人ごとのように言うのは、自分とは無縁の世界であり、到底なれるものではない、と最初から別世界としていたから。ただ、そこにあるのは、利権や出世、安泰、といった「自分」に目を向けている姿しかないようだ。「伏魔殿」と発言して物議をかもした大臣がいたが、この本を読む限りは、言い得て妙、としかいいようがない。
エリートだって、官僚だって人間だから、自分の利益を求めるのはフツーである。聖人、仙人になるべき、とは言わない。中小企業だって、自分の利益だけを追い求めて、本来目をむけるべきお客様にまったく無関心な(無関心ならまだいい。単なる財布と思っている輩も少なくない)経営者もいるだろう。でも、官僚はそうであってはならないよね。だって、税金ですよ。彼らの「サービス」に対しての対価として、民間の自分たちが稼いだ金を捧げているわけで。正しい使い方や、将来を考えた使い方をしていただくなら一向に構わないのですが、なにせ問題は「見えない」ことですね。
政治家なら「選挙」があるので、またメディアの矢面に立つので(メディア報道のやり方の是非は別にして)、いい悪い、ってある程度判断(イメージ)がつく。でも官僚は出てこないからなあ。ヤミの中で何をしているんだか...
とはいえ、深夜まで残業しているというのを聞いたことがあった。たとえそれが政治家の答弁資料の作成であっても(つまり意味のないことであっても)それはそれで「仕事」しているように思っていたが、これとて、本書によれば「虚像」にすぎないようだ。「ポーズ」というのですかね。ワンマン経営の中小企業みたいだ。目を向けている先が完全に誤っていることを分からないのですかね?或いは分かっていても行動できない「縛り」が存在するのでしょうか。
「震災を増税のチャンス」と考えている官僚が存在する、という事実に驚愕です。もはや夢も希望もありません。じゃあ、いち個人として何ができるのか...選挙はないしね。でも政治家センセたちに「改革」してもらうしかないんだろうか...あー行き詰まり感が...

著者は2011年6月の管内閣末期の経済産業省の退職勧奨を受けた一人。唐突な、何の意味があるのか、っていう人事だったけど、なんとなく「オカミ」の思惑も透けて見えたような...


【ことば】「もう何を言っても変わらないさ...」結局、そう思ってあきらめている国民が多いのだろう。選挙の投票率があれほどまでに低いのは、そうした意思の表れなのかもしれない。

これが一番大きな問題かと。「変わる」「変える」と意気込んだ2年前の政権交代が、こうも裏切られてしまった今、「じゃあ、どうしたら?」という気持ちになるのは自明。「公」に頼ることはもはや絶望的なほど、無い。ということです。

官僚の責任 (PHP新書)

本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね

本読みな暮らし
私の通勤読書メモ 

2011/11/06

あー「昭和」。あー「下町」。温かい。

ナイン (講談社文庫)
ナイン (講談社文庫)
  • 発売日: 1990/06/08

『ナイン』井上ひさし
[5/192]Library
Amazon ★★★★★
K-amazon ★★★★☆

こういう日本を代表する作家の本は、少なくとも1回は読まなくてはいけないよね。なんとなく縁がなくてこれまで読んでいませんでしたが、どこかの教育雑誌の「小学高学年への推薦図書」に入ってきたのがきっかけで読んでみた。
70年代から80年代にかけての東京。小岩、亀戸、船橋あたり。都心ではなく、高度成長時代に、少しだけ遅れていた地域、すなわち、いい意味での「旧」と、避けられない「新」が、微妙なバランスで成り立っている街が舞台です。短編なのでその背景はまちまちですが、小説家なのか劇作家なのか、とにかく好奇心旺盛のモノカキが、街中で拾う「コネタ」。それがまた「人間」くさいもので、というか、人間の生活そのもの。小説のテーマにもならないようなものではあるけれども、ひとつひとつの会話、行動から、その背景の推察まで、みごとに「小説的」に仕上げています。
そして、短編でありながら、最後にみごとな「オチ」が用意されているのが絶妙。ちょっと皮肉的な、でも人間だから、っていう下町的な、ノスタルジーも含めて、ホッとするようなオチが最後にやってきます。教育系雑誌の「推薦図書」としてはどうかと思うような「大人の」シュールなオチもありました(個人的にはこれが一番面白かった)。
昔を懐かしむ、ってけして悪いことじゃないですよね。昔のいい思い出(いやな思い出は意識的に或いは無意識に消されているかも)だけに固執して、現世を厭うのはどうかと思うけど、今があるのは、昔があるから、という「蓄積」という考え方に気づけば、素直に昔を「受け入れる」ことができれば、今、そして未来、ってその大切さが違ってみえてくると思う。変わらないのは、主人公たる「人」ですよね。周りは進化して、便利になったり、逆に昔を懐かしんだりしても、それらを思う主体は「人」。少なからず「進化」しているかもしれないけれど、人間そのものは変わらない。だから本書にでてくる人間模様は、30年経った今読んでも、温かくて、なんだか(うまくいえないけど)うれしいんだよね。不思議な感覚だけど、「読んでよかった」という読後感です。こういう本を読む、というのが、自分にとってプラスになる。そんな「出会い」を大切にしたいし、積極的に「読むべき本」に出会いにいきたい。

【ことば】...うまく行かないときは、このことばを思い出してください。『困難は分割せよ』。焦ってはなりません。

なんちゃってコンサルがいうと「ウソ臭い」言葉も、かつての教え子に修道士が言い含めて伝える言葉としては重い。ましてそれが「最後の言葉」ともなれば...大事な愛すべき者との別れの際、自分なら何を伝えるだろうか。そこまで貫ける愛はあるだろうか。


ナイン (講談社文庫)

【書評家のご意見】
本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね

keiの日記☆
こんにちは、つきのみどりです

キンちゃんは幸せだったのだろうか...

朱鷺のキンちゃん空を飛ぶ
朱鷺のキンちゃん空を飛ぶ
  • 発売日: 2005/07

『朱鷺のキンちゃん 空を飛ぶ』新井満
[4/191]Library
Amazon ★★★★★
K-amazon ★★★★☆

日本生まれの朱鷺として最後になってしまったキンちゃん。日本じゅうが「保護センター」で大事にしようという方向に進む中、捕獲を任された宇治さんは悩みに悩む。「捕獲」を目的としてキンちゃんに近付く。キンちゃんの「信用」を得ていくのだ。そして最後にはその「信用」を裏切る形での捕獲...キンちゃんより一足先に天国にいった宇治さんと、そのあとに一人残されたキンちゃん。そしてキンちゃんの最期は...
作家、小説家であるから、半分は史実、半分は「小説」である。でも、ところどころにでてくる言葉、
「保護することが、朱鷺にとって幸せなのか」
「人間の犠牲となって絶滅の危機となった朱鷺に、今度は「保護しよう」一色になる身勝手さ」
「自由と生命。どちらが大事なのか、生命あっての自由、これは真実なのか」
絶滅種の話が出てくるたびに思う言葉が並ぶ。人間の身勝手さが克明に現れる。数が少なくなれば「保護」するが、多ければ「利用」する。痛みもなく。この図式では、今後も何も変わらないのではないだろうか。なぜ数が減っていくのか、減らさないためにはどうするのか、という根本的な原因を突き止めること。それとは対極かもしれないが、そもその人間の「保護」の下に絶滅種を救うことは「自然」なのだろうか、というそれこそ究極の課題もあるだろう。
その答えはおいそれと出すものではないだろうが、キンちゃんが保護施設にいたころに、同じ日本生まれの朱鷺が次々に亡くなっていったという現実がある。要因は、野生時代に食べたもの(どじょうとか、川の水とかだろう)に含まれる有毒性の物質が一因だと思われる。それって...野生の朱鷺は、なんの疑いもなく、従来からの食事を従来からの方法で獲っていたわけで....人間側もそれを意図したわけではないにせよ、間接的に朱鷺の数を減らしてしまったことは事実。


さて、人間に当てはめてみる。怖いけど。震災後の原発事故による影響は「(直接的には)心配ない」という「上」からの話がある。が、なんの疑いもなく、従来通りの食事をとり続ける私たち。朱鷺がそうであったような結末を迎えない、とは誰も断言できないはずだ。これまで自分たちが関与してきたことだし。
生命ってどんなものだって尊い。「自然」という、個々の生命の上位概念の傘の下でも、それは軽くなるわけではない。自らが作り出したもので自らを苦しめる、そんな愚かなことができるのは人間しかいないのかもしれないが、未来の教科書にそういう事例が出ないように、祈る。

中国からの「仲間」を見て、キンちゃんは、宇部さんの後を追ったのか。高齢だったので、「衰弱死」と見られたキンちゃんの死因が、実は「事故」であったことはいろいろと考えさせられるところだ。最後の「ニッポニアニッポン」が愚かな人間たちに「メッセージ」を残してくれたような気がする。

【ことば】世の中に、写真は無数に存在する。しかしこの写真ほど悲しい写真を私はみたことがない。

捕獲することが本当に正しいのかどうか、最後まで迷っていた宇治さんがキンちゃんを捕えた場面の写真。キンちゃんはこの瞬間、どんな思いであったのか。でも、キンちゃんだって、いつかわかったのではないかと思う。宇治さんのホントの気持ちを。「捕獲」だけを考えた人ではなく、その瞬間だって「愛」を持っていたことを。

朱鷺のキンちゃん空を飛ぶ

【書評家のご意見】
本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね


ピースな本のバイブスで
気まぐれ読書日記

フランスパンの歴史。メインが「人間」だったらもっと...

ビゴさんのフランスパン物語
ビゴさんのフランスパン物語
  • 発売日: 2000/01/01
  • 売上ランキング: 64141

『ビゴさんのフランスパン物語』塚本有紀
[3/190]Libarary
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

自分の身の回りを見渡しても実感できる。「パン屋さん」或いはそこにあるパンの種類が、自分の子どもの頃と比べると格段に違う。食卓に出てくるパン、給食で出てくるパン、普段出会うことのできるものは「食パン」「アンパン」「カレーパン」がメインだったような記憶。
今や敢えて取り上げるべくもない「フランスパン」を、「閉鎖的な」日本市場にもたらした職人、フィリップ・ビゴの半生或いはその「仕事」への取り組み姿勢を描いた内容です。特に「米」という絶対的な主食を持つ日本の食卓へ、フランスパンの進出はそれはそれはかなりのハードルの高さであったろうと想像されます。ビゴさんは、「日本人にフランスパンを食べてもらいたい」という信念を持ち続け、それを貫き通すことで浸透が進んでいった。たとえば広告宣伝による拡散ではなく、あくまで「本物」を提供し続けてきた、その姿勢まるごとが、日本の食卓への浸透につながった過程が克明に描かれています。ビゴさんのプロフェッショナルな取り組みを軸に、史実的なストーリー展開です。
一部の「失敗事例」はあるものの、進出に関する成功事例、ビゴさんの素晴らしさが中心、というかそれしか書かれていないので、今一つ盛り上がりに欠けるのは事実。というか、「フランスパンの日本における歴史上の最大貢献者」たるビゴさん、そしてその苦労の末の成功という点のダイナミックさ、劇的さが感じられずに、淡々とした「すごいんだろうな」的な感想で終わってしまう可能性も。まあ、これは自分がそれほどパンに興味が深いわけでもなく、また、逆説的にいえば、それだけ、今フランスパンが「当たり前」になった証左かもしれません。
ビゴさんの素敵なところは、「本物を作り上げる」ことの重要性を持ちつつも、「売れる」=多くの人に食べてもらう、という点も同じくらいのウエイトで重要と考えているところ。金もうけではなく、というところが留意点ですが、多くの人に喜ばれることを成果点にあげています。単なる「研究者」タイプではないところが成功の要因のひとつなのかもしれません。
プロである姿勢は、「労働集約」という概念を持たない、或いは時間を犠牲にしてでも品質にこだわる、といった 時間の使い方にも表れています。それゆえの衝突も少なくないのでしょう。プロがプロたるゆえんなのかもしれませんが、「好き」であることが根底にないとできないことでしょう。深夜から始まる仕込みは、開店時のお客様の笑顔で癒されるのかもしれませんが、それの代償もあるはずです。このあたりはプロ意識のなせる技という表面と、もう一方の「負」の部分にもふれてあると、「プラス面」が浮かびあがるのかも。いいことばかり、だと「何かあるんでね?」と思ってしまうひねくれ者の考え方かもしれませんけれどもね。
残念ながらビゴさんのお店が近くにないのですが、機会があれば寄ってみたいです。食べてみたい。他のパン(屋)との違いを感じるのかな。多分感じないくらい「自然」に「日本食」になっているような味なんだろうと思います。

【ことば】収支に振りまわされていたら、食にたずさわる人間として見落とすものがあるかもしれないと思う...

ビゴさんの影響を受けて「本物」のパンを売る店を営む経営者。仕入の素材からのこだわり、「できるだけ生産者に近い形で」モノつくりをしようとする意気込み。もちろん「収支」は大事なんだろうけれど、それが第一優先には来ないことが大事なんだろうと思う。これが「プロ」だ。

ビゴさんのフランスパン物語

【書評家のご意見】
本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね


VISION 
素顔のままで

2011/11/04

ホラー、というより、ファンタジー

チヨ子 (光文社文庫)
チヨ子 (光文社文庫)
  • 発売日: 2011/07/12

『チヨ子』宮部みゆき
[2/189]bk1
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

80~90年代の宮部さんの本はよく読んでいた。こんなにメジャーになる前の時代、『レベル7』とか『龍は眠る』とか。独特のストーリー展開と、主人公の心理描写の妙とか、すごく面白かった。しばらく「小説」というフィールドから離れてしまった(自分が)こともあって、久々の宮部本でした。
「いきなり文庫化」というのが話題のひとつらしいけれども、読み手としてはあまり惹かれない。短編集で、すぐに「オチ」が来てしまうところに、いまひとつ物足りなさを感じたけれども、心理描写や、テーマの発想はさすがだと思った。本書のテーマは、「超常現象を題材にした珠玉のホラー&ファンタジー」ということらしいが、全体を通じて、「ホラー」の感じはあまりしない。表題作「チヨ子」がそうであるように、「ファンタジー」という言葉の方が強く感じる。
アルバイトで着ぐるみを被ることになった大学生が、その着ぐるみの内側から見える世界は...そして、その「超常現象」体験から何を思い出し、自分の中に眠っていた何を引き出して、「現象」前の自分とは違う、言ってみれば本来の自分になっている...という爽快なストーリーである。
どの編にも、「死」という暗い、できれば避けたいテーマがある。それを直接、あるいは間接に経験した人物が主人公であり、その「重さ」を持ち合わせた心理が描かれる。自分がそういう立場になったことはないし、あくまでも「小説の世界」ではあるのだけれども、引き込まれる展開であることは確か。「読み進める」楽しさを、具現化する文章は、稀代のプロという感じですね。
重いテーマを扱っているけれども、読後感はサラっとしています。最後の短編は少しその「重さ」が強すぎたけれども、全体を通じての印象はそう。ただ、個人的には、宮部さんの小説は、いろいろな伏線が絡まりあって、最後の最後はどうなるのか、っていうワクワク感を楽しみにしているところがあるので、短編ではそのあたりがやや不満かも。「300ページあっても(続きが気になって)時間を忘れて読んでしまう」という体験を、も一度してみたいなあって、改めて思っちゃいましたね。
年頃の娘を持つ父親の話、インターネットからの情報がキーになる話、学生時代の、そのころだからこその行動が「答え」である話、改めてみてみれば、身近な題材でもあるわけですね。そこも「読む人の背景」とある程度合致してストーリーに入りやすい要因でもあるのかもしれません。小説家って、超一流の小説家って、すごいですね。

【ことば】...現代もので書いてたネタの方向を変えて時代もので書いたり...百均のお店で置き場所を変えるみたいな、そういうことをしながら書くのが楽しい。

著者自らの言葉です。ここら辺に「発想」の広がりがあるんでしょうね。既成概念にとらわれず、「置き場所」を変えることで新しいものになる。それらの根底には「書くことが楽しい」というマインドが ある。プロでなくてもできることだけど、プロゆえに実行していることでもある。

チヨ子 (光文社文庫)

【書評家のご意見】
本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね


三軒茶屋 別館 
映画と読書とタバコは止めないぞ!と思ってましたが

2011/11/03

「普遍的」とはこういうことか

君たちはどう生きるか (岩波文庫)
君たちはどう生きるか (岩波文庫)
  • 発売日: 1982/11/16

『君たちはどう生きるか』吉野源三郎
[1/188]bk1
Amazon ★★★★★
K-amazon ★★★★☆

まだ読んでいなかったことが珍しいくらいの名著は、1930年代に書かれたものとは思えないほど、刺激的でした。多感な時期(中学から高校)を迎え、社会との接触が多くなりはじめる時期に遭遇する「事件」それに伴う「悩み」、 おじさんから「深い」アドバイスを得て、それを糧に成長する姿...
もちろん今の自分は、おじさん=アドバイスをする側の年齢(あ、それを優に超えているわ...)、立場であり、本来の本書は「若者」に向けてのメッセージであろうとは思う。その点からいえば、年長者として、『おじさん』のように、深みのある、相手に考えさせるような、或いは、数年後、成人した後になって意味がわかってくるような、そんなアドバイスができているのか?という(強い)疑念が生じる。単純な「その場」のアドバイスはできていても、「未来のため」の話はできているのだろうか。確かに職場という場面においては「その場」のケースが多いのだけれども、家庭(親から子へ)と同様に、「未来」という点も必要であろうと思う。イメージとして「職人」のフィールドに近いのかもしれないけれども、必要なことだよね。
あまりにもこの本を読むのが遅くなりすぎたので、そういう「大人」になりきれているのか、という(本書の直接的なメッセージとは異なる)ところに視点が行きつつあったが、途中から、主人公たる「少年」の立場に移転していった。すなわち、おじさんのアドバイスを「聞く」側にアタマが寄ってきてしまった。過ちとそれに縛られる苦悩、いろいろな(自らとは異なる)環境にある友人とのつながり、生命の尊さと力強さ、人間とは生きるとは何かという概念、少年時代に初めて触れる社会の中で戸惑いながら、左右に揺れながらも、周りの人の支えを感じながら、目はまっすぐに前を見据える。そんな姿勢は、考えてみれば、少年時代特有のものではない。大人になっても、もっと大人になっても、そんなことに当たってしまうことは多々あるのだ。その時に感じることも、本書に出てくる少年と同じ、周りの人たちの支えだったり、挫折から得られる力強さだったり、するわけで。
本書の少年のごとく、おじさんからメッセージを素直に受け入れていこうと思った。「成長」のシロは、確かに少ないけれど、まだ「終わり」ではない、はず。だから「少年」のように、前を向いて進んで行こう、って思う。早く読めばよかったと思いつつも、今読んだからよかった、とも思う。名著って、普遍的だ。

【ことば】君は、毎日の生活に必要な品物ということから考えると...なに一つ生産していない。しかし、自分では気づかないうちに、ほかの点で、ある大きなものを、日々生み出しているのだ...誰でも、一生のうちに必ずこの答えを見つけなくてはならない...


この世に生を受けた人間として、どのような価値を生み出していくのか。何を誰にどんなふうに。もう生み出されているのかもしれないし、これからなのかもしれない。この答えを見つけるまでは、前に進んでいかなくてはならない、ね。


 君たちはどう生きるか (岩波文庫)


 【書評家のご意見】
本書の書評、見つけました!いろいろな意見、読み方があってもいいですよね


ふるちんの「頭の中は魑魅魍魎」
人生、金じゃねぇ

Twitter