2011/08/31

「報道」の役割の本質が。

小泉の勝利 メディアの敗北
小泉の勝利 メディアの敗北
  • 発売日: 2006/11/25

『小泉の勝利 メディアの敗北』上杉隆
[16/156]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆

小泉首相時代と「その後」を比べてみると、その違いに改めて驚く。もちろん社会情勢が大きく違うし、政権党も違う、そして「その後」の総理の座についた方たちの資質もあるだろう。そしてメディア。小泉さん時代もそうだったのかもしれないけれど、「持ちあげて落とす」というまるでぱっとでの芸能人のような扱いの延長戦に、我が国の総理大臣は並べられてしまっているようだ。
著者のお名前は存じませんでしたが(失礼)、かなりの「プロ」の執筆者であることは感じる。本書では、小泉政権の内部についての記述はあるが、どちらかといえば、その時の政権に対するマスメディアの取るべき立ち位置、という視点で書かれているのが力強い。ご本人の意に沿わない形だったと思うけれども、「小泉後」の人事について、誤った記事を書いたその記事を掲載したり。それが結果的に間違いだった、ということよりも、そもそも「後継」を想像して記事にすること自体の無意味さを感じたり。
日本の総理大臣は、我々ひとりひとりの代表。直接選ぶことはできないが、その人に託し、その人の言葉を信じて、やっていくしかない。キレイごとだけども、本来はそういうこと。駄目なときはそれを指摘する必要があるし、それを伝えるのが「ジャーナリズム」だったりするわけで。そういう意味では(本来、国民を代表して国のことを考えるべき)メディアに携わる人のポジションは重い。一市民としてはそこからの情報しかない、という明らかな情報格差があるわけだから。
ちょうど、与党民主党の代表選が行われたが、当の与党もそうだし、伝える指摘すべきメディアも相変わらず「人事」だけの問題に終始して、誰がどうなんだか、まったく伝わってこなかった現実。街中で新代表の印象や期待の言葉を拾ったところで、メディアのコンテンツにしかならないし、好き嫌いのレベルしか発信できない。見方を変えれば、誰がトップに立とうと、極論すれば、政治がうまくいっていれば関係ないし、そもそもそんなこと(人事)が気にならないようなレベルまで政治が高まればいいと思っているんだけどね。市民は目の前の自分のことでいっぱいですよ。政治家はそのレベルではないはずだし、そんな市民の代弁者であることを改めて意識していただければなあ、って(えらそうに)思ったりします。そしてそのチェック機能としてのメディアは、本来の立ち位置を取り戻してほしい。確かに「人事」記事はヨミモノとして面白いけれども、誰かの「院政」とかの話しを読んでも、どうにもならないもどかしさ、やるせなさが残るだけ。
署名記事についても書かれていて、記事を書いた人の名前を明かさないのは日本のメディアだけだとか、「政府関係者」「党幹部」とか、曖昧な「オフレコ」が記事として成立しているのは、確かに不信感ですね。だって、私たちの代表でしょ?「センセイ」なんて呼ばれちゃうと勘違いするんだろうかね。政治家先生たちが劇的に変わることは考えにくいので、著者のような「するどい」視点で、明確にアウトプットできるメディアに期待するしかありません。よくもわるくも景気や元気を左右するのは、政治家よりも「メディア」ですから。

【ことば】小泉純一郎の演技に台本の類は一切なく、いかなる窮地でも、彼はすべてアドリブで通した。

そこが「小泉」前、そして後との大きな違いでしょう。小泉首相以外はすべて「台本」ありき、という感じがします。しかも他の人が書いたもの。魅力を訴えるのは、「自分の言葉」ですよね。国の代表がそのくらいのレベルに達していないことは悲しいことです。

小泉の勝利 メディアの敗北

2011/08/30

「クールジャパン」はそれだけじゃない。


『世界が絶賛する「メイド・バイ・ジャパン』川口盛之助
[15/155]bk1
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

いわゆる「サブカルチャー」と呼ばれる分野で、日本の世界進出が目覚ましい。アニメ、フィギュアなどが頭に浮かぶ。おそらくそれらの分野にも詳しい著者が、日本の「伝統の」モノヅクリを深堀した内容です。
個人的には、その分野はあまり詳しくないし、興味も薄いんだけど、否定するものではない。もちろん日本には「伝統」的な芸能や技術があるけれども、たとえば能とか歌舞伎が偉くてアニメは低い、ということはない。著者も書かれているように、日本には日本のいい面、長く培ってきた国民性のようなものがあって、それが「文化」として表出して、それを「輸出」していく局面だと思う。当然ながら、こちらが輸出したくても、それは受け入れる相手があることだから、日本以外の人々がどのような価値観を持っているかによる。今現在外国に受け入れられているのは、特に「外国仕様」を最初から企てたものではなくて、日本で(一部の領域であっても)受け入れられたものが、外国「にも」受け入れてもらえた結果だろうと思う。そもそも日本国内でも「ニッチ」であるものの方が元気があるように見えるのは、メディアの取り上げ方、によるものか...
大きく考えれば、日本には世界に認められた「技術」がある。自動車然り、工業技術然りである。もちろんこれらも「輸出」されているのだが、これはすでに「あたりまえ」の領域、なのかな。個人的な考えとしては、もっと「技術移転」が盛んになればいいなあ、と思う。詳しくはしらないけれども、金銭の援助の枠を増やすよりも、現地用にカスタマイズされた技術を移転するほうが、「貢献」度合が大きいような気がするねー。
そして、自分の幼少の時期と比べると、「日本人」の世界市場でのアクティビティが変化したように思う。オリンピックなどで活躍するスポーツ選手の言葉、振る舞い。これが(テレビというメディアを通じて、しかわからないけれど)一番顕著で、体力的な差異は埋められない部分はあるものの、精神的な差異は随分と縮まったように見える。アジア諸国の猛追をうけてはいるけれども、彼らの「世界を相手に闘うときのパフォーマンス」は、その精神面からみると、けして世界でも劣っているものではない、そう感じる。特に若いアスリートに関しては。
本書は、大部分が「ニッチなモノヅクリ」に焦点が当てられていて、それはそれで面白いんだけど、テーマとしてもっと大きく、「人間」にスポットが当てられたものもあってよかったかなあって思う。確かに「日本(人)ならではの発想」によるモノヅクリは、とても興味深いヨミモノでした。「ワビサビ」っていう概念かな。「共感」という意識かな。日本人であることを意識することから始まるものかもしれませんね。

【ことば】...結果の勝ち負けではなく、美しい物語があったかどうかというプロセス重視の考え方です。

日本人「独特」の勝負感、敗者の美学、滅びの美学を語った場面です。「勝てる」場面で戦う、という外国人(決めつけてはいけませんが)とはちょっと違う「美学」ですね。最近は「勝つ」以外のことは無駄、と考える風潮もあります。が、ごく最近はそしてこれからはこの美学に「揺り戻し」が起こるのでは...と何の根拠もなく思っております... 世界が絶賛する「メイド・バイ・ジャパン」 (ソフトバンク新書)

2011/08/26

「広告」が変化してきていることを改めて感じる


『「買う気」の法則』山本直人
[14/154]BookOff
Amazon ★★★☆☆
K-amazon ★★★★☆

少なからず「広告」に携わっていて(広告主として)、そして少なからず「広告のありかた」に変化を感じつつある中で、結構その「本質」を突いているなあ、と感じた内容です。
消費者として「広告」に接してきた経験と、そして広告主としてそれに接している経験と、両方の立場を経験して、その立場の違いだけではなく、広告そのものの位置づけや、意味が変わってきていると(なんとなく)感じている。もちろん世の中の経済状況の変化もあるけれども、広告で見るモノ=いいモノ、買うべきモノであった時代は確かにあった。逆にいえば、広告で見たこともないような「ブランド」は、それだけで信用度が下がるというか。広告で「興味」が喚起された時代もあった。情報がそれ(広告)に限られていた、ということもあったね。
自分が広告主の立場になる頃とほぼ同時期に、広告を含めた「情報」の流れ方が変わってきた。それはネットの普及であったり、「モノアマリ」時代への突入であったり、様々な要因があるだろう。それを回顧しても前に進めない。「今」を考えれば、「マス広告」で広く、不特定多数を対象としたメッセージは、届きにくくなっていることは間違いない。ある程度の「特化した層」に向けてのメッセージ、いわゆる「とがった」ものが、届きやすくなっているのだろう。それは少数かもしれないけれども、「マス」の中からの少数なのか、限定された枠の中での「多数」なのか、の違いだけかもしれない。前者はマス広告、後者はネットに代表される「ニッチ」マーケティングということになるのか。
だからといって「マス」を止めれば済む問題でもないんだよね。何がささるかまったくわからない、昨日届いた手法が今日届くとは限らない。結局は接触回数だったりするんだろうけれど。
本書は、広告側にいた著者が、広告側と広告主側、そして(ここが大事)広告の「受け手側」からのアプローチを多角的に分析。そもそも無理がある話だけど、広告手法をその財・サービスによってカテゴライズするような試みもあるけれど、「購買時の慎重度」と「長期関与者の存在」でのマトリクスはなかなか面白いです。つい「自分の関わる場はどこなのか」と自分に置き換えてしまいます。その分析の視点も読みごたえがありますが、どちらかというと「広告」に対して俯瞰的にみる視点が、著者の考え方の深さを感じます。「ブランド」というテーマにおいて、「ブランドが確立しているから高くても売れる」という、どこにでもある論ではなくて、「ブランドが確立しているから安くても売れる」という視点がウロコでした。ホンダというブランドが送り出したインサイトも、「安くてもブランドがあるから安心」という点でブレイク。セブンプレミアムについても、「安くてもブランド」という図式があります。こういう時代の流れを受け入れたうえで、ブランドのない企業は考えを組み立てないと、「ブランディング」構築の設計に誤りが生じる可能性があるなあ、と実感。確かに消費者からみれば「安くてもブランドで安心」という意味での「ブランディング」のほうが、今の時代、響きます。
「広告」とは少し離れますが、マスメディアのレベル低下についても本質を突きます。政治も国際問題も、「台風情報」と同じ切り口であると。つまり多角的な報道をせず、解決の方向を提示することもない。そのテーマを画一的に「情報」提供するだけ。真実ですねー。政治報道も「人事」だけだし、芸能も社会も、同じ切り口。これでは視聴者が離れるし(制作側も「自分でも見たい」モノを作っているとは思えないI)、そんなメディアの中での「マス広告」は、従来の手法では意味のないもの、或いは逆効果になるリスクも高いだろう。
結構「実務的に」考えさせられる内容がある。何よりも広告側の視点だけではなく俯瞰してみているのがポイント。広告に携わる者として読む価値、高いです。

【ことば】一番気をつけなければならないのは「囲い込み」という発想だと思う。モノの価値が消費者発信の情報で決められていくのだから、囲い込めるわけがない。

「王道」と呼ばれている囲い込みだが、あくまで消費者自信が納得してうえで「囲い込まれる」状況でなければならず、 起業都合の「囲い込み」は、その手法をいくら考えたところで無理が生じる。そうだよね。決めるのは消費者側。当たり前のことを見失っている気がする。 「買う気」の法則 広告崩壊時代のマーケティング戦略 (アスキー新書)

2011/08/24

必要なのは「場数」と「陽転思考」。


『本番力』和田裕美④
[13/153]bk1
Amazon ★★★★★
K-amazon ★★★☆☆

ご本人が実施されているセミナーなど、「知らない人の前で話す」本番で、いかに力を出すか、出し切るか、という秘訣を集めた内容です。(以前は何度かありましたが)自分にとってこのような「場」は今現在はあまり出会うことはないのですが、通常の業務の中でも、或いは家族に対しても、考えてみれば「相手があって、伝えたいことがあって」という常に「本番」なわけですよね。
和田さんの本は4冊目ですが、「自分はそんなことできない人間」であって、それを乗り越えて今に至る、という話のベースはあまり変わりません。そして、その内容が(自分にとって)非常に分かりやすく、伝わってくる、という書き方も。これって素晴らしいことですよね。もちろん意識はされているのでしょうけれども、本書の中で書かれていたように、「準備」を、仮に無駄になったとしても十分に整えて、そして「相手の気持ちを考えて」話す、という姿勢が、本の書き方にも自然に現れてくるのだと思います。さらっと「自分の苦労時代」の話もされますが、それを乗り越えて今がある、という流れですが、乗り越えたのは、並大抵の努力ではなかったはずです。陽転思考、つまりひとつの物事でも二つの側面から見る、という著者の考え方の根っこにあるものも、「そうだね」といって身につくものではない、これも試行錯誤、努力と継続のたまもの、ということを感じます。
本書のテーマ「本番力」でいえば、「本番の自分」という箇所に「同意」を持ちました。どんな場面でも通常の自分を出す、ではなくて、アガる、緊張する自分も間違いなく自分であって、その緊張感を持った自分を(いつもと違う自分、と思わずに)受け入れて、そこで最大限のパフォーマンスを出す、そんな考え方。緊張していて自分の力を出せなかった、ではなくて、緊張していても十分力をだすように、そんな考えで、努力、準備を怠らない、そんな考えだと思われます。
副題に「~本番に強い人は必ずやっている26の習慣」とあります。最近(はやり?)この手のTIP集が多く、著者自身も初めての手法ではないはずで、多少新鮮味がない印象はありますが...著者の場合は「テクニック」というよりは、意識ひとつでできる「TIP」という側面が多く、またご自身で実行されてきたことでもあるので、そこいらのコンサル先生の言うことよりは現実的で説得力もあります。
同年代として尊敬できる方ですね。その根底にあるものは「人への思い」であることを本書で改めて感じましたです。

【ことば】自分に嘘をつかず、人が見ていないところでこそ努力する。

深い、です。そして難しい、です。でも「生きていく」のは、こんなことをできること、なんだと思う。「人が見ていないところで」、大きな意味で「(直接の)見返りを求めずに」と解釈すれば、すなわちこれは「愛」ですね。


本番力 〜 本番に強い人が必ずやっている26の習慣

電子書籍は「本」であるのか?...って意味あるのかな

本は、これから (岩波新書)
本は、これから (岩波新書)
  • 発売日: 2010/11/20

『本は、これから』池澤夏樹
[12/152]BookOff
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

作家はもちろん、書店員、装丁家、図書館員、そして読者と様々な立場から、「本は、これから...」を語る。内容の多くは、というかすべては、「電子書籍の台頭による『本』の未来は...」というテーマ。驚異に感じている方、結局内容だという方、紙がすたれることはないという方、使い分けることができるという方。(『本』の世界の)それぞれの分野におけるプロフェッショナルが、それぞれの考えを語る。
個人的には、蔵書をそれほど持つわけではなく、スペースという電子書籍の優位性のひとつを重視していないので、正直なところあまりそれには興味がない。あきらかに「紙」派である。が、デバイスのひとつとしての読書ツールに対しては否定する気もない。駅や電車でiPadで読んでいる人を見ると多少の違和感を感じるけれども、「自分は紙の本を読む」ということに迷いは生じていない。本書の中にもあったけれども、紙をめくる、読んだページ数や残りページ数の「厚さ」を感じる、ということが好きなので、電子書籍の「○ページ」という数字では得られない「快感」がある以上は、自分は変わらないと思う。たとえば前に読んだところを参照したくなった場合でも、「確かこの最初から3mmくらいのところに...」といって探すのも、これもフェチ的に楽しいものであるので...
雑誌とかビジュアルを伴うものは電子辞書で、とか「使い分ける」話も出てきましたが、自分にとってはあまり魅力を感じません。というわけで、「自分にとっては」否定派ですが、きっと「そっち」のほうが断然使いやすいということもあるのでしょうし、何かのきっかけで「電子書籍派」にコンバートする可能性だってあると思っている。それはそれでいいじゃない?読むのは内容だし、ね。
総勢37名の「本」に関するエッセイ。テーマは「本は、これから」というところだが、立場は違えど、何らかの形で「本」に接している方々、皆様の「本好き」の熱さには素敵な感覚を覚えます。そして功なり名をなした方々ですから、そこ(読書)から得たものを確実にアウトプットされ続けていらっしゃる姿には尊敬いたします。どちらかといえば、表現の硬軟あれど、「本が大好き!」という、少年のような心を感じました。こちらの側面の方が読んでいて楽しかった。
37人もの「モノ言う方々」が揃うと、それはそれで圧巻なのですが、一部はなんだか難しい表現を並べて何を言いたいのか分からないエッセイもあり、書店員さんの話で、その書店に行きたくなっちゃう話もあり。そんな中で池上彰さんは、さすがに分かりやすい、「届く」エッセイになっているなあ、と改めてそのすごさを感じました。
自分は当分電子系は使わない予定ですが、肯定派も否定派も関係なく読める本ではないかなあ。それぞれの「本好き」の話として。

【ことば】...書棚に収めることを第一の趣味としている...(成毛眞さん)

もちろん本来の目的ではないと思うけれども、集める、並べる、見入る、悦にいる、ということを「紙」の優位性にあげている方が数人。読み返す必要のあるなしにかかわらず、ということ。なんとなくわかります。コレクターの領域ですよね。コレクションも「電子化」されつつあるので、この概念も変わっていくんだろうか...

本は、これから (岩波新書)

2011/08/20

キーワードは「プロフェッショナル」

社会貢献でメシを食う
社会貢献でメシを食う
  • 発売日: 2010/09/10
『社会貢献でメシを食う』竹井善昭
[11/151]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

「社会貢献」と言うと、「ボランティア」を想像してしまう発想はもう前時代的のよう。前に読んだ『チェンジメーカー』と偶然にも内容として一致する部分は多いのだけれど、「ビジネスの手法を以て、社会貢献する」というのは、NPO、NGOのみならず、企業においても革新的な動きをするところは出てきているようです。一昔はやった「CSR」というのともまたひとつレベルが異なるようで、従来のCSRは「ボランティア」に近いイメージ、すなわち「寄付金」レベルのことが多かった。それが、ボルヴィックの「1L for 10L」が一番いい例だと思いますが、本業と社会貢献が一致する、ようなアクティビティに変わってきているようです。最終的には本業における利益、ということなのでしょうが、収支面から言えば「間接的な効果」しかもかなり遠い「間接」ということになりますね。ブランディング、という言葉だけでもないような気もします。そこには、あくまでも「社会貢献」という「ゴール」が(「サブゴール」ではなく)存在している、その最終的な結果としての本業への寄与...というイメージがあります。順位、順序、の変化、ということ。本業利益のための(表面的な)CSR、というものは通用しないレンジにすでに入っているようです。
本書は、これから社会に出る若者へのメッセージ、NPO、NGOの実態、実情を解説しており、さながら「就職活動にむけての特定業界研究」のよう。若者をとおに過ぎた自分としては「時代は変わったなあ」という遠い視点を持ちつつも、「社会貢献」「社会起業」という概念について、自分の今、に置き換えてみる。それこそ自分が就職活動の頃の社会貢献は、イコール「ボランティア」であり、その後「介護業界」が一定規模になってからも、その業界のイメージはやはりボランティアであり、或いは「自己犠牲」であった。本書でも指摘があったけれども、2006年のグラミン銀行(ユヌス博士)のノーベル賞受賞あたりから、なのか、この世界のイメージも実態も大きく変わり始めたようです。まだ数年しか経っていない「業界」なのかも。
全般的には若者、学生向けの内容ですが、「社会人向け」の記述もあって、「プロボノ」という働き方が紹介されています。初めて聞く言葉だったのですが、本業で培った技術を、NPOなどへ無償で提供する、ということ。たとえば、広告代理店にお勤めの方が、当該NPOのブランディングについてノウハウを提供するとか、弁護士さんが、NPO法人立ち上げに無償協力するとか。この考え方、素敵ですね。「プロボノ」なる言葉や、そんな「働き方」があるとは知りませんでした。要研究。
このプロボノ参加にしても、体まるごとNPOで働くにしても、必要なのは「プロであること」と著者が何度も主張されています。技術も意識も「プロ」であること。その「プロ」部分を社会貢献として惜しみなく提供すること。そりゃそうですね。社会貢献xビジネス、どちらであっても同じことですが、「熱意」や「覚悟」を含めて、プロフェッショナルでなければ、成功はしません。当たり前ですが、まずは(どんな場であろうと)「プロ」になること、これですねー。

【ことば】どのような道を選んでも、社会貢献の先にある目的は同じだ。それは希望である。

(勝手なイメージですが)従来の「ボランティア」に関しては、「誰かの絶望に寄りそう」というイメージが一部ありました。同じ事象なのかもしれませんが、著者のいうように「希望」に光を当て、それを共に追い求めていく。これが本質なのだと、感動した言葉。

社会貢献でメシを食う

2011/08/18

結果的に「正しい」ものは...


『なぜ正直者は得をするのか』藤井聡
[10/150]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

成果主義、拝金主義にみられるような「利己的な」考え方は、一時的には成功するようにみえるが、結果は...最終的には「正直者」=利他主義、非利己主義の考え方をする者が幸せになりうる、という論です。どちらかというと、「なぜ利己主義は生き残れないか」という説明に多くを割いますが、なぜそれらの者が淘汰されるかというと、ひとこと=「嫌われるから」ということ。利己主義の塊のようなタイプは周りに人が寄ってこない、非利己主義に装ってもばれる...という極めてシンプルな理由づけです。
まあ、確かに。自分の周りを見てもわかりますよね。「あいつは自分のことしか考えていない」ってのは好かれるタイプではありません。すき好んで寄って行こうと思いません。またそれを少し拡張して考えれば、そういったタイプの多い組織(企業体も国家も)は、最終的には消滅する、或いは、利他主義を貫く組織が生き残る、という説明もあります。これも感覚としてよくわかります。著者はその原因として政府が推し進める構造改革や民営化といったものをあげています。大きな時代の流れ、なのでしょうけれども、その「構造改革」が利己主義思想を強化している、というのは、正直よくわかりませんが、営利企業であっても、「拝金主義」は嫌われるし、(一時的な成功を成し遂げても)その本質がいずれバレる、というのは、確かにそう思います。
消滅した古代文明を事例にあげて、そうならないためには「協調」する意識を持つ構成員の比率が高いこと、という条件をあげていますが、同じく著者が主張する「そうして変えていかないと、一部の利己主義が存在することで(利他主義を含めた)組織全体が消滅する」という危険性。こわいですね。レベルの差こそあれ、営利企業である以上は、ある程度の「拝金主義」であることは間違いないでしょう。考え方だけでも「(利他主義的な)活動の結果としての利益」という概念があれば、随分と変わってくるのかもしれません。そういう考え方がいつかきっと表にでてくる、という夢がなければツライよね。「仕事は金をもらうためだけ」というには、それに割く時間を考えたらあまりにもツラい。本書で貫かれているように、「利己主義」がいずれ退却する、ということを信じていくしか...

【ことば】我が国は...様々な形の“協力”を社会的に行い続けてきた...そうした“人々の協力”がなければ、現在私たちが“日本”と呼んでいる国そのものが、滅亡していたかもしれない。

日本人には、その根底に「協力」という概念を持った民族である、ということ。表面的な成果主義、拝金主義を受け入れてそれに邁進するよりは、もともと「持っている力」を発揮すること、これが大事かもしれない。なんとなく、だけど、「風向き」が変わってきているような気もする。

なぜ正直者は得をするのか―「損」と「得」のジレンマ (幻冬舎新書)

2011/08/15

「ひねり」がうれしい。「ういっと」がきいてる名文集。

名文どろぼう (文春新書)
名文どろぼう (文春新書)
  • 発売日: 2010/03

『名文どろぼう』竹内政明
[9/149]bk1
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆

落語家から政治家まで、広く残された「名言」。記者という職業からか、著者の「選択基準」の幅は広い。掲載された「名言」を貫いているもの、それは「ユーモア」。日本語でどう表現すればいいのかわからないけれど、「とんちがきいてる」くらいでしょうか。
生きるってツライこともあるけれども、みんな頑張ってるよ、だから肩の力を抜いて気楽に、でも一所懸命いこうよ。
っていう感じが全編にわたって感じられる。気のきいた「アメリカンジョーク」とはまた一味違う、「市井の出来事」がベースになっていて、悲しい中にもちょっとだけ笑いがあるような、温かい気持ちが少しわいてくるような、読んでいても楽しくなるものが多い。落語家はもちろん、政治家も、考えてみれば「言葉」を操ることが大事だよね。発する言葉で、(言葉だけではなくタイミングも重要ですが)勢いが増すこともあれば、失速することも多い。最近は「失速」のほうのリスクにかなり偏重して、「おもしろい」ものが少ないような気もします。表面的に「失言」をあげつらう傾向が強まる中、おもしろくもなんともない「無難」な言葉が選ばれるんでしょうね。変に「統制」されたものですらあるような...
ちょっと前に読んだ『日本人の叡智』も「名文」ですが、どちらかといえば、「こんな時代から本質的な言葉を発していた日本人がいたんだ!すごい!」といったものであるのに対して、本書は、庶民的な観点から「おー、うまいなー」というものが集まっています。著者が軽快に「はさむ」言葉もエンターテイメント。さすが記者、ここが本書の「おもしろさ」を増幅させていることは間違いありません。
ここから何か感銘を受けるとか、使ってみようか、とか、そういうことは正直ありません。その言葉をママ使ったところで、環境が違います。普段からモノを考えている人、彼らが発したその場の当意即妙の言葉であるからこそ、どこかに知性を感じる「軽い」けど重い言葉になっています。
読み物として楽しめます。あとはそういう言葉を残してきた方々のバックボーンを想像しながら、「こーゆー時にこーゆー表現ができるって素晴らしい」と素直に感激するような読み方が、一番適しているかと思われます。もちろん、それを敏感に感じ取れる著者の幅の広さ、その幅の広さをなし得た活動フィールドの広さを尊敬しながら。

【ことば】多くの人は運を貯蓄していって、どこかで消費型の男が現れて花を咲かせる。...我々は三代か五代後の子孫のために、こつこつうんを貯め込むことになるか。

色川武大さんの言葉。この境地に立てることが「ひととして」重要かと思う。自分の子供に対してはなんら問題はない。よろこんで運を渡したい。そして自分の子供以外、出会った魅力的な人たちに...こちらはまだまだ要努力。


名文どろぼう (文春新書)

2011/08/14

「先送り」...キーワードですね。


『先送りできない日本』池上彰⑥
[8/148]BookOff
Amazon ★★★☆☆
K-amazon ★★★☆☆

民主党政権、官僚、外交、財政赤字、消費税...緊急ではなくとも将来を考えると今から決めなくてはいけない問題があります。農業の問題や、間接税(消費税)の問題は、その時のリーダーは「先送り」にしてきた傾向があります。「次の選挙の」票を減らすことは口にしたくない、という発想「だけ」でしょう。保身のほうが、国家の将来よりも優先順位が高いという姿勢です。高い支持を得た小泉首相ですら消費税の議論を「先送り」しました。(諸々の環境やそもそもの資質の問題はありますが)管首相はTPPや消費税増税の問題を取り上げます。が、そうするとマスコミはじめ「集中攻撃」が始まり、票が減り、身内から「辞めてくれ」と言われ、論点が「人事」にすり替わり、本当の議論は先送り...
しかしながらこの「先送り体質」を超えるような事態が生じています。震災、原発事故。この事態は時間を争うものであり、これまでのような保身や党利などを考えているひまもありません。 与党野党、マスコミもすべてひとつのこと=復興支援、事故終息に向けてひとつにならねばなりません。
民間は早速動き始めました。「先送り」にすることなく、義援金や節電協力、行動がありました。さて...あまりにも悲しいことに、政治、官僚、そしてマスコミは、ここでも「先送り」体質を抜けられませんでした。首相交代など、相変わらずの「人事」一色。思いつきレベルのようでその質としてはほめられませんが、「動こう」という意思は、皮肉にもリーダーシップを失った首相からしか感じられません。
何度このストーリーを目にしてきたことでしょうかね。民間の方々のアクションに、同じ日本人として「熱い」ものを感じる一方で、「センセイ」たちの動きの悪さっていったら....でもね。おそらく「動かない」方たちばかりではないはず。だって私たちの「代表」でしょ?そのために税金を使っているんでしょ?それを伝えずに「人事」や「上げ足」だけを追いかけるマスメディア、報道のレベルの低さ、でしょうね、問題点は。得に「テレビ」の壊滅的な低レベル。ここが問題ですよね。テレビに出ている著者はそこまでは突っ込めませんよね...
本書の特に政治への批評的なものは、従来の池上さんの論調よりも少し踏み込んだもののように感じました。この論調で「メディア」への批評も聞いてみたいところです。ここにあげられたTPPや中国外交、国際金融、などの問題は、現政府の震災へのバラバラ対応のおかげですっかり「先送り」にされているようです。どう変われば、どう変えればいいんでしょうかね...この「閉そく感」が不況を呼ぶような気がしてなりません。

【ことば】国や行政の助けを待たずに、自分たちでできることから取り組んでいるのです。お上に頼らない、これこそが、日本の未来を切り開くのだと痛感しています。

現実として受け入れる「正解」なのかもしれません。「お上が何かやってくれるはず」という考え自体が、人任せ、先送り、ですね...一市民であっても自ら「動く」ことしかない。誰かに...という発想はやめよう。他人は変えられないもんね。

先送りできない日本 ”第二の焼け跡”からの再出発 (角川oneテーマ21)

2011/08/11

素晴らしい!思いつつも「近さ」がない..


『チェンジメーカー』渡邊奈々
[7/147]bk1
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★☆☆

ソーシャルベンチャー=社会的企業家。この文字だけを見てもピンときませんが、世界的な規模で、「弱者」を救うために立ちあがった民間の方々の話です。ボランティア活動と違い、「ビジネス」という側面も持ち合わせているケースが大半。ビジネスであれば当然に「利潤」という話がでてきますが、一般の営利企業とまったく異なるのは「順序」「優先順位」です。彼らは、社会的活動をするための資金としてビジネスをからませる、つまり儲けは手段になっています。昨今のCSRなるお題目はどちらかといえば、(最終的な)「利益」を得るための手段であり、目的はあくまでも儲け、であるように思えます(営利企業である以上、必要なことですが)。
社会のため、自分以外の弱者のために働いている方々の姿は、圧倒的に魅力があります。著者が写真家であるので、各人の紹介の冒頭にその方のポートレイトが掲載されていますが、その時点でもみなさん非常に魅力的な笑顔を見せてくれます。おそらくは、実際に見る、という行為を通すと、写真からでは得られないオーラのようなものが感じられるのでしょう。
表題にあるのは、つまり「社会を変える」「世界を変える」ために行動を起こした人々、という意味。それぞれの活動を通じて、少しずつでも一部からだけでも「変える」ことを実行している方々のインタビューが並びます。正確にいえば、「変える」というよりは「正しい道に直す」ということなのかもしれません。何をもって「正しい」かというのは正解はないかもしれませんが、あくまでも「人としてあるべき姿」を取り戻すための環境作り、支援、といったところ。
前日のように、以前の「ボランティア活動」と異なるところは、その活動が表面的ではなくて、本質的である、ということでしょうか。募金などのボランティア活動を否定するものではけしてありませんが、ここで紹介されている方々は、少なくとも「その現場」に赴いて、同じ空気を吸って、その中から課題に「気づき」、それに対するソリューションを見つけ出そうとしています。その解決策に達する過程ではじめて「ビジネス」が発生する、そんな流れです。
本書の中にもありましたが、当然かもしれませんが、名だたる「営利」企業で勤める場合とは、自らの金銭的な身入りは少ないと思われます。それでも「その差額を上回る達成感、充実感」が得られる、という、これまたこの世に生をうけた人間としての本質的な動機づけによって彼らは活動を続けます。...おもっちゃいるけれどもできない自分のような人間にとっては、現実感が感じられないくらい...情けないですが、「今日のお金」のほうに比重があるのは事実かもしれない。「できることから」って言ってる人が実は何もしていない、ということもあります。言葉よりも先に「思ったら(小さくても)動く」ことが大事なんでしょうね...
著者の活動拠点の関係から、ベースをアメリカに置く方々の活動記録ですので、もちろんこの志に国境はないし、たとえ起点がニューヨークであってもその活動フィールドは「世界」ですから、そんな問題はないのですが、日本人の、かなりドメスティックな日本人の自分としては「遠い世界」の話のようなイメージも持ってしまいまして...この時点で「資格なし」かもしれませんが...ただ、1点。本書に紹介されている方々の多くは70年代生まれであることに刺激を受けてます。年齢だけは「上」の自分としては、なんらか動かねばならない、という刺激を。

【ことば】文部省...を見渡してもどこにも子供の姿が感じられないことに違和感を覚えた...教育にうちて。机上の空論が観念の上でくりかえされているようにしか見えなかった。

「教育」という分野で活動されてる方の言葉。文部省への入省を考えたときの感想です。これでは...ということで自ら立ち上がって行動されています。この省に限ったことではありませんが、これが日本の官僚の現実かもしれません。「現場」を知る、最低限知ろうとする姿勢があるかどうか。


チェンジメーカー~社会起業家が世の中を変える

2011/08/10

日本人は「持っている」なあと実感。

日本人の叡智 (新潮新書)
日本人の叡智 (新潮新書)
  • 発売日: 2011/04

『日本人の叡智』磯田道史
[6/146]BookOff
Amazon ★★★★★
K-amazon ★★★★☆

戦国時代から現代まで、どちらかといえば名を知られていない偉人の言葉を紹介。戦国から江戸、明治維新、昭和の戦争期、今の時代から鑑みれば到底想像すらつかない時代背景の中、「本質」を見抜いて、言葉として残した方々が、こんなにいることに、日本人として自信を持てるような内容です。
特に昭和戦争期には、(これこそ考えられないレベルの)「統制」があったものと思われますが、その中でも「正しい」ことを発信していた人はいるんですね。勝手に想像するに、「思っている」人はいても「言葉に出す」人は、少なかったのではないかと。流れの中でそのような「表面的な」時代の流れと相反するものは、歴史上も「伝わらない」ことが多いのでしょう。実際に、教科書はもちろん、公的な書物であっても見たことのない名前、言葉が多くでてきました。
「歴史」というだけである程度の「重み」を感じてしまう、ということもありますが、どの時代にも「傑物」はいたのだなあ、と思います。そして(敢えてそのような選択をしているのでしょうが)どの言葉も、今現在の世の中に通用します。通用する、というよりも、今のこの時代のために存在している、今のこの時代への提言のような気さえしてくる。時代は変わっても、人々の心や、為政者の振る舞い、などは変わっていない部分もある、ということなのでしょうか...
たいていの場合、「名言集」というものは断片的で「(読み物として)面白くない」ものが多い。それはその言葉が発せられた背景が知り得ないから、というのも一つの理由でしょう。本書は、ひとつひとつの言葉の解説は2ページ見開き完結、と短いながらも、その時代の環境がなんとなく感じられるものになっているので、ひとつひとつの言葉の「重み」を感じながら読み進めることができます。これを支えているのは、著者の「思い」の強さだと思う。歴史の中で埋もれていた言葉を見つけ出し、その背景とともに公開する、タイトルにもあるような「叡智」を感じることができるのは、確かに著者のそんな「思い」があるからだと。ひとつひとつについて多くを語るよりも、短く簡潔に伝えるほうがよほど難しいはず。
これらの言葉を得たことで何が変わるかは、今後の自分次第。ひとつ言えるのは、こういう機会を与えてくれた本書との出会いに感謝したい、ということ。自分の言葉が、もしかしたら後世に残るのかも....ないか。

【ことば】欠点の指摘は...発展や繁栄策とはならない...どうすれば...よくなるか...を言い当ててこそ尊い真の批評で、この批評こそ創作につながる。

1900年代前半の近代漆芸の名工、松田権六の言葉。います、「批判」をして「批評」と考える人が。テレビの中にも身の回りにも。それで何が(次に)生まれるか、ってことを考えてない、自己満足ですね。「受ける」立場からで感じたそのことを、「発信する」立場にも映さねばならないね。


日本人の叡智 (新潮新書)

2011/08/09

コミュニケーションの基本は「食事」なり!


『すごい弁当力!』佐藤剛史
[5/145]bk1
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★★

小学校から大学まで、地域で取り入れられている「弁当の日」。その存在すら知りませんでしたが、これは、学生が「自分で」弁当を作って持参する、という企画。単に弁当を作る、ことではなく、作る過程での「考える」ことや、何よりも、普段お母さんが作ってくれているお弁当に対する感謝の気持ちが芽生える、という点で素晴らしい企画です。
本書は、その弁当の日に絡み、それを経験した方々の感想文がつづられています。食材を選ぶところから「面白い」と感じる方がいたり、他人の目を多少感じることでそれを刺激にして、作る弁当を工夫したり。黙っていても出てくると勘違いしがちな「食事」だけれども、それを作る人の「愛」、栄養を考えて食材を選ぶ、とか、嫌いなものも工夫して食べられるように調理してくれる、といったものを、自然と感じる、感じいることができる「心」を育む。よく耳にする「食育」って、著者の主張するように、こういうものが本質ではないかと感動しました。
思えば、まったく料理をせずに大人になった自分。母親が作ってくれる弁当、食事に文句を言ったこともあるし、残したこともあります。自分が作って自分が食べる、あるいは人に「喜んでもらおうと」考えて作る、その「愛」を心から感じて、感謝の気持ちをもって、それを伝えたことはあったろうか...反省。大反省です。母だけではなくて、カミさんにも。母親は、子供に食べさせるために、食材から考えて料理する。栄養バランスを考えても、ひとつだけ好きなものを弁当にいれてくれる。カミさんは、健康を考えて作ってくれる。食材だけではなくて、その愛も一緒に食べなくてはいけません。
もとより「食事」がコミュニケーションのひとつであることは認識していました。たとえば、会社関係。どちらかといえば「飲み」ですが、同僚も取引先も、「食事」という時間をいっしょに過ごすことで何かが生まれる、というのは自論だったりします。いわゆる「飲みニケーション」という古い考えなのかもしれませんが、これを大事にしたいとは思っておりました。が、肝心のものが抜けていましたね。お母さん、奥さんへの「感謝」を、強く自覚したい。肝に銘じます。
また、家族という場での「食事」。この大切さも描かれています。子供が成長するに従って、共に食卓を囲むことは少なくなるかもしれません。でも、今まだ小さいうちは、極力同じ食卓で食事をしたい。そして子供とともに「弁当の日」を実行してみようと(今は)思っています。著者が繰り返し本書で言われているように、そして著者が講演でも説かれているように、「実行」しなくては意味がありませんね。できるところからやってみたい。そして喜ぶ顔がみたいです。
 本書は「弁当」の作り方や、レシピなどは一切載っていません。そして食事の大切さ、という一番のポイントも押しつけがましく説いていたりもしません。あくまでも「弁当の日」に参加して、「実行」した方々の感想です。それがなによりも真実を語っている。人と人との間をつなぐもの。大事な、ホントに大事なもの「感謝の気持ち」を見つけました。

【ことば】食育だって、環境問題だって、行動が変わらなければ無意味だ。

弁当、食事に関する「ことば」には、感動するもの多数です。が、ここでは敢えてこの「ことば」をあげておきます。自戒を込めて。ここでいう「行動」は「弁当を作ること」ではなく、「感謝の気持ちを持つこと」と捉えています。行動。

すごい弁当力!―子どもが変わる、家族が変わる、社会が変わる

2011/08/08

「人事」は難しい。あたりまえ、のことだけれども。

人材の複雑方程式(日経プレミアシリーズ)
人材の複雑方程式(日経プレミアシリーズ)
  • 発売日: 2010/05/11
『人材の複雑方程式』守島基博
[4/144]BookOff
Amazon ★★★★★
K-amazon ★★★☆☆

現代の「仕事」環境の変化に対応する、人事の在り方、組織の在り方、リーダーの在り方についての論です。ワークライフバランスだの、労働力の流動化だの、諸々「変化」に関するキーワードが飛び交う中で、従来の終身雇用、年功序列から、成果主義に変わっていく中での、組織側での思惑だったり、それに労働(時間)を提供する側としてどういう心構えで臨むか...という「対策」まではあまり深くありません。どちらかというと、「変化の現状」というところの「解説」と考えた方がよいかも。
リーダー不在を嘆く組織が多いが、「リーダーとしての役割」に期待しすぎでは?とか、コンプライアンス重視の傾向の裏には、従業員への「不信」があるのでは?(不信故に、規則で縛る。)とか。「そうだよなあ」って思う箇所は少なくないです。そういう状況に対してどうする、というのは、もちろんその組織にかかわる人がその組織の進むべき方向性に従ってアジャストしていく...まあ、あたりまえ、なんですけれど、そのヒントはなかなか見つかりません。どちらかといえば、そういう世の中の変化に伴って組織としてどのような姿勢、体制が求められるのか、という人事系のヒト向け、なのかな。そこで実際に働く人たちへのメッセージではない、そんな気もします。
もちろん、組織にはその成長に伴って、いろいろな考えの人が集まってくる。その中で集合値を見出すのは
「リーダー」の役目なのでしょう。でも、著者が指摘するように、リーダーの条件としては、その組織である程度の経験値が必要(あった方がよい、レベルかもしれない)だったり、リーダーの地位を魅力的にしていく、という組織としての体制づくりが必要だったりします。その人が入ることだけで劇的に変わる、こともあり得るんでしょうけれども、短期的なものではなく、じっくり中長期的にチームが成長するためには、やはり時間も必要になってきます。サッカーの監督人事を見ていると、あまりにも短期的な「成果」を求めている感じがしますが、短期的な「変化」は誰でもできる可能性はありますが、「成果」が短期的にでるのは、よっぽどの人事か、もしくは「外的な要因を含めた偶然」でしょう。「強いチームを作る」ことは、そして意識を変えていくにはやはりある程度の時間が必要かと思われます。
ただ、リーダーも人間、スタッフも人間です。リーダーをリーダーたらしめるのは、その本人の資質だけではない、という著者の論は、まさにその通りだと思います。成果主義や、職務主義など、いろいろな手法はありますが、それが当てはまるのか、なんて組織、チームによって違うのが当然だし、同じ組織においても数年後には変わってくることもあるのではないかと。「生き物」ですからね、組織も。
いろいろな「複雑さ」を理解したつもりではありますが、今日も「現実」に向かい合う。そのギャップについて「あきらめ」に近い感覚をもってしまう意識が一番よろしくないのかもしれませんね...


【ことば】...ワークライフバランスとは、「ワークとライフの間にコンフリクトのない状態」だと...


どうもこの言葉=ワークライフバランスという概念が理解できずにいますが、著者の考え方には同意です。めいっぱい働くことを自ら「選択」することも、(それで満足であれば)当人にとっては「バランス」なわけですよね。つまり、「上から」何かをすることではない、ということですね。

人材の複雑方程式(日経プレミアシリーズ)

2011/08/05

「男女論」は、どこまでも平行線...

「日本男児」という生き方
「日本男児」という生き方
  • 発売日: 2011/02/22
『「日本男児」という生き方』笹幸恵
[3/143]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★☆☆☆

女性が描く「男性論」というのは、ややもすると一方的で片方の性には受けてももう一方には...ということが起こり得る。女性ジャーナリストが、しかも「日本男児」という言葉を(敢えて?)使ってどんな話を広げるのだろう...そこから何か得られる、という期待よりは、女性から見た男性像、という一般的な興味レベルで読み始める。
著者は、戦地に赴き日本兵の慰霊追悼という活動をされる女性ジャーナリスト。そんな職業があったのか...と思うほど、自分にとっては「異次元」だが、その活動を通じて出会う戦争体験者の姿と、現代の「草食系」と称される男性像とのギャップ、という視点で本書は繰り広げられる。自分にとっても「戦争」はもちろん体感できるものではなく、文字、写真の世界であり、またその「経験者」との交流のほぼ皆無で、その「日本男児」っぷりは実感できない。想像の世界で、「筆舌つくせぬ」体験をされた方のオーラは違う、くらいのイメージ。
確かにそんな方々と現代の「草食系」を比べれば、ひとこと言いたくなるのはわかる。わかるけれども、そもそも比べる対象ではないのかもしれませんね。理想の男性像として「経験者」をあげるのはいいけれども、今の人たちもそうなるべきだとか、そういうのは話が違う。著者もそのあたりを認識したうえで書かれている、とは思うけれども...冒頭に書かれている「かなり好き勝手に書いています」を十分に(素直に、そのままに)理解したうえで読まないと、「現代の」男性読者は、いっきに引いてしまう可能性もあります。いろいろな環境の方との接触がある著者ですが、基本は「女性の私から世の男性にひとこと」というスタンスで書かれており、「女性はこう。男性はこう」という激しい思いこみがベースですので。「女性はこんなふうに見ているのかあ」と俯瞰するような読み方をした方がよいかも。「なんだ、勝手なこと言って」となっては読む時間がもったいない。また、「あー、こういう男になるべきだよなあ」という啓発としては使えません。本書のベースとなっている「経験者」には到底近づけませんからね。
生物学的にみれば、雄雌の役割、というものは当然あって、そこを否定するつもりは全くありませんが、男女の区別、というのを理解した前提で、「人間として」生きる、付き合う。それでいいんだろうねー。そう言ってしまっては、この手の本を読む意味すらなくなりますけれども。男性から見る女性、女性から見る男性、それって多分、いままでもこれからも本質的には変わらないんじゃないかと思う。表面的には「草食」であっても、女性に求めていることは一緒だったりするんじゃないかなあ。
まあ、ここに書かれていることは、「おっしゃるとおり」ということばかりです。「男たるもの」って、男性は少なからず誰にもあるはずで、それなりに「こうなりたい」という像は持っているんですね。でも、人から言われると...ってところもある。正直なところ。


【ことば】努力を続けていけば、それはもう努力ではなくなります。

著者曰く、男が男であるためには「やせ我慢」が必要、ということです。痛みを背負い、泣きごとを言わず、世の中の不条理に耐える。そこに達するプロセスとしての「やせ我慢」、そして「努力」。

「日本男児」という生き方

2011/08/03

「辛口」...というより「偏り」が気になって

いまこそ、日本、繁栄の好機! (WAC BUNKO)
いまこそ、日本、繁栄の好機! (WAC BUNKO)
  • 発売日: 2010/09
『いまこそ、日本、繁栄の好機!』日下公人
[2/142]Library
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★☆☆☆

今の日本、前向きな意味で、このタイトルは刺激的。パラパラ見るにつけ政治的な話(時の政権に対する提言など)も多そうだ。どうも、どこかの雑誌で連載されていたものの集約本みたいなので、時事ネタとしてはずれる可能性があるが...
読み始めて分かったが、著者は独自の「軍備」についてのご意見をお持ちで、「核の保有」なる大変「描きにくい」自論をお持ちのようです。それを保有すること自体に意味を見出しているということではなくて、なぜ保有すべきか、という点ももちろんおさえていらっしゃいますが...その是非はともかく、必ずしも自分の意見とは一致を見ない点についても、そういう意見がある、そういう意見も持っている人がいて、その人の考えを本として見る、というのはある意味ポイント。詳しく知りたい、という興味はないけれども、なぜそういう考え方に至ったのか、という点や、特に政治家やマスコミが「余計なイザコザ回避」のために口にしないことを敢えて本書でおっしゃっているようだ。これはこの方の意見として耳を傾けてもいいと思う。
が、このご時世、というタイミングの悪さであるけれども、「原発、原子力潜水艦をもっと作ればいい」という意見(何回か登場します)がよろしくないイメージとして残ってしまいます。もちろん著者はこのたびの事故を想定せずに書かれているのだと思いますが(今でも同じ主張をされるのか興味深い)、高度な技術で安全性が高まっている、というのが、薄っぺらく感じてしまいます。「東京の犠牲になるのは嫌」という知事はエゴである、旨の記載は、今となっては痛々しい。
直接的で、偏向した(いい意味ですよ)意見が並び、著者自身もいうように「辛口」の時評ではある。その辛口が「イタイ」感じもしないし、ひとつの意見として聞ける(読める)のは、著者自身が「国」のことを考えているから、だろうと思う。本来は持っているのだと思うが、それを表に出さない政治家のセンセたちとはちょっと異なる点だ。かなり一方的な主張ではあるけれども。そんな「辛口」の著者が安倍元首相を「買って」いるのは意外でしたね。安倍さんの考えを肯定する人って、当時も今もあまりいないような感じがしていたので...
過去のコラムをまとめた内容なので、時系列をほぼ考慮しないつくりで、「その時の首相」がかなり前後してしまっているのが、多少読みにくいですが、(繰り返しになりますが)こういう意見を持っている人もいるんだなあ、くらいで読めばすんなり、です。今の「国難」状況をどう考えていらっしゃるのか、聞いてみたい気がします。

【ことば】面倒な事件が起こったときは与野党が一致して首相を支え、またマスコミも国民も覚悟を決めて国難にあたるべきだと思うが、そういうことがまったくない...

まさに、「今」そういう状態です(「事件」ではありませんが)。覚悟を決めて実行しているのは、この言葉のなかでは「国民」だけです。首相を取り換えれば済む、そんな考えは、政治家センセたちとマスコミの中だけ。それらと国民の距離がだいぶ離れてしまいましたね。

いまこそ、日本、繁栄の好機! (WAC BUNKO)

2011/08/01

地位が人を作るのか、そういう人が地位を占めるのか。

『心を整える』長谷部誠
[1/141]bk1
Amazon ★★★★☆
K-amazon ★★★★☆

代表戦だけのファンですが、長谷部選手のことはもちろん知っています。が、「代表」だけを見てきた自分にとっては、彼はとびぬけた技術を持っているのかどうかは分かりません。中田や俊輔などは「うまいなあ」という場面を見ていますけれど、ゲームキャプテンたる長谷部選手はどうなんでしょう?以前は、キャプテンである長谷部選手が後半に交代する場面を目にして、「なぜゲームキャプテンが?」という疑問を持ったこともありました。
評判になっている本書は、長谷部選手の「ありのまま」が語られています。以前に遠藤や俊輔の本を読みましたが、彼らの本が、当人が書いていない、とは言いませんが、この本は間違いなく、長谷部本人の言葉で書かれている、と感じます。タイトルにあるような、ちょっとキレイすぎる言葉が、読み終える頃にはなんの違和感もなく、「彼ならば」当然のように思えてくるような感じさえします。
サッカーが好き、という前提はありますが、カズなどの尊敬できる先輩方の薫陶を受けながら、真摯に「プロサッカー選手」としての道を歩んでいる姿が垣間見れます。テクニックがどうこう、というよりも、あらゆる試合に対して、日本の日本人の代表として、プロとして取り組んでいる姿、少々まじめ「すぎる」感じもしますが、与えられた「天職」に対して取り組む姿勢は尊敬の気持ちにすらなります。食生活や、マスコミ対応、試合前のコンディション調整...27歳にしてここまで徹底して...すごいですねー。W杯南アフリカ大会でのゲームキャプテンに選んだ岡田監督の眼力に畏れ入ります。本書にも自ら書いているように、本人も戸惑いはあったかとは思いますが、それでも「自分のスタイル」を貫いて、役割を全うしています。やはり、そもそもそのような資質は持っていたのでしょう。さらにW杯というサッカー選手にとっては究極の試合においてそれを任されるという、運命にも似たものが降りてきたのかもしれません。
さらにキレイゴトのようですが、「日本のサッカーを活性化する」ことを自らの目標のひとつに置いている著者、そして、W杯決勝T進出、アジアカップ優勝など、キャプテンとしてのひとつの金字塔をクリアしつつある中で、まだ現状に満足していないその視線。かっこいいなあ。
本書にもありましたが、途中交代や、ベンチスタートなど、本人も納得のいかない場面も少なくないはずですが、それをプラスにとらえることができるのは素晴らしいです。自分の技術の足りないところなど、改善すべきことを見出そうと切り替える強さ。テレビで見る限り、交代の場面でも、長谷部選手は不満な表情はしませんよね。W杯でPKで負けたときもそうでした。悔しい、納得いかないことも、表情にださず、プラスに転換できる。本書では伏せてありましたが、本人の中に「大きな目標」が、ぶれずにあるから、かもしれません。そして、いろいろな環境の人と接触し、そして(かなり意外なところですが)多くの本を読んで、刺激を受け、その刺激を活力にしている。インプットもアウトプットもできている人間です。いい男ですねー。
サッカーというよりは、「プロ」としての心得、として読める本です。次のW杯でも是非代表として、ゲームに出て欲しい。応援したい選手のひとりです。


【ことば】...気づかないだけで、日々の生活は頑張っている人々の姿であふれているのだと思う。自分のことでいっぱいいっぱいにならず、そういう姿に気がつける自分でありたい。

ものすごく大切なことだと思います。 どんなことでも、一生懸命頑張っている人たちの、その姿に気づいて、そこから刺激をいただく、それが自分の成長につながるような、そういう生き方でありたい。

心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣

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